PHASE-02 Merry Christmas MACHU
1
宇宙は自由ではない。
生身の肉体で飛び出せば自分は窒息死するだろう。
ここは人にとって死の世界だ。
人が宇宙で生きていけるのはスペースコロニーとノーマルスーツという人工の地球の中にいるからだ。
宇宙は自由ではない。しがらみばかりだ。
頭では分かっている。
それでもジョン・マフティー・マティックスは目の前の光景に感動を覚えていた。
遠くに見える地球はジョンが暮らすサイド2のスペースコロニー「アイランド・イフィッシュ」の宙域からでも水の星としてのその姿を拝むことができた。
オニール・シリンダーを採用しているコロニー内部では採光ミラーの窓からしか見えない宇宙がここからはキャノピー越しに世界を覆っている。
ジョンは自身が乗っているプチモビルスーツの操縦桿を動かした。
右腕、左腕、右脚、左脚を順序良く動かしていき、スラスターをひと吹きしてとんぼ返り、軽快な動作だ。
だが、その軽快な動作の中にジョンは違和感を覚える。
コックピットに増設されたコンソールモニターに映るログを見てジョンはその違和感が正しいと確信し、あとで大人たちに報告する文言を考えることにした。
ジョンは改めてキャノピー越しに宇宙を眺める。
「……この宇宙へ自由に飛び出せたら、どんなに幸せなんだろう」
何光年も先にある星々と青い地球が銀河系の一部に過ぎないと考えると宇宙で自分が暮らすスペース・コロニーはどれだけちっぽけな物なのだろう。
あらゆるしがらみから解放されてあの宇宙の彼方へ飛び立てることが、たとえ夢幻に過ぎないにしてもジョンは憧憬を捨てることができない。
キャノピーと自身が着用しているノーマルスーツのバイザー越しに宇宙を眺めていたジョンはその景色に違和感を覚えた。
緑色の淡い光がこちらに近づいてくる。
スペースデブリか何かだと思ったジョンだったが、光はゆっくりとジョンの乗るプチモビルスーツへと近づいてくる。
回避行動を取るためにスラスターを動かそうと思ったジョンだったが、それより早く光はプチモビルスーツの目の前にやってきた。
淡い緑色の光を放っている物の正体は金属片だった。
金属片はT字型に加工されており、アイランドイフィッシュにあるコロニー公社支部の入り口に展示されている金属試料のサンプルに似ていた。
「何だこれ?」
金属は世の中に多くあるが、光る金属というのをジョンは聞いたことがない。
その光る金属はプチモビルスーツのキャノピーが開くのを待っているかのように宇宙を舞う。
(ニャアンのお父さんに見てもらおう。何か知っているかもしれない)
自分をプチモビルスーツに乗せてくれた幼馴染の父親のことを思い浮かべ、ジョンは光る金属を持って帰ることに決めた。
ジョンはプチモビルスーツのキャノピーを解放した。
コンピュータの警告音と共にコックピットの空気が宇宙へと消えていく感覚をノーマルスーツごしに感じながらジョンはシートの固定を解除して立ち上がる。
光る金属はジョンの目の前へと舞い降りる。
ジョンは光る金属へ手を伸ばそうとした。
伸ばした手が光る金属を掴んだ時、淡い光が突然強くなった。
驚いたジョンが手を放そうとする前に光が彼を包んでいく。
視界一杯が淡い緑色の光に支配されたのと同時に何かが流れ込んでくる。
『ラ…ララ…ララ…ラ』
声が聞こえる。
歌声にも機械にも聞こえる音だ。
『ララ…ラ…ララ…』
声が次第に聞こえなくなり、代わりに景色が変わっていった。
銀、金、緑、青、赤、ピンク、白…
あらゆる色の光が川のように流れていく。
とても現実とは思えない光景だ。
(僕は何を見ているんだ!?)
自分はさっきまで宇宙空間にいたはずだ。
困惑を隠しきれないジョンだったが、光の川の向こうに誰かがいることを見つけた。
「君は誰だ?」
ジョンの声を聞いてその誰かが顔を上げる。
(女の子だ)
顔を上げた人物は自分と大差ない年齢、10歳前半くらいの幼い少女だ。
紺色のショートカット、ブランド物の私服からどことなく育ちが良いように見える。
その顔にはどこか影が差しているようにジョンは思った。
「あなた、だれ?」
少女がジョンの元へと近づいてくる、その時になって少女は初めて周囲を見渡して感嘆の声を上げる。
先程までの暗い表情から一変して少女は明るくなる。
「これってなんなの?すごいきれい!?あなたなに?」
「こっちが聞きたいよ」
少女の能天気さにジョンは毒抜かれてしまう。
謎の空間のことを脇に置いてしまったジョンは彼女の顔に涙痕があることに気付いた。
「何で泣いているんだ?」
ジョンの疑問に少女は僅かに顔を顰めた。
「…きょう、クリスマスイブでしょ?おとうさんとおかあさん、しごとでかえってこれないって。せっかくクリスマスパーティをやろうっていったのに」
今日は0078年12月24日、少女が言うようにクリスマスイブだ。
「おかあさんとおとうさん、しごとがいそがしいから、クリスマスはちゃんとかえってくるっていってたのに」
(悪いこと聞いちゃったかな…)
目の前の少女はクリスマスイブを1人で過ごすことになってしまったらしい。
クリスマスイブを1人で過ごすのは辛いだろう。
プチモビルスーツの動作テストが終われば、幼馴染の家でクリスマスパーティを祝うことになっている自分が気を利かせたことを言いづらいなとジョンが考えていると、少女が口を開いた。
「きみはどうなの?」
今度はお前が話せ、と少女の目が訴える。
「2人とも出張だよ。ジオンに」
ジョンの両親は遺伝子研究の専門家だ。
アイランドイフィッシュに設立された遺伝子研究所に勤務している。
昨日からジオン公国の大学へ年末まで出張の予定だ。
「さびしくないの?」
「あんまり気にしたことなかったな。少なくても父さんと母さんは悪い人じゃない」
両親が仕事でいなくなることはよくあることだったのでジョンは大して気にしたことはなかった。
少なくとも自分の両親はネグレストではないだろうという自負がジョンにはある。
「そうかなぁ…」
ジョンの言うことを信じられないように少女はジョンの顔を覗き込む。
少女のターコイズブルーの瞳がジョンの青い瞳を射抜く。
その瞳の色に自分の意思が吞まれてしまうような錯覚をジョンは覚える。
「綺麗だ」
心の中で呟くつもりの言葉が思わず零れてしまう。
その言葉を聞いてターコイズブルーの瞳が揺れる。
「あ、き、きみのなまえは?」
そういえばまだ名乗ってなかったなとジョンは思った。
「ジョンだ。ジョン・マフティー・マティックス」
我ながら覚えやすい名前だとジョンは思った。
「ジョン、マフティー、マティックス……」
少女はジョンの名前を反芻する。
「わ、わたしは、ま、ちゅ…」
今度は自分の名前を少女は名乗ろうとするが、声がしどろもどろになっている。
「マチュ?」
「それはちっちゃいころの…」
顔を赤くしながら少女の視線が下がっていく。
ボツボツと口にしているが、声になっていない。
とりあえず少女のことを「マチュ」と呼ぶことにジョンは決め、気まずくなった状態を変えようと先ほどの話を蒸し返すことに決めた。
「メリークリスマス、マチュ」
ジョンから思いがけない言葉を掛けられてマチュは顔を上げた。
「1人のクリスマスほど寂しいものはないよ」
「…うん」
マチュは微笑みながら頷く。
その微笑みを見てジョンは息を呑んだ。
可愛いのだ。
マチュのことをもっと知りたい。
ジョンはそう思いながら言葉を続けようとした。
その時、何者かの気配を感じた。
誰かが自分たちを見ている。
ジョンは周囲を見渡す。
「ねぇ、ジョンはどこにすんでるの?ジョンはなんさいなの?」
マチュは気付いていない。
「サイド2、アイランド・イフィッシュ。11才だよ……」
ジョンは気付いてしまった。
何で今まで気づかなかったのだろうか。
そもそもこんな空間で世間話をしている時点でおかしかったのか。
自分たちを頭上から見下ろす者がいた。
「おないどしなんだ!!わたしはサイド6のイズマにいるの、ちかいじゃん!!」
サイド2とサイド6は同じラグランジュポイントのL4点の周囲に建造されている。
他のサイドより比較的近いが、移動に時間はかかるぞとジョンは内心でツッコミながら頭上から降り注ぐから視線から目を離せない。
自分たちを見下ろしているのは灰色の巨人だった。
それがモビルスーツであろう、とジョンは経験則ですぐに分かった。
4つのアンテナを頭部に備え、グレースケールのシックな色合いとアスリート選手のような洗練された肉体美を思わせる姿だ。
何よりも特徴的なのはその頭部センサーだ。
黄色のデュアルアイを備えた人間味を感じる頭部が自分たちを見下ろす、いや見守っているというべきだろう。
グレースケールのモビルスーツからは敵意のようなものを感じない。
むしろ自分たちを守ろうとしているようにもジョンは思えた。
だが、モビルスーツはどこまで行っても兵器に過ぎないはずだ。
それが人のような意思を持っているというのはファンタジーに過ぎない。
(そもそもこの空間は何なんだ?)
冷静に考えればここはどこなのだろう。
あの金属片の光に包まれてジョンはこの場にいる。
夢とも現実とも言えないこの空間にだ。
「ジョン、おかあさんたちがいないからわたしとクリスマスしよ!」
無邪気なマチュだが、そもそも目の前の少女は本当に存在するのか?
幻覚か心霊現象の類ではないのか?
ジョンの思考がだんだんと冷めてくるが、嬉しそうなマチュを見ているとその存在を否定したくはなかった。
「ここもクリスマスパーティみたいに賑やかだ」
モビルスーツの視線を気にしないようにしながらジョンは言う。
「ほんと、そうだよね!キラキラしてる」
「キラキラ、確かに…」
『キラキラ』という言葉が、確かにこの空間に相応しい。
「クリスマスパーティの会場にいいかもしれないな。キラキラ」
ジョンの言葉を聞いてマチュは笑った。
「メリークリスマス、ジョン!」
「ああ、メリークリスマス」
ジョンもつられて笑う。
一瞬だけ、ここがどんな場所でも構わない、この子と笑いあえればよいとジョンは思った。
2人が笑いあうその直後、周囲が切り替わった。
キラキラが消えていく。
「なに?」
周囲のキラキラが消えていき、マチュの姿など跡形もなくなる。
残ったのは真っ白な空間にジョンとグレースケールのモビルスーツが残るだけだ。
そして自分が消えていくのをジョンは感じ取った。
脳の理解が追い付かくとも周囲は待ってくれない。
最後に残ったのはグレースケールの巨人はジョンとマチュがいた場所を寂しげに見つめていた。
2
ジョン・マフティー・マティックス少年はアイランド・イフィッシュの一部ではある意味有名人だった。
弱冠11歳にしてプチモビルスーツのライセンスを取得し、プロに負けないくらいに乗りこなし、機体の整備からOSの調整もこなせる。
それを見込んでアイランドイフィッシュのコロニー公社の支部は彼に卸したてのプチモビルスーツの試運転を頼んだ。
いくらジョンがライセンスを持っているからとはいえ、11歳の少年にプチモビルスーツを任せるということはありえない話だ。それも半官半民のコロニー公社がジョンに頼んでいるのだ。
そうなった経緯というのはある意味人との縁だった。
ジョンと幼馴染の少女のニャアンの父親がコロニー公社の職員であったため、こんな話が内々で通ることになった。
「今日はありがとう。でも突然コックピットを開けるというは危険だぞ」
「すみません」
「機体にぶつかったスペースデブリを目視で見る、という判断は間違ってない。でも危険なものは危険だぞ」
ニャアンの父が運転する車の助手席でノーマルスーツから私服に着替えたジョンは申し訳なさそうに言った。
キラキラが消えた後、気付くとジョンはプチモビルスーツの中に戻っていた。
ジョンの様子をモニターしていた作業艇に早々と回収され、ジョンはコロニー公社アイランドイフィッシュ支部へと舞い戻っていた。
プチモビルスーツを格納庫に戻した後、報告は後回しにジョンは早々に帰らされた。
帰りの車内でジョンはコロニー公社の人たちにあの「キラキラ」について話をするべきか悩んだが、結局誰にも話さずにいた。
もうすぐで目的地に着く。
車から降りる前にジョンは聞きたいことがあった。
「いいんですか?あの機体、OSに問題が…」
「ニャアンに怒られた。お前をクリスマスまで拘束するなと」
ニャアンの父親はジョンに申し訳なさそうに言った。
書類作成は後でも良いという判断だろう。
車が道路わきに止まった。
ジョンはドアをゆっくりと開けて外へ出た。
「クリスマスケーキ、買ってるからな」
ニャアンの父がそう言うと車のドアが自動で閉まった。
これから車庫に車を戻すのだ。
車が動き出したのを見送るとジョンは後ろを振り返った。
目の前にはタイ料理の店がある。
ニャアンの母親が経営している店だ。
時刻は20時を回っており、出入り口にはタイ語でクローズを意味する文字が書かれた看板が吊るされている。
それでも店内に明かりは灯っている。
ジョンは上着のポケットに入れていたT字の金属片を取り出した。
あのキラキラが本当にあったことを示す数少ない証だ。
「夢だったのかな、あれ」
キラキラもそうだが、その中にいたマチュとあのモビルスーツのことがジョンには気がかりだった。
マチュのいう「サイド6のイズマ」というのはあの後にジョンは調べてみたが、確かに「イズマ」という名のコロニーはサイド6に存在するようだった。
だが、マチュの存在については調べようがない。
あの時の出来事をコロニー公社の人たちに報告するのが正しいだろうとジョンは思っていた。
だが、あんなことを誰が信じるというのだろうか。
宇宙移民者が経験した数ある心霊現象か、あるいは酸素欠乏で見た夢で片づけられる。いずれにしてもまともに取り扱われないだろうとはジョンに分かり切っていた。
キラキラが心霊現象扱いされるかもしれないのはジョンにとっても仕方のないことだとは思っていた。
だが、マチュが幽霊だとはジョンは認めたくなかった。
周囲に話してマチュとキラキラが存在しない幻だと判断されることがジョンは嫌だった。
今日の件についてはとりあえず、自分の胸の内にしまっておこうとジョンは決めた。
ポケットにT字の金属片を戻すとジョンは店に向かって歩き出し、ドアを静かに開けた。
「すみません、遅くなりました」
小さな店内の一角にあるテーブルにはタイ料理とクリスマスケーキが並べられていた。
その席には幼馴染のニャアンが待ちくたびれたようにしていたが、ジョンを見るとパァッと表情が明るくなった。
「ジャック、おかえり」
「ジョン君、お帰り」
カウンターの奥からニャアンの母が顔を出す。
「ごめんなさい。うちのバカが」
「気にしないでください。冬休みでゲームと勉強だけじゃ身が持ちません」
ニャアンの母の言葉をやんわりと流してジョンはニャアンの場所へ向かう。
「ケーキはきってあるよ。ジャックとわたし、かあさん、とうさん」
ケーキは4等分に切られて皿に盛られていた。
「ありがとう。もう一皿貰えないか」
「いいけど…?」
そういうとニャアンはテーブルの上に余分に置いていた皿をジョンに渡した。
「ナイフを借りるよ」
ジョンは自分の皿の上に置かれたケーキをケーキナイフで2等分してニャアンから渡された皿に置いた。
意味のない自己満足の行為だとジョンは分かっていた。
ただ、あのキラキラで遭遇し、クリスマスを1人で過ごさなければいけないマチュのケーキを残したかった。
そしてこのケーキがニャアンの家族がお隣さんの自分への好意のために与えてくれたものであって誰の物でもないこともジョンは分かっていた。
「なにやってるのジャック?」
自分のケーキを更に2等分するジョンの行為にニャアンはいまいち理解できなかった。
ジョンにその行為の意味をニャアンが聞こうとした時だった。
「帰ったぞ~」
車を車庫に戻したニャアンの父が帰ってきたことから、すぐにニャアン一家とジョンのクリスマスパーティが始まった。
ニャアンはジョンが切ったケーキのことが気になったが、両親の話を聞いて静かに笑うジョンの姿を見てあまり気にしなくなっていった。
(メリークリスマス、マチュ)
ニャアンとその家族と話しながらジョンは存在したかどうかも分からない少女のクリスマスを祈った。
0078年12月24日、サイド2アイランドイフィッシュでのクリスマスイブはこうして過ぎていった。
月の処女、おっぱい/Plazma大作戦について
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