むむむの伊佐朗   作:埴輪庭

50 / 51
29.お役所仕事

 ◆◆◆

 

 掻塚町の異様さに行政側が気付いていないはずはない。

 

 これまで区や都がそこに積極的に干渉しようとしてこなかったのには相応の理由がある。

 

 少し考えればわかることだ。

 

 幽霊を見たとか変な音を聞いたとか、その程度の噂話であれば役所が動く道理はない。だが掻塚町で起きているのはそういう曖昧な怪談の類ではなかった。他地区の平均を明らかに上回る行方不明者届の受理件数に動機も脈絡も判然としない猟奇的な殺人事件、そして不自然な変死や事故の連発である。

 

 これだけの数字が毎年のように庁内の統計へ上がってきている以上、どれほど鈍感な役人であっても「あの町は何かがおかしい」と気付かないわけがないのだ。

 

 それなのに練馬区が掻塚町に対して特別な防犯対策を講じたり、原因究明のための調査委員会を立ち上げたりしたことは一度もなかった。町のインフラ整備や再開発の計画すら、掻塚町に関わるものだけはどれも途中で立ち消えになっている。

 

 なぜか。

 

 一言で言えば「触らぬ神に祟りなし」を地で行っているからである。

 

 近代的な行政機構が祟りなんかを気にするものかと笑う人もいるかもしれない。しかし日本の官公庁というのは時として誰よりも迷信深く、誰よりも前例に対して臆病な生き物なのだ。

 

 わかりやすい例を挙げよう。東京のど真ん中、千代田区大手町の一等地に今なお鎮座している平将門公の首塚である。

 

 日本一地価が高いとも言われるあの金融街のど真ん中に、なぜあれほど小さな塚が取り壊されもせず残っているのか。経緯自体はよく知られている通りだ。かつて関東大震災のあと焼失した大蔵省の仮庁舎を建てようとしてあの首塚を崩したところ、当時の大蔵大臣をはじめ次官や課長や工事関係者に至るまで十数名が相次いで不審な死を遂げた。

 

 恐れをなした大蔵省は仮庁舎を取り壊し、わざわざ鎮魂碑を建てて神職を招き盛大な慰霊祭まで執り行っている。

 

 戦後になってからも同じことが起きた。進駐してきたGHQが駐車場を造るためにブルドーザーで塚を整地しようとしたところ、重機が横転して運転手が死亡する事故が発生し、結局あのアメリカ軍でさえ工事を断念して塚を残したのである。

 

 それから今日に至るまで大手町では幾度となく大規模な再開発が行われてきた。にもかかわらず国も東京都も、何千億円という資金を動かす巨大デベロッパーでさえ誰ひとりとしてあの首塚を移転させようとはしない。

 

 超高層ビルの設計図のほうをわざわざ曲げてまで塚を避け、腫れ物に触るように保存し続けている。周辺のビルに入る企業や官庁では、今でも塚に尻を向けないよう机の配置を工夫するのが暗黙の了解になっているという話だ。

 

 ここで重要なのは、日本政府も東京都も公式には一度たりとも「将門公の祟りが恐ろしいので工事を控えます」などとは発表していない点にある。

 

 当然だろう。近代国家の公文書には「祟り」だの「障り」だのを記入する欄など存在しない。表向きの理由はいつだって「史跡の保護」であったり「地域住民の要望」であったり「都市計画上の都合」であったりする。

 

 本気で祟りを信じている役人など、実は庁内に一人もいないのかもしれない。それでも全員が「そこには触らない」という一点において完璧に足並みを揃える。過去に触って人が死んだという前例が厳然として残っているからだ。

 

 もし自分の任期のあいだにそこへ手を出して万が一にも作業員が倒れたり関係者が急死したりすればどうなるか。死因が持病だろうと単なる労災事故だろうと関係ない。庁内では「前にも同じことがあったのに余計なことをした」と後ろ指を差され、決裁印を押した者の責任問題に発展する。動かなければ誰も責められないが、動いて何かが起きればすべて自分の責任になる。

 

 行政にとっての「触らぬ神に祟りなし」とは、前例と責任追及から我が身を守るための極めて合理的な保身術なのだ。

 

 掻塚町に対する練馬区の態度も、規模こそ違えどこれと全く同じ構造をしていた。

 

 少し調べれば、掻塚町に手を出そうとした時の奇妙な前例はいくらでも出てくる。昭和三十六年の宅地造成で測量に入った技師二名が忽然と姿を消した件を皮切りに、いくつもの記録が残っているのだ。

 

 昭和四十年代には区史の編纂を委嘱されて掻塚の北を「葬地」と記した郷土史家が完成前に急死した。昭和五十年代に一丁目の排水路を暗渠化する工事では現場監督が倒れ、工事が半分で止まっている。平成に入ってからも二丁目の区道拡幅計画を立てた係長が心不全で亡くなり、横断歩道に信号機を設置しようとした課長が直後に交通事故に遭った。

 

 それらはいずれも書類の上では別個の「病死」や「事故」として正しく処理されている。ただ庁内で長く禄を食んでいる職員たちは、飲み会の席や引き継ぎの雑談を通じてその不気味な符合をうっすらと共有していた。

 

 だがそんな行政サイド──区の外郭団体や地域振興の窓口がこの冬、奇妙な動きを見せはじめた。

 

 曰く『都市伝説のまち・掻塚ミステリーウォーク』。曰く『冬の怪談ナイト&スタンプラリー』。さらにはネット上で知名度のあるホラー系MUTUBERたちを公式アンバサダーとして招き入れ、町内のスポットを巡るコラボ動画の配信やトークイベントまで後援し始めたのである。これまで何十年も町の異常から目を背け続けてきた行政が突如として「オカルト」を全面に打ち出した町おこしへと舵を切った格好だった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。