サムの搭乗者は殺されたはずのホタルだった。
ハウンド家が追っていた密航者にして、この夢の地を訪れた四人目の星核ハンターの思いがけない正体に穹は戸惑いを隠せない。
「もう一度君に同行できて本当に嬉しい。見ての通り、あたしのもう一つの名前は『星核ハンター』サムなんだ」
「えっと……生きてたのか?」
「ごめんね、あまり驚かせてないといいんだけど」
正直、かなり驚いている。
あの重厚な鎧の中に少女が入っていることすら想像していなかったし、口調も紳士的で声も男性のものだった。特に、あの攻撃の手を決してやめない苛烈さは今の彼女からは想像しづらい。
何より、彼女が本当に生きているとは思ってもいなかった。
「あたしたちが知らない夢境で『死』に遭遇したことは覚えてる?あのとき、あたしはミームに捕まって……あれがあたしを殺そうとした瞬間、その恐ろしい瞳の中に『もう一つの夢境』の影を見たの」
そこから彼女は、通常の方法ではいけない夢境が存在すると推測しその方法を伝えるために銀狼に頼んであの夢の中のホテルに誘い込んだ。
しかし、それを伝える前に彼女は「死」に殺され、穹に説明する時間もなく「美しい夢」とは違う場所に辿り着いたそうだ。
夢境の下のさらに下に隠された原始的で混沌とした記憶域——流刑の地が存在していた。
「そこであたしは夢境のホテルに戻って、その存在を伝えようとした。でも、まだ正体を明かすわけにはいかなかったから、どうにかして君を戦場から連れ出そうとしたの」
あの戦いで、サムがほとんど穹に攻撃を与えなかったのはそれが理由だったのか。
しかし、彼女の試みは全て失敗に終わった。
「でもついさっきの血みたいな赤い斬撃が夢の高い塀を切り裂いて君たちをこの深い夢境に落としたことで、やっと君や仲間たちを目覚めさせることができたんだ」
どうやら他の列車の仲間たちも無事のようだ。
彼女の正体、思惑、そして計画はすべて理解できた。
しかし、まだ納得していないことが一つだけある。
それは————
「なんでホタルは俺と悠仁を離れさせたんだ?」
彼女は星穹列車に敵意や悪意を持ったわけではないのだ。
だからこそ、彼と悠仁を引き離した動機がわからない。
どうやって行ったのかも気にはなるが、ここは夢の中。現実ではあり得ないことも起こるのは不思議ではないのだ。
そしてサムとして相対した際、彼女は悠仁を挑発するような言葉を放っていた。
あまり人の感情の機微に敏感ではない穹ですら気づいている。
彼女は悠仁にあまり良い感情を抱いていないことを。
「…………あたしは虎杖悠仁を信用しきれない」
「それは、どうして」
彼女が悠仁と話したのは「死」に遭遇する前のほんの数分間だけ。
それ以外で二人の仲が険悪になるような出来事はなかったはずだ。
「君は知ってるの?彼が『呪いの王』、『両面宿儺』なんて称号をつけられた理由が」
「でもそれは自分の名前じゃないって」
「けれど、その理由について彼は何にも言ってないんじゃないかな。自分の過去も、何があったのかも、何をしてきたのかも」
それに関しては彼女の言う通りだ。
悠仁は今まで自分の話をほとんど、いやまったくと言っていいほどしたことはない。
列車の中で暇な時に何気なく聞いてみたりしているが、彼は曖昧にしか答えてくれたことはなく、その話はいつも朧げであった。
しかし、だからといって……
「誰にだって話したくない過去はあると思うし、俺も他の列車のみんなの過去だってほとんど知らない」
記憶喪失になる前のなのかのことも、前世で罪を犯した丹恒のことも、列車を修復した姫子のことも、悠仁と同郷であること以外ほとんど情報がないヴェルトのことも、正体不明のパムのことも彼は何にも知らない。
「それでも、俺はみんなを信じてる。大事なのは過去じゃなくて
全てを知る必要はない。
人は誰しもが秘密を抱えながら生きている。
その秘密が仮に途方もない闇や罪だったとしても明け透けにするべきではないのだ。
「それに、俺はホタルの正体は知らなかったけど、あの時からホタルのことは信じてただろ?」
「そう、だよね。……君ならそう言うって信じてた。もちろん、君の言ってることは間違いじゃない。じゃあ……もし彼が何十、何百の人の命を奪ったことがあるって聞いても同じように信じられる?」
……いま、彼女はなんと言った?
「悠仁が、人を殺したってことか?」
いや、あり得ないことではないだろう。
彼はヒーローではなく呪術師だ。
呪いで人々を守る存在がいるのなら、当然呪いで人々を害する存在もいたに違いない。
その中にはどう足掻いても救いようのない人間もいたはずだ。
何百年を過ごしている悠仁なら、戦いの末に人を殺めてしまったことがあっても不思議ではない。
「でもそれは……仕方のない状況だったからなんじゃないか?それを言ったらホタルだって……」
「確かに、あたしも星核ハンターとして多くの命を奪ってきた自覚はある。けど……少なくとも、あんな風に人の命を弄んだことはない……!」
「……弄んだ?」
あり得ない。
それは絶対にあり得ない。
ここまでの旅で彼の過去はともかく、その人柄はよく理解してきたつもりだ。
日頃は落ち着いていて冷静だが、誰に対してもフレンドリーに接する明るい性格を持ち得ながら見ず知らずの他人が命の危機に陥った時は真っ先に助けることもできる善人。
倫理観が欠如しているような性格ではなく、人の命を弄ぶことのできるような極悪非道では決してない。
「ごめん、ちょっと気分が昂っちゃった……」
「ホタルは一体何を見たんだ?」
「……二人を分離したあたしの協力者はメモキーパーなの。その人は元々ガーデンの人でね。ガーデンには『両面宿儺の指』の記憶が一部だけ出回ってるって聞いたことない?彼女に頼んで、その持ってる記憶のほんの一部を見せてもらったの」
ブラックスワンが言っていた「記憶」のことだろう。
ガーデンに所属している者のうちの何名かが彼の昔の記憶の断片を持っているとは聞いていたが、偶然にも彼女の協力者がそのうちの一人だった。
「あの景色は、今でも思い出せる。反物質レギオンやスウォームとはまた違う、神秘的で不気味な見たことのない白い化物が街を破壊して、彼はその化物を殺すために街にいる多くの人たちを巻き込んだ」
「……」
「その街はあっという間にボロボロになっていったの。避難していた人たちはその戦いの余波で体をバラバラに刻まれたり、落ちた瓦礫に押し潰されたり…………そんな彼らをあの人は目を向けることさえしなかった。まるで人の命をそこら辺に落ちている路傍の石みたいに」
多くの人の叫びを聞いた。
助けて、と。痛い、と。
何もできないまま無力に苛まれ、死にたくないと叫ぶ人たちがいた。
「どんだけ斬っても死なない化物を殺すために、彼はあの『領域展開』を使って化物を一方的に蹂躙したの。その光景は焦土とはまた違った最悪の煉獄。最後に残ったのは、途方もなく大きな空洞だけ。そこで……記憶は途絶えた」
彼女がどんな光景を見たのかはわからない。
だが、その記憶を思い出しながら話している彼女の顔はあまり良い色とは言えず、嘘や虚偽の内容が含まれているとも思えなかった。
悠仁の領域展開はたしかに斬撃を放ち、建木と融合ほした幻朧でさえいとも容易く刻める鋭さを持っている上に、
「けど、ホタルが見たのは本当に悠仁の記憶なのか?そのメモキーパーが嘘の記憶を見せたんじゃ無いのか?」
「確かに、あたしも最初は疑ってた。けど……どうしても、あの光景をどうしても忘れられないの。彼と話すたびにあの煉獄が脳裏に浮かんできて……」
ホタルが悠仁のことを警戒していた理由は分かった。
自分は彼の記憶を見たわけでは無いから、彼女がどれほど凄惨な光景を目の当たりににしたのかはわからない。
星核ハンターとして多くの修羅場をくぐり抜けてきた彼女がそれほど言うのだから煉獄という表現も間違ってはいないかもしれないが、だからといってその言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。
悠仁がどのような過去を持っていたとしても、今は星穹列車のナナシビトであることには変わりないのだから。
「俺は、俺の知ってる悠仁を信じるよ」
「……うん、君はそれでいいと思う。それにあたしは別に彼を殺したいわけじゃないの。ただ、彼が本当に悪意を持つ人物じゃないのか、君が騙されたりしてないのか確認したかった。そのために夢の中で君の身体から彼を取り除いてもらったから。ごめんなさい、あたしのエゴに付き合わせて」
ホタルに悪気があったわけではないのだ。
悠仁がほんとうに無事なのであれば怒るようなことではない。いや、そもそも彼なら間違いなく無事だ。
あとはホタルが彼への疑念を晴らすだけ。
それならば———
「それじゃあ後で俺と一緒に悠仁と話そう!」
「え!?そんないきなり!?」
結局、言葉にしなければ気持ちは伝わらないものなのだから。
そこは悪夢、あるいはピノコニーの逆夢を表したような世界だった。
彗星の流れていたはずの夜空は、不吉を表すような真っ赤な夕暮れに染まり、廃墟となった調和の遺物から枯木が生えている。
蝕まれた夢の石地。
どこからともなく蟲の羽音が聞こえてくるこの場所で、悠仁はある人物と対峙していた。
「マジで誰?」
自分の名前を呼び、そして再会を喜ぶような言葉を紡いだ見知らぬ美女が目の前にいる。
一瞬、彼の頭の中ではこんな知り合い居たっけ?と考え、今までの旅で出会ってきた人物を思い浮かべるが、該当する者は一人もいない。
もし本当に出会っていて、すっかり忘れてましたでは気まずいし嫌なので彼は再考したが、彼女のように色々と目を引かれる容姿の女性はなかなか忘れ難いように思えるため、やはり初対面だと確信する。
「あら、やはりあなたの『記憶』には入り込めませんでしたね」
「『記憶』……つまり、オマエもブラックスワンと同じメモキーパーか」
「彼女と比べられるのはいささか腑に落ちませんが、ご明察の通り。私の名前はダリア。しがない
星核ハンター。
その言葉を聞き、悠仁はわずかに目を細めた。
つまり彼女はサムや銀狼の仲間、ということだ。
味方ではない可能性も十二分にある。
「メモキーパーとやらはガーデン・オブ・リコレクションとやらの所属じゃなかったか?」
「いえ、あくまでガーデンはメモキーパーの集まりの一つに過ぎませんよ。あのような腐った組織にいる価値はありませんもの」
(あれ、そうだったっけ?いっけねぇ、用語が色々あり過ぎて訳分からんくなって来たぞ……)
「まあ、それはいいや。それで?この肉体はなんだ?」
夢の中ということもあってか穹との繋がりが所々で途切れかけていたことを彼は知覚しており、黄泉の世界を分つ一つのあの斬撃が肉体の中にあった二つの魂を完全に切り分けてしまったのだ。
それだけであれば数分経たずに彼の身体の中に戻れるところだったが、そこを割って介入してきた者が現れた。
「その肉体は私が作り上げたものですよ。記憶域ミームはすでにご存知でしょう?ピノコニーに散らばる憶泡をかき集め、私が持っているあなたの過去の『記憶』から作り上げたミーム実体です。気に入っていただけましたか?」
「どうりで懐かしい服装だと思ったよ」
「うふふ、とてもお似合いです」
高専時代の服装をしているということは、彼女が持っている自身の記憶はちょうどあの頃のあたりなのだろう。
だが、流石にメモキーパーですら感じ取れない呪力の再現まではできなかったようだ。
全身に駆け巡っていた呪いの力は感じ取れず、生まれたての赤子のような肌触りだけを感じる。
「何が目的で穹と俺を離した」
「そんな邪険になさらないでください。私はただお願いに応えてあげただけに過ぎませんよ」
「そうか……言い方が悪かったな。オマエ、———ホタルに何を見せた?」
「!……ふふ、やはり気づいていらっしゃいましたのね」
「あの保安官は密航者を銀色の鎧って言っていたが、ホタル自身がその密航者だった。この時点でうっすら違和感があったし、ホタルもサムも俺を異様に警戒していたからな。はあ……探偵の真似事は俺の専門じゃねーんだけど」
何よりの決め手はダリアが自身を星核ハンターと言ったこと。
それが嘘でなければ彼女はサムと繋がっている。先ほどの"お願い"という言葉から悠仁の記憶を見せたことは確かであり、その記憶の内容次第では彼女が警戒する理由も頷けるものになるだろう。
「ご明察の通り、私が見せたあなたの『記憶』は……シブヤで起きた出来事の一部のみです」
「…………やってくれたな」
おそらくそれはあの頃、自分が肉体のうちにいた"両面宿儺"と入れ替わり、十種影法術によって召喚された最強の式神——魔虚羅と相対したときに起きたあの大量虐殺の時だ。
その時の記憶は宿儺の視点を通してすべて悠仁の脳に刻まれている。
己の手によって多くの人々が惨殺されていく光景を目の当たりした彼は臓物の中の胃液をすべてぶち撒け、自身のすべてを呪った。
「ですが、私はあくまであなたの記憶があると申し出ただけに過ぎません。あの煉獄を目に焼き付ける決断をしたのは他ならぬホタルさん自身なのですから」
「ならせめて、見せる前に何か説明ぐらいを入れてくれ」
「仕方ないではありませんか。当時、私が持っているあなたの記憶はその断片しかありませんでしたから、『両面宿儺』に前任者がいて、その者が悪虐の限りを尽くす者だとは思いもつきませんでした」
その口ぶりから今現在は、断片以外の記憶まであるのだろう。
どのくらいの記憶を見たのかはどうでもいい。
自身の情報を知られたところで彼にとっては特に痛手ということはないのだから。
問題は結局、この女がいったい何を考えているかだ。
『記憶』の力を使うメモキーパーなのは間違いないが、ほんとうに星核ハンターなのか?
彼女の言っていることはすべてが虚飾に塗れているような気がしてならない。
「……そういや、ここはいったいどこだよ。『死』が住みついてたあの夢とも違うみたいだが」
「ここはかつてオーク家が所有していた古びた夢ですよ。かの『秩序』が誇る理想郷は『繁殖』の箱庭になってしまったのです」
「えーっと、たしかー……丹恒のアーカイブにあった今は亡き星神の運命だったけか」
秩序のエナはかつて『貪慾』、『均衡』、『不朽』と肩を並べる最古の星神。
世界に蔓延る災禍を牽制し、人々に繁栄を齎した善神。
現在は隕落し、運命は「調和」へと吸収されてしまったとされているが真偽は不明である。
そして繁殖のタイタルズ。
一匹の蟲が奇妙な因果によって神へと昇華した災厄の化身。
その身からは数千、数万の蟲たちを生み出し数々の文明を滅ぼした。
宇宙のバランスを考えない一方的な増殖を繰り返し、その災禍はやがて『宇宙の蝗害』と呼ばれるようになる。
しかし、其の行動はやがて多くの星神たちの目に留まり、世界の存続を危惧した四つの運命「開拓」、「愉悦」、「均衡」、「調和」に滅ぼされた。
ところが其の痕跡は今もなお繁殖を繰り返しており、残骸から生まれたスウォームたちは今もなお活動を続けている。
しかしどうしてその運命の名がいま出てくるのだろうか。
ピノコニーは「調和」の派閥が管理している場所のはずだ。
「……結局、面倒ごとが増えただけか?」
そう言って頭をぽりぽりとかく彼の耳元に小刻みに揺れる蟲の羽音が徐々に大きくなって入ってきた。
振り向けば眼前に迫っていたのは甲虫のように鋭利に磨き上げられた巨大な角。
外殻は鎧のように覆われ、羽ばたきは不愉快な旋律を響かせる。
角膜に触れんとした自然の凶器が眼球を貫こうとし————
「ふんっ」
悠仁はそれを音速より早く掴み、勢いよくへし折る。
そして息を吐く暇もなく、蟲の外殻には彼の拳が深く叩き込まれ、圧倒的な生命力を誇るはずの「繁殖」の行人はたった一撃でその命を散らすことになった。
音速を超えた奇襲に対処できたのは、今までに培われてきた彼自身の戦闘スキル。
たとえ呪力や術式が使えなかろうと、彼の身体技術は一級術師以上のパフォーマスを遺憾なく発揮することができる。
ただし……
「いっけね、腕折れた」
悠仁は呆気なく折れ、血のように泡を吹き出す腕を見て他人事のように呟く。
『憶質』で構成された物質は決して硬いとは言い難い。
いつもと同じ感覚で何の躊躇なくぶん殴ってしまったが、今の肉体が生前のモノではないことを彼は完全に失念していた。
いくら卓越した身体能力を持っていようと、器が保てなければ意味がない。
「これがスウォームか。でっかいカブトムシみたいだな」
鎧は粉々に砕け、はらわたから体液を漏らし、まさに無惨な死に様と言ってもいい。
だが、その大きさは昆虫とは比べ物にならないほど大きく目視だけなら日本の熊と同じぐらいの大きさであった。
「死」といい、スウォームといい、なぜこの夢境にはこんな危険な奴らが蔓延っているのだろうか。
元々きな臭いとは思っていたが、文明を滅ぼせるような存在までいるとなるといよいよ真っ黒だ。ファミリーの隠し事は「死」だけではなく、蟲軍、そして歪んだ夢の地でもあるのかもしれない。
「こんなのがうじゃうじゃいるとなったら、少ししんどいな」
呪力を使えない影響で反転術式が使えず腕の回復ができないため、腕は折れてしまったまま。
肉体の強度はこれで分かったため、力加減はある程度調節できそうだが、それでもこの肉体では後数発が限界だろう。
「でしたら私が治して差し上げましょうか?記憶の力があれば、ミーム体の修復はメモキーパーにとって朝飯前です」
「うーん……不安」
「あらまあ、ただの善意ですのに」
しくしくと嘘泣きの仕草を入れるダリアに対し、悠仁は冷たい視線を送ったままだ。
なにせ、この女は信用できない。
ただでさえ情勢が複雑で敵味方の判別さえ難しい今のピノコニーで最も怪しいと言っても過言ではないのだから。
かといってこの状態の肉体のままでの戦闘は消耗が激しいため回復手段は確実に欲しいところ。
「仕方ない、か」
渋々、ほんとに渋々彼は自らの折れた腕を彼女に差し出し修復を頼み出た。
——計画通り
当然、ダリアは善意だけで修復を申し出たわけではなく、しっかりとした目論見もある。
それは再び虎杖悠仁の記憶に入り込み、その追体験をすること。
先ほどはほとんど見ることができなかったため、警戒心を抱きながらもその身をあけ渡してくれたことで再びその記憶に介入することができた。
彼女は蝋燭に青い火を灯し、記憶の内側へと再び入り込んでいく。
「ああ、ああ……!なんて美しい……!」
その身に呪いを宿しながら、その先に待ち受けているのが壊滅であろうと彼は歩みを止めることなく進み続ける。
心を折られ、挫け、崩れようと、虎杖悠仁は何度でも立ち上がった。
あの不屈の精神性に魅入られない者などいるのだろうか。
他の者であれば絶句するような凄惨な光景でさえ彼女は愉しむ。希望も絶望も彼女にとっては同価値である。
だがそんな夢のようなひと時も、すぐに幕を下ろす。
————言ったはずだぞ
「!」
身が凍え、恐怖心を掻き立てるような地獄の奥底から鳴り響く声。
記憶の戦場にいたはずのダリアの足元には気づけば骸と血の海が広がっていた。
「これは……まさか……」
天上天下唯我独尊。
己の快・不快のみが生きる指針。
蝕まれた肋骨の大地で呪いの王は心底どうでも良さそうに言伝る。
————二度はないと
ただ、指を交差させただけのはずだった。
物理的な痛みは存在しないはずのミームの体に走る途方もないほどの激痛。
一面に染み込んだ冥闇の中にある殺意の記憶が、肩から胸に向かって無造作に巨大な傷跡を刻む。
狼に睨まれたウサギの群れはなす術もなくただただ喰われるように、深紅を灯す四つの瞳がおどろおどろしく視線を獲物に向けた。
何が起きたのかを理解する暇もなく、優美の花々は圧倒的な悪意を前に散ることになる。
「————っ!」
意識を何とか夢へと戻すことに成功したダリア。
つばの大きな白い帽子はどこかへと飛んでいき、その額からは尋常じゃないほどの冷や汗が流れていた。
アレは両面宿儺本人ではない。
彼の呪物にあった記憶の再現によって起きた無意識の防衛本能のようなもの。
単純に、虎杖悠仁と両面宿儺の力がダリアの予想を遥かに上回っていただけにすぎなかった。
「おっとと」
記憶の残影に弾き出され、彼女の体は大きく後転し地面と衝突しようとしており、落ちゆく頭を何とかすんでのところで支えてくれたのは、他ならぬ悠仁である。
彼にはダリアがどのような光景を見たのかは知らないため、手の修復を完了したと思ったら何故か突然倒れかけたように見えただけだった。
「いきなり倒れたけど、大丈夫か?」
いくら警戒していた相手であろうと、自分の体を治した途端に突然倒れ込まれたら流石に心配した悠仁は彼女の真っ青になった顔を覗き込んだ。
朦朧とした意識の中で視界に入ってきた彼の顔を見たその瞬間————
ダリアの脳内に溢れ出した存在しない記憶
雪がしんしんと降り積もる賑やかな冬の季節。
キャンドルに灯った火は外気の冷えた空気を温めながら、灯を照らしていた。
愛しき家族たちが笑いながら己の美学について語り合いながら談笑し、威厳ある冥火の父はその光景を微笑ましく眺めている。
暖炉の灯る煌びやかな室内に一人の男が入ってきた。
「飯できたぞ〜」
可愛らしいエプロンをつけ、手袋をつけながらその大きな蓋鍋を運んできてくる。
他の兄弟は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせた。
鍋の蓋が開けられ中から顔を出したのは、ほのかな香りを漂わせる純白色のグラタン。
熱々に作られたそれを彼は丁寧に切り分け、家族の皿へと分け隔てなく配っていった。
そして、ついに彼女の出番が訪れる。
「ほら、コンスタンスも。あーん……」
「もう、そのようなことをするお年でもございませんのに」
とは言いつつ、彼女はその厚意に甘えスプーンに掬われたグラタンに口を入れようとし———
「え、なに、どういう状況これ」
夢の中で悠仁に支えられたダリアの瞼から一筋の涙がつたう。
口元を覆い隠し彼女の瞳にはどういうわけか感動と歓喜の感情に満ちていた
「お兄様……!」
蟲の羽音が鳴り響いていたはずの夢境に何故か静寂が訪れる。
何秒、何分、何時間経ったのだろう。
夢の中であるからか、途方もない時間が経ったような錯覚が起こり、永き静けさの中で悠仁はようやく口を開いた。
「……………………………………なんで?」
ホタルが悠仁を警戒していた理由は、渋谷事変の大量虐殺の記憶だけを見せられたからです。
映像的には魔虚羅召喚直後から領域展開終了後ぐらいまで。宿儺と入れ変わってはいましたがその時の記憶は悠仁の覚えています。
ダリアの存在しない記憶?特に理由はないです。