『いつも苦労かけてごめんね』
申し訳なさそうに言う母さんに、どんな言葉を返せばよかったのだろうか?
他の子みたいに、ゲームで遊びたいなんて言ったところで、どうにかなったのだろうか?
なるはずが無いから、ただ受け入れた。
『大丈夫。俺に任せてよ、母さん』
必死に、自分は頑張ってるぞと、惨めじゃないぞと言い聞かせた。
病弱な母を支える出来た息子だと、自分は偉い奴なんだって。
他の子供達よりも、きっと優しくて、強くて。
『おい、また成績落ちてるぞ。そんな調子で大丈夫か?』
『お前っていつも誘い断るよな。付き合い悪くないか?』
『なんも持って無いじゃん。つまんねぇの』
みんなが親から貰った娯楽を楽しむ間、俺はご飯を作って。
洗濯物を済ませて、家の中を掃除して、笑顔を決して切らさずに。
母さんのために、母さんの代わりに、あの人は身体が弱いから。
助けてくれる人なんて他にいないから、俺だけしか働けないから。
『きっといつか、幸せになれるよ』
いつかって、いつだ?
あとどれくらい頑張れば、そのいつかは訪れるんだろう?
あとどれくらい母さんを支えてあげれば、そのいつかは訪れるんだろう?
疑問を覚えて、それが肩にのしかかって、どうしようも無くなって。
『うわぁ!?誰か、捕まえてくれぇ!』
そんな時に、飼い主のリードを外して逃げている犬に出会った。
真っすぐこっちに走って来てて、向かう先には道路が広がっていて。
反射的に向かってくる犬を捕まえて、どうにか逃げ出さないよう押さえつけた。
必死に犬と格闘する姿は、きっと酷く愉快な光景だったのだろう。
『す、すまない!ありがとう、助かったよ!君、名前は?』
『えっと。正彦です』
『正彦君か!さっそくお礼がしたいんだが……君、ドーナツは好きかい?』
『分からないです。食べた事無いですし』
『マジで?おいおいそれはいかんぞ正彦君、それは人生の半分を損している!ドーナツとはこの世の真理、ドーナツとは掴むべき未来!食わず嫌いはせず、一度味わってみるといい。ほうら、さっきそこで買ってきた出来立てのドーナツだぞぉ。美味しいぞぉ?』
『いえ、そもそも家が貧乏なので、買う余裕が無くて……』
『マジごめん。大分重い事情だった。え、少し話聞かせてくれない?』
その人は態度が軽くて、その癖何処か愛嬌があって、抜けていて。
初対面の俺にずばずば話しかけてきて、食ったことのない美味しい物を奢って。
真剣に俺の話を聞いて、泣いて、同情してくれて。
『偉いな君は!病弱な母親のためにそこまで頑張れる若者など、最近じゃそういまい!自分を存分に誇るといい!私が保証してやろう!君はとても、“いい奴”だ!』
『……いい奴?』
初めて、そんな風にお礼を言われた気がした。
初めて、誰かが自分と同じ目線で話していてくれた気がした。
初めて、自分が認められているような気がした。
その言葉が、その人にとっては何でもないような一言であったとしても。
『ああ、いい奴だとも!言われ慣れまくっている私が言うんだから間違いない!何せこの私は、ここ数年の間、それだけは変えずに上手くやってきたからな!フフフ、私はこう見えて自分の城を持つ社長でね……!この話術で幾つもの契約を勝ち取った生粋の人たらしなのさ!』
『いや、そういうの自分で言うもんなんですかね……?』
『自分を過大評価してやるくらいが嫌味が無くていいものだ!それに、ほら。無駄に控えめな性格してても、誰にも気づかれずに終わってしまうだろう?商売も人間関係も、マーケティングが大事なんだよ。自分はこういう人間です、って言う宣伝がね』
『……宣伝』
自らを“いい奴”などと呼ぶその人から、自然と目を離せなくなっていた。
俺はその人と会ったばかりだし、碌に人となりを知っているわけでもない。
何なら名前すら聞いていないのに、何故だか。
俺は彼が、彼の言う通りに、“いい奴”なんだろうと、そう確信していた。
『君はいい奴だ。けれど、隠れてそれに気づいてくれる人を待ち望んでいては、きっと君の方が限界が来る。人知れず世界を救う前に、隣のクラスメイトが落とした消しゴムを拾え。人知れず努力をする前に、努力をする理由を示せ。それだけで、君の価値は色を帯びる』
『……他人に目を向ける余裕なんて、あんまり無かった』
『案外と、“やれること”と“やるべきこと”を意識して分ければ余裕を作る隙間を開けられるものだ!私は君に金を与えたりはしない。犬を助けてくれた礼にドーナツを奢ったりはするけれど、君の問題を根本から解決する気はない。けど、君は私の価値を知ってくれたろ?』
『……全部意識してやってるんですか?』
『全てではないけれど、意識はしてる。私が君に与えられる最大のお礼だよ』
ズルい大人だと思った。
善意を利用して、己の利益を勝ち取るような、そんな生き方だった。
けれどそれは、俺が今まで知ったどの生き方よりも、よっぽど輝かしくて。
誰かにお礼を言われる嬉しさも、認められる嬉しさも、既に教えられていて。
『名前。聞いてもいいですか?』
『
◆◆◆
「……」
酷く懐かしくて、あんまり思い出したくも無い夢を見た。
頭はガンガン痛むし、喉は酷く乾いているし、普段は可愛くセットしてる髪が台無しだ。
さて、何がどうして、こんなことになったんだっけか?
「……ぁぁぁぁぁぁぁ」
ゆっくりと、悲鳴のようなか細い声を小さく吐き出し続ける。
自分の声だとは思いたくない、酷く腹が立つ、無駄に悲劇ぶった悲鳴。
けど、こんなものが腹の底にたまったままでは、いつもの自分でいられない。
だから、まずは、それを吐き出して、元に戻るために。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──!!」
バカで、アホで、愚かしくて、何の価値も無い。
何をしているんだろう、何を考えていたんだろう、何が目的だったんだろう?
知るかそんなもの、湯だった頭で何を考えていたかなんて。
ただ、自分の感情を碌に制御できず、大恥をかいただけだ。
「……よし、よし。よし!大丈夫!私はキュート!私はいい子!私はメンタルつよつよハイスぺ幸せガール!一度や二度スッ転んだだけじゃへこたれない!頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう!目指せ、楽して幸せ、順風満帆なハッピーライフ!」
己の頬を叩き、己を鼓舞し、ひとまずは己の状況を省みる。
知らない天井ってわけではない。幾度か見たこともある天井だ。
ひとまずは、優斗君に礼を言うために、部屋を出て彼の元へ──
「あ」
「──」
なんで 君が いるのかな?
あれ 奏ちゃん もしかして さっきの 聞いてた?
なんだか 耳元を ドアに当ててた 気がするん だけど。
「……えっと、その」
「聞いてた?」
「……ノックしようとしたら、悲鳴みたいな声が聞こえて」
「聞いてたんだね?」
「……はい」
「そっかそっか!」
はーい、まずはしゃがみまーす!
はーい、それで自分の掌で、顔を覆っちゃいまーす!
はーい、ごめんなさい限界でーす!
「ぬああああああああああああああああ!!介錯、お任せしもうす!!」
「待ってください待ってくださいほんとすいませんお邪魔してます!?」
「あの、なんか悲鳴が聞こえたけど何がどうなって……え、加奈を泣かせた……?」
「誤解です!誤解ですからね!?いや誤解ではないかもしれないですけど!あ、待ってやめて静かに構えを取らないで!加奈さんさっさと正気に戻ってください!あなたの彼氏、ちょっと本気で殺人拳の構え取ってますから!!」
私達、二人そろって優斗君の家でお泊りしているらしい。
殺せよ畜生。
◆◆◆
あの後何があったか聞いてみた。
『とりあえず服着替えなきゃ……いやけどまだ寮まで距離あるし……。ああ、こんな時に溺れかけた私達美少女女子高生二人を助けてくれる、王子様のような方はいらっしゃらないのかしら!?このままでは、加奈さんが死んでしまうわ!』
『おお、可憐なる乙女達よ。それならば我が城にて君達二人を招待しよう!ちなみに庭ありガレージあり大広間あり。シャンデリアぶら下がっててメイドさんも庭師もいます』
『まあ、なんて素敵なお住まいなのでしょう!割と普通に経済状況がいかれてますわね!とりあえず加奈さんが疲れて眠っちゃったのでお着換えさせておベッドに投げいれますわ!加奈さんのご自宅と私のお寮長にも連絡入れておきますわね!』
しまった、途中で奏ちゃんがお嬢様になってしまった。
俺の奏ちゃん幸せになってくれ欲が肥大化してしまった結果こんなことに……!
もっとまじめに要約すると、たまたま通りかかった優斗君が俺達二人を家に泊まらせてくれて、ついでに諸々の手続きを済ませておいてくれたってだけの話である。
優斗、お前は東大に入れ。いややっぱ王子様になれ。奏ちゃんの。
「加奈、なんかまた変なこと考えてない?」
「考えていませんわよおほほのほ」
「もはやお嬢様でも無い何かになってしまってますよ。というか、ほんとにいいんですか?彼女の加奈さんはともかく、友達ってだけの私までこんな豪華なもてなしを受けて……。あ、このベーコンエッグ美味しいですね。シェフを呼んでください」
「あはは、遠慮しなくてもいいよ。いや遠慮してないと思うけど。皿を山積みにする前に言うべきだったと思うなその台詞。いやいいけど別に。あとうちのシェフがすっごい気迫で中華鍋振ってるんだけど、君もしかして中華料理でも注文した?」
「
「すごいな、僕でも一回しか頼んだこと無いのに」
おいバカやめろ、「もっかい食べようかな」って目で厨房を見るな。
怯えてるから、強面なシェフさんが小鹿のように怯えているから。
ちなみに三不粘とは、すげぇ簡単に言うと死ぬほど鍋振って作るお菓子だぞ!
マジで労力に見合わない腕が絶対筋肉痛になる料理だぞ!鬼か?こいつら。
「とりあえず。おおまかな事情は、奏さんから聞いたよ、加奈」
「……まあ、はい」
「危ないことはしないでくれって。何度も言ったよね?」
「はい」
「今後はしないって。約束できる?」
「確約は出来ないかなぁ」
今世では特に、そうせざるを得ないトラブルと言うのは湧いて出る物なのだ。
今回の件は説教を甘んじて受け入れるしかないが、確約できるものではない。
少なくとも、碧海誘拐事件とかでは何があろうと助けに行くつもりだったし。
「そう。なら、話はこれでおしまい」
「え?」
「少なくともこの件に関しては、加奈はちゃんと反省してるみたいだから。その顔見れば分かるよ。普段ならもう少し考えて行動したと思うし」
「……優斗君って、変なところで甘いよね」
「加奈のことを、他の人よりも少し知ってるだけだよ」
畜生俺だって前世でこんな台詞言えてればモテたのかなぁ!
イケメンフェイスが眩しい、俺には眩しすぎるぞこの気遣いが!
触れてほしくない所を的確に見破ってくるんじゃねぇ!
「……ちなみに、加奈さんは他にはどんなことで怒られてるんですか?」
「迷子の子供を送り届けるために隣街までおんぶして行った件とか」
「加奈さん、常識って言葉知ってますか?」
「いやしょうがないじゃんあれは。あと常識は知ってるよ当然。むしろ私、この中では一番の常識人だって自負まであるね!」
車に乗ってないのに気づかれず、家族に置いてかれた子をおんぶで運んだやつか。
とはいえ距離だけで言えばまあまあ長かったが、ちゃんと途中のコンビニとかでしっかり休憩したり、水分補給はしっかり取ってたから大したことは無いと思う。
たかが20kmくらいの距離だし、そんな騒ぎ立てるものでもあるまいに。
とりあえず二人には、その「何言ってんだこいつ」みたいな目をやめてほしい。
「フィジカルお化けが何言ってるんですかね……?」
「いや私の長所はこの無類の可愛さとあざとさだからね……?まったくフィジカルお化けだなんて、何を根拠に言ってるんだか。うちの学校じゃ、私の身体能力なんて五里羅さんと比べればせいぜいがオラウータン程度のものですから」
「ごり……え、ゴリラ?」
「バナナが好きなお嬢様だよ。ちなみにこの前握力測定器を筋力で破壊した。限界測定値が120kg以上だったから、多分握力120は超えているね!」
「化け物じゃないですか」
「失礼な。五里羅さんに比べれば、私の握力なんて所詮クラス2位程度でしか……」
「ちなみにどれくらいあったんですか、優斗さん」
「120は超えてるらしい」
「やっぱフィジカルお化けじゃないですか!」
こら、人の恥ずかしい記録を言うんじゃありません優斗君!
体重とかは管理が完璧だから別に言ってもいいけど、握力とかは恥ずかしいんだから!
「ちなみに全種目をおおよそ二位の成績で突破してるよ、加奈は」
「むしろ一位の連中はどうなってるんですかねそれ」
「
「お二人の通う学校ってもしかして魑魅魍魎の巣窟なんでしょうか」
「失礼な。花も恥じらう女子高生たちの楽園ぞ?」
「花が恥じらうような女子高生は握力測定器を壊さないんですよ!」
大袈裟だなぁ、奏ちゃんは。
大人びた彼女の姿ばかり見たせいか、こういう世間知らずな一面を見ると顔が綻んでしまう。
優斗君は何故か目を逸らしたままもくもくと食事を続けている。そんなに美味しいのかな?
「あ、頭がおかしくなりそうなので話題を変えますけど。この後、どうしますか?」
「ん?私は早めに帰る予定。家族を心配させちゃってるだろうし……さっきから碧海からのメッセージがうるさいし」
「そりゃあ皆で遊園地を楽しんだ後、少し別れて帰っている間に、姉が川にダイブしたとか聞けば……。彼でなくとも心配すると思いますよ?」
「いやまあ、はい。そこはほんと、申し訳ないです」
後で土産でも買って帰ろう。無駄に心配させてしまっただろうし。
とはいえ、今日は日曜で暇ではあるし、軽く買い物でもして帰ってもいいかもしれない。
昨日散々遊園地で遊んだ後だし、明日の学校もある以上休むことは必要だろうが。
まあ、今日はおとなしく、家で碧海の奴とゲームでも──
「ああ、ならよかったです。優斗さん、ちょっとデートして貰えませんか?」
「げほっ、ごほっ!?」
「ちょ、加奈大丈夫!?ほら、水飲んで!」
「大丈夫ですか加奈さん。あんまり急いで食べちゃダメですよ~?」
いきなりの発言に、思わず食べていたパスタが喉に詰まってむせかえる。
……デート?奏ちゃんが、優斗君を、デートに誘ったのか?今?
え、なんで急に?いや、そうだ、昨日、たしか、言ってた気がする。
『だから。奪うことにします』
彼女は確かに、そう言っていた。
「……恋人の前でそういうことを言うのは感心しないな。以前も君の告白を断ったはずだよ、奏さん。今でも、その気持ちは変わらない」
「ああ、誤解を招いちゃいましたかね?少しだけからかってしまいました。ただの、休日のお出かけの提案ですよ。何であれば、加奈さんも一緒に来ますか?ただ少し、昨日みたいに楽しく、友人と。お出かけしたいだけですとも」
彼女は笑って、彼ではなく、俺を見ていた。
それを見て、彼女の意図はなんとなくだけれど、理解できた。
彼女が先日話したあれこれは、決して、勢い任せに出た言葉ではなかった。
ただ、それだけの話なのだ。
「……私は。今日は休もうかな。二人で行ってきていいよ?」
「加奈……」
「大丈夫だって!楽しんできなよ。また今度、一緒に行こうよ」
だから、俺は当たり前のように、二人きりのデートになるように言葉を繕う。
最初からずっと、俺が目指していたのは、この二人がくっ付いてくれることだ。
奏ちゃんが積極的になってくれたなら、それに越したことは無い。
快く、二人を、送り出してやればいい。
「ありがとうございます!それじゃあ、さっそく行きましょう、優斗さん!」
「ちょ、まだ僕は……!」
「いってらっしゃい、二人とも」
手を振って、送り出した。
凄い行動力だなと、いっそ感心してしまう。
あとは、私が彼を譲って、証明してやればいい。
「……私は。良い人だ」
それが、俺の唯一の──
「随分と憂鬱そうだね」
「げっ」
その声を聴いて、思わず身構える。
悠然と食堂に入ってきた、この屋敷の主たる男。
十六夜という企業を、たった一代で大企業にまでのし上げた男は。
「生きづらそうだな。相談にでも乗ろうか?」
「……どーも、十六夜信也さん」
俺の、恩人でもある男だった。
お待たせして申し訳ない……!
こっからは多分普段のペースに戻ります。