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「むむむ」
配信を終えてヘッドセットを外した俺は、Tシャツの裾をまくって自分の腹の肉をつまんでみた。
なんだか先月より一回りばかり掴める厚みが増している気がする。いや、気がするじゃなくて確実に増えている。原因なんていちいち考えるまでもない。ここ最近ずっと続けている深夜の買い食いである。
「最近夜食が増えてるなあ。ちょっと減らさないとなあ……」
パソコンの画面の隅にある時計を見ると、時刻はすでに午前二時を回っていた。世間はお盆休みの真っ只中で、カレンダーの数字は八月十五日を指している。
そもそもなんでこんな丑三つ時に腹を空かせているのかといえば、俺の配信時間がだんだん後ろへズレ込んできているせいだ。
初夏の頃にオカルト路線へ戻してからというもの、リスナー連中から「怪談はやっぱり深夜に聞くほうが雰囲気出るよね」なんておだてられてしまった。最初は夜十時スタートだった配信が十一時になり、今では日付が変わってからマイクの電源を入れるのが当たり前になっている。
二時間ばかり喋り倒して配信枠を閉じると、ちょうど胃袋が何かよこせと騒ぎ出す時間帯になる。そこで素直に水を飲んで寝ればいいものを、ついふらふらと深夜のコンビニへ足を運んでカップ麺だの唐揚げ弁当だのを買ってしまうのがここ最近の悪習だった。
「いっそ配信時間をもうちょっと前倒しにするか……? いや、でも夜の九時とかに怪談やってもいまいち締まらないしなあ」
区の『怪奇アンバサダー』なんて妙な肩書きまで貰ってしまった手前、オカルト配信者としての看板は大事にしたい。となると、見直すべきは夜食の中身という結論になる。
よし、今夜は絶対に炭水化物と揚げ物は買わないぞ。そう心に誓った俺は財布とスマホをポケットに突っ込み、サンダルを引っ掛けてアパートの階段を下りた。
お盆の深夜二時過ぎともなると掻塚町の住宅街は普段以上にしんとしている。帰省や旅行で家を空けている世帯が多いらしく、窓の明かりが消えた一軒家が暗い路地にずらりと並んでいた。昼間のうだるような猛暑はさすがに引いているものの、夜気を浴びて涼む──とは中々いかない。
ペタペタとサンダルの音を響かせながら五分ほど歩くと、視線の先に馴染みのエイトイレブンの白い看板が浮かび上がってきた。
自動ドアをくぐると、冷房の効いた涼しい空気が出迎えてくれる。入り口のすぐ脇にある季節の棚には、お盆らしく仏花や線香の束がライターと一緒に並んでいた。最近改めて意識したんだけど、コンビニに仏花とかは普通は売ってないみたいだな。この町のコンビニがちょっと特殊なのか……まあいいや。
俺は真っ先にお菓子の棚へと向かった。深夜の空腹をごまかすなら、よく噛んで満腹中枢を刺激できるガムかグミあたりが最適解のはずだ。
どれにしようかとグミの陳列棚を上から下へ眺めていた俺の目が、ある一点でピタリと止まった。
「……おっ?」
棚の中段に何やらとんでもないブツが見えた気がした。
俺は思わず一歩詰め寄って、その袋を確認する──間違いない!
『くのいち飯・鋼の鎧』
マジか。これ、あの『鋼の鎧』じゃん!
グミ好きの間ではちょっとした伝説になっている超人気商品である。もともと小粒でハードな食感が売りの『くのいち飯』シリーズの特別版で、弾力のあるグミの周りをバッキバキに硬い糖衣のコーティング──通称「鋼の鎧」で分厚く覆った代物だ。
なんでも一口噛むと外側の鎧がパキッと砕けて中から濃厚なグレープ味のグミが現れる二段構えの構造らしい。SNSでも「一度食うと病みつきになる」「歯が折れるかと思ったけど美味すぎる」とバズり散らかしている。そのせいでどこのコンビニでも入荷したそばから瞬殺されて転売屋にまで狙われる始末で、俺もこれまで空っぽの値札しか拝んだことがなかったのだ。
まさかお盆の深夜二時にエイトイレブンで遭遇できるとは。普段より客が少ないお盆休みのエアポケットってやつかもしれない。
「いやあ、日頃の行いがいいとこういうご褒美があるんだなあ」
俺はホクホク顔でフックに残っていた二袋を両方とも鷲掴みにし、ついでに冷蔵ケースから無糖の炭酸水を抜いてレジへ向かった。弁当やカップ麺を我慢してグミ二袋と炭酸水で済ませたのだから、今夜の俺の自制心は百点満点と言っていいだろう。
会計を済ませて店の外へ出ると、俺は我慢できずに早速『くのいち飯・鋼の鎧』を一袋開けてみた。中には艶やかな黒紫色をした、少し角張った小石みたいな粒が入っている。
一粒つまんで口に放り込み、奥歯で思いきり噛みしめた。
バキッ、ゴリッ。
おお、すげえ。グミを噛んだとは思えない硬質な音が頭蓋骨の奥まで響く。分厚い糖衣の鎧が割れた隙間からむっちりとした弾力の塊と芳醇な巨峰の香りが一気に広がった。これは確かにうまい。しかも一粒噛み砕くだけで顎がそこそこ疲れるから夜食としてはこれ以上ない逸品だ。
もう一粒口へ放り込み、ゴリゴリと奥歯を鳴らしながら夜の路地を歩いていた時だった。
「む?」
背中のすぐ後ろに誰かが立ったような気配がして、俺は思わず足を止めた。首筋のあたりにひやりとした視線のようなものが張り付いた気がしたのだ。
コンビニの袋を提げたまま、くるりと背後を振り返る。
しかし、そこには誰もいなかった。
一定の間隔で立つ街灯が白っぽいアスファルトの路面とブロック塀をぼんやり照らしているだけだ。しばらく夜の路地をじっと見渡してから、俺は口の中のグミをもう一度ゴリッと噛み砕いた。
「……まあ、気のせいか」
深夜の怪談配信のあとで、ちょっとばかり神経が過敏になっていたのだろう。俺は袋の持ち手を握り直し、サンダルをペタペタと鳴らしてそのままアパートへと引き返した。
変な事なんてのはさ、やっぱり創作物の中だけの事にしてほしいよな。現実はこういう風に、こともなく日常が過ぎていく方が良いに決まってる。
なあ、あんたもそう思うだろう?