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休日のデートというのはだいたい映画を観て飯を食うくらいで相場が決まっている。
そういうわけで今日の俺たちは昼過ぎから映画館へ繰り出し、ハリウッド製の派手なアクション映画を一本観てきたところだった。スクリーンの中でビルが三棟ほど爆破されるのをポップコーン片手に眺めてから外へ出ると、ちょうど小腹が空く時間帯だ。
「さて、何食べて帰ろうか?」
俺がそう訊ねると、彼女は少しも迷わずに「お蕎麦がいいわ」と微笑む。
世間の若い女の子ならパスタだのパンケーキだのと言い出しそうな場面だろう。もっとも蕎麦好きなのは俺のほうで、彼女は間違いなく俺の好みに合わせて蕎麦を提案してくれたのだ。理解のある彼女さんだぜ……。ポップコーンの塩気で乾いた喉へ冷たい蕎麦を流し込むのは悪くなさそうだ。そんなわけで俺たちは映画館からバスに揺られて町内へ戻り、旧道沿いにある『みのり家』という板蕎麦の店へ足を運んだ。
この『みのり家』は町内でもちょっと小洒落た大人の隠れ家といった趣の店である。昼間でも照明が落ち着いた明るさに落とされており、和モダンな内装の店内にはジャズなんかが低く流れていた。
店の中央には大木から切り出した無垢材の巨大な一枚板テーブルが鎮座し、壁際には静かなテーブル席が並ぶ。俺たちは真ん中の大テーブルの端に向かい合って腰を下ろし、おしぼりで手を拭きながらメニューを開いた。
ちなみにこの店の売りは板蕎麦である。
これは山形県の郷土料理に由来するスタイルで、浅く長い木製の板箱に蕎麦が盛られて出てくるのだ。農作業の合間や集会で客人をもてなす際、長い板の上に蕎麦を並べてみんなでつついたのが発祥らしく、「板につく」という言葉の語源になったという説まで伝わっている。
さらにこの店には、蕎麦好きの男を悩ませる二つの重大な仕様が存在する。
一つ目は注文時に麺の太さを「太切り」か「細切り」から選べる点だ。江戸前の粋を気取るなら細切りを頼んで喉越しを愉しむのが正解なのだろう。しかし俺はいつだって断固として「太切り」一択。ワシャワシャと噛みしめるのが好きなんだよね。一方、向かいに座る彼女はいつも上品に「細切り」を注文する。
そして二つ目が、つゆの二刀流システム。
この店の名物である『胡麻だれ板蕎麦』を頼むと、鰹出汁の効いた通常の醤油つゆに加えて、ドロリと濃厚な胡麻だれがセットでついてくる。これが実に厄介な頭脳戦を要求してくるのだ。板の上に盛られた蕎麦をどのペースで醤油つゆと胡麻だれに振り分けるべきか。まさにリソース管理問題である。
「板蕎麦の攻略で一番大事なのはつゆの配分なんだよね。最初から胡麻だれの濃厚なコクに溺れると後半で舌が麻痺して蕎麦の香りが迷子になるし、かといって醤油つゆばかり攻めると最後に胡麻だれが余って蕎麦湯で割る時のバランスが崩壊するわけだ」
「うんうん、そうだね」
「だから俺の編み出した黄金律ではまず序盤に薬味を一切入れず、醤油つゆだけで蕎麦そのものの風味を迎え撃つ。中盤に入ったら胡麻だれにすり胡麻とネギを惜しみなく投入して総力戦を仕掛け、終盤はわさびを乗せて再び醤油つゆへ帰還するんだ。この三段構えの陣形こそが板蕎麦に対する最も礼儀正しい向き合い方だとおもうんだよな」
「ふふ、うんうん、そうだね。伊佐朗くんはいつも美味しそうに食べるから見てて楽しいわ」
蕎麦を待つ間に俺がそんな持論をたらたらと垂れ流しても、彼女は嫌な顔ひとつせずニコニコと頷いて聞いてくれる。本当によくできた理解ある彼女だ。
ちなみにこれだけ偉そうな蘊蓄を語っておいて何だが、俺の舌自体はカップ麺の天ぷらそばに乗っているペラペラの油揚げでも普通に美味く感じる安上がりな構造をしている。
やがて店員さんが長い板箱に盛られた蕎麦と季節の炊き込みご飯、それにデザートのひとくちわらび餅を運んできた。
「おっ、今日の炊き込みご飯は舞茸と鶏肉か。こりゃ当たりだな」
「本当ね。お蕎麦もつやつやしてるわ」
俺たちは手を合わせてから箸を取り、それぞれのスタイルで蕎麦を手繰り始める。計画通りにまず醤油つゆで太切りの蕎麦をワシャワシャと喰らい、噛むほどに広がる挽きぐるみの青い香りを堪能した。そこから中盤戦で濃厚な胡麻だれへと戦線を切り替える。
すり胡麻の香ばしさと太麺の力強いコシが絡み合い、そこへ舞茸の炊き込みご飯を追撃で放り込むと、口の中が幸福な炭水化物の祭典と化す。後半にはドロッとした濃いめの蕎麦湯も控えているのだから隙がない。
そうやって俺が胡麻だれの猪口を持ち上げ、ふと箸を休めて顔を上げた時だった。
薄暗い照明が落とされた店内の一番奥まった壁際の席に一人の中年男性が座っているのが目に入った。くたびれた灰色のジャケットを着たその男はテーブルの上のお冷やにも手をつけず、深く俯いたままピクリとも動かない。思えば俺たちが店に入ってきた時からずっとあの姿勢のまま座っているような気がするし、店員さんがあの席へ注文を取りに行った様子もなかった。
「おい、あれ注文忘れられてねえか? ずっと座ってるみたいだけど……」
俺が小声でそう言うと、彼女は細切りの蕎麦を運んでいた箸を止めて店の奥を振り返った。彼女はしばらくその男性をじっと眺めてから静かな声で応じる。
「大分色が薄いわね」
「色?」
「いいの、気にしないで。あの人は多分お店の人よ、ああしてお客さんの様子を見ているの」
「んな馬鹿な……あれ? いないや」
彼女からもう一度奥の席へ目を戻すと、ほんの一瞬目を離したすきに中年男性の姿はどこにもなくなっていた。店の入り口の引き戸が開いた音もしなかったから、奥の厨房へ繋がる従業員用の通路でもあったのだろう。
「奥に引っ込んだんでしょう……視られているのに気づいたから」
「ああ、俺たちが見ている事にってことね。確かに、客商売だからなあ」
「……ええ、そうね」
彼女──京子は、そう言って笑った。
むむむ。
うーむ、綺麗なんだけどね。綺麗なんだけどなんでこう、ニタァ~って感じの笑い方なんだろうな。ホラー漫画とかのミステリ美少女枠みたいな笑い方だよなぁ。