パイラタウンには、町を2つに切り裂く大きな亀裂がある。
「な、何なのよこの崖……」
パイラコロシアムがあるのはその亀裂の先、不安定な吊り橋を渡ってすぐのところにある。パイラの住人であれば慣れたものだが、ミレイは底の見えない崖を超える恐怖に足が止まってしまった。
「何だ、怖いのか?」
「安心しなって。この吊り橋、見た目の割には耐久性あるし。万が一落ちたとしても、俺のポケモンで助けてやれるから大丈夫だって」
「別に、自由落下したとしても問題ないしな」
「いや問題ありだから」
とりあえず突っ込んでおいて、ミレイは意を決して、吊り橋一歩踏み出す。見た目こそ古いが、木の板は案外しっかりとミレイの体重を受け止めた。
「というか、何でこんな崖があるのよ? 大きな地震でもあったの?」
「ああ、それは……」
「……大昔の、大戦の跡だよ」
何故か言い淀むマサの言葉を、レオが続けた。
「大地を隆起させ、地を割り、敵軍を奈落へと突き落とした。その、遺物さ」
「え?」
「その昔、オーレ地方は肥沃の土地だった。しかし戦争が起こり、国は荒れ、今となっては見る影もない」
そう言うレオの横顔はどこか物寂しげで、まるで苦悩しているように見えた。
「レオ……?」
ホウエン地方にも、グラードンとカイオーガの争いが童話として伝えられている。だがそれはあくまでも遥か昔の話。
だがオーレ地方は未だにその傷跡が癒えずにいるのだ。そしてレオは、その事に何かしらの苦しみを覚えている。
「ほらほら、今は過去の戦争よりも目先のコロシアム、だろ?」
「あ、うん、そうだね」
マサに促され、ミレイはようやく吊り橋を渡り始めた。
◇
整備されていたフェナスシティコロシアムとは違い、パイラコロシアムは薄汚れていて、雑多な印象を受けた。半壊した屋根からは澄み渡る快晴とやけに強い日差しが覗き、天候の影響を直に受けるに違いない。フィールドの整備もままならないのか、隅には瓦礫が積まれている。
バトルコートに立ち入ることが出来るのは参加者と、そのポケモンのみ。付き添いは認められていない。仕方なくミレイはなるべくフィールドに近い席をようやく見つけ、腰かけた。本当はレオと一緒に行きたかったのだが、規則で決められていては諦めざるを得ない。
「失礼するぜっと」
その代わりには、というべきか隣には当然の如くマサが座る。そして牽制に、ミレイに手を伸ばそうとしたゴロツキ2人を睨みつける。
ミレイは、マサの庇護下にある。そう示しておけば、不埒な連中もミレイを害そうとはしないだろう。マサを敵に回したゴロツキの末路は、誰でも知っている。
マサという絶対的権力者の恩恵にミレイが気付くのは、随分と先のことだろう。だがマサは、それで良かった。あのレオが、思惑があるにしても傍に置くことを選んだ少女だ。しかもレオ本人もまんざらではない様子。
ミレイは、レオ達の事情を何も知らない。だからこそ、きっとレオを変えてくれる。それに賭けたいのだ。
「レオ、本当にスナッチしたダークポケモンを使わないのかな?」
「だろうな。ま、ディアとニュイの強さは折り紙付きだからよ。優勝間違いなしだって」
「それは、分かってるけど……やっぱ、不安で」
「……だよな」
ポケモンだけでなくレオ本人も戦闘に強いことを、マサは知っている。だがそれでも身を案じてしまうのは、肉体的精神的な脆さがあるからだ。だがそれは、マサがレオの素性を知っているからだ。表層だけみれば、レオは敵無しに思える。けれどミレイはそれでも不安を抱えていた。
「……なあ、ミレイは何でレオを頼ろうとしたんだ? アイツ、見た目はいいけど無愛想だろ? 初対面の人間に親切なんてしないし……スナッチ団に、いたし」
後半声が小さくなったのは、パイラタウンでもスナッチ団は恨まれているからだ。堂々と出入りはしていたが、それは犯罪したという証拠がないからに過ぎない。
「何でって言われても……こう、ビビッときた、としか……。そういうマサは、レオとどうして知り合ったのか、聞いていい?」
「あー……」
マサと親しくしている素性不明のトレーナーがいる、ということはパイラタウンの情報屋も知っているだろう。そのトレーナーが、スナッチ団所属ということくらいまでは調べられていてもおかしくない。
だが、マサとレオがいつどこで知り合ったのかとなると話が変わってくる。。
表向きはポケモンバトルを経て意気投合したと言い張っているが、マサとレオは同郷の幼馴染だ。
しかしあの村の出身だということは秘さなければいけない。誰が盗み聞きしているかも分からない場所では特に、言うことが出来ない。
「……悪い、昔馴染としか、言えねえ」
「ううん、こっちこそごめん。……あ、次の試合、始まったみたい」
教えてもらえないことに存外ミレイがショックを受けた様子はない。その事にもマサは謝るしか出来なかった。
◇
飛び入り参加大歓迎のパイラコロシアムは、優勝商品として強いポケモンが貰えるということもあってか盛況していた。
個別の控室というのは優勝常連にしか与えられず、初参加のレオは他の参加者と共に雑然とした部屋に通される。
とたん集まる好奇の視線にレオは小さく舌打ちした。
普段、レオは自分の見目の良さに頓着していない。しかしこういう時だけは別だ。弱そうと侮られるのはいい、その油断を突くだけだ。だが、性的な目は今すぐ不能にしたくなる。
『苛立ってるわね』
『落ち着けって』
『分かっている』
苛立っているのは自覚している。何度も平静を保とうとしているのに、それが出来ない。こんな事は初めてだ。
『そんなに、ミレイの事が心配?』
「違う」
念じれば伝わるというのに、小さくとはいえ思わず声が出てしまった。すぐにテレパシーでの会話に切り替える。これだって、普段ならしないミスだ。
『マサがいる。あいつの隣で悪さが出来る奴は、パイラにはいない』
『じゃあ、どうしたのよ』
『そうそう、最近おかしいぜ。アジトを爆破した時もそうだけどさ……』
2匹の思念が伝わる。心配、してくれているのだ。
けれど、その理由をレオは伝えることが出来ない。教えてしまえば、2匹はレオの企てに反抗するだろうから。
『……この先、シャドーとの衝突は避けられない』
だから、当たらずともも遠からずな事しか言えない。
『俺は、ダークポケモンとの相性が良くない』
思考を隠し、記憶の奥底へと封じ、蓋をする。そうすれば誰にも、レオ自身ですら分からなくなる。
『戦闘で、足手纏いになるかもしれない』
『何だ、そんな事?』
『私達なら、負けないでしょ?』
だから、2匹は気付けない。
『それにさ、ミレイに協力するのも悪くないし』
『そうね。同じ窃盗でも、ダークポケモンをスナッチするのなら、罪悪感ないもの』
『それに、さ……レオが一番気にしてるの、あのエアームドだろ?』
軽く、レオは2匹のボールを叩く。それは肯定の意だ。
『……やっぱり、な』
『レオ。ダークポケモン、スナッチしましょ?』
「……ああ」
ぎこちなく、レオは笑う。
『俺達なら、問題ないって!』
『別に、レオが足を引っ張るくらい問題ないわよ』
『そうそう! レオの無茶な指示は今更だし』
『私達は、レオについて行くって決めてるんだから』
共に地獄から抜け出した同胞の言葉はとても頼もしく、だからこそ利用しなければいけない。その事に罪悪感はない。
「……なら、お前たちの意にそぐわないことでも、俺が命令すれば従う。その覚悟があるんだな」
今度はあえて、口にする。
『今更、ね』
『あそこを出たときから、決めてるよ。俺たちはレオに従うって』
同胞でもあり恩人でもある【親】を、2匹が裏切ることはない。だからこそ、色々思うところはあってもここまでついて来たのだ。
「なら、良い」
深々と息を吐き、レオは僅かに目を伏せた。その陰りが陰惨とした印象を与えるも、ディアとニュイの決意は揺るがない。
それが後の未来、どんなに自身を追い詰めるのかを、この時点では知る由もなかった。
◇
パイラコロシアム決勝戦。順当に勝ち進んできたレオの対戦相手は肉体派のワチャ。こちらよりもワンテンポ遅れ気出して出したのはアズマオウとデリバード。とはいえ、決勝まで来るとレオがエーフィとブラッキーしか使うつもりがないのはバレているので問題ない。
「アズマオウ、滝登り!」
技の指示もフライング気味。だがディアとニュイの反応速度であれば充分避けきれる範囲。
「プレゼントだ!」
そして、デリバードがプレゼントをフィールド中にばら撒いた。とたんにプレゼントが爆発を起こす。次々と誘爆を起こしたプレゼントが、フィールドに黒煙を充満させた。
「氷の礫に吹雪!」
それにも関わらず、ワチャは技を指示する。相手の姿は見えないが、広範囲の攻撃すれば問題ないという作戦だろう。
しかし、その程度の小細工を弄したとしても2匹に効果は薄い。ディアの張った不可視の壁に、雪と礫は阻まれる。
確かに、いくらエーフィが空気の流れを読むことが出来たとしても、この爆風の中では敵の位置を察知するのは難しい。このまま爆風が収まるのを待っていてもいいが、それにより相手に付け入る隙を与えることはしたくない。故に、多少強引にでも場を支配することにした。
「ニュイ、サイコキネシス」
あえて、あくタイプのニュイがサイコキネシスで大気に干渉。人工の風が黒煙を蹴散らし、2匹の姿を顕わにした。そしてディアのサイケ光線がアズマオウを薙ぎ払う。
「電磁砲!」
アズマオウが倒れる寸前、ワチャはアズマオウを戻し代わりにレアコイルを繰り出した。同時に放たれる電磁砲。ディアに向けられた砲撃はしかし、割り込んだニュイのシャドーボールが相殺する。そしてディアの2撃目のサイケ光線が、デリバードも戦闘不能にした。
「糞っ!」
舌打ちと共に飛び出したのは、コモルーだ。
「龍の息吹!」
「光の壁!」
放たれた息吹は、ディアの張った壁に阻まれる。
「フラッシュ!」
そしてニュイが眩い光を放つ。その光はポケモンだけでなく、観客からも視界を奪う程だった。
誰も、何も見えない中、コモルーの悲鳴がワチャの耳に届く。
「なっ、何が……!?」
ワチャが目を庇いながらも、状況を判断しようとする。
未だ白く霞む視界の中で辛うじて見えたのは、気絶したコモルー。それだけでなく、レアコイルまでもがダメージを受けているようだ。
ドラゴンタイプ単体のコモルーが一撃で気絶してしまう程の威力を持つ、全体攻撃。それがどんな技なのか、ワチャは理解できなかった。
理解する前に、地面の下から飛び出してきたニュイがレアコイルを気絶させた。
◇
フラッシュはディアの技を見られないため、そして知られないために使ったもの。
ディアが使用したのは、通称「マジカルシャイン」。未だ公式に分類されていない属性の技。ドラゴン相手に絶対的優位のその技は、特攻が異常に高いディアが使用すればヌメルゴンでさえ一撃で仕留める。
『お前、面倒臭がっただろ。マジカルシャイン使いやがって』
耳元でマサの声がする。
「ダークポケモンはいなかったんだろ。なら、いいじゃないか」
『フェアリータイプも、マジカルシャインもまだ未発表の技じゃないか。変に悪目立ちするの嫌いだろうに、どうしたんだ?』
「……別にいいだろ。それより、そんな忠告のために通信を開いたのなら、切るぞ」
コートの襟に隠しているマイクがレオの声を拾い、専用の回線を通してマサに伝わる。直後、若干慌てたようなマサの応答が耳に仕込んでいるワイヤレスイヤホンから聞こえてきた。
このイヤホン、2人の共通の知人である技術者が開発したもので傍目では何も仕込んでいるようには見えないので重宝している。だが、無駄話をするつもりはない。
『ち、違うって! シルバが連れ去られたんだよ』
「………」
案の定というべきか。今朝のあの勢いなら特攻してもおかしくない。
しかしレオは、インカムに返事をしなかった。
吊り橋を渡り切った先に、見覚えのある戦闘スーツに身を包んだ男が待っていたからだ。
「やあやあ、これは今回のバトルに勝ち抜いた優秀なトレーナー君」
人を小馬鹿にしきっているのが、言葉の端々から感じ取れる。連中にとって、コロシアムの優勝者は甘い餌に集る蠅のようなものだろう。
「この町の真の実力者であるミラーボ様から、素敵なプレゼントがあるぞ」
『連れ込まれたのは例の廃ビルだ。フィリアが見てた』
返事を言えない代わりに、襟元を2回叩く。
「素敵なプレゼント、か。本当にくれるのか?」
「もちろん。我々シャドーは、強者への援助は惜しまないからな。さあ、着いて来い」
「そうか、それは愉しみだな」
視線を感じる。崖の上に潜んでいるフィリア……マサのサーナイトのものだろう。
『オッケ。俺たちは5分後に突入。それまでに可能な限り情報収集しとけよ』
了解の意で更に2回。
隙だらけの背中。こんな相手に5分も必要ない。フィリアの死角……廃ビルの入り口が開けられる直前、背後から男の意識を刈り取った。
そして廃ビルの扉を開け、建物内に突き飛ばす。
「遅かったねワイル、ド!?」
中で待機していた女は、とっさに仲間を受け止めた。視界も塞がれ、侵入したレオに気付くことすら出来ない。
「一体何が、あ゛!?」
あっという間に背後に回り込み、足払いをかけ押し倒す。
「さあ、教えて貰おうか?」
「な、何を……!?」
「全てを」
そうレオは舌舐めずりをした。
マサが5分と言ったのは、ミレイを慮ってのもの。つまり5分で、ミレイに見られてはいけないものを片付けろ、という事。
だからマサと共にミレイが廃ビルに入った時、そこには誰もいなかった。
「無事か……って、聞くまでもねえな」
「当然」
レオを相手にするには物足りない相手だ。酷薄な笑みを浮かべながら、モンスターボールをひとつ弄ぶ。
「それ、もしかして……」
「奴らが俺にくれようとしたポケモンだ」
中から出てきたのはヤンヤンマ。間違いなく、ダークポケモンの証である黒いオーラを放っている。
「……間違いない、ダークポケモンよ」
「ビンゴ、だな」
ニヤリと笑って、マサはレオの肩に手を置いた。
「んで、首尾は?」
「誰に言ってる?」
「そりゃ失敬」
奪い取り、流し見していたファイルを懐に仕舞い、頑丈なブーツの爪先で床を軽く蹴る。
「先行する」
そしてディアとニュイをボールから出して、黒手袋をしっかりとはめ直した。
「いーや、一緒に行くぜ。ミレイも、走れるよな」
「あ、うん……」
「……好きにしろ」
ひとつ息を吐き、レオは通路の奥へと消えた。2匹も後に続く。
「ほら、行くぜ」
「あ、うん!」
ミレイを先に走らせ、背中をマサが守る。
「っていうか、レオ、足、速っ!」
これでもミレイは、体力測定は同年代の中でも上位にいると自負している。だというのに、レオ背中は既に見えない。
「うわ、ガチでやってるな」
そう苦笑するマサも、息に乱れはない。男女の差というよりも、鍛え方の違いにミレイはショックを受け、誓った。
「帰ったら、走り込み、しなきゃ……!」
「ははっ!」
耐えきれず、マサが噴き出す。
「ちょっと、何で、笑うの、よっ!」
「いやだって、これでまだレオと張り合おうって思えるのが凄えよ」
「そう言う、マサも、余裕、そう、だけど!?」
「そりゃあ、地力が違うからな」
むしろマサからすれば、今まで鍛錬を積んでいないミレイに並ばれる方が困るのだ。それはレオも然り。
「ああ、もう! 待ってよ! 1人で、行くのは、許、さない、んだから、ね!」
ミレイの叫びはレオには届かない。それでも叫ばずにはいられなかった。そんなミレイに、マサはまた笑ってしまう。
「やっぱ、いいコンビになるかもな」
最初、マサはミレイの同行を反対するつもりだった。
マサもそうだが、レオには他者には言えない事情が色々とある。目が良いだけの一般人は確かに囮にはなるだろうが、レオの機動力は落ちる。
だがミレイと直接会話して、印象が変わった。それにレオも、ミレイの事を嫌っている様子はない。
だからマサは、ミレイを受け入れると決めたのだ。
◇
外見こそ古く、内壁も崩れて破片が散らばっている。だがビルを支えている柱は落書きこそされているが、ほぼ無傷。電気も止まっておらず、エレベーターも問題なく使用できそうだ。
つまりこの建物、わざと廃ビルに見せかけている。余計な人間を、このビルに入れたくないのだろう。
コンクリートの破片が散らばる床を足音ひとつ立てず駆け、破落戸に扮した見張りを1人ずつ気絶させていく。その間も一度として足を止めることはしない。
だからマサ達と差がつくのは必然。
「……さて」
屋内を突破し、屋上へと続く階段に足をかけてからようやくレオは立ち止まった。
そもそもレオは、マサとミレイを待つつもりは毛頭ない。だた独断専行するとまた煩く言われるのが分かっているから、ポーズを取っただけ。
逡巡したのは、マサからの小言を聞くのが面倒だったから。
次の一歩は、あえて足音を立てる。コンクリートの破片が乾いた音を鳴らし、侵入者の存在を知らせる。
一歩一歩、己が存在を誇示するかのように。ゆったりと。焦らすように。普段は上げているゴーグルを装着し、グローブをしっかりとはめ直す。
屋上でレオを出迎えた太陽光はパイラタウンの持つ後ろ暗さとはまるで対照的で、レオは皮肉気な笑みを浮かべた。
屋上で洞窟の入り口を守っている見張りが、躊躇なく発砲してくる。あえて狭く作られた階段には遮蔽物もなく、避けるのは難しい。
「さて」
計4発の銃弾が推進力のままにレオを穿つ……はずだった。
「そんなモン、当たるかよ」
ひしゃげ、推進力を失った鉛玉が重力に囚われる。だがそれが音を立てて床に落ちるより前にレオは駆け出し、腹部を殴って気絶させる。その勢いのまま、外で待機していたもう1人の意識を刈り取る。
『それで、どうするの?』
『決まってる』
このままシャドーが根城にしている洞窟に突入しても良い。しかし、レオが足を向けたのは屋上に立てられた掘っ立て小屋。
こちらも見た目はボロそうだが、隙間風が入り込む隙間すら見当たらない。
「3」
そっと鋼鉄の扉に触れる。ひんやりとした感触が、手袋越伝わってくる。
「2」
カウントと同時に、レオの後方で2匹が臨戦態勢に入る。
「1」
施錠された扉は侵入者を拒む。ならこじ開けるしかない。
ゼロカウントの合図の代わりはノック音……それも扉がくの字に折れ曲がり、吹き飛ばされた音。
「随分と、楽しそうだな。俺も混ぜてくれよ」
それを成し遂げたのは肉体派のような屈強な大男ではなく、線の細い青年。逆光の中、唇を弧の形に吊り上げる。
「……おや、本当に今日はお客様が大勢見える日のようだね」
「それじゃ、ちょっとおもてなしをしなくっちゃ!」
人工色の紫で染めた髪を肩口で切りそろえた女性と、赤毛をウルフカットにした女性。2人の足元に転がっているのは、見覚えのあるくすんだ銀髪を短く刈り込んだ少年、シルバだ。服には血が滲み、大きな青痣も作ってはいるが、手当てさえすれば後遺症は残らないレベル。
シルバがギンザルの舎弟なのは周知の事実だ。搾り取れる情報もほとんどない。だから尋問すらせず、見せしめとして物言わぬ体で返却されてもおかしくない。だがこの2人はそうせず、自らの自虐趣味を優先させた。
今だって、レオがギンザルの手の者でシルバの奪還に来たと思われてもおかしくない状況だ。だというのにシルバを盾にする素振りすら見せず、ポケモンを出してきた。
「……温いな」
イトマル、テッポウオ、オオタチにマンタイン。4匹のポケモンに囲まれる。強烈な敵意……殺意を向けられ、軽く眩暈がした。
「恐怖で人間を縛ろうとするにしても、温すぎる」
わざと大きな音を立て、1歩踏み出す。
「見せてやるよ」
懐かしい、嗅ぎ慣れた血の臭い。そしてこの殺気。それらをを感じレオは自然と笑みを浮かべる。それに気圧されたのは……迎え撃つ女性たちの方だった。
「地獄の、片鱗を」
まるで、神聖を思わせる微笑。しかしその実体は見る者を捉え惑わし、死刑を宣告する……死神だった。
◇
マサとミレイが屋上に出たのは、それから3分もしない内だった。障害らしい障害がなく、ミレイという一般人がいることを考えると早い方だろう。
「追い、つけ、な、かった……」
ぜいぜいと肩で息をするミレイにマサは未開封のペットボトルを渡し、静かに警戒を強めた。
やけに、静かだ。
戦闘音どころか生物の息遣いすら遠い。まるで怯え、息を潜めているように。
その中心にいるのは、マサの幼馴染。
「随分と、速かったな」
険を含んだ視線に、レオは微笑む。それは狂気を孕む、見るものを恍惚とさせる魔性のものだった。
「レオ」
「問題ない」
「……どこが、だよ」
手持ちの呼びかけにすら半ば無視している状態だというのに。
「実際、調子はいいんだ」
「それ、タチ悪いだろ……」
レオの言い分を、マサは「ハイになって不調を忘れる」という風に解釈した。そしてそれは間違っていないだろう。
自重を止めたレオは、良くも悪くも目を惹いてしまう。カリスマという言葉で片付けるには生易しい存在感は、例えばポッポの群れにファイヤーが紛れてるようなものだ。
「だろうな」
そっと、レオが息を吐く。
「そんな事より」
「そんな事って……」
自らの不調をあっさりと流すことに憤るマサだが、レオが示した方向を見て息を呑んだ。
「シルバ!?」
「安心しろ、死んでない」
すぐにシルバの息を確認でき、ほっと息を吐く。どうやら眠っているだけらしい。怪我こそあるが命に別状はなさそうで、この分なら数日後には活動を再開できるだろう。
「やだ、その人大丈夫なの?」
ひょっこりとマサの後ろからミレイが顔を出した。それからレオを見て、
「……まさかとは思うけど、レオ」
「んな訳ないだろ」
「だよね〜。良かった、今のレオ、とっても怖い顔してるんだもん」
「やるとしたら、遺体も残さないな」
「もっと物騒!」
そんな2人のやり取りにマサが安堵したのを、レオは見逃さなかった。そして自分も余裕を失っていたのを自覚して、そっと嘆息する。『あ、ようやく戻ってきた!』
『ちょっとレオ! トレーナーなんだから、我を忘れてもらっちゃ困るわ!』
とたん2匹の抗議に頭が痛くなるが、甘んじてそれを受ける。
「……とにかくマサ、こいつを診療所に連れて行ってくれ」
ここに来て、マサはレオの意図に気付いてしまった。
マサとしては、洞窟の制圧まで一緒に行くつもりでいた。だがここにはシルバという救助者がいる。しかしスナッチマシンを使いこなせるのはレオしかおらず、ダークポケモンを見抜くにはミレイが必用。
つまり、シルバを連れて行くのはマサしかいないのだ。
「……しゃーねーな、無理すんじゃねーぞ」
「ああ、それと……ギンザルかヘッジ連れて、突入の準備だけ進めてくれ」
「あ、何でだ?」
スナッチをするなら人目はない方がいい。特にヘッジというのはパイラ警察署の署長だ。警察組織が機能しているしていないは別として、立場上スナッチ団員を放置は出来ない。事実、逮捕されたスナッチ団員の何人かはパイラ警察署に勾留されている。レオとて身許がバレれば例外ではない。
「この洞窟、天然物を流用しているらしいが……水脈がある」
「マジかよ!? それってまさか、パイラの……?」
レオが
つまりこの洞窟を押さえられてしまえば、パイラの住民は生活も成り立たなくなる。毒が混入されでもしたら、あっという間にパイラは壊滅する。知らずのうちに、シャドーによって首根っこを掴まれていたのだ。
「確かに、それなら警備してもらわねえといけないな……」
流石にパイラタウンの生命線を、マサ1人の胸に収めておくわけにはいかない。情報は知る者が少なければ少ない程価値が上がるが、かといって共有を怠ると命取りになるものもあるのだ。
「だが、それならなぜギンザルのポケモンを誘拐するような面倒な真似をしたんだ?」
誘拐というのは捕まえてからが本番だ。死なれては困るし、抵抗されないよう見張りも必用。しかも誘拐という実績を残したことにより、パイラで暗躍する存在がいるということを露呈させた。そうでなければ、全ての責任をギンザルに押し付けることも可能だったろうに。
「案外、そこまで思いつかなかったのかもな」
「そんな単純な……」
否定しようとして、レオはパイラタウンでシャドーを統括している幹部……フェナスの町長宅にいた、ミラーボの外見を思い出す。
「………」
何故か、否定できなかった。
「えっと……要は、マサが人を連れてくる前にダークポケモンをスナッチして、プラスルを助ければいいって、ことね。はい、ありがと」
ミレイが半分減ったペットボトルをマサに渡しとして拒否られ、戸惑いながらレオに尋ねる。
「ああ、そういう事だ。ついでに言えば、この奥で待ち構えているのはフェナスにいた、あのモンスターボール頭だ」
「うわ」
思わず呻いてしまうくらい、ミレイにとっても強烈な印象が残っているらしい。
そういえばパイラタウンにいるとかいないとか言っていた気がするが、迂闊なことに、外見のインパクトが強すぎてすっかり忘れていた。
「なら尚更、早くプラスルを助けてあげましょ! どんな洗脳受けてるか分かったもんじゃないわ!」
「……確かに」
確かにあの音楽をずっと聴かされ続けたら、頭がおかしくなってしまいそうだ。
別にレオは、芸術を否定するつもりはない。むしろ文化的資産は保護すべき物だと考えている。だがそれでも、生理的に受け付けないものはあるのだ。
◇
洞窟の中に入ったとたん、ひんやりとした空気を肌に感じる。十二分に湿気を含んだ空気というものを久方ぶりに吸い込んだレオは、それをゆっくりと吐き出した。
「ふ~、涼しい~」
オーレ地方の炎天下から解放され、ミレイも大きく深呼吸をした。嫌でもオーレ地方が乾燥しているのだと思い知らされる。
「逸れるなよ。中は迷いやすいからな」
しかしそれを堪能する間も惜しく、レオはミレイを促した。
「あ、うん」
天然の洞窟を利用した内部は薄暗く、どこも同じような構造で迷いやすい。等間隔で設置されているライトを頼りに進むが、それも洞窟全体を明るくしてくれているわけではない。事実、横道や暗い物陰にはシャドーの構成員と思わしきトレーナーが潜んでいる。
だが、光源がなくてもレオには人間やポケモン程度ならどこで息を潜めているか分かる。まさか敵も、レオが視覚や聴覚に頼らずに索敵できるとは思っていなかっただろう。その慢心は、レオ達がつけいるには充分すぎる隙だった。
「……凄い」
オーレ地方に来て、ミレイの価値観は狂い続けている。
ミレイが知るポケモンバトルは、例え野良であっても互い名乗り、公式ルールに則る競技だ。しかしオーレ地方は違う。生活に直結しているからかルールは無いに等しい。不意打ち、トレーナーへの攻撃だってしてくる。公式ルールを適用しているのはトレトレと、コロシアムくらい。
野生ポケモンの生息域のほとんどない、過酷な土地。ここでは人やポケモンの命だって軽い。ルールを守って馬鹿を見るくらいなら、始めからルールを破るしかない。
だからレオが躊躇なくトレーナーへの攻撃を指示し、ニュイとディアも大人しくそれに従うことに、文句はない。そもそも守られている立場のミレイは何も言えないし、言うつもりもない。
ただ、レオの堂々とした立ち居振る舞いに圧倒された。
華というには暴力的で、カリスマというには自己中心的。孤高の王者、と表現するのが一番近しいだろう。
でもその頼もしいはずの、迷わず歩くその背中に、何故だか一抹の不安を抱いてしまった。
「ほら、何をしている」
「あ、ごめん」
促され、迷わずミレイはレオの隣に並ぶ。後ろをついて行くのではなく、隣に並ばなければいけない。何となく、ミレイはそう思った。
迷路のような道を一度も違えることなく、レオ達は最奥の部屋へと辿り着いた。
そこに待ち受けるのは鋼鉄の扉。そこから僅かに漏れ聞こえる軽快な音楽。突入する気力が萎えそうになるのを堪え、レオは強引に足を進めた。
分厚く重厚な扉はレオとミレイを前にすると、見た目とは裏腹にスムーズに動きだす。自動扉の先に広がるのは、やたら黄色く眩しい部屋だった。
「キミたち~、や~っと来たねェ! 待ちかねちゃったよ」
ダンスホールを思わせる円形の部屋では、壁に沿うように合計6匹のルンパッパが軽快なリズムを刻み、部屋の7割は占めようかという円形の台座ではミラーボがステップを軽やかに踏んでいた。
「なかなか来ないから、いい汗かいちゃったよォ~。ふっほほほ~」
レオ達が来ていることは、洞窟内に設置された監視カメラで知っていたはずだ。だというのに罠も張らず、こうしてダンスをしながら待ち構えていた。それだけ、レオを倒す自信があるということだろう。
「いやぁしかし、キミ達よくもまあここまで我々シャドーの邪魔したもんだね~。もうちょっとで全て上手くいくところだったのになァ」
「ふざけないで! ダークポケモンを配って、何をするつもりなのよ!」
ミレイの質問に、ミラーボな笑みを浮かべる。
「そんなん、決まってるじゃん。ポケモンの心を人工的に閉ざしてダークポケモンが出来たのはいいんだけど、まだまだ調整中でね~。ここのバカな奴らに使わせて、データを集めるのさ」
不意に、ミレイは肌寒さを覚えた。
「……へぇ」
その声に思わずレオを見上げる。
口角を釣り上げたレオは、まるで獲物を見据える鷹のような目でミラーボを睨んでいた。
「そんな事のために」
怒っている。もしかしたらミレイ以上に。レオも、ミラーボの言葉に憤りを感じている。それはミレイに向けられたものではない。にも関わらず怖気を覚えてしまう程だ。憎んでいる、といっても過言ではないかもしれない。
「でも、君がダークポケモンをスナッチしちゃったせいでその計画も崩れちゃってさ~……」
だというのに、ミラーボの余裕は崩れない。むしろますます嗤いを深めている。
室内だというのに暗雲が立ち込める。十二分に水分を含んだ雲は、すぐに雨を降らし、レオとミレイの服を湿らせていく。
「ひとまず、君たちを捕まえて~……計画を続行させなきゃね~」
「ほざけ」
ゴーグルを下ろし、レオは口元に笑みを刻んだ。
「Never spend your money before you have it.」
「Let's music start!」
周囲を踊っていたルンパッパの内3体からハイドロポンプが放たれる。3方から襲う水流の内2本はディアとニュイが光の壁で防ぎ、残り1本はミレイを抱き寄せ、強引に後退させることで躱した。
「サイコキネシス!」
「ちょっ」
抱き抱えられたミレイ毎、レオはサイコキネシスで飛び上がる。直後残りのルンパッパは波乗りで、室内を水で満たした。
「……面倒な」
わざと排水と換気を悪くした屋内。自動扉の作動が停止し、水の逃げ場がない。雨は止むことがなく侵入者を溺れさせ、ミラーボは台座の上で高みの見物。
とっさにサイコキネシスで空中浮遊をしたためディアとニュイも被害は免れているが、戦いにくくなってしまった。そのことにレオは舌打ちをし、同時に未だ冷静な思考を保っていることに安堵する。
「レ、レオ……」
「大丈夫だから、黙って大人しくしていろ」
「……うん」
腕の中温もりがあるという慣れない感触に戸惑いつつ、レオは右手でしっかりとミレイを支えた。何故か腕が首に回されるが、暴れられる心配はないようだ。
『んで、どうする?』
『このままじゃ、ジリ貧よ』
同じようにサイコキネシスで空を飛びレオの元までディアとニュイがやって来る。
「ニュイは手助け。ディアがメインだ」
『了解』
『分かったわ』
「ふっほ~! まだやるつもり~?」
軽快な音楽でステップを踏み、ミラーボは余裕を崩さない。
ミラーボも分かっているのだ。一体がサイコキネシスを常時発動している以上、攻撃に回れるのは残り一体。レオがエーフィとブラッキーしか使わないのはパイラコロシアムを見ていれば分かるだろうし、道中スナッチしたダークポケモンが使えるのはダークラッシュのみ。
このままでは、押し切られるのはレオの方だ。
「当然だ」
「なら……吹雪だよ!」
同士討ちも辞さぬルンパッパの攻撃。
冷気が雨を冷やし、雹となってレオたちを襲った。とっさにニュイがリフレクターを張り巡らせたお陰で難を逃れたが、それが無ければ体中を雹で打ちつけられていただろう。
「ディア!」
声ではなくテレパシーの命令に、ディアは従う。狙うのは、吹雪の攻撃に参加しなかった、絶えず雨乞いを続けている個体だ。
タイプ不一致とはいえ、手助けを受けたディアのシグナルビームを急所に受けたルンパッパはひとたまりもなかった。
「ふほっ、甘いねぇ、こっちにはまだ5体もいるんだよね〜」
『くそっ、これどうするんだよ!』
雨という慣れない天候。普段よりも悪い視界。雨受け皿で回復し、素早さも上がっているルンパッパ。威力の増した水タイプの攻撃。雨乞いと吹雪というトレーナーを巻き込んだ攻撃を、サイコキネシスとリフレクターで防ぐ。
『ああもう、鬱陶しいわね!』
空気の流れを読み、操るディアもこの悪天候では読み切れす、なかなか残りのルンパッパを落とせない。
「レオ……」
レオにしがみつくミレイの指先が、先程よりも冷たく感じる。レオ自身も眩暈を覚え、歯を食いしばった。
擬似的な雹は防げている。しかし寒さばかりはどうしようもない。
「クソッ」
舌打ちをひとつして、深呼吸をする。冷静さを失っていては戦局を見極めることも出来ないし、力を十全に発揮することも出来ない。
幸か不幸か、コントロールされた吹雪は空中のレオたちが標的となっている。そのため床上の水は凍っていない。
「……なら」
開いている左手を翻す。普段ならスナッチボールを握るところだが、今はそのときではない。代わりに掌に納められているのは、拳大の黄色い玉。それを躊躇なく下に落とす。玉が水面に着水したとたん、ルンパッパに異変が起こる。軽快なステップを踏んでいたルンパッパたちが、突然足をもつれさせたのだ。
「んな~!?」
「Fire!」
掠れた、レオの叫び。ディアのシグナルビームと、守勢に回っていたニュイのシャドーボールが2体のルンパッパに命中する。これで、残り半分まで減らした。
レオが落としたのは電気玉。相手を麻痺させる効果がある道具だが、当然ながら対象は1体。しかしこの部屋が水没したことにより、対象が水に触れているポケモン全員となった。しかもこの電気玉、レオ特製で一般的に流通している物よりも威力を上げてある。ただルンパッパは水草の複合タイプで効きが悪い。完全に行動不能には出来なかった。
「仕方ないね!」
耐久が売りのルンパッパ達が一撃で瀕死になる程の高威力な技を持つエーフィとブラッキー。麻痺で素早さが落ちてしまった以上、雨乞いを続ければその隙を狙われる。仕方なしにミラーボは戦法を変えた。
「波乗りだよ!」
残り3体の内1体は麻痺で不発。だが残り2匹の波乗りは、部屋に残った水を利用し、レオとミレイにまで迫る。
「構うな!」
トレーナーの指示に、瞬時に2匹は迷いを捨てルンパッパ3体を仕留めにかかる。だがその代償として、高波がレオとミレイを襲いかかった。
思わずミレイはレオにしがみつき、息を止める。だが、覚悟していた冷たさはなかった。
高波は2人を避けるかのように満ち、引いていく。
「え?」
まるでレオとミレイを避けたような不自然な動きは、しかしレオ達には想定内。残るルンパッパは、たった1体。
あれだけ部屋に満ちていた水が、あっという間になくなっていく。どうやら排水設備が作動したらしい。水溜まりが残る程度にまでなった床に、レオはミレイを下ろす。だが、久しく感じる足元の硬さを楽しむ余裕はない。
「おのれおのれ~!」
地団駄を踏むミラーボが更にボールを投げた。
「7匹目……!」
7匹目は、ルンパッパではなくウソッキー。飛び出した勢いのまま、ミラーボの指示を待つことなくレオに向かって突進する。
「離れろ」
乱暴にミレイを突き飛ばし、レオは1歩踏み出した。
しかし、突然レオは急激な脱力感に襲われた。立つことすら出来ず、膝をついて無防備な姿を晒してしまう。そこに、ウソッキーが襲い掛かった。
「がっ!」
辛うじて防御は間に合った。しかし威力を完全には殺せず、大きく吹き飛ばされた。背中から床に倒れ込む寸前に手をつき、宙返りの要領で体勢を整え、水を跳ね上げつつ足から着地する。
「レオ!?」
『レオ!』
ミレイと、ディアの悲鳴。
「構うな」
見誤った。ルンパッパは雨乞いをしているだけではなかった。ギガトレインでレオの体力も削っていたのだ。てっきり寒さのせいの不調かと思い込んでしまったのがいけなかった。その代償が、これ。せり上がってくる鉄錆味のものを、無理矢理嚥下する。
「でも……」
「ミレイ」
駆け寄り、レオを支えようとするミレイを制す。
「アレは、ダークポケモンか?」
「……うん」
レオの質問に、顔を歪めながらミレイは頷いた。
「へェ~、まだやる気?」
嘲笑いながら、わざとミラーボは足音を立て台座を降りる。その手では使い切り、脆くなった元気の欠片を砕いていた。
「最後の仕上げに激しくもうひと踊りしちゃうとするかな~」
ミラーボの残りの手持ちは体力がそれぞれ半分程にまで回復したのとギガドレインで元気なルンパッパ計2体。そしてウソッキー。対しディアとニュイも無傷とは言えない。
しかしウソッキーがいる以上、先程までのような部屋を満たす雨乞いは使ってこないだろう。
ウソッキーが再びレオに襲いかかる。とっさにディアとニュイが割って入ろうとするが、ルンパッパが吹雪と波乗りを同時に繰り出す。それを2匹が躱すが、そのせいでレオ達と距離が離れた上に氷の壁まで作り出されてしまう。
『そんな!』
『クソッ!』
氷を砕こうとしたディアだが、ルンパッパ達のギガドレインに襲われる。
『しまった……!』
『俺の事はいい! ルンパッパを仕留めろ!』
腹部の鈍痛は、痛覚を切って遮断する。頭痛も同様に。眩暈で霞む視界は捨てる。力の入らない肉体は、外部から干渉して強引に動かす。余計な情報を入れないため、シンクロもカットした。
足元を狙った蹴りは同じように足を出して受け、その足で踏み込む。そのまま身を低くし、ウソッキーにタックルを仕掛けた。
水が苦手なウソッキーがダークポケモンとなって、水への恐怖心を無くした。しかし受けるダメージまでは無くせるわけではない。
床に残る水に背中から叩きつけられたウソッキーが、大きく悲鳴を上げた。
「大人しくしろ!」
ウソッキーに馬乗りになったまま、レオはスナッチボールを直接ウソッキーにぶつける。揺れるボールも物理的に抑え込み、そのまま回収する。
「うわ、野蛮だね〜」
「ほざけ」
息を乱しながらも、レオは立ち上がった。
「レオ、大丈夫?」
「……ああ」
心配そうに駆け寄るミレイを宥めつつ、再びシンクロを繋げる。同時に、澄んだ音が響き渡る。
氷が砕けた先には、こちらに向けて威嚇しているニュイとディア、そして気絶しているルンパッパたちがいた。
「くっ……」
手持ちのポケモンが全て倒されたミラーボに打つ手はない。それでもミラーボは余裕を崩さない。
何故なら、エーフィとブラッキーも無傷ではなく、そのトレーナーも限界が近いから。つけ入るとしたら、そこしかない。
「こうなったら……Let's go! エスケープ!」
だからミラーボは追撃されないと踏み、迷わず逃げの選択を取った。
「いつかきっと、オレの華麗なステップで蹴り飛ばしてやるからな~! あ、ダークポケモン計画も続けちゃうだもんね~だ!」
そんな捨て台詞を吐かれても、ミラーボの想定通りレオは見逃すしかない。
『見逃すのか?』
「放っておけ」
ニュイが逡巡したが、レオは制止する。このままパイラの下の更に下まで逃げ込まれたとしても、現状追撃は出来ない。
『それで、怪我は?』
「防御は間に合った」
事実、直撃を受けていれば内臓破裂では済まなかっただろう。それをこの程度まで軽減できたのだ。だから問題ない。
「でも……痛い、でしょ?」
「いいや」
痛覚の必要性は理解している。しかしそれで本当に動けなくなっ手は本末転倒だ。だからレオは、痛みを無視し、例え神経が切断されて 動ける術を手に入れた。
「本当に……大丈夫?」
「くどい」
ミレイの懸念をばっさりと斬り捨てる。そして、レオたちの入って来た入口とは丁度反対側にあるもう1つの扉を開けた。
どうやら物置らしい。雑多に積まれた空の木箱と、用途不明の垂れ幕。しかし重火器の類はない。ここにあるのは、部外者に見られても構わないのであろうものだけ。
「レオ、いたよ!」
「ああ」
そんな雑多な部屋の隅に、縄で縛られ小さな檻に入れられたプラスルがいた。衰弱はしているようだが、命に別状はなさそうだ。小さく鳴いて、存在を主張している。
「どうしよう、鍵……」
「問題ない。ディア」
何かを訴えるように小さく鳴き続けるプラスルを制し、レオは手持ちの名を呼ぶ。
『分かったわ』
レオの意図を理解し、ディアがサイコキネシスを発動する。プラスルを閉じ込める檻はしかし、ディアの攻撃を受けるには耐久不足。呆気なく開閉部は壊れ、丁寧な手つきでレオがプラスルを抱きかかえた。しかし、僅かに眉尻を下げミレイに視線を向ける。
「悪いが、任せてもいいか?」
「え、何かあった?」
「……俺は、商品の扱い方しか知らん」
それを聞いてミレイは、伸ばしかけた手をすぐに下ろした。のみならずレオから一歩離れる。
「大丈夫だよ、レオ」
「しかし……」
「ほら、プラスルも安心してるみたいだから」
「それは、」
プラスルが腕に擦り寄ってきて、レオは口を噤んでしまった。
檻から出してもらえて安心しているだけ。プラスルが縋り付いているのは悪名轟く盗賊団の幹部だというのを知らないから、こんな無防備な姿を晒しているに過ぎない。
でも【親】がいない今、プラスルが頼れるのはレオとミレイだけなのだ。
「……早く、戻るぞ」
「うん!」
しっかりとプラスルを抱き、レオは踵を返した。
息を押し殺し、呼吸音の異音に気付かれないように。
◇
シルバを診療所に運び、その足でマサはギンザルを引っ張り警察署に連れ込んだ。
「まさか、シルバが強硬手段に出るとは……」
がっくりと、ギンザルが項垂れる。
「ギンザルさん、近頃の治安の悪化は見過ごせない段階まで来ている。私達としても、対応せざるを得なくなる」
「ケッ、元々頼りねークセに」
マサの毒を、ヘッジは否定できない。
パイラの司法は弱い。行政はギンザルが担い、マサが私刑を行なっているから形になっているが、そうでなければ治安はアンダー並みに悪くなっていただろう。ヘッジは警察官たり得る人物ではあるが世渡り下手で、人材にも恵まれていない。
「それによ、とっくに限界だぜ。ポケモンバトルの範囲で収まってるのは、不幸中の幸いってやつだ」
ダークポケモンを貰い、手っ取り早く財を手に入れる為に強盗に走る奴もいたのだ。そんな連中を締め上げたのもマサだ。
締め付けが厳しすぎるのは息苦しい。けれど無秩序は以ての外。シャドーの存在は、マサが気に入っているパイラタウンを崩壊させてしまう。
「そういう訳で、俺はミラーボを追い出すぜ」
「それ、は……」
渋るギンザルに、マサは詰め寄った。
「分かってる、プラスルが捕まってるんだろ?」
その言葉にギンザルは息を呑み、ヘッジは得心したように目を細めた。
「俺はよ、難しいことは分かんねえ。けど、このままじゃ駄目なことは分かる。……連中に、町の水脈が押さえられてる、らしい」
「そんな……!」
「何だと!?」
「このままじゃ、共倒れだ。……勿論、プラスルを見捨てるつもりはねえ。プラスルを助けて、シャドーを追い出す。これなら問題ないだろ?」
「それなら……いやしかし、危険だ」
ふんぎりがつかないギンザルとは対照的に、ヘッジはマサを鋭い目つきで睨む。
「……マサ。何故お前が水源の事を知っている?」
「あー……実は、よ。俺の仲間がとっくにミラーボのアジトに突入してんだわ。水脈は、そいつからの情報」
「何だって!?」
水脈の事はヘッジすら初耳だ。とても、一介の破落戸が知っていい情報ではない。
それにマサは普段から言動が荒く破落戸を自称しているが、その実教養のある人間だ。
パイラタウンは、オーレ地方内外から爪弾きにされた者が流れ着く。そういう人間は大抵粗野で勉学もまともに受けていない。だからパイラタウンでは識字率が低く、計算すら覚束ない者が多い。しかし、マサは違った。数値の誤魔化しや書類の不備を指摘しできるというだけで、パイラタウンでは一目置かれる。
今でこそ町に馴染んでいるマサだが、実は彼の背景は不透明。パイラタウンに居座るにしては小綺麗で、高価な通信機器さえ所持している。パイラタウンに馴染んでいるようで、実は不釣り合いな破落戸。それがマサだ。
「そんな! あいつらが連れているポケモンは凶暴だというのに……危険だ!」
「んな事分かってるよ」
だからこそ行ったのだ、とは言わない。レオの目的にダークポケモンのスナッチが含まれているということは、特に警察官の前で言うわけにはいかないのだ。
「でも、あいつがやると決めたんだ。助けないわけにはいかないんだよ」
かつてレオには主体性がなかった。自我を出すことを禁じられていたといっても過言ではない。あの時のレオを知っているから、叶えてあげたくなってしまうのだ。
「……もしかして、今朝来てたあの2人か?」
「ついでに言うと昨日決闘広で大暴れしたのもあいつだし、何なら今日、パイラコロシアムに飛び入り参加して優勝したぜ」
「レイラから2対6なバトルで圧勝したトレーナーがいたと聞いていたが……確かに、それ程の実力があるのなら……」
「……マサ、そのトレーナーは信用できるのか?」
「ああ、信頼してる」
そう言い切ったマサに、ヘッジは目を見張った。
マサは、パイラタウンでは一匹狼を貫いている。親しい仲はそこそこいるが、仲間と表現するには疑問符がつく。にも関わらず、マサは全幅の信頼をそのトレーナーに置いているという。
「っと、悪い」
軽快な音楽と共に、マサのP☆DAが振動する。
「……はぁ!?」
画面を見て思わずマサは声を上げてしまった。
P☆DAが主流のオーレ地方では、携帯電話の普及率が低く、その分希少価値も高い。だからこそ、あえてレオはP☆DAにメールを送信した。敵の前で悠長に文面を入力するわけもないから、ミラーボとの戦いを制したという意味合いも込めたのだろう。
だが問題なのは、その内容。
「ちょっと待て、おい!」
慌てて警察署の外に出て、周囲を見回す。だがレオの姿はなく、パイラタウン入り口の方向で、辛うじて知覚できた。
『メールで送った通りだ。ミラーボは逃げ帰ったぜ』
声のみが、マサに届けられる。
「だからってなぁ、せめて顔くらい……!」
『別に、これが今生の別れじゃないんだ』
「だからってなぁ!」
『後は、頼んだ』
その台詞は、マサの嫌いな言葉だ。かつてそう言ったレオは、あの村からいなくなったのだ。
「ざけんじゃ、ねえぞ……」
しかしマサの言葉はレオに届かない。サイキッカーではないマサは、言葉を伝えることが出来ない。歯噛みし、不安そうに外で待っていたプラスルに手を伸ばした。
見た所、怪我らしい怪我はない。恐らくレオが治療したのだろう。
「ほら、ギンザルは中にいるぜ」
とたんプラスルの表情が輝き、マサの腕に飛び乗った。4キロ程の負荷がかかっても揺らぐことなく支え、すぐに署内に戻る。
「悪い、待たせたな」
「プラスル!?」
中に入るや否や、プラスルは【親】の胸元に飛び込んだ。筋肉質な胸板に小柄で可愛いポケモンが埋まった。
「ああ……良かった、プラスル」
「……マサの仲間が、助けたのか?」
「ああ、だけどミラーボはアンダー方面に逃げられたらしい」
そう答えると、ヘッジは渋い顔をした。
パイラタウンの下層、大地の裂け目の下に築かれた罪人の流刑地。そこは権力の及ばない、犯罪者の駆け込み寺だ。あそこに逃げられたら、もう手出しは出来ない。だがアンダーに落ち、這い上がるのも困難だ。暫くはミラーボも動けないだろう。
「マサ、プラスルを助けてくれた人は……? 直接礼を言いたいんだが」
「それが、もう行っちまった」
レオの立場上、ヘッジとの対面は避けたいはずだ。警察署の奥で勾留されているスナッチ団員にも勘付かれる可能性がある。
だからこそレオは早々に出立したのだろう。
だが、これが最期ではない。今生の別れではないと他ならぬレオが言ったのだ。だからマサはそれを信じ、次に会った時にどやせばいい。
「そうか……残念だ。マサ、次にその人が来たときにはきちんと紹介してくれ」
「あいよ」
一先ずの脅威は去った。だがこれで解決というわけではない。シャドー幹部の一角を倒したレオへの警戒は一層強まるだろうし、パイラタウンの問題は残されたままだ。
それでも状況が好転したのだと、少しだけマサは喜ぶことにした。
◇
パイラの崖に阻まれ太陽が影を作る。
「へくしゅ」
バイクの防犯を切る作業をしていたレオの耳に、小さなくしゃみが届いた。
「………」
「……あ、大丈夫。私、体丈夫なの取り柄だから」
「知ってる」
それこそ麻袋に閉じ込められた直後に動き回れる頑丈さだ。しかし乾いた風が濡れた服を乾かしたとしても、身体が冷え負担がかかったことに変わりはない。
それでもレオは黙々とバイクを覆っていたシートを剥がし、砂を払って畳み袋に入れる。それをサイドカーの座席の下に仕舞えば、もう準備完了だ。
しかしレオはバイクに跨るのではなく、町の方に視線を向ける。
「……何の用だ」
そこでようやく、ミレイは杖をつく老婆がいたことに気付いた。気配を消していたわけではない。ただあまりにも自然体で、風景に溶け込んでいただけ。
「なぁに……パイラの空気が少しは綺麗になったようでね」
「当然だな」
僅かにだが、レオの声のトーンが低い。
ポケモンを連れているようにも見えないし、むしろ友好的な笑顔を向けている。だからミレイは、レオが老婆を警戒する理由が分からなかった。
「だが、残念ながらまだ黒いオーラは消えちゃいないようだ」
「えっ、どうして……」
声を上げたミレイの口を、レオは物理的に押さえた。
「お得意の占いで視たのか、ビーディ」
ビーディと呼ばれた老婆はレオの言葉に笑うだけ。レオは舌を打ち、ミレイを解放する。
「ミレイ、こいつはビーディ。占い師だ」
「占い師……? もしかしてレオって、占い信じないタイプ?」
「まさか。俺はこれでも信心深いんだぜ」
「へ〜」
『でもレオって前からこの人のトコ寄り付かないよね』
『占い嫌いってわけでもないのにな』
2匹が顔を見合わせるのは無視。
「そうさね、だからこそあたしントコに寄り付かないんだろ?」
見透かされているような……否、見透かされているのだろう。再度舌打ちし、レオはビーディと向き合った。
「それで、お得意のクリスタルゲイジングで何を見た?」
「北じゃ、北の森に黒いオーラを解き放つ鍵がある、と」
「……森、か」
その単語を聞いて、レオは渋面を隠しきれなかった。ビーディの言う場所に心当たりかあったからだ。
「お前さんは視ないのかい?」
「残念ながら、私情に塗れた結果ばかり出るだろうよ」
「そうかい」
青空を見上げる。
夜になると瞬く星は、今のレオの目には映らない。客観性を失った占者の結果に意味のない。だからレオは未来を紐解くのを止めた。
「なら、お主の星はどこへ導こうとしているんだろうね」
「無論、俺の望む道へ」
そう笑みを浮かべるレオに、だがビーディは沈痛な面持ちを向ける。
ビーディは、レオ達の事情を知るはずもない。だというのに全てを見通しているかのような憐憫を向けられる。それが、レオの琴線に触れた。
「それは、俺に対する侮辱か?」
レオは、ビーディの腕前を信じている。だから、レオはビーディを避けているのだ。
己の生き方が一般的には理解され難いことは知っている。マサは身内だから許容している。だが、外野にとやかく言われる筋合いはない。
「あー! お祖父ちゃんへの連絡、忘れてた!」
「……はぁ?」
しかし突然声を上げたミレイに呆気に取られ、一気に気が抜けた。
「アゲトビレッジに住んでるお祖父ちゃん! 私、お祖父ちゃん家に行くところだったの!」
「お前……そんな事、忘れるか?」
「仕方ないじゃない、忘れてたんだから」
「胸を張ることじゃないだろ……」
「ほっほっほっ。次の目的地は決まったようじゃの」
笑いながら、ビーディが帰っていく。
その背中に嘆息し、レオは前髪をかきあげた。