Sword Art・Online 《Strange Dramas》 【完結】 作:与祢矢 慧
期末考査も終わり、この小説も終わりです。(といっても後一話ほど予定してますが)
ちょうど初めて一年ぐらいですかね。
長いようで短かったです。
風を感じる。
目を開くと、美しい黄昏が広がっている。
気づけば、俺は不思議な場所に立っていた。
足元は透き通った水晶のような物だ。その下には赤く燃えるような雲が悠然と流れている。自分の体も同じように透き通っている。
……ここはどこだ。確かに、SAOはクリアされたはずだ。ならば次に見える光景は、おそらく病院の一室のはずだ。しかし、ここは……?
右の人差し指と中指を揃えて軽く振る。聞き慣れた音と共に、ウィンドウが現れた。だがその表示だけはいつもと違ってメニュー一覧がない。代わりに、《最終フェイズ実行中 現在60%完了》と表示されている。
風に混じって、かすかな轟音が聞こえる。誘われて下を見ると、《浮遊城アインクラッド》が、眼下にあった。現実では資料か何かでその外見を見たことはあった。だがこうして実物を見ると、その存在感に息を呑んだ。
鋼鉄の城は、崩壊しつつあった。
……二年間、あそこで戦ってきた。そう思うと、消え行く戦場に寂しさを覚える。
「君でもそう感じることがあるのか」
不意に背後から、懐かしい声が聞こえた。
振り向けば、約二年ぶりの『友』が、穏やかに微笑って佇んでいた。
「久しぶり、とでも言うべきかね、ミズキ君」
「……その名で呼ぶなら、そうなんだろ。晶彦さん」
最後に見た彼の姿の記憶と違わず、白衣を纏っている。紅鎧も十字盾も、俺の剣もこの場にはなかった。線の細い顔立ち、変わらない金属的な眼。茅場晶彦としての姿は、俺と同じように透き通っていた。
彼には聞きたいことが多くあった。デスゲームを始めた理由、俺に何も言わなかった理由。だが、今となってはすべてがどうでもいいことに成り果てている。
今聞きたいことは、さっきの彼の言ったことだ。
「そう感じる、とは?」
「寂しさ、かな。君の背中が語っていたよ」
「それだけで解るのか?」
「愚問だな。君とは長い付き合いだ」
苦笑交じりにさも当たり前のように彼は言う。
それに、と続けた。
「以前と比べて、君は随分と感情が出るようになった」
「……そう、か」
実感はなかった。ただ、ヨシナ達との生活が、俺を少し変えたのかもしれない。
俺に比べ、彼は何も変わっていなかった。外見も、内面も、俺との接し方も。
知らないはずはない。俺が人殺しだということを。
「……何人殺したか覚えているかい、ミズキ君?」
俺の隣に並び、浮遊城を眺めながら言った。その質問と俺の思考のタイミングに少々驚く。
思わず彼を見るがその表情は変わらず、穏やかだ。
同じように浮遊城を眺めると、先程とは違って色々なことを思い出す。
「覚えてないな。俺はSAO以前から、この手を血で染めていた」
思い出すのは、数えきれないほど見てきたプレイヤーがログアウトする光景ばかりだ。そしてさらに昔の記憶、色あせた世界と、鏡に写った赤一色の俺の姿。
やっぱり……自ら変わったことは、何一つ無い。
自分の手のひら見つめ、固く握りしめる。
「……三千九百六十五人」
小さい、だがはっきり聞こえる声で隣の友は呟いた。
「……SAOで死んだプレイヤーの数だ。……つまり、世間的には私が殺した数になる」
「そいつらは――」
「弱かったから、死んだ……かね? 確かにそうだろうが、世間はそう思わない。なぜなら彼らは明確な悪役を作り上げることでしか、安定を保てないからだ。……愚鈍だと思わないか?」
その問いの答えを、声にする必要はなかった。互いの眼を合わせるだけで意志が伝わった。
俺は散々そんな愚鈍な人間たちを見てきたし、排してきた。
だが彼はどうだったのか?
決められた道筋を辿るしかなかった彼は、どんな思いを抱き、諦めてきたのか。
今でこそ、こうして同じ風景を見ている。しかしここまでの道のりは全く違うものだった。
鋼鉄の城の半分以上が崩壊していた。無言でそれを見つめる彼は、何を思っているのか。
「私はね、ミズキ君。結局は『茅場晶彦』以上の存在にはなれないんだよ」
再び開いた彼の口からは、やはり俺の聞きたいことが出てくる。
「君も解っているはずだ。この世界が、ソードアート・オンラインという
「まぁ、な」
「『キャラ』である時点で、私に未来は無かった。予想通り、私は《ナーヴギア》を開発し、《ソードアート・オンライン》を創りあげた。しかし、それらを私に創らさせたのは空に浮かぶ鉄の城という空想ではなかった。『
口調は変わっていないが、込められた感情は十分すぎるほど感じられた。
彼は、拳を握りしめている。
「私は、君が羨ましかった。華々しい
今度はゆっくりと、何かを思い出すような口調だった。
拳の力を抜き、天を仰ぐ。彼の眼差しはVRを超え、リアルを超えたその先を見ている。
……俺には『その先にある何か』が解らない。
すでにアインクラッドも、ついに辿り着かなかった先端を残すのみとなっていた。そこには見事な真紅の宮殿がある。ゲームが進んでいれば、俺はあの宮殿でヒースクリフと剣を交えただろうか。……いや、それは俺の役割でない。
赤い空を背景にしてもひときわ紅い宮殿は、百層が崩れ落ちてもしばらくそこにあり続けた。それはまるで、別れを惜しむ俺達の心情を表しているように思えた。
やがて時間とともに、真紅の宮殿は分解していき、雲間に消え去った。
「――もうこの世界は終わりだ」
ぽつりと発せられた言葉に、俺は友を見上げた。彼は寂しげな表情で、こちらに右手を差し出した。迷わず俺はその手を取った。
俺達は視線をぶつけ合った。
「また、いつか会える時が来る」
「もちろん……その時は」
「「友として、語り合おう」」
風が吹き、かき消されるように――微笑みながら去っていった。
行き場を失った右手で、目元をぬぐった。僅かに水滴が付いている。しばしの間、その場に立ち尽くした。
俺は足場の端まで歩き、振り向いて世界を見渡した。
「……二年間、悪くなかった」
呟くと同時に――後ろに飛び降りた。
耳を叩くようなロングコートがはためく音も、風を切る音も煩わしくない。強烈な浮遊感が心地いい。
体を反転させ、大地の姿を目に焼き付ける。
風の音が、遠ざかっていく
徐々に意識が薄まり、視界がぼやけてくる。
――さようなら。
この世界には永久の、友にはしばしの別れを口ずさむ。
そして、俺の意識は霧散していった。
口が何かを吸い込んだ。
慣れない感覚に驚き、すぐに吐き出そうとする。しかし異物はなかった。代わりに、匂いを含んでいた。
匂いだけじゃない。感触や湿気もある。
……おかしい。呼吸が必要になっている。アインクラッドでは、呼吸は必要なかった。
つまり、アインクラッドでは――ない。
認識すると俺の意識は覚醒した。
起き上がろうとして……力なく倒れた。おもしろいほどに力が入らない。全身に重石を乗せられた気分だ。
ゆっくり目を開ける。最初に、薄暗い白色の天井があった。ゲームクリアされた時刻は……確か午後三時頃。いくら十一月でも、暗すぎる。
首を動かして周りを見ると、窓と思われる場所は厚いカーテンが引いてあった。
どうにか力を振り絞って右腕を掲げる。ふるふると頼りなく震えている。
――これじゃ、鍛え直しだな。
あまりにも細すぎる腕を見て、内心ため息を吐く。万全の状態に戻すまで長くなりそうだ。
「長い旅は終わりましたかな、
なんの予兆もなく、その声はベッドの足側の向こうから発せられた。
同時に、カチッと《
俺は現実を認識した。
声の発生源は、懐かしい顔だった。
二メートルにも迫る長身をピシリとした執事服で包み、しかしそれは彼の屈強な肉体を隠せていない。白髪交じりの黒髪はオールバックで整えられ、左の
俺は彼の名を呟いた。
「……
「おやおや、随分とひ弱になられましたな。しかし……」
まるで我が子を見るような眼だ。
彼は俺の横まで来て、俺の頭を覆っているナーヴギアを外して言った。
「なにやら一皮向けたようで、顔つきが鋭くなりました」
その言葉が、心に浸透していった。そして俺の『核』を刺激した。
あの世界での出来事が俺に変化を与えたのか? ……違う。ついさっきそう認めたじゃないか。
まだ、俺にはやり残したことがある。俺が俺であるための、大切なことが。
「戸隠。俺の旅は、まだ終わらないらしい」
「……ほう?」
そう、まだ終わっていないのだ。
鋼鉄の巨城にある、アイツの墓標に報告するまでは。
そして、友とまた語り合うまでは。
「目覚めて早々だが……頼めるか?」
「なんなりと。私の主は貴方なのですから」
彼は胸に手を添え、軽く頭を下げた。二年前までは見慣れた、この時久しぶりに見たその仕草は、俺の愛剣のように頼もしく感じられた。
弱々しい手のひらを、力強く握りしめる。
――いつかこの手で、奴を殺す。
――いつかこの手で、彼女を抱きしめる。
俺はまだ、立ち止まるわけにはいかない。
この世界の
たとえ絶対的不可能な壁が立ちはだかったとしても。
『常に冷静で利己的になれ』
『邪魔をするなら、容赦はしない』
それが、交わした約束。
俺は、俺のために、再び歩み始める。
誤字、質問、アドバイス、感想等あればよろしくお願いします。