むむむの伊佐朗   作:織田ひろふみ

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【雲脚子漫録 巻之三 掻塚村夜道の事】

 ◆◆◆

 

 戸田雲脚子著 文久二年自序

 

 余幼き頃より歩くことを好み一日に十五里を行きて草臥れざるを自慢とせり。古稀を過ぎたる今も足腰の達者なるを何よりの宝と思ふ。ゆゑに自ら雲脚子と号す。

 

 縁者を訪ねて武蔵の掻塚村に泊りし折のことなり。隣村に碁敵を得て日暮れ前に暇乞ひし帰るさ村境の畷にかかりぬ。この道は二十町に足らず。往きには小半時もかからざりき。

 

 然るに歩めども歩めども村に着かず。道は一筋にて迷ふべき曲がりも無し。月の高きを見て初めて夜の更けたるを知りぬ。

 

 道すがら灯りの点る家を三軒過ぎたり。この畷に家の無きことは往きに見て知りたれば道を違へたるかと疑ひしが畷は紛れもなく同じ畷なりき。今思へば三軒ながら同じ構へに見え家と家との間もほぼ等しかりしやうに覚ゆ。

 

 縁者の家に着きしは夜半なりき。家の者ども騒ぎて出迎へたり。翌朝草鞋を見るに朝におろしたる新しき物なるに緒も裏も擦り切れて捨つるほかなく足の裏には豆あまた出来ゐたり。二十町を歩みてかくなるべき謂れなし。

 

 このことを家の主に語りしに主はただ灯りは幾つ見えましたかと問ひぬ。三つと答へしに左様ですかと言ひしのみにて重ねて問はざりき。

 

 齢には勝てぬものと見えたり。江戸に帰りて後は夜道を歩まぬことに定めぬ。雲脚子の号もそろそろ返上すべき時なるやも知れず。

 

 一、栗飯を食ひし事

 

 縁者の家にて栗飯を振る舞はれたり。武蔵の栗は江戸のものより粒大きく甘し。土産にと持たせくれたる一袋を帰る道々食ひ尽くしたり。

 

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【曉鐘新報 雑報】

 

 明治三十三年十一月十四日 切り抜き一葉のみ現存

 

 ●畷の行倒れ 豊嶋郡掻塚村と隣村との間の畷に於て去る十二日の朝行商人某(四十二)の死しをるを村民見出せり。某は前日の夕刻隣村を発ちたるを見たる者あるに其の道程は僅かに二十余町に過ぎず。医師の見立てに外傷なく荷は背負ひたるままにて奪はれたる物も無く唯疲労困憊の末の衰弱死と認めらる。草鞋は裏の抜くるまで擦り切れ足の裏は幾里をも歩み通したる者の如くなりきと云ふ。同じ夜畷の方に灯の列を見たりと言ふ村民あれど狐火ならんとて別段怪しむ者も無かりき。二十町の道を一夜かかりて斃るる訳も無ければ警察署は某が道に迷ひたるものと見做したるも畷は一筋道にて迷ふべき所も無く某もまた生来酒を口にせざる者なりしと云ふ。

 

 

 

【現代語訳】

 

 戸田雲脚子 著/文久二年 自序

 

 私は幼い頃から歩くことを好み、一日に十五里を行っても草臥れないのを自慢としていた。古稀を過ぎた今も、足腰の達者なことを何よりの宝と思っている。それゆえ自ら雲脚子と号している。

 

 縁者を訪ねて武蔵の掻塚村に泊まったときのことである。隣村に碁敵を得て、日暮れ前に暇乞いをし、その帰り道、村境の畷にさしかかった。この道は二十町に足りない。行きには小半時もかからなかった。

 

 ところが、歩いても歩いても村に着かない。道は一筋で、迷うような曲がりもない。月が高いのを見て、初めて夜が更けているのを知った。

 

 道すがら、灯りの点る家を三軒過ぎた。この畷に家のないことは行きに見て知っていたので、道を間違えたかと疑ったが、畷は紛れもなく同じ畷であった。今にして思えば、三軒とも同じ構えに見え、家と家との間もほぼ等しかったように覚えている。

 

 縁者の家に着いたのは夜半であった。家の者たちは騒いで出迎えた。翌朝、草鞋を見ると、朝におろした新しい物であるのに、緒も裏も擦り切れて捨てるほかなく、足の裏には豆がたくさんできていた。二十町を歩いてこうなるいわれはない。

 

 このことを家の主に語ったところ、主はただ「灯りはいくつ見えましたか」と問うた。三つと答えると、「左様ですか」と言っただけで、重ねて問うことはなかった。

 

 齢には勝てぬものと見える。江戸に帰ってからは、夜道を歩かぬことに決めた。雲脚子の号も、そろそろ返上すべき時であるかもしれない。

 

 一、栗飯を食べたこと

 

 縁者の家で栗飯を振る舞われた。武蔵の栗は江戸のものより粒が大きく、甘い。土産にと持たせてくれた一袋を、帰る道々で食い尽くしてしまった。

 

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【曉鐘新報 雑報】

 明治三十三年十一月十四日/切り抜き一葉のみ現存

 

 ●畷の行き倒れ 豊嶋郡掻塚村と隣村との間の畷において、去る十二日の朝、行商人某(四十二)が死んでいるのを村民が見つけた。某が前日の夕刻に隣村を発ったのを見た者があるが、その道程はわずかに二十余町にすぎない。医師の見立てでは外傷はなく、荷は背負ったままで奪われた物もなく、ただ疲労困憊の末の衰弱死と認められる。草鞋は裏が抜けるまで擦り切れ、足の裏は幾里をも歩き通した者のようであったという。同じ夜、畷の方に灯の列を見たという村民もあるが、狐火だろうというので、別段怪しむ者もなかった。二十町の道を一夜かかって斃れるわけもないので、警察署は某が道に迷ったものと見なしたが、畷は一筋道で迷うような場所もなく、某もまた生来酒を口にしない者であったという。

 

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