僕は今の今まで、あまり加奈を縛るようなことはしないようにと心に刻んで生きてきた。
例え彼女がどれだけ他の男(一部の女性からも邪な視線を貰っていた気はするが)からモテようと、少しムッとするようなコミュニケーションを取ろうと、出来うる限り心を落ち着かせ、加奈に“重い男”やら、“束縛してくる男”と思われないよう振舞ってきた。
『優斗君は理想の彼氏だね!』
そんな風に笑って僕のことを褒めてくれる彼女に、僕はいつも照れ笑いを浮かべていた。
好きな人の理想になることが、好きな人に好かれる一番の方法だと思っていた。
少しくらいの嫉妬や不満を抑え付けて、あの子に相応しい男になろうと、そう決めていた。
「あの、加奈さんが心配なら心配って素直に言えばいいのでは?すっごいドアをチラチラ見てるんですけど、傍から見れば不審者ですよ優斗さん」
「いやだって、数分帰ってこない程度でわざわざ見に行くの、重い男だって思われそうだし……」
「重い男かどうかは分かりませんけど、多分今の優斗さんはかなり優柔不断では?」
「ぐはっ……!」
「あとそんな風になかなか踏み込まずにいたから、加奈さんも恋人相手にあんな煮え切れない態度になってたのでは?」
「カハッ……!」
「こらこら、それくらいにしてあげなさい奏。優斗君が血を吐いて苦しんでいるからやめてあげなさい。男は皆、かっこつけたポーズの中にガラスのハートを搭載しているものなんだ。好きな子にはかっこつけたいけれど、実際は裏で息を荒げてるものなんだよ」
「男って割と面倒くさいんですか?」
「本当に申し訳ないけど君にだけは言われたくない……!」
加奈が許しているからなんだかんだで僕も強くは言えてないけど、告白断られて以降も諦めずがつがつ来るのは割と面倒くさい行動だと思うんだけどなぁ!
遊園地のデートに平然と付いてくるのは割とおかしいと思うし!
まあ誘ったのは加奈だし、それに何も言えなかった僕も僕だけど!
「何を言います、私程分かりやすい人間は早々いませんよ。好きになったら一直線、例え他人の手に渡っていたとしても、いつかそれが掌から零れ落ちる時を淡々と待ち受ける。それくらいしてこそ、恋に燃える乙女だと言えるのではないでしょうか!」
「乙女を名乗るには狩人過ぎない?」
「最近の乙女は強くあるのがトレンドです」
「諦めの悪さは私譲りだなぁ。ていうか奏、いいのかい?思春期の女子高生が、父親がいる前でそんな風に恋バナをしてしまって。お父さん興味津々だし骨の髄まで聞くつもりだけど。今更出ていけって言われても断固抵抗するけど」
「味方は多い方がいいでしょう。ほら、お父さんも私の恋を応援してください。目の前にいるこの男の子が可愛い娘の初恋の相手ですよ、ほらなんかサポートサポート」
「うちの娘、多分世界が終末を迎えてもたくましく生きていけるよ。防災用に是非貰ってやってくれ。今ならお値段無料、世界一可愛く綺麗な義母とそのハートを掴めた世界一幸運な義父がついてくる!」
「ねぇお父さん、娘の長所でまず紹介するのが生き汚さなのはどうかと思う」
「そもそも僕が好きなのは加奈なので……!」
ちょっと話して分かったけど、多分彼女の凄まじい行動力の高さは父親譲りだ。
なんというかこう、おとなしく見えるのにアグレッシブさが垣間見え……がっつり見える。
というか君は良くても僕は割と恥ずかしいので勘弁してほしい、味方を増やすな味方を。
「……ええと、そういえば二人がまだ帰ってこないな~!少し見てこようかな~!もしかしたら何か問題が起きてるかもしれないし、手伝いに行ってあげないと~!」
「ああ、気にしなくていいさ。何かあればこっちに助けを求めてくるだろうし。それに、なんだかあの子からは、妻に似た雰囲気を感じるからね。話が合うんだろう、きっと」
「ギリギリ侮辱になりませんかねそれ」
「おや。仲直りしたって聞いたけど、奏はまだお母さん嫌ってるのかい?」
「嫌いではないですけど。私の母親は世間一般的に見てそんなにいい人でないことも、本人もそれを自覚しているのも知っていますので。何より、加奈さんはあんな風な胡散臭い顔をする人じゃありませんよ。むしろ真っすぐすぎるくらいです」
「アハハ、なるほど。確かに、眩しいくらいに純粋で、一途な子だ。まあそういうわけだから、わざわざ席を立つ必要はないぞぉ優斗君。さあ、娘や若い子の甘酸っぱい恋バナに飢えている大人に恋愛相談してみたまえ……!」
「めっちゃ優しく笑ってる癖に微動だにせず捕まえに来るのやめませんか!?」
肩を掴まれてまったく動けない、僕だって一応体育系を自称していいはずなのだが。
というか力はそこまで込められてないはずなのに、何故か岩のように重い。
これは、五里羅さんとは方向性が違う、未知数な異質の力……!?
「あ、お父さん合気道やってたんですよね。何気にクソ強いですよ」
「昔初恋の人が、好みのタイプとして強い男性を挙げていてね……。そのために合気道部に入ったんだよ。ちなみに全国大会に行く頃にはその人は別の人と付き合ってた。なんで僕はあの時、相手から好きになってもらうことだけを期待して自分から告白しなかったのだろうね……」
「若干同情しちゃうようなことを言われても……!あと自衛用の武術をこういうことに悪用するのはどうかと思いますが!?」
「ハハハ、何のことやら。僕は肩を掴んでいるだけだよ、優斗君」
「クッソ絶対なんか技術の応用とかしてる……!」
今度合気道について調べよう、こういう時に反論できるように。
冷や汗をかきながらどうするかと悩んでいると、BSSさんは面白そうに笑って肩から手を離し、あいやすいません変なこと考えてないんで力強めず離してもらって……!
「フフッ、なんてね。君の場合、まだ終わった恋じゃないんだろ?なら、当事者以外が請われても無いのにどうこう言うじゃない。悪いね奏。自分の恋は、自分が成就させなさい。お父さんは美味しいワインを嗜みながら、その様子を眺めていよう」
「見物料取りますよこの野郎」
「なんにせよ。後悔だけはしちゃいけないよ。恋愛事もだけど、人生において後悔は一生、治すことはできないものだから。それが重なれば重なるほどに、人は自分を信じられなくなって。他人に肯定されなければ、自分の選択を信じられなくなる」
その言葉には、確かな実感と。先行く者としての、僕らに対する慈しみを感じられた。
変な人ではあるけれど、奏ちゃんの父親なだけあり、確かな芯は持っているようだ。
少なくとも、僕の母親のように……何もかもの迷っているような人ではないのだろう。
「ごめんなさい、遅くなっちゃったわね」
「遅かったですね。加奈さんと何か話してたんですか?」
「ええ。いろいろと。とっても良い子ね、加奈ちゃんは」
「なんかすっごい含みを感じて怖いのでもう一生近づかないでもらっていいですか?」
「あら、相変わらず偏見だけで動いて、本質は何も捉えられていないのね」
「二人は本当に仲直りしたんだよね……?」
「「そうだけど?」」
「優斗君、女の子って難しいね」
「その括りだと加奈も含まれてしまうので、そちらの女性陣だけに限定してください」
「孤立無援……!?」
勝手に仲間に入れないでほしい、今のところ得体が知れないのはあなたもですからね?
とはいえ、奏ちゃんの言う通り、含みがあって少し怖い、と言うのは確かにある。
心配しすぎるのもよくはないと知っているが、それでも……。
「優斗君。加奈ちゃん、少し荷物が多くて苦戦してるみたいなの。申し訳ないのだけれど、手伝いに行ってもらっていいかしら?」
「……!はい、勿論」
「客人にばっか働かせるのどうかと思うよお母さん」
「ごめんなさいね、昔から身体が弱くて……!」
「優斗さん、真に受けないでくださいね。貧弱ボディなのは本当ですけど、何もできないレベルで弱ってる姿は最近全然見ませんので」
「何も出来ないレベルで弱ってる時があるのは普通に心配にならない……?」
「その時は自分から家族のグループラインやらで助け求めたり、なんか知らない伝手を使ってお手伝いさん呼んでたりして対応してるので。それが無いってことはマジで連絡も出来ないくらい弱ってるか、サボってるかの二択なので気にしないでいいですよ」
「そ、そっか」
「本当にまずい時は、私もお父さんも分かるので」
ある意味では、これも家族の絆と言っていい、のだろうか?
何にせよ、加奈のところに向かう理由を作ってくれたのはありがたい。
「あら、忘れ物をしちゃダメよ」
「え?」
立ち上がった僕に差し出されたものを見て、少しだけ目を丸くする。
なんてことはない、ただのハンカチだ。
僕が普段使っている物よりは質が落ちるが。
「あ、ええと。好意は嬉しいんですが、ハンカチなら僕も持って……」
「いいからいいから。ほら、早く行ってあげなさい」
「は、はい」
その様子に少し不信感を覚えながらも、促されるままにドアを開ける。
奏ちゃんの言う通り、確かにどこか不気味なところもあるし、恐ろしくもあるが。
同時に、何処か、加奈の面影があるような、不思議な女性だった。
「……あのー、両親が二人揃って恋敵のアシストしてるのなんなんですかね?」
「だってあなた、応援しようが邪魔しようが、やること変わらないでしょ?」
「変えませんけど。それはそれとして、娘としては母親が恋を応援してくれない現状に大変不満が生じておりまーす。これは喧嘩か……?」
「はいはい。後でお出かけする時、さりげなく二人きりになるタイミング用意してあげるわよ。あなたも協力してちょうだいね?」
「えー?いいのかなぁ、淡い青春に口出しして……」
「「思い出より結果のが欲しくない?」」
「君たちやっぱ似たもの親子だよ」
◆◆◆
今僕は、人生最大の難所に立たされているのかもしれない。
加奈は僕なんかよりもずっと強い意思を持っていて、だからこそ心配になることもあった。
弱さを見せず、隙を見せず、誰に対しても強く優しい彼女は、恋人であったはずの僕と二人で居る時でさえ、甘えることも、弱音を吐くことも無く、気丈に振舞っていた。
「クッソ、拭いても拭いても止まらない。なんだよこれ、なんで……!」
加奈が、泣いていた。
ぽろぽろと流した涙を、必死にタオルで拭い、それでもまだ涙は溢れては拭って。
多分彼女でも訳が分からないくらい、何で泣いてるかもわからずに感情が溢れ出て。
「ああ、もう。俺の涙腺って、こんな弱かったっけ……!」
情けなかった。
一瞬、そこに姿を現すことを躊躇して、足が元来た道に向かおうとしたことが。
この期に及んでも、逃げ腰のまま、口だけの加奈の大事な人であろうとしたことが。
気遣いとか、思いやりとか、本当ならもっと素敵なはずの言葉で自分の弱さを覆い隠して、また今まで通りの関係であろうとした、そんな自分が、酷く情けなく思えて。
「加奈」
ビクッと、小さな肩が揺れて、顔を拭く手を静止させた。
普段の彼女なら、きっと今の自分を隠すために、色んな言葉を連ねただろう。
けれど、加奈は暫くの間口を開かず、息を荒げて、ようやく一言だけ吐き出した。
「一人にしといて」
拒絶にも似た言葉だったけれど、僕はそれを別の意味で解釈することにした。
額面通りに受け取って、そのまま逃げ去るのも、きっと間違いではないんだろう。
加奈の、ずっと憧れてきた幼馴染の奥底に触れず、立ち去るのも、正しいことのなのだろう。
「ごめん、それは、出来ないかな。今の加奈が心配だから、少しの間ここにいさせてほしい」
返事は無く、鼻を啜る音だけが響いて、彼女はそれ以上口を開かなかった。
普段陽気に喋る分、彼女の沈黙が痛くって、けれど自分からは口を開けずにいた。
何があったの?だとか。どうして泣いているの?だとか。
当たり前に聞くべきことを、けれど彼女は望んでいないようにも見えて。
「……別に。悲しいことや、痛いことがあったわけじゃ、無い」
その情けない沈黙が、一分程度か、あるいは一時間程度か、とにかく僕にとっては長く苦しい時間が過ぎた後に、彼女はずっと黙っている僕に対して、呆れたように口を開いてくれた。
突き放すような口調の言葉は、普段の加奈からは想像できないくらいにたどたどしくって。
けれど、僕は。今の彼女の言葉こそが、加奈の本当の言葉なんだろうと思った。
「ただ、あの人と話して。優しくされて。それが、なんだか、変な感じになっちゃっただけ。優斗君が心配することなんて、何も無いから。だから、戻っても、いいよ。私も、暫くしたら、顔を洗って、戻るから。もう、どっか行って」
『分かった、ごめんね。また、落ち着いたら戻ってきて』
『それじゃあ、ハンカチだけ置いて行くね。大丈夫、誰にも言わないから』
『心配だけど、加奈の意思を尊重するよ。また後でね、加奈』
沢山の言葉が出てきた、沢山の言い訳が浮かんだ、沢山の逃げ道が浮き上がった。
それら全部を押し退けて、今までずっと奥底に沈ませていたそれを、無理やり引っ張り上げる。
僕はそれをひけらかす人は嫌いだ、あの日の母さんのように、醜く見えてしまうから。
僕はそれを隠すのが一番楽だと今でも思う、その方が誰かに嫌われなくて済むから。
『加奈は今誰とも喋りたくなんだよ、放っておいてあげなよ』
『恋愛指南書にも書いてたよ。一人だけの時間も大事だって。今がその時じゃないの?』
『しつこい男は嫌われるよ。やめときなよ、加奈に嫌われたら、生きていけるの?』
頭の中の過去の僕たちが、臆面無しにそれを勧めて、その場をしのげと囁きかける。
それは、きっと最高でなかったとしても、最悪な選択肢にはならないはずだ。
いつかそれと向き合える日まで、時間を置けばいいだけの話だろうから。
『どっか行けって、伝わらなかったの?』
『……余計なお世話だ、どっか行ってよ』
『ほっといてよ。もういいんだ』
『僕が何をしようが、僕の勝手だろ!』
少しだけ、笑ってしまった。
しつこい男は嫌われるだとか、放っておいてあげなよとか、どの口がほざいてる。
しつこい女の子に救われたのは、どこのクソガキだったかな。
「やだね。ずっと傍にいるし、心配も滅茶苦茶する。戻らないし、どっかにも行かない」
「……触れてほしくないの、分からない?」
「分かるけど?」
「じゃあなんで、行ってくれないの」
「君が泣いている時に、支えてあげたいと思ったから。気持ち悪いのは百も承知だし、嫌われるのも覚悟の上で。そんな雑な言葉じゃ、僕はまだ君の答えに満足できないな。ちゃんと話してくれるまで、梃子でも動いてあげないよ」
今の僕は、ものすごく強引で、ものすごくテンションが高い、お節介焼きだ。
好きな子のことを知りたくて、好きな子の涙を拭ってあげたくて、そんなちっぽけな野望のためだけに居座る、勇気も無い、リーダーシップも無い、ただその子が好きなだけの馬鹿野郎だ。
「例えどれだけ君が僕を鬱陶しく思っても、これだけはもう曲げないって決めたんだ。怖くて、逃げるような弱い生き方はしないって。もう退かないし、媚びないし、省みない。何でもは出来ないけど、それでも僕は君の傍にいたいから」
だから、まくし立てるとしよう。
一切の拒絶の隙を与えずに、心の隙間にズカズカと踏み込んで、手を伸ばして。
一歩間違えれば嫌われておしまいな、そんなバカげた振る舞いを貫こう。
「なにせ僕は。君の参謀、十六夜優斗だからね!」
あの日、僕をドッジボールに誘ってくれた君の言葉を。
今日は、君を笑顔にするための言葉として吐き出そう。
ちょっと設定ミスがあったので修正……!