現代日本で超能力に目覚めちゃった件について   作:二度見屋

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第6話

 暗い部屋、カビ臭い畳の上で、俺は意識を研ぎ澄ませていた。

 『念力の手探り』。

 自分のアパートを起点に、同心円状に広がる不可視の触覚。壁を抜け、隣室の住人のいびきをなぞり、アスファルトのざらつきを越えて、俺の意識は夜の街へと溶け出していく。

 

 最初は、全能感に酔いしれそうだった。

 目を閉じているのに、街の構造が手に取るようにわかる。

 だが、その全能感は、数秒と持たずに絶望へと変わった。

(……くっ、情報量が、多すぎる……!)

 半径百メートルも行かないあたりで、俺の脳は悲鳴を上げ始めた。

 「道路の感触」は単なる平らな面ではない。ひび割れ、染み込んだ油、摩耗した白線。

 「車の走る振動」は、タイヤが地面を叩く微細なリズムから、エンジンのピストン運動までがノイズとなって押し寄せる。

 そして「歩く人々」。一人ひとりの足音、衣擦れの音、吐き出される熱気。それら数千、数万のデータが、整理されないまま直接脳内に流し込まれてくる。

 

 顔も知らない少女一人を探す?

 冗談じゃない。広大な砂浜で、特定の砂粒一粒を見つけろと言われているようなもんだ。

 俺は必死に、どこかにいるであろう少女を探そうとしたが、情報の濁流に押し流され自分の現在地すら見失いそうになる。

「はぁ、はぁ……っ!」

 限界だった。

 俺は力場を遮断し、現実の肉体へと意識を戻した。

 額からは脂汗が流れ、視界がチカチカと明滅する。

 

「……全能の超能力者と言っても、こんなもんか」

 口の中に広がる苦い唾を飲み込み、俺は自嘲気味に笑った。

 どこかで期待していたのかもしれない。「超能力」なら、念じればパッと答えが出る魔法のようなものだと。だが現実は違った。出力は無限でも、それを受け取る俺の脳という「受信機」が、あまりにも旧式で貧弱すぎた。

 

 だが、なぜか胸の奥には、軽い失望と共に、妙に晴れやかな解放感があった。

(……これで、いいんだ)

 俺は悪くない。見捨てたんじゃない。

 やろうとした。全力を尽くした。でも、能力の限界で見つからなかった。

 これなら、明日ニュースで近所の女の子の顔が出てきても、自分を責めずに済む。

 「俺は見捨てたわけじゃない。出来なかっただけだ」

 そう、心の中の汚い自分が、甘く囁きかけてくる。救世主ごっこは終わりだ。さあ、ビールでも飲んで、クソみたいな日常に戻ろうぜ。

 俺は重い腰を上げようとした。

 

 だが、その時。

 脳裏に、かつて読み耽った一冊の能力バトル漫画のシーンが、唐突にフラッシュバックした。

 ――電気操作の能力者が、自分の脳の電気信号を加速させ、思考速度を極限まで引き上げる描写。

「……ハ、ハハ。まさかな」

 俺は乾いた笑いを漏らした。

 超能力者になった今だからわかる。それは、物語の中だから許される無茶苦茶な暴挙だ。

 

 脳というのは、豆腐よりも脆いタンパク質の塊だ。そこに念力という強大なエネルギーを干渉させる?

 もし、力加減をほんの数ミリ間違えて、脳の一部を「押しちゃったら」

 その瞬間、俺という人格は消滅し、ただの生ける肉塊――廃人確定だ。

 

 見知らぬ子供一人のために、自分の命を天秤にかける?

 そんな英雄的自己犠牲は、漫画の登場人物に任せておけばいい。俺は時給1050円のフリーターで、この命は俺だけのものだ。

 そう言い聞かせ、今度こそ立ち上がろうとした。

 

 ――思い付いて、試しもせずに諦めたのか?

 ――なら、最初から見捨てたのと、何も変わらないな。

 また、聞こえた。

 今度は、冷え切った、逃げ場のない自分の声だった。

 

 逃げ道は、自分で塞いでしまった。

 この「方法」を思いついてしまった時点で、やらない理由は「不可能」ではなく「臆病」にすり替わった。

 

「……ああ、もう! クソが! やればいいんだろ、やれば!」

 半ばヤケクソ気味に叫び、俺は再び畳に座り直した。

 

 慎重に、慎重に。

 俺は念力の力場を、蜘蛛の糸よりも細く、シルクよりも柔らかく形成し、自分の脳を包み込んだ。

 意識を内側へと向ける。

 

 ……蠢いている。

 俺の意志、思考、記憶。それらが微弱な電気信号となって、複雑怪奇なネットワークを駆け巡っているのを感じる。

 これを早める?

 そんなこと、できるわけがない。原理も分からず、構造も理解していない俺が、自分の脳という精密機械のスピードを弄るなんて。

 「脳の電気信号を速めた」と一言で済ませている漫画の作者に、小一時間説教をこきたくなるほどの無理難題だ。

 案の定、加速させようと意識した途端、猛烈な吐き気と目眩が俺を襲った。

 自分の出す電気信号のスピードに、俺の自意識が追いつかない。中途半端に電気信号を触ろうとしたせいで意識を失いかけた。

 

「やっぱり、無理だ……」

 

 力場を切ろうとした。だが、寸前で発想が転換した。

 

「……いや、待て。『真似』なら、できるんじゃないか?」

 

 早めるのではない。

 俺は自分の脳を力場ですっぽりと包み込んだまま、その真横の「虚空」に、念力で何かを形作り始めた。

 

 参照するのは、今まさに動いている俺の本物の脳だ。

 その構造、その信号、その動きを、一字一句違わぬように、念力で模倣する。

 空気中のイオンを無理やり移動させ、電気信号を強引に虚空に発生させる。

 

 そうして、俺の脳のすぐ隣に、念力で構成された『もう一つの脳』が誕生した。

 

 それを維持したまま、俺は意を決して、偽物の脳を本物の脳へと「押し当てた」。

 

 ――弾けた。

 

 頭蓋骨の中で、光の奔流が爆発したような感覚。

 直後、世界が完全に書き換わった。

 

 視界が、信じられないほどクリアになる。

 部屋を舞う埃の一粒一粒が止まって見えるほどに、思考の解像度が跳ね上がっていた。

 集中力、思考力。それら、人間が「知能」と呼ぶもののステージが、何段階も強制的に引き上げられたことを実感する。

 

(……これなら、いける)

 

 俺は再度、街中へ念力の手探りを放った。

 

 今度は違う。

 情報の濁流は、もはやノイズではなかった。

 並列化された思考が、数万のデータを瞬時に仕分け、解析し、マッピングしていく。

 

 範囲が広がれば、脳をまた「増設」した。

 二つ、三つ、四つ。

 今の俺を横から見てるやつがいれば、まるで電流のツノが俺の頭から生えてるように見えてるだろう。

 

 探索の途中。

 さっきは気づかなかった俺の部屋の冷蔵庫の裏に潜むゴキブリの数――正確に言えば十七匹――を感知してしまい、一瞬激しい嫌悪感で集中が途切れそうになったが。

 

(……邪魔だ)

 

 片手間に念力を飛ばし、壁を壊さない程度の圧力で全個体を圧殺して適当にゴミ箱に投げ捨てる。

 今はそれどころじゃない。

 

 さらに範囲を広げる。一キロ、二キロ、三キロ。

 そして。

 

「……見つけた」

 

 場所は、駅から数キロ離れた、住宅街の端にある一軒家。

 周囲の家からは少し孤立した、手入れの行き届いていない庭のある家。

 

 その二階の、カーテンが締め切られた部屋。

 そこに、その「感触」があった。

 

 手と足をケーブルタイか何かで縛られ、口をガムテープで塞がれた、小さな身体。

 彼女は床にうずくまり、声の出ない叫びを上げながら、ガタガタと震えていた。

 そしてそのすぐ横には、一人の男が立っている。

 

 俺の心臓が、安堵で激しく脈打った。

 間に合った。まだ、彼女は生きている。

 

(……よし。あとは匿名で警察に通報すれば終わりだ。俺の仕事はここまでだ)

 

 そう、自分に言い聞かせた。

 

 だが、俺の『感触』は、残酷にもその先の光景を伝えてきた。

 

 男が、おもむろに少女へ近づいた。

 少女の震えが、限界を超えて激しくなる。

 男の手が伸び、彼女の服にかけられる。

 

 ――。

 

 頭の中で、何かが、音を立てて千切れた。

 

 賢い方法は、警察を待つことだ。

 余計な手出しをして、自分の居場所を特定されるリスクを冒すべきじゃない。

 

 分かっている。頭では、嫌というほど分かっているんだ。

 

 だが、床にうずくまって、絶望の中で涙を流している少女の「温度」を、俺の念力は克明に捉えてしまっていた。

 

 気づいた時には、俺の指先が、空中で何かの形をなぞっていた。

 

 数キロ先の、見知らぬ部屋。

 少女に覆いかぶさろうとしていた男。

 

 その男の首筋、皮膚のすぐ裏側を走る、太い頸動脈。

 

 俺は、その一点に対して、正確に、そして冷酷に、念力の「指先」を押し当てた。

 

 ギュッ、という肉の潰れる感触が、俺の脳にフィードバックされる。

 

 男の脳への血流が、一瞬で遮断される。

 男は何が起きたのかすら理解できず、糸が切れた人形のように、少女の横へ崩れ落ちた。

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 俺は意識を強制的に切断し、自室の畳に突っ伏した。

 

 増設した「仮想脳」が霧散し、猛烈な疲労感が遅れてやってくる。

 

 やってしまった。

 殺してはいないはずだ。ただの気絶だ。数時間は起きない程度の、深い、深い眠り。

 

 だが、俺はついに、「遠隔で人を裁く」という一線を越えてしまった。

 

 暗い部屋の中で、俺の震える手だけが、鈍い熱を放ち続けていた。

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