「……よかった、ですか?」
「……え、あ、いやちが……!?」
彼女は本当に、思わず、咄嗟に。その言葉が出てしまったようだった。
どうにか言い訳の言葉を探しているように見えて、その様子に少し困惑する。
彼女が言った言葉は、これまでの彼女の印象と、加害者の血縁の言葉としては……。
あまりにも、不適切で。無責任な言葉にしか聞こえなかったのに。
「……ちょっと、びっくりしましたね。まさか、そんな言葉が出るとは?」
「いやそのちがくて。ほんとに、バカにするような意図は……!」
「大丈夫ですよ。落ち着いてください」
……こんなことを言っている私の顔は、果たして落ち着いているのだろうか?
彼女から見た私がどう映っているか、自分でもわからない。
ただ、少なくとも。どんなつもりで言ったか、どんな意図かは別として。
彼女はきっと心の底から、その言葉が浮かんだのだろう、というのは理解した。
「加奈さんが悪い人だとは、思ったことは無いですから。少し、驚いただけです」
「ご、ごめんね?ほんと、これっぽっちも悪意なんて無くてぇ……!」
「ふふっ、大丈夫。大丈夫ですよ。ただ……」
思えば、前々から不思議な人ではあった。
何故か初対面であったはずの私に、あそこまで肩入れすることも。
挙句の果てに、自分の恋人であるはずの彼を自ら手放そうとしたのも。
衝動的な面、理解不能な面が見え隠れする人ではあった。
「よければ、どうしてそう思ったのか。聞いてみてもいいですか?」
「……えーと、その」
「大丈夫です。落ち着いて、ゆっくりと。私に聞かせてくれませんか?」
焦りながら、言葉を必死に絞り出そうとする彼女を観察しながら、考える。
あの日、彼に対して行なった無謀な告白は、自分なりに本気ではあった。
同時にその恋人である彼女に近づくための手段として彼に近づいた、と言うのも事実だ。
調べがついて、『ああ、これは無理だな』とやぶれかぶれになったのもあるが。
「その、ほんとに、自分でもなんでそんな言葉が出たかも分からなくて。もしかしたら私、眠すぎて頭がバカになっちゃってたのかなぁ、なんて……あ、あはは」
「……フフッ、なるほど。それなら、説明しようがないですね」
あの性格の彼があそこまで肩入れして、愛する女性であり、兄を殺した男の娘。
自分にとって強い因縁がある相手でもあるが、今の今まで、彼女本人の人間性に関しては、そこまで深く踏み込もうとは思っていなかった。
初対面は強烈だったが、何処か混乱している様子だったし、気の迷いだろうと判断していた。
朝宮加奈本来の人間性は、あの後初めてまともに会話をした時に改めて推し量った。
『噂通りの善人。誰にでも好かれる、少し間の抜けているお節介焼き』
いい人でもあるけれど、同時につまらない人でもあった。
珍しいと言えば珍しいが、そういう人だって世の中には居たりもする。
悪人なんて存在しない、バカなことを言う程性善説を信じてもいないが、人間全員が悪人である、などと性悪説を信じる程に振り切れるような考えも持ってはいない。
ごく一般的で、ありふれた、少し変わった良い人。そういう人は、何度か見てきた。
けれど。
「ねぇ、加奈さん」
「な、なに?」
「私。加奈さんのこと、もっと深く知りたくなっちゃいました」
「え、なんで!?」
川を跨ぐ小さな橋の上で、彼女と向かい合った。
冬に差し掛かった秋の夜は、少し冷えるけれど。
私はどうにも、彼女から感じる異質な何かの正体を見破りたくなった。
だから。私は、彼女の善意を利用することにした。
「交換っこしませんか?私の秘密、一つだけ教えてあげますから。あなたの秘密、一つだけ教えてください。もし気に入らなければ、私の秘密を聞いて終わり、でもいいですけど」
「ど、どうしたの急に!?やっぱ怒ってる!?」
「怒ってないですよ。だって、ほら」
私は、生まれる前に兄に命を救われたらしい。
母は、私に兄のような立派な人間に育ってほしいと願っているらしい。
兄は、一度だって、誰かを助けることに文句を一つも言わなかったらしい。
『お兄ちゃんはね。とっても凄い人だったのよ』
だから、どうか兄を尊敬してほしいと。
だから、どうか兄の忘れ形見として立派に生きてほしいと。
兄を知る多くの人々は、私を前にして、口々にそう言って。
「私、兄のこと。大嫌いなんです」
「え」
知るかバーカ。
会った事も無いんですよ、そんな奴のことなんて。
「ええ~……そうなの?その、この前、尊敬してるとか、ヒーローだとか。そういうこと言ってたけど……あれ、嘘だったり?」
「いえ?兄のことは尊敬してますし、私の命を救ってくれたことに関しては。間違いなくヒーローであると認めてますけど。私、兄の顔も見た事が無いんです。兄の声を聴いたことも無いんです。兄がどれだけ大きくて、兄と手をつないだことも無いんです」
私には兄がいたらしい。
らしい、だけだ。会った事も無い。話をしたことも無い。
遠い親戚よりも縁が薄いし、どれだけ凄さを語られようと私には何の得も無い。
「それなのに。兄を知る人達は、口々に言うんです。『あなたのお兄さんは立派な人だったのよ』『優しい人だったんだよ』『努力を惜しまない人だった』『誰にでも助けを差し伸べてくれる人だった』『病弱な母をずっと助けてた』」
よくもまあ口々に、飽きもせずに毎日毎日居ない人のことをぺらぺらと。
最初は憧れ、次に飽き、そのまた次に憂鬱で、やがてその感情は苛立ちに。
あーしろこーしろ、比べられる相手は隣の家の子供じゃなくて、顔も知らない自分の兄で。
よそはよそでうちはうち。どこにでもある常套句の方がまだ救われていたのかもしれない。
引き合いに出されるのは何時も、超えようがないし覚えてもいない、死んだ兄の背中だった。
「ノイローゼになりそうでした。死んだ兄をどう参考にしろって?死んだ兄をどう敬えって?私、兄の顔を一度も見た事が無いんです。写真で見た顔はいつもいつも、気色悪いくらいに笑顔ばっかりで。それ以外の顔は何も無し」
誰もそれを疑問に思わなかったんだろうか?
思わないはずがない、思っていて、その上で。
そういうものだって目を逸らしてたんだろう。
そっちの方が都合がよかったから、皆が皆そうしたんだろう。
「まるで。都合のいい召使いみたいじゃないですか?」
奴隷と言わなかったのは、それでも恩を感じているからかもしれない。
自分がこうして生まれてきたのは、あの人を助けてくれた兄のおかげだから。
それでも、私はどうしても、彼らの言う“優しい兄”を好きになることは出来なかった。
「だから。私は兄が嫌いです。『そうできた』っていう前例を作った兄が嫌いです。私がひねくれているだけかもしれないけれど。私を召使いにするための免罪符を作ってしまったあの人のことが、今を生き抜く上で虫唾が走る程邪魔だったから」
その結論に辿り着くまで、十年以上かかってしまったけれど。
ある日それに気づいてからは、すぐに家を離れる計画を立てて、それを実行した。
おかげで今は、好きなことをやって、好きなように生きられている、気がする。
……ところで、さっきから聞こえてくる鼻を啜る音はなんだろうか……?
「これが、私の秘密です。加奈さんは……あの、どうしました?」
「ごめん。ちょっと目にゴミがね。うん、入ってね?泣いてないよ。いやほんとほんと。もしかしたら雨が降ってきたのかもしれない。あれーおかしいな、なんでだろう、今日は随分と目が乾くなー?」
「いや割と大号泣してませんかね!?嗚咽の声が一切隠せていないのですけれど!すいません、今の話そんな泣くほどでしたかね!?私としてはこう、恥ずかしい思春期のあれこれを話しただけのつもりだったんですけど……!」
「大丈夫大丈夫。ショックとか全然受けてない。ただ何故か無性に自分を殴りつけたいだけだから。やばいどうしよう死にたくなってきた。腹を斬るので介錯をお願いしてもいい?今から刀買ってくるから……」
「現代日本に刀を売る店はありませんよ加奈さん!?ほんとに落ち着いてください!」
どうしよう、加奈さんがバグった。
涙腺がぶっ壊れてしまったみたいに大量の涙がドバドバ流れている。
いやほんとに何がどう刺さったのだろう、理由を考えても全然思い当たらない。
そりゃあ多少同情されるか、嫌悪されるかくらいのリアクションは覚悟してたが。
「なんで無関係の加奈さんがそこまで取り乱してるんですか!?」
「ハハハいやなんでだろうねほんと!他人のはずなのにね!なのになんでか涙が出るんだぁなんでだろう!畜生あの頃の俺を殴りたい。ちょっと待ってて、今から君の兄のことを殴りに行くからね。唸れ俺のハンマーヘッド」
「ちょ、気をしっかりもってください!なんで突然橋に頭を打ち付けてるんですか!?いやほんと怪我するので落ち着いてください!?落ち着い、落ち……落ち着けぇ!」
「痛っイイ!?なんと見事なアームロック!?それ以上はいけない……!」
面倒くさくなったので関節技を決めることにした。
何故か我が家に豊富に置いてあった格闘技の本が役に立った。
いやほんとなんで置いてあったんだろう……?
それからしばらく、錯乱する加奈さんと格闘した後。
「ご迷惑を、おかけしました……!」
「落ち着いたようで、何よりです……!」
お互いに肩で息を吐きながら、土下座している加奈さんを疲れた目で見下ろす。
本来の予定では、『こんなことを話してくれるなんて……!分かったよ奏ちゃん、私も秘密にしていることを一つだけ話すね!』みたいな展開を期待していたのだが。
おかしいな、もしかしてこの人、私の数倍は変人なのではなかろうか?
「この件に関する謝罪は後日必ず……!な、何か食べたい物とかある……?こう見えて料理とかは得意だから、幾らでも作ってあげるよ奏ちゃん……!」
「……あはは、いいですね?それじゃあ、お寿司でお願いします」
「素材の良さが命になる料理……!?」
「いくら多めで」
「しかも高級食材!?くっ、さらばお小遣い。最高のお寿司を作ってあげるね……!」
多分いきなりあんな話を始める私も悪いけれど、すっごく疲れさせた仕返しだ。
お詫びをすると言うのなら、そりゃあもう思う存分堪能させていただこう。
ちなみに実際にいくらを食べたことは無い、だって量少ないのにやたら高いし。
寿司ネタで一番よく食べるのはたまごだ。百円皿は安くて美味しい。
「言っておいてなんですけど、お寿司握れるんですか?」
「うん。バイトしてた寿司屋で習ったよ。ネタが高いからあんまり食べはしないけど」
「バイトに教えるもんなんですか?握り方とか……」
「え、そういうもんじゃないの?私、一か月目で親方さんに『握ってみるか?』って言われたけど」
「……そういうもんなんですかね」
なんか違う気はするけれど、まあいいや。疲れたし考えるのはやめよう。
この一日で学んだことは、彼女が思ったよりも変人で、予想出来ないということだ。
退屈はしなさそうだが、彼女自身の考えなどはあんまり読み取れそうにない。
もしかしたら考えるだけ無駄なのかもしれないが。
「今日はもうそろそろ家に帰りますかね。色々あって疲れました」
「ほんと、ほんとにごめんね……?けど、楽しかったから、また遊んでほしいな!」
「……加奈さんって、友達多そうですね」
「そんなには居ないよ?他校の生徒とはかかわりないし」
「……自分の学校の生徒とはかかわりがある、と取っていいのでしょうか?」
「え、うん。そんなものじゃないの?」
「多分、普通の人は多くてもクラス中とか、そんな範囲だと思います」
「えー?コツさえ掴めば、すぐだと思うんだけど」
「コツって……」
自分とは正反対の人間だ。これまで以上にそう思う。
私は人を見るのが好きだけど、人と必要以上に関わるのは疲れると思ってしまう。
彼女は人を見るのが少し不得意なようだが、人と関わるのを楽しいと思える人間だ。
私も行動力はある方だと思っているが、彼女はきっとその何倍も動き回るし。
私が誰かと仲良くなろうと色々考えている横で、彼女はさっさと声をかける。
「羨ましいですね。色々と」
「んえ?……ハッ、まさか優斗君のことで……!?」
「いえ、まあ、それも含みますけど」
彼女は多分、そこまで自分を客観視できるタイプではないのだろう。
自分にできること、自分が思っていること、自分の世界を現実に当てはめる。
普通ならばそんな人間は大なり小なり嫌われるものだが、彼女の世界は花畑のようにお気楽で、居心地がよくて、自然と受け入れてしまうような、そんな世界なのだろう。
だから好かれるのだろうと、そう判断して、溜息を吐く。
「優斗さんが、加奈さんのことを好きになった理由。なんとなく分かるなって」
「理由?幼馴染だから、じゃないの?」
「そんな理由で恋人になれるんなら、恋愛物なんて流行りませんよ。幼い頃からずっと一緒にいるってことは、それ相応の理由があるのでしょう」
幼馴染なんてものは、定義が非常に曖昧で、さして重要でもない関係性だ。
何なら幼稚園で一緒だった人間全員、関係性としては幼馴染に当たるだろうし。
だから彼が加奈さんにぞっこんなのも、彼にとってそうするメリットがあるからで。
「あなたの傍は。きっと、居心地がいいんだと思います」
「……フフッ、なんか、褒められた気分だね?」
「褒めてますよ。少しせわしない日々になりそうですけど」
結局、当初の目的であった、兄に関する手がかりは殆ど見つけられなかったが。
それでも、日々を彩る些細な娯楽を、遊園地やら友達との語らいなどは出来た。
間違いなく、有意義で、楽しい一日ではあったのだろう。
けれど疲れたのも事実だし、ひとまず家に帰るため、念の為ポケットの……。
ポケットの、寮の鍵を……?
「……加奈さん。ちょっと、さっきのとは別にお願いがあるんですけど」
「うん?どしたの?」
「近くに、その。キーホルダーがついてる寮の鍵、落ちてません?多分なんですけど……さっきのあれこれで、ポケットに入れてた鍵を、落としちゃったみたいで。あれを無くすと私、反省文を山ほど書かなくちゃいけなくてですね……?」
「えっ」
嫌な汗がぶわっと噴き出る。最悪な想像が頭をよぎる。
彼女もそれが頭をよぎったのか、すぐに辺りを見渡してくれて。
そして私たちは、最悪ではないが、その一歩直前の状態を目にすることになった。
「……ぎ、ギリッギリの場所にあるぅ……!」
「どんな偶然ですか……!」
「奏ちゃん、慎重に……!慎重に取ってね……!」
「わ、分かってます……!」
鍵につけてたキーホルダーが重しとなって、ギリギリ落ちてはいないものの。
私の部屋の鍵は、川に落ちる三秒前くらいの状態で落ちていた。
もし誤って鍵を川に落としてしまえば、取り戻すのは不可能だろう。
明かりが碌に無い中で、それもこの寒空の冷たい川の中で鍵を探すなど無謀でしかない。
「慎重に、慎重に……!」
「分かってますって……!よし、取れ……!あっ」
「あっ」
「「ああああああああああ!?」」
指先に触れ、掴もうと思った鍵が、突風で少し揺れ動いて重心がずれ。
そのまま、腕を伸ばすも間に合うはずなく、真っ逆さまに勢いの強い川へと落ちていく。
……さて、終わったな。反省文は何枚書く羽目になるんだろう。
溜息を吐いて、諦めた顔で「すいません、お騒がせして」と彼女に声をかけようとして。
「ごめん、これ持ってて」
「へ?」
投げ渡された衣類に、思わず目を丸くした。
……待て、この人は、何を考えているんだろうか?
人がいないとはいえ、いきなり服を脱ぎだして、私に投げ渡して。
いやまさか、そんなわけはないだろうけど。
「あの、加奈さん」
「うん?どうしたの?」
「いきなり服を脱いだら、風邪ひきますよ……?」
「あ、うん。けどほら、衣類が濡れたら余計寒くなるって言うじゃん?」
笑顔がひくつく。
この女は、何を言ってるんだ?
「そうだ。さっき、秘密がどうこう言ってたよね?」
碧海君が言っていた、彼女の嘘みたいな武勇伝。
私はそれを、彼の姉に対する憧れによって盛られた話だと思い込んでいた。
現実的に考えて、そんな無茶をする奴なんているはず無いと思っていた。
後日、彼に謝罪をしなければならないかもしれない。
「秘密を話してくれた奏ちゃんの為に、私もとっておきの秘密をひとつ、教えてしんぜよう」
「なにを……」
「人と繋がるにはね。コツがあるんだよ」
彼女は軽快に、橋の手すりの上に立ち。
小さな電灯の明かりが、彼女の瞳の色を反射して。
「『いい人でいればいいんだよ』」
「ちょっと、待っ──!」
彼女の声が、知らないはずの誰かの声と重なった。
咄嗟に伸ばした手を、彼女はいとも簡単に振り切って。
彼女は、川の中へと飛び込んだ。
「──バカですか、あなたは!!」
私の人生の中で、一番大きな声が出た。
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小説情報見る度に狂喜乱舞しております……!!