前世の妹が今世の彼氏に告白したらしいんだが   作:雷神デス

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長い長い間、お待たせしました……!
これからはもうちょい更新頻度高めで投稿できると思います……!


幸せになっていい、ただの可愛い女の子

 さて、まずは冷静になるべきなのだろう。

 昔ならば大慌てして、次々とぼろを出す所なのだが、実は俺はいたって冷静だ。

 何故かと言えば、そりゃあもう似たようなシチュエーションを体験したからなのだが。

 あの化け物みてぇな人と比べれば、まだこの状況は理解できるものではある……!

 

 

「……アハハ、奏ちゃんのお母さんって、冗談が上手ですね!」

 

 

 とりあえずは誤魔化そう。多分だけれど、母さんはまだこのことについて半信半疑……いやこの様子だと多分八、九割くらいは察してそうではあるが、まだセーフ、セーフったらセーフ。

 俺に前世が存在するというその前提からして、あまりにも突拍子の無い話なのだ。

 下手に焦って、肯定するようなことをいわなければ、母の気質的に冗談で済ませる。

 証拠も無いのにそんなリスクのある踏み込み方を、あの母さんがするはずが……。

 

 

「ねぇ、加奈ちゃん。そういう時はね、下手に冷静な様子を見せちゃダメよ?何かを隠している、ってことが透けて見えるんだもの。そう言う時は、何を言っているか分からない、って顔をするの。無知なフリをしなきゃならなかったの」

 

「……何を言ってるか、全然」

 

「冗談にしても意味が分からないし笑えない。そういう言葉を聞いた時、大抵はまず正気を疑ったり、ポカンとした顔をするものなの。けれどあなたは、今の言葉を私なりの冗談だとして済ませようとした。それってつまり、言葉の意図は理解してるってことだものね?」

 

「そんなわけ──」

 

「そこで否定しようとしちゃダメよ?理屈が通っていようとも、私の目的は果たせちゃったもの。質疑の正しさを証明する人なんていないのに、理屈の正しさなんて優先して何になるの?まったく昔から隠し事する時は、脇が甘くなるんだから」

 

 

 慈しむように、教鞭をとるように、前世の母はつらつらと言葉を口にする。

 昔に少しだけ触れたことがある、人を手玉に取る時の母親の顔。

 幾度か教えられたことだ、人を丸め込む時に必要なのは、正しい理屈ではない。

 むしろその逆、聞こえの良い言葉で彩った、ろくでもない屁理屈なのだと。

 

 

「ふふっ。雰囲気に呑まれてボロを出しちゃうと、後はもうメッキが剥がれ落ちるだけ。私のことを狂人だのなんだのと言って、訳の分からないことを言う女に仕立てあげれば楽に隠し通せてたのに。あなたがあの子だっていう根拠は無い。けど今ので、私なりの確証は得られた」

 

「……はいはい、そうですか。そうですよね。あなたはそう言う人ですよね」

 

「ええ、そういう人なの。少し、お話に付き合ってもらってもいいかしら?」

 

 

 そう疑われた時点で、この状況を作られた時点で。

 前世と今世を合わせても、彼女の人生経験に敵わない時点で、結果は殆ど決まっていた。

 残念ながら、加賀正彦という男は。

 生まれてから死ぬまでに、母に勝てたことは一度も無いのだ。

 

 

そう日記に書いてあったから、間違いない。

なんで私、こんなこと考えてるんだっけ?

そもそも時系列合ってるっけ、なんで考えなかったんだっけ?

違和感、違和感、違和感。

日記には、書いてないから、問題ない。

 

 

 前世の短い人生の中で、俺に大きな影響を与えた人間は三人いる。

 一人目が十六夜信也、生きるのが下手な俺に、上手い生き方を教えてくれた人。

 二人目が名前も知らない初恋の人、ずっと消えない後悔を植え付けた人。

 三人目が……今目の前にいる、誰よりも得体のしれない、前世で母親だった人。

 

 

「先に言っておくわね。あなたに前世が存在して、その前世が私の息子である正彦であったとして。私はあなたを正彦として扱うつもりはない。だから安心してちょうだい。今のあなたには、加奈ちゃんとしてあなたを育ててくれた両親が居るでしょうから」

 

「まあ死んでるしね、前世の俺は。先に死んじゃったことは申し訳ないと思ってるけど、今更息子に戻れって言われても困るし。それに奏ちゃんが困惑するでしょ。友達だと思ってた人が実は姉ですらなく兄でしたって」

 

「フフッ、そうかしら?あの子のことだから、案外すんなりと受け入れちゃうかもしれないかもね。あの人に似て、強く、自分らしく育ってくれたから。……まあ、ちょっと自我が強すぎて、正彦と比べると人付き合いの観点で心配はあったけど。そっちで何かやらかしてない?」

 

「……ま、まあ奏ちゃんはいい子だし、ちょっとエキセントリックな面はあれど、周りに合わせることは出来てるみたいだからセーフセーフ。それに男を見る目もあるから、多分変なことにはならないはず……!」

 

「推定前世の妹が彼氏に告白してきたときどんな気持ちだった?」

 

「俺の妹が死ぬほど可愛い!」

 

「うーん欲望に正直、嫌いじゃないわよそういうの」

 

 

 母の笑顔は何時だって、人懐っこくて、裏表が無いように見える朗らかな笑みだった。

 あるいは、この人には最初から、隠すべき裏なんてないのかもしれない。

 この人は何時だって、自分がやるべきことを見失わない、強い人だったから。

 ただその場に合わせて、見せるべき顔を、聞かせるべき声を使うだけ。

 

 

「あー、それで、その。実際、なんで分かったの?そりゃあ、全部を隠せてたってわけじゃないんだろうけど、そんなすぐに把握されるほどポカもやらかしてないと思うんだけど……」

 

「あら、特大のやらかしが一つ、とっくの昔にあるじゃない。最初の切っ掛けはそこからで、あとは可能性を排除していって、現実的な可能性が全部無くなったら。後は、出来るだけ納得できる非現実的な“奇跡”を信じることになっただけ。今の今まで半信半疑だったけどね」

 

「や、やらかしぃ?そんなもん……あ、いや、待て」

 そもそも私、何か忘れてる?

 

 

 とっくの昔に、ってことは、母さんが切っ掛けを持った出来事は最近の事じゃない。

 そもそもの話、俺はつい最近まで前世と今世は違うものだと思っていた。なんで?

 そしてあの頃、俺は近所の人達に、母さんの話を聞いて回っていたはずだけど、結局前世の家族も、家も見つからずに、最終的に何の成果も得られず帰ったはずだ。ほんとに?

 

 

「そういや最近知ったけど……前世の俺を轢いたのは、今の俺の父さんで。そんで、多分その話、近所の人達も知ってたよな?母さんなら隠すようなことはしないだろうし、むしろ積極的に使うはず。多分事実を三割くらい脚色して、同情を誘っていたと考えると……」

 

「随分と冷酷な女として見られてるのね、私は。まあ、今までの行ないを考えるとあんまり否定できないけれど」

 

「自分の非を認めた……!?この人、もしかして別人……!?」

 

「ところで、正彦の部屋にあった幾つかの本のことなんだけどね?」

 

「すいません勘弁してください後生です!」

 

 

 まあ、つまるところ、至極簡単な話だったのだろう。そうしておきたいから?

 俺が事故を起こした男の娘だと知られて、近所の人たちは俺から母さんや奏ちゃんを守る為に、嘘を吐いて追い出したのだろう。私が娘だってどうやって知った?苗字だけで分かるとでも?

 そして俺はそれを鵜呑みにして、この世界と前世は違うのだと割り切ろうとしたのだろう。もう少し詳しく調べればすぐわかる嘘じゃない?そもそも、前世のことを知り得た男を知っているはずなのに、何故それで同じだと気づかなかった?

 

 

「近所の人達から教えられて、それで違和感を持った、って感じ?」

 

「……ええ、そうね。そういうこと。血のつながりがあるとはいえ、当時のあなた本人は何の関係性も無いはずなのに。わざわざ、この街まで……やってきた。徒歩で二十時間もするのにね。大丈夫?足ズル剥けなかった?」

 

「いや徒歩じゃないけど!?電車だよ電車。どんな精神状態なら歩いて向かうんだよあそこからここまで!当時俺まだ六歳くらいだからね!?」六歳の子供が、一人で電車に乗れるのだろうか?

 

「ほら、あなたならできそうじゃない?」

 

「あんた俺のことをどんなフィジカルモンスターだと思ってんだ……!」できるし、できた。

 

「フフッ、ごめんごめん。まあ、そこからあなたのことを奏から聞いて、なんとなくって感じかしらね?ほら、これで納得できた?私としては、これ以上は説明がしづらいから、何も聞かないでくれると嬉しいのだけれど。感覚の言語化って難しいからね」

 

「……まあ、なんとなく予想は出来てたからいいけどさぁ。なんでそれをわざわざ俺に伝えたか、聞いてもいい?正直、俺が一番驚いているのは……あなたが、俺にこうして、気づいたって事実を教えてくれたことだし。ずっと黙ってやり過ごした方が、面倒ごとは減るはずなのに」

 

 

 母さんは、昔からそんな人だった、はずだ。ノートに書いてあった。

 自分の得を探して、そうでないものには極力近づかないようにして。

 だからこそ、変なボロも、弱みも出さずに、多くのハンデを背負いながらも生きてきた。

 どんな状況であろうとも、決して自分にとっての幸せを諦めはしなかった。

 そういうところを、私は昔から尊敬していた。“俺”じゃなくて?

 

 

「あら、分からない?とてもシンプルで、分かりやすい理由なのに」

 

 

 だから、分からなかった。

 この人がこんな風に、優しい笑みを浮かべる理由が。

 俺が見た事が無いはずの顔を、当たり前のように浮かべるのが、理解できなくて。

 前世で幾度も接したはずの母親の態度が、まるで別人のように思えてしまって。

 

 

「あなたが心配だったから。それ以外に理由が必要?」

 

「……しん、ぱい?」

 

「ええ、心配。だって私が知る正彦は、私よりずっと生きるのが下手な、あんまりにも素直過ぎたバカな子で……私から産まれたとは思えないくらい、優しい子だったもの。だから、心配だったの。平気な顔して、無理してないかなって」

 

 

 何かが軋むような音がする。

 信じていたはずの何かが壊れるような音がする。

 だって私の知る彼女は、ノートに書いてた彼女は、もっと。

 

 

「大丈夫、では無さそうね。ほら、しっかりなさい」

 

「……え、何が?」

 

「唐突に会話が止まって、何秒か上の空だったわよ。まったく、そういうところは昔と変わらないんだから。パニックになると固まっちゃう癖、早いうちに直しなさい。ハートとフィジカルだけで何でも乗り越えられるとは限らないのよ」

 

「俺そんな癖あったの!?」

 

「あるわよ。昔からね。ほら、しゃきんとしなさい」

 

 

 唐突に俺の知らない俺の癖が発見された件について。

 やだなぁ、優斗君や奏ちゃんの前でその癖出したりしたら。

 あの二人には、可愛くてかっこいい完璧な加奈ちゃんとして見て欲しいのだ。

 そんな変な癖を持っていたら、変人だなんて思われてしまいそうじゃないか!

 

 

「そういうところも心配なんだけど。一番の心配事は。あなたの彼氏、優斗君と……私達の娘、奏との関係性ね。あなた、こう考えてるんじゃないでしょうね?“妹には幸せになってもらいたいから、優斗君から身を引こう”みたいな甘いこと」

 

「……ハハハ」

 

「舐め腐ってるわなこのド阿呆が」

 

「シンプルな罵倒が一番傷つくのでやめてもらっていいですか!」

 

 

 不味いお母様の視線が絶対零度を下回っている、蛆虫以下を見る目で睨んでくる!

 多分前世でもこんな冷たい視線を送られたことは一度も無いのに!いや割とあったっけ?

 

 

「そんな勝ちを譲られるようなやり方で、あの子が納得できると思っているのかしら。とんだ傲慢ね殴り倒されたいの?私の娘たるもの、得るべきはパーフェクトなビクトリー、誰にも文句を言わせない圧倒的な勝鬨よ。お情けの勝利など惨敗にも劣る」

 

「あのすいません、この家って何時から武士のような家訓になったんですか?」

 

「腑抜けたことを言うわね。恋愛とはそれすなわち乙女の心臓を懸けた合戦でしょう?」

 

「どうしようこの人俺の考える甘酸っぱい青春とは違う世界で生きてる」

 

「残念だったわね。私の青春時代の大半の記憶は白い病室、冷めた視線、あとその中にほんの僅かに存在している最初の夫のことくらいしかないわよ。舐めないことね小娘、退路を断たれ、この人と結ばれなきゃもう生きる意味が無いと思ってからが本番よ……!」

 

「あれぇおかしいな、前世の頃のお父さんに聞いた時は、一目惚れから始まった甘酸っぱい恋愛だった気がしたんだけどなぁ!?」

 

「あら、そうよ?ただその後にお父さんを狙う泥棒猫共と血で血を争う戦いがあっただけよ」

 

「詳細が気になるけどあんまり聞きたくはない……!」

 

 

 まあそりゃあなたは自分の恋心に真正面から向き合える豪傑ウーマンだろうけども。

 生憎こちとら前世の恋愛も告白すらできず敗れ去り、今世でも結局相手側から告白されるのを待たなきゃ恋人も作れないようなへたれ美少女なのでして。

 

 

「けどまあ、安心したわ。その様子なら、まだ大丈夫そうね。あなたのことだから、もう完全に相手に譲って、負けを淡々と受け入れるのかなと思っていたけれど。案外と、好きな子に対する独占欲はそれなりにあったタイプなのね?」

 

「……ど、独占欲って」

 

「気づいてなかったの?奏とあの子が仲良くしてる時、あなたずっと不貞腐れてたわよ」

 

「そそそそんなこと無いんですけどぉ!変なこと言うのやめてもらっていいですかぁ!?」

 

「あんた今更そんな反応って、大丈夫なの?あの子は足踏みしてる相手を待つようなことはしないわよ?何せ私と、あの人の血を引いてるんだから。相手を想って身を引くなんて逃げ、やっている暇なんてあるのかしら?」

 

「……母さんはともかく、昭さんってそんながっつり行く人だっけ?」

 

「あら、知らなかった?彼、正彦のお父さんと私が付き合う前から私のこと片思いしてたみたいよ?私は全然気づかなかったけど。一度疎遠になった後、正彦の大学の件でまた知り合って。そこから猛アタックされてね」

 

「初めて知ったんだけど……」

 

 

 マジか、母さんから誑かして付き合ったわけじゃなかったのか。

 けどよくよく考えれば、母さんと結婚までこぎつけた人は大抵そんなものかもしれない。

 本性を知れば嫌うような、そんな相手と同じ家に住むなんて、リスクしかないんだから。

 

 

「一度破れた恋でも、チャンスがあれば何度だって喰らいつく。そういう人なのよ。そしてあの子も、そういう子に育った。うかうかしてると喰らい尽くされるわよ?」

 

「……そう、かもしれないけど」

 

 

 それでも、やっぱり。

 俺が優斗君と結ばれるより、奏ちゃんと優斗君が結ばれる方がいいんじゃないか?

 そんな、奏ちゃんが聞いたら怒りそうなことを考えている自分が、どうにも嫌になる。

 けど、一番嫌になるのは……。

 

 

「不安?ちゃんと恋人に愛情を注げるか」

 

「あっさりと言い当てないでほしいなぁ……!」

 

「分かりやすいもの。顔に書いてるわよ?」

 

「バカな、俺とて母さんの血を継いでるはず……!何故こうも差が……いやよく考えれば今は継いで無いか。うん、今の俺の実の親、だいぶ顔に出やすいタイプの人間だったわ。そりゃその血を継いでる俺の表情筋も緩いわな」

 

「まあ正彦よりもだいぶポンコツっぽいしねあなた」

 

「魂が血に引っ張られてる……!?いやまあ、正解だしぐうの音も出ないけどさ」

 

 

 あんまり認めたくはなかったことだけれど、俺はやっぱり不安だったらしい。

 以前までなら、ただあざと可愛くあれば、自分はそれでいいんだと思えた。

 愛だとか恋だとか、そういうのは俺にはあんまり関係無くて、ただ優斗君の傍にいれば自分が幸せになれるんだって、他者の勝ち馬に乗っかって生きて行けばいいんだと思っていた。

 けれど、突然前世の妹が現れて、その妹が俺の彼氏を好きになって、その彼氏は思ってたより俺のことが大好きでいてくれて、そして前世の妹は思ってたより凄くって。

 

 

「奏ちゃんは、きっと。優斗君のこと、心の底から愛してるって言えるんだと思うし。優斗君は、俺の事が大好きなんだろうけれど」

 

 

 誰かを好きになるってことは、とても素敵なことなんだと思う。

 誰かに好きを伝えるってことは、とても勇気がいることなんだと思う。

 あの二人はそれが出来るし、他の人達も当たり前みたいにそんなことが出来るけど。

 

 

「俺は……まだ、二人みたいに。心の底から、優斗君が好きだって。言えない気がする」

 

「そう。思春期みたいな悩みね」

 

「うっさいなぁ……」

 

 

 困ったように微笑む母さんは、俺の頬を優しく撫でた。

 前世で何度か見たことがある気がする、演技だと思っていた顔だった。

 けれど、掌から伝わる体温は、誰よりも暖かくて、心地よくて。

 

 

「私も、私の息子も。そんなに心が狭くはないわよ」

 

「へ?」やめてよ。

 

 

 突然の発言に少し驚いて、上ずった声を挙げてしまって。

 何処か寂しそうに笑う母親の姿に、何処かおかしな気分になって。

 

 

「いい加減に自分を許してあげなさい。あなたは案外と、簡単に誰かを好きになれる子でしょうから。必要なことは、ただ自分を肯定してあげることだけ。誰かを好きになって、誰かのために一生懸命になれる自分を嫌わないであげること」

 

「……あれちょっと待って、まるで俺がチョロいみたいに言われてない?」

 

「気のせい気のせい。思ってない思ってない。お母さん嘘付かない」

 

「嘘付いてる時の顔と声じゃん!え、俺そんな風に思われてたの!?」

 

 

 なんてこった、俺ほど前世含めて身持ちが硬い奴も早々いないんだぞぉ!?

 彼女いない歴=享年で、しかも今世でもこの前まではキスすらしたこと無かったんだぞ!?

 非常に不本意な扱いに抗議すべく、俺も威嚇のポーズを取らざる得ない……!

 

 

「……ええと、何そのポーズ」

 

「抗議している!俺に対する不当な扱いに!」

 

「あんたいつからそんなあざとくなって……!」

 

「威嚇なんだが!?」

 

 

 バカな、ネットで調べた威嚇のポーズが、アリクイのポーズが効いていない……!?

 弟に実演してみたら顔を背けながらしばらくの間目を合わせてくれなかったこのポーズが!?

 くっ、やはりこの人に精神攻撃は通じないとでも言うのか……!

 

 

「まったく、都合の悪い話が出たらすぐ話を逸らすのはあの子と同じね。しょうがないから、大切なことだけ言ってあげるわ。耳の穴をかっぽじってよく聴くように。これ以上話を長引かせたらどんな方向に行くか分からないもの」

 

「逸らしてないんだけど?まったく人聞きの悪いことを言うのはやめにしてほしいね!そもそも俺、別にあなたに何か聞いてほしい話があるわけでも───」

 

 

 

「あなたは、朝宮加奈は。幸せになっていい、ただの可愛い女の子よ」

 

 

 

「……なんだ、そりゃ」

 

「あなたが言う前世なんて、とっとと忘れちゃいなさい。もっと普通に接してあげればいい」

 

「忘れろって、簡単に言うなぁ」

 

「ええ。だって、他人事でしょ?」

 

 

 ……どういう意味かまるで分からないことを言われたけれど。やめてよ。

 彼女は俺の頭を撫でて、そのままケースを持って部屋に戻っていった。今更なのに。

 疑問符を浮かべながら、俺も立ちあがろうとして。ダメだよ、ダメだ、認めちゃダメだ。

 

 

「……あれ、なんで」

 

 

 なんで、視界が滲んでいるんだろう。泣いちゃダメだ。

 なんで、立ち上がれなくなっているんだろう。許された気になっちゃダメだ。

 なんで、こんなにも、涙が出て、止まらないんだろう。あなただって、幸せを奪われたじゃん。

 なんであの人は、笑っていられたんだろう。なんでそんな簡単に、忘れろなんて言えるんだ。

 

 

「……顔、拭かなきゃ」

 

 

 誰にも、心配はかけたくないから。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

『それじゃあ行ってくるよ、琴音(ことね)』

 

『ええ。行ってらっしゃい、あなた』

 

 

 加賀琴音が、七尾琴音になってからそれなりの年月が過ぎた。

 以前の夫と一緒に住んでいた家は、今の経済状況で暮らすには少し狭く感じるようになって。

 嫌が応にも、自分が少し贅沢に慣れ、昔よりも幸せと言える状況になったことを自覚する。

 

 

『お母さん、行ってくるね~!』

 

『ええ、行ってらっしゃい』

 

 

 娘が小学生になって、幼稚園の送り迎えは必要無くなった。

 専業主婦として家のことを管理し、お金の工面の心配がなくなってからは、どれだけ家事をしても、どれだけ必要なことを探しても、暇な時間が少し増えたような気がする。

 

 

『……ふぅ』

 

 

 以前は正彦がやってくれていた家事も、体調が良くなってからは自分でやることにした。

 どれも大変で、どれも疲れて、どれだけ自分があの子に負担をかけていたかを改めて実感する。

 それがただの自己満足だとしても、罪には罰が必要なのだろう。

 被害者のためだけでなく、加害者のためにも。

 

 

『どの口が言えるのだか』

 

 

 洗い物を終えて、回覧板を受け取って、洗濯物を取り込んで。

 それだけでも随分と疲れてしまって、携帯でタイマーをセットして、ソファーの上に座り込む。

 もうすぐでこの家ともお別れになると知っていても、家事を欠かす気にはなれなかった。

 あの子が綺麗にしてくれた家を、私の怠慢で汚すなんてことは。

 

 

『私、随分と幸せになっちゃったわね、正彦』

 

 

 あの子も得るべきだった幸せを、自分だけが味わっている。

 その罪悪感は、喜ぶべきこの幸福を、ほんにの少しだけ邪魔していた。

 自分でも分かっている、息子ならば、そんなことは望まないはずだって。

 それでもどうにもならないのが、親というものなんだろう。

 

 

『バカみたい……って、あら?』

 

 

 ピンポン、という音が鳴って、家のインターホンが押されたことに気づいた。

 けれどもう回覧板は回ってきたし、宅配便も記憶している限りではない。

 カメラなんて上等はものは設置していないから、少し警戒しながら、扉越しに問いかける。

 

 

『どなたかしら?』

 

『……居た。あった。ほんとに』

 

『……あの?』

 

『朝宮、加奈って言います!突然、すいません!加賀、琴音さんですよね!?』

 

『……ええ、そうですけど』

 

 

 幼い少女の声だった、本来ならばあまり警戒しなくていいはずの相手だ。

 けれど、朝宮という苗字に、自然と私の思想が冷たく、冷酷になっていった。

 彼女こそが、息子を使って救われた、彼の娘だとすぐに気づいた。

 

 

『何か用かしら?朝宮加奈さん』

 

『えっと、あの!お話、聞きたいんです!知りたいんです!』

 

『話……?』

 

 

 奇妙な様子だったし、不気味に思えるほど上機嫌な声色だった。

 そもそも、彼女がこの家を訪ねる理由が、私には一切理解出来なかった。

 彼女は保護施設に入れられていると聞いたし、その施設はここから何駅かを隔てた街にあると言うのだから、おそらくは電車に乗ったか、あるいは誰かに車で送ってもらったか。

 

 

『加賀正彦のこと、教えてください!』

 

『……ごめんなさい。帰ってちょうだい』

 

『なんでですか?加賀正彦のこと、教えてください!』

 

『いい加減にしてちょうだい!』

 

 

 不愉快な気分になって、自分の息子を殺した要因の一つに声を荒げる。

 彼女がそれを知っているのかは分からないが、それでも死んだ息子のことを聞き出すなんて、それもその原因の一端がなんて、とてもではないがまともな対応を出来るはずが無かった。

 

 

『早く帰ってちょうだい!申し訳ないけれど、あなたに教えることなんて何も……!』

 

『俺、正彦なんだ!』

 

『……は?』

 

 

 耳を疑って、次に己の正気を疑って、最後に彼女の正気を疑った。

 冗談で言っているならばまだマシなのに、彼女の声色は、恐ろしいほどにかつての息子と同じ抑揚で、同じ口調で、私に語り掛けてきた。

 まるで、悪い夢を見ているようだったけれど、ふと一つの可能性が頭をよぎった。

 

 

『俺、神様にもう一回だけ機会を与えられたんだ!俺、滅茶苦茶皆のために頑張ったでしょ?だから、神様は今度こそ幸せになるためにって、俺をもう一回この世界に送り返してくれたんだ!だから、この街に母さんがいることも、ここが俺の家ってことも、覚えてたんだ!』

 

『……記憶転移』

 

 

 世間一般では生唾物の都市伝説でしかないし、科学的根拠は一切ない話だけれど。

 たとえ主観的だとしても、実例は確認されているし、可能性はゼロではない。

 そしてこの子は、私の息子から、最も大事な臓器を。

 心臓を、移植された存在であると、私は知っていた。

 

 

『……本当に、正彦なの?』

 

『うん、本当だよ!頑張ってここまで来たんだ!ようやく思い出せたからさ!だから、開けてよ!もう足がくたくたで、今でも倒れそうでさ!』

 

 

 固唾を飲んで、鍵を開けて、小さな期待と不安を胸に、ゆっくりと扉を開く。

 悪戯かもしれない、嫌がらせかもしれない、そんな可能性は確かに頭をよぎるけど。

 もし、もし本当なら、もし本当に神様が、息子にもう一度チャンスをくれたなら。

 

 

『ただいま、母さん!』

 

『……え』

 

 

 扉を開けて、その姿を確認して、絶句した。

 

 

『ずっと歩いてきたから、ちょっとだけ、疲れちゃった』

 

 

 靴はボロボロで、手に持っていた荷物は一冊の薄汚れたノートと、鉛筆だけだった。

 財布も持たず、食料も水も持たずに、靴底が剥がれかけて、殆ど引きずるような状態で。

 ニコニコと笑う顔には、額から流れているらしい血で濡れていて。

 

 

『けど、ようやく帰れた!』

 

 

 その眼には。

 深い、深い狂気が宿っていて。

 

 

『俺、私、帰ってきたよ!』

 

 

 そう無邪気に笑う彼女は、確かに正彦によく似ていて。

 けれど、決定的に、何処かあの子とはズレていて。

 

 

『……あなたは』

 

 

 そこには、幸せになれない、ただの薄汚れた女の子がいた。




ちょっと今回は読みづらいかも。
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