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どうにもおかしいな、というのが怪奇作家 遠国春彦の感想であった。
おかしい──何がおかしいのかと言えば、もうあらゆるものである。この掻塚という町のありとあらゆるものがおかしかった。練馬区は掻塚に引っ越してきて早半年、遠国はありとあらゆるとまではいかないものの、相当な数の──いわゆる心霊現象を経験してきている。
ではその心霊現象とやらの何がどうおかしいのか──と話が続くわけではない。
遠国にとってのおかしいオブザおかしいポイントは心霊現象そのものにあるわけではないのだ。
遠国にしてみれば、
そう、遠国はこの町へ引っ越すにあたり、ある種の覚悟をしてきていた。
端的に言えば死だ。
自身の、あるいは家族の。もしくは友人か──ともかくも、大切なモノを喪う覚悟をしてきていた。彼の認識ではそれだけこの掻塚という町は厄いのだ。
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「ふむ」
遠国は自宅の書斎で親でも死んだかのような仏頂面を浮かべ、慣れない手つきでパソコンのキーボードを叩いている。
調べものをしているのだ。
「掻塚 事件 事故」──検索窓にそう打ち込み、エンターキーを叩く。画面にズラリと並ぶ見出しは、いかにも日常的で、些末なものばかりである。
『掻塚三丁目で自転車盗難 被害続出』
『主婦が買い物中に転倒 全治一週間の軽傷』
『区立掻塚小学校で器物破損』
──どれもこれも、取るに足りない。
遠国はマウスを握る手を止め、深く椅子の背もたれに体を預けた。天井を仰ぎ見る。
確かに遠国はこの半年で、相当な数の心霊現象を経験してきている。目に見えないものに觝触し、理不尽な怪異に直面してきた。だというのに──この町の来歴を考えればぬるいにもほどがあるといわざるを得ないのだ。
掻塚は古くから穢れと因習の温床であったというのが遠国の調べである。怨念が地脈に染み付き、幾世代にも渡って人を呪い殺してきたであろう場所。それが、である。自転車が盗まれる? 主婦が転ぶ? 笑わせる話だ。もっと惨劇があってもおかしくない。いや、惨劇があって然るべきなのだ。
「別に悪い事では……ないのだが」
遠国は独りごちた。怪奇作家としてはネタが減ることになるが、別に怪奇作家は怪奇現象に遭わなければならないというわけでもない。人が死なないなら傷つかないならそれに越したことはないのだ。遠国としても危険な目に遭わなくてすむのは喜ぶべきことでもある。
「ただ、依頼を受けてしまっているしなあ。それに……」
どうしても遠国は気になって気になって仕方がない。まるで嵐の前の静けさのように、あるいは沸騰寸前のやかんのように、何かが水面下で息を潜めているような落ち着かない感覚。この違和感は何なのか。
「永き時が過ぎゆくことで呪いも薄まったのだろうか」
自問する。土地の穢れというものは、時が経てば風化するものなのか。人の記憶から忘れ去られれば、怪異もまた消滅するものなのだろうか。
否。断じてありえない。
遠国は首を横に振った。経験上そんな事はありえない。呪いとは生き物だ。時が経てば薄まるなどという生温いものではない。むしろ時を経るごとに凝縮され、肥大化し、歪みを増していくのが怪異の常だ。世代を超えて受け継がれる怨念は、決して自らの力を弱めるなどという事はしない。
ならば何故。
遠国は再び画面に向き直り、仏頂面のままキーボードを叩いた。
まだ何かが足りない。まだ何かが隠されている──そう確信しているかの様に。