奇物:両面宿儺の指   作:二等辺大三角形

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初めてフォント機能を使いましたが思ったより種類多くてびっくりした。


どうか罪ある我らに赦しを

 

 人を殺したことはあるのか、と問うた。

 彼の答えは————

 

「ああ、あるよ」

 

 その声音はひどく落ち着いていて、柔らかかった。

 決して驚くようなことではない。

 気になるのは、彼がほんとうにホタルの見た記憶と同じことをしたのかどうか。それだけだった。

 

「ホタルから、俺の話を聞いたか?」

「……うん。その悠仁が。大勢の人のことを……」

「なるほどな。———ホタルの見た記憶はすべて実際に起こったことだ」

「…………それってつまり」

「いや、手を下したのは俺じゃない…………が、だからって俺は無関係だ、なんて言い訳するつもりもない。結局、俺が招いたことには変わりないからな」

 

 彼は無造作に頭をかき、ほんの小さくため息を吐いた。

 直接手を下していない、と彼は言った。つまり、彼はホタルの記憶に出て殺戮を行った張本人ではないのだろう。

 だが、彼が招いたこととはいったいどういうことだ?

 悠仁がなんらかの理由でその殺戮に関与したということか?

 

 穹の脳内では疑問が錯綜し、悠仁は何も答えてくれない。

 二人の間に、沈黙が訪れる。

 

「おーい!二人ともー、何してるのー!置いて行っちゃうよー!」

 

 何秒経ったかわからない時の中で先へと進んでいたなのかの声が聞こえた。

 

「おう、今行く!……今回の件が終わったらぜんぶ話す。まあ、だからなんだ。……お前は、俺みたいにはなるなよ」

 

 それは先人からの助言か、はたまた呪いの言葉なのか。

 期待、羨望そして悔恨とを混ぜて、悠仁は穹の肩を優しく叩いて去っていく。

 ほつほつと歩いていく彼の背中はまるで己の罪を懺悔する咎人のようで、その後ろ姿をすぐには追いかけることはできない。

 彼がどれほどの苦しみや悲しみを背負ってきたかは知らない。その中で彼がいったい何を見てきたのかさえ知らない。

 たかだか数年も生きていないひよっこがいったいどうやって数千年を生きた彼を元気づけることができようか。どのような励ましの言葉も今はかえって毒になるような気がしてならない。

 

 けれど……けれど、穹には絶対に伝えたいことがあった。

 

「…………悠仁!」

「ん?」

「俺は……少なくとも俺は、悠仁に会えてよかったって思ってる。列車のみんなもきっとそう思ってるって信じてる」

 

 大事なのは現在(イマ)なのだ。

 どれほどの罪を背負っていようと、どれほどの過ちを犯していようと、たとえ過去が消えないとしても、彼が宇宙ステーションで、ベロブルグで、仙舟で人の命を救い、助けたという事実もまた変わらない。

 

 穹は星々を回って、多くの困難に相対し、絶望を乗り越えてきた。辛い経験も悲しい出来事も少なくはなかった。それでも、彼はいまこうやって旅をしてきて後悔をしたことはない。

 やっぱり列車に乗らなければよかったなどと、思ったことも決してない。

 

 生きろ、などと傲慢なことは口走れない。

 けれどせめて、最期には生きててよかった、と思えるような人生を送って欲しいと思ってしまうのはいけないことなのだろうか。

 彼がいてくれたおかげで、助けられた命は確かにあったのだから。

 

「…………」

「悠仁?」

 

 彼の意を汲み取ったのか、取らなかったのかはわからない。

 悠仁は大きく息を吸い、吐き、口元を覆っては空を見上げた。

 

「スゥー…………いい歳こいてナイーブになりすぎちまったみたいだな。これじゃあまた、アイツにどやされる。——穹、ありがとな。もう大丈夫だ」 

 

 両手を離した彼はどこか憑き物が落ちたように、表情が少しだけ柔らかくなった気がする。

 数百年を生き、数億年を呪物のなかで過ごし、達観した人生観を持ち合わせているとはいえ彼もまた一人の人間には変わりないんだ。

 

 どうか彼の旅もまた、いつか群星に辿り着きますように。

 そして、その終着点がどうか悲劇では終わりませんように、とあなたは静かに祈った。

 


 

 ミカに連れられてやってきたのは、空のよく見える場所に作られた見たことのある名前の刻まれている小さな小さな石碑。

 

 ラザリナ

 ティエルナン

 

 それはかつて列車に乗り、ピノコニーで降り立つことになった二人のナナシビトの名前でもある。

 

 そして名前のない誰かの墓石。

 

「ピノコニーが『辺境の監獄』と呼ばれていた時代、『開拓』がここと他の星々を繋げてくれた。彼らはアスデナを救った英雄……その名はこんな小さな石ころじゃなく、もっと歴史ある大きな石碑に刻まられるべきだ」

 

 ミカの言う通りであれば、彼らはずっと昔に亡くなってしまっているということになる。

 しかし今の宴の星に彼らの痕跡は全くと言っていいほど残されておらず、その重苦しい歴史と監獄ともに泡沫の中に消えていた。

 

 ラザリナは独立戦争にて憶質の流れを明らかにするために星系の中心へと赴き、そのまま帰らぬ人となった。

 ティエルナンは銃の扱いに長けたカウボーイとして悲惨な対外戦争を乗り越えたが、ピノコニーが内憂外患に陥った後、それを解消するために星系外を旅し、スウォームの群れに巻き込まれ死んでしまった。

 

「予想はしてたけど、実際に先輩たちの話を聞くと……やっぱ悲しいね」

「彼らの人生は未知の世界への旅の上にある、『開拓』の名に恥じないものだわ。でも……この名前のない石碑は?」

 

 順番に追っていけば、最期に残るのは……

 

「ドリームリーフが誕生した時、その記念碑の主はまだ死んでいなかった。だが、その人は『いつか来る日のために』と言って、自分のために無名の碑を建てたんだ」

 

 その言葉が言い終わると同時に、こちらへ近づく二人の足音が聞こえてきた。

 

「星穹列車ご一行、また会ったな」

 

 振り向いた先にいたのは今回の殺人事件の一連の騒動を引き起こした可能性のある最重要人物の男ギャラガー。

 そして彼の後ろに連れていたのは……

 

「ロビン……」

 

 ロビンと同じような羽を頭部から生やし、天使の羽————ヘイローを模した天環が浮かび上がらせる紳士的な衣服を身に纏ったオーク家現当主、サンデーの姿もあった。

 彼は五体満足で怪我もなく無事な姿をしたロビンを見て、とても安堵したような表情と共になぜここに彼女がいるのか、どうして星穹列車と一緒に行動しているのかと疑問が尽きない様子でもある。

 どうやら彼もまた、ギャラガーの飼いならしているネムリの手によってこのドリームボーダーにまでやってきたらしい。

 

「さてお望み通り、お前の愛しの妹に会わせたぞ。積もる話もあるだろうから俺たちは席を外そう」

「ありがとう、ギャラガーさん」

「……色々と疑問に思うことはありますが、アナタが無事で何よりです」

 

 ギャラガーは兄妹二人に水入らずで話す機会を与え、先に星穹列車の一同の疑問に答えてくれることになった。

 

「それで……はっ、随分聞きたいことがあるって顔をしてやがるな」

「正直、もう顔に『くろまく』って文字が書かれているようなもんなんだけど……」

「はは、そろそろ誠意ってもんを見せる時だな。改めて自己紹介しておこう。————ドリームリーフの創立者の『時計屋』の助手……そして例の招待状を出した張本人でもある……『虚構歴史学者』のギャラガーだ、以後よろしく」

 

 虚構歴史学者。

 「神秘」の星神ミュトゥスを信奉する歴史の改竄者であり、数々の歴史捏造や情報隠蔽を繰り返し、真実と未来の確定を目指す「知恵」の不倶戴天の敵でもある。

 また、他人にはできない崇高な目的をもって多くの歴史を破壊してきた経緯から、宇宙に住む多くの人々からは反物質レギオンに並ぶ宇宙の破壊者とまで揶揄されていることもある。

 しかし、だからと言って極悪人などと呼べるような存在でもなく、彼らもまた、宇宙の終焉という確実性から回避する方法を作り上げるために、歴史の不確実性を目指しているのだ。

 

「虚構歴史学者〜?じゃあこれまでウチらに話したことは全部デタラメだったってこと?」

「いいや、お前らに話したことは全部本当だ。……まあ、ほとんど、『ファミリーが再び俺を受け入れた』って点を除いてだがな」

 

 ハウンド家にギャラガーという名を持つ人物はいない。

 彼の持つ肩書き、衣服、カクテル作りの技術、その全ては本物であり————52人の忠実なファミリーのメンバーに由来している。

 その小さな真実が嘘を紡ぎ、夢の中で虚構となって生み出された存在こそ、「ギャラガー」なのだ。

 

 さて、どうして彼はこれほどの労力を積み上げて遺産争奪戦を仕掛け、多くの派閥を巻き込み、ピノコニーを大混乱に陥しいれたのか。

 その答えこそ……

 

「すべての根源は、お前らもよく知る……『星核』にある」

「星核?ピノコニーどこへでも行き来できる星間の中枢で、汚染された形跡もないように見えるが、どうして星核が関係あるんだ?」

「仰る通り。だから当ててみてくれ、それが何を意味しているのか」

 

 星核はもう封印されている?

 誰かが星核を操っている?

 それとも……

 

「また嘘ついてる!」

「どうどう、落ち着けって」

 

 美しい夢は無から作り出されたものではない。

 荒れ狂う海を土で埋めて陸地を作るようなものであり、それほどの偉業を達成するのに使令の力を借りないとするのならば……星核を使うしかない。

 

「それは単に願ったからって叶うものじゃない。相当の知識を備え、多くの時間と労力を費やし、やっと完璧なものになるんだ。つまり……今の宴の星は、アスデナの星核の災いそのものなのさ」

「宴の星が……災い?」

 

 話は過去に遡る。

 時計屋は辺境の監獄を開放したが、無からピノコニーを創り上げるのは至難の業であり、そこに星核を使おうと企む者たちが現れた。

 戦争時代にアスデナに落ちた星核はナナシビトの訴えによって使われることはなかったが、下心のある者たちはそれを狙い続ていたのだ。

 ティエルナンが死んだことで、『時計屋』は自ら開拓の前線に出ざるを得なくなった。そして、その遠征が彼の敵にまたとない絶好の機会を与えた。

 

「モントール星系のファミリー代表が『時計屋』の呼びかけに応じてやってきた時、星核はすでに活性化され、未開の共感覚夢境の中に浸透していたんだ」

「そのファミリーが、都合よく星核を封印する知識を持っていったってことね」

「それどころか!奴らの星核に対する知識は常人のそれをはるかに超えるものだった。すぐにミハイルを助け内乱を鎮めると、『調和』の名義でピノコニーの建設に加わったんだ」

 

 それは「夢追いの時代」と呼ばれる、ピノコニーにおける大ブームが到来したことの話。

 であれば、なぜ彼らはその後に敵対関係になってしまったのだろうか。

 

「よく考えてみろ。こんな巨大な『美しい夢』を構築して、維持する。そのための代償はなんなのか?それは命だ。豪華絢爛な美しい夢は精神の死の上に築かれ、『快楽』という毒酒が夢境を満たして人々を溺れさせる。理性はゆっくりと同じ終点に流れていき、最後には美しい夢の胎盤になるのさ」

 

 迷い、怠惰、臆病といった人間の誰しもが持つ弱さはファミリーの手によって増幅させ、肥え太らされていき、やがて過去よりも遥かに堅固な牢獄を創り上げられた。

 それに気づいた時には時すでに遅く、反逆者は次々に捕えられ追放されてしまい、窮地に陥った彼は「神秘」の力を借り、この混沌とした記憶域で、数年をかけて新たなミームを虚構した。

 

 その名は「ネムリ」。

 夢の中で人間に本来訪れないはずの死を齎す彼らにとっての切り札となる存在でもあった。

 

「それが『不可能を見届ける』の本当の意味だったの……つまり、あんたが『時計屋』として招待状を出したのは、星核の危機を何とかできる派間を見つけ、ピノコニーの真実に気づくよう誘導するためだったってことね?」

「それだけじゃない。俺は各派閥が遺産争いを繰り広げる姿と、10年以上も姿を消していた『時計屋』が声を上げることで、ファミリーの中の『裏切り者』が馬脚を露わにする瞬間を見たかったんだ。そちらの御老体とメモキーパーのおかげでついに奴らの正体を明かすことができた」

「つまり、『遺産』は本当にただの口実だったってわけ……?」

「もしお前が星核を遺産にしたいってんなら、俺は文句は言わないぞ」

「なのの浮気者!」

「なんで!?」

 

 目下の問題はその星核が今どこにあるのかだ。

 

「それはあの羽頭の小僧に聞くべきだな。星核は常にファミリーの支配下にあり、奴はオーク家の当主だ。きっとその質問にも答えられるだろう」

 

 そろそろ二人の歓談も済んだはずだと、彼らは兄妹の元へ向かった。

 サンデーに星核の居場所を問えば、彼はわずかに逡巡したもののすぐさま答えを出してくれた。

 

「それは……ピノコニー大劇場そのものです」

「やっぱりそうなのね。ファミリーの化身、美しい夢の中に現れた最初に現れた建物……それがピノコニーをこんな姿に変えた元凶だっただなんて」

「星核を利用してそれを完成させたのはゴフェルさん……今の夢の主で間違いないでしょう。彼が秩序の派閥として本当に裏切っていたのであれば、説明がつきます」

「ふう、思ったよりも順調だな。その様子だと、事前調査が十分だったのか?」

「その通りです。妹を殺した『犯人』を調べていたとき、アナタを除いてワタシが次に疑ったのは彼でしたから」

 

 サンデーが先にギャラガーと接触したのはどうやら行幸だった。

 育ての親である彼を犯人として扱うことに彼らは苦渋の表情を浮かべている。

 実は二人もまた万界の癌の被害者であった。孤児だったところをファミリーに引き取られ、夢の主が彼らの資質を見抜いてピノコニーにまで連れてきてくれた恩もある。

 

「でもだからと言って、ゴフェルさんが『調和』の対局に向かっていくのを黙ってみていることはできない。ましてや、自分の歌声で罪深い事業を讃えるなんて、もってのほかよ。ファミリーの裏切り者が誰であろうと、彼がどんな命令を下そうと、私が舞台で歌うことはないわ。私たちは絶対に調和セレモニーを『調和』を破壊する儀式に変えさせたりはしない。————私たちの理想の楽園のために」

 

 ロビンの意志は固い。

 たとえ相手が育ての親であろうとも関係なく、彼女は人々のため、そして調和のためにこの世界を救う決断をしてくれた。

 

「………………ええ、ワタシたちの理想の楽園のために。オーク家の投手として、ピノコニーの明るい未来のため、ワタシは絶対に引くわけにはいきません。ワタシとロビンが夢の主に会って今回の件を問いただします。もし彼が本当に『調和』から外れ、『秩序』に与するものならば……ワタシは皆さんと同じ戦線に立ち、調和セレモニーを中止して自らゴフェルさんの犯した罪を償いましょう」

 

 だが、これから立ち向かう敵は、先人であるナナシビトたちですら止めることのできなかった強大な相手だ。

 一筋縄で行くわけがなく、共通の目的がある以上、力を合わせるのは必要不可欠である。

 

「私たちは先輩ナナシビトの足跡を辿ってここまで来たの。今更彼を追うのを諦めたりしないわ」

「うん、ナナシビトは困難にぶつかったくらいで怯んだりしないもん!アンタたちもそう思うでしょ?」

「えー……どうしようかな……」

「ちょっ、ここはカッコつけるとこじゃん。冗談はやめて!」

 

 相変わらずの調子に悠仁は後方で苦笑いを浮かべながら、サンデーにある提案をした。

 

「俺が星穹列車を代表してオマエたちに同行したほうがいいか?第三者が立ち入ったほうが交渉とかもスムーズに進むだろ」

「いや、その役は俺が引き受けよう。悠仁の今の体では呪力を扱えないのだろう?俺であれば、万が一のときでも緊急脱出程度のことであればできるはずだ。それに……君はあまりそういう謀事などを考えるのは得意ではないだろう」

「……まあ、おっしゃる通り」

 

 今の彼を構成している肉体は全て憶質だ。

 夢の主もまた、同じようにミームの肉体として生きているらしく、「記憶」の力が使えてもおかしくはなく、メモキーパーではない今の悠仁にその対抗策はない。

 それならば最悪の場合でもブラックホールで離脱程度ならできるヴェルトの方が立会人としては適任だ。

 

「お二人のご好意に感謝いたします」

「皆さんも、ありがとう」

「調和セレモニーはまもなく幕を開ける。もう時間はありません、皆さん————出発しましょう」

 

 そうして三人は夢の主と相対するために、黄金の刻へと戻っていった。

 残された列車の皆は再びギャラガーの居場所へと戻り、残った最後のナナシビト————ラグウォークについて聞き出す。

 

「私が間違っていなければ、私たちはとっくに彼に会っている、そうよね?」

「ふん、そこまでとは言えないが、答えは簡単だ。なにしろ、あれだけ明確なヒントを出したんだからな。あの最後のナナシビトは、出発して、止まって、また出発して……最後はスタート地点に戻った」

 

 時計屋は死ぬ直前に、必ず星穹列車を見つけ、例の招待状を送るように頼んだ。彼はそのために、「開拓」の跡を継ぐ者たちへの正真正銘の遺産を託した。

 

「ついて来い。今こそ……それが再び日の目を見るときだ」

 

 そして彼に連れられたのはあの名前の刻まれていない墓石。

 その石の上で彼は亡き師に哀悼の言葉を渡す。

 

「よう……俺は時々、あんたが死んだことを忘れちまう。あんたにだってもっと話したいこと、もっと歩きたい道がたくさんあっただろう……約束通り、最期まで気にしていた後輩を連れてきたぞ。どうしてあの列車のことを忘れずにいたのかはわからないが、あんたがこの世を去る前に言った最期の言葉は覚えてる……俺たちを失望させるなよ、じいさん」

 

 夢の都市が生き物のように蠢き始めた。

 陽光は反射し、裏返りになった世界が再び元に戻ろうとする。

 重力が逆さになったように足場は天へと昇り、やがてビル群を抜け彼らは一つの花園へと辿り着く。

 

「行こう、彼の終点は目の前にある。ピノコニーの最初で最後のナナシビト————『時計屋、ラグウォーク・シャール・ミハイル』」

 


 

 星穹列車がギャラガーやロビンたちと話をしている最中、ホタルはその光景を遠巻きに眺めていた。

 その理由は単純で、その場に————虎杖悠仁がいるからだ。

 まだほんの少しだけ疑念が残っていることや、大量殺人を犯した者と吹聴してしまったことの心残りから彼女はその場に行けないままでいる。

 

「あっれれ〜?こんなところ、迷える子羊ちゃんがいる〜。せっかくだから、花火が導いてあげよっか?それとも、『生命体はなぜ眠るのか』について一緒に考えてみる?」

 

 コツンコツンと軽はずみなリズムで足音を鳴らしホタルの背後にやってきたのはあの「仮面の愚者」の花火であった。

 ただ愉しみだけを生に見出す享楽主義者が現れたことにホタルは顔をしかめた。

 

「仮面の愚者、ここは君がきていい場所じゃない」

「それは、ずーーーーーっと騙されてて、本当の味方が目の前にいるのに、今でも気づいてない誰かさんが悪いんだよ」

「……味方?」

「あれれ、まだ気づいてないの?あのメモキーパーは君を裏切ったんだよ?」

 

 ホタルがダリアと一緒にいた時の記憶は、彼女が穹を見つけドリームリーフに連れてくる前までで途切れている。

 しかし、どうやって別れたのか、その時の記憶がさっぱり思い出すことができない。

 

「嘘でしょ……銀狼は一度も花火のことを話さなかったの?協力しようって誘ってきたのは向こうなのに……ファミリーが夢の中では全知全能っていうのも、花火が見つけた情報なんだよ」

「君の情報……」

 

 カフカの言霊によって彼女の認識は変えられないはずだったが、夢の中だとわけが違うのだろうか。

 

「銀狼から『生命体はなぜ眠るのか』と質問する者に気をつけてって言われたよ。でも、それだけじゃ証拠として足りない」

「そう?じゃあ……君は夢の中で三度の死を迎えるって言ったら?」

 

 それは星核ハンターだけが知っている脚本の内容だ。

 つまり、銀狼の言っていた協力者とは間違いなく彼女なのだろう。

 

「……ならどうして今まで一度も情報交換してくれなかったの?」

「えー、もしかして花火が意地悪したと思ってる?メモキーパーに夢の中でただの愚者が追いつけるわけないでしょ。いっつもあとちょっとのところでどっかに消えちゃうんだから」

「あのコンスタンスって人は一体何者?」

「『夢の主』の手先だよ。でもただのいい子ちゃんじゃなさそうだった。花火ともこっそり取引したし。それになんかもっと面白そうなことになってたしね」

 

 あのメモキーパー……ダリアは星核ハンターの協力者ではなかった。

 花火に言われるまでその違和感に気がつかなかったのが、彼女に記憶をいじられたのが原因だろう。

 

「それで……結局、いつまでここにいる気なの?」

「……」

「今の君は列車にとって自分の仲間を殺人鬼呼ばわりしてそのままどっか行っちゃった極悪非道で銀河の指名手配犯の星核ハンターなんだよ?芦毛ちゃんの信頼はなんとか勝ち取れてるみたいだけど、他の人も同じだと思ってる?」

 

 花火の冷ややかな視線がホタルに突き刺さる。

 

 わかっていた。

 おそらく今の列車にとってホタルの印象はとてつもなく悪い。

 言い訳する余地はないし、非難も甘んじて受け入れる覚悟でいる。

 

 それでも……彼女の脳裏に焼きついたあの煉獄が不意にフラッシュバックする時があるのだ。

 

「銀狼から聞いてる。そもそも本来の君の目的は小指ちゃんの排除じゃなくて、夢の中にいるときだけ芦毛ちゃんから取り除かせるんでしょ?変な記憶を見せられて、頭の中までごっちゃごちゃになってることにまだ気づいてないの?」

「……!」

 

 そうだ。思い出した。

 サムに搭乗し、現実での銀狼の会話がようやく掘り起こされる。

 

『本当に実行する気?』

『虎杖悠仁は脚本の邪魔になります。夢境でなら……彼を取り除くことのできる機会はこれしかありません』

『自分だって何度も脚本を無視しようとしてるくせに』

『結局、どう足掻いても私では脚本の筋書きから逃れることはできないでしょう。ですが彼は違う。ヌースの知識の中にすら入っていない彼であれば、意図せずして脚本を壊してしまうかもしれません。もし脚本の内容が大幅に変わってしまえば取り返しのつかない事態が引き起こされる可能性もある』

『ま、仙舟での出来事が書かれてたものと一部だけ違ったことは認めるよ。本来ならあの場で絶滅大君が殺されることはなかったし。……でもだからこそ言ってるの。単独で絶滅大君を滅ぼせる相手の機嫌を損ねたらあなただってどうなるかわからないでしょ』

『無論、全てが終われば誠心誠意謝罪するつもりではいます。ですが今回の脚本の流れを崩せば、宇宙、そして星穹列車の旅路に大きな影響を及ぼす危険性もある。夢境で彼を隔離しておくのは間違ってはいないはずです』

『そ、あなたがいいならもう何も言わない。……ちゃんと生きて帰ってくれればそれでいい』

 

 ダリアに記憶を見せてもらう前まで、彼女の本来の目的は虎杖悠仁の排除ではなく隔離だったはずだ。

 脚本を破壊できる存在など今まで一度も現れなかった。

 来るべきはずの未来が崩壊すれば、何が起きるのかは誰にもわからない。

 ホタルはカフカや銀狼とは違い何もかもを要領よくこなせる自信はなく、崩れた脚本の修正などをアドリブで行えるとも思えなかった。

 

 だから彼を夢境から……排、除……?

 

「あれ?あたしは結局、何がしたかったの……?どれが、どれが本当の記憶なの?」

「あちゃあ、だいぶ重症だねぇ。あのメモキーパーちゃんの仕業か、それとも夢境に不正で入った影響かは知らないけどさ。——もっと簡単に言っちゃえば、君は騙されてただけ!もうこれでよくない?」

「やっぱり……コンスタンスが見せた記憶は全部偽物だったってこと?」

「ブッブー!残念、不正解。少なくとも、あのメモキーパーが見せた記憶は正真正銘『両面宿儺』の記憶で間違いないよ。うーん……説明するより見せた方が早いのかな」

「待って、何を……」

 

 花火が突然、懐から一つの気泡を取り出した。

 ホタルがその突飛的な行動に対処するために、サムを起動するよりも早く投げつけられたシャボン玉が彼女の顔に浴びせられる。

 思わず目を瞑り、そして開いた先に広がっていた光景はドリームリーフではなく……

 

「ここは……」

「君もよく知ってる彼の記憶。黒鳥ちゃんから貰ってきたの」

 

 確かにこの景色は見覚えがある。

 コンスタンスから見せられた夢の光景はここまでのはずだった。

 焦土でも煉獄でもない、一面に広がった草木や生命の気配すらない虚無の大地。

 ぽっかりとあいたその空洞に先ほどまで多くの人が暮らしていたなどとは到底思えない。

 

 だが夢で見た一人称の視点とは違う。

 洞穴の手前、断絶された道路の上にある男が一人、ポツリと立っていた。

 

「あの人は……」

 

 虎杖悠仁。

 そのはずだ。

 初めて見るその顔には罪人のように紋様が浮かび上がっている。

 彼は目の前に広がる伽藍堂を見上げながら、ポツリと呟いた。

 

『小僧、せいぜい噛み締めろ』

 

 スゥッと彼の額に浮かぶ刺青が徐々に消えていく。

 彼は微動だにしないまま、その非道の有り様をずっと見ている。

 一秒、十秒、あるいはそれ以上の時がただただ無意味に流れていった。

 

「……一体何をして」

 

 動かない悠仁を不思議に思い、記憶の中の彼へと恐る恐る近づいていった。

 

 あと半歩、その顔がはっきり見える位置にホタルが歩みを進めたその瞬間————

 

 

 彼は顔をくしゃっと潰し

 

うう”うう”う、うう”う”ううぅっえ"っ

 

 倒れ、そして吐いた。

 

「っ!?」

 

 胃のなかのモノを全てぶちまけ、アスファルトには黄色の液体が飛び散る。

 「記憶」の影響か、彼の記憶から溢れた呪いの言葉が宙に浮かんでは消えていく。

 

————なんで俺が死刑なんだって思ってるよ

 

 呼吸が乱れ続ける彼がかろうじて吐き出したのは————

 

『死ねよ』

 

————自分の生き様はもう決まってんだわ。

 

 ボロボロになったアスファルトをその手がガリガリと削り、屈んで見えなくなった彼の顔から大粒の涙が溢れ始める。

 

 「……え?」

 

 その言葉の真意を理解するよりも早く答えは出された。

 削り、抉り、途方もない絶望だけで彼は必死に地面を掻く。

 

自分だけ!!自分だけぇ!!

 

 指の痛みなど歯牙にもかけず、彼はただただ地面をむしり続ける。

 

————オマエは大勢に囲まれて 

 

「…………」

 

 状況のわからない彼女はただ黙ってその光景を見ることしかできなかった。

 

————人を助けろ

 

『死ね!!今!!』

 

————人を

 

 何秒、何分経ったのだろうか。

 つい最近の出来事にも、遠い昔の出来事にも感じられるほどの時が過ぎ去り……

 

 彼はようやく血の流れ続ける手を止めた。

 

『行かなきゃ』

 

 呟き、ようやく立ち上がる。

 

『戦わなきゃ』

 

 彼の瞳には、もう何も写ることはない。

 虚無すらも飲み込む漆黒が、眼前を支配する。

 

—————このままじゃ俺はただの人殺しだ

 

「あ……」

 

 歩き去っていく彼に思わず手を伸ばし、そして眼前の光景はすぐさまドリームリーフへと移り変わった。

 

「今、のは……」

「君が見た『虎杖悠仁』の記憶に抜け落ちてた最後の場面ってところかな。これで……やっとぜーんぶわかったでしょ?」

「大量殺人の犯人は……彼じゃなかった」

「そういうこと」

 

 両面宿儺は、虎杖悠仁が持っていた名前ではなかった。

 彼にもまた、穹と同じように体の中に誰かがいたのだ。

 その誰かこそ、本物の——両面宿儺だったということだろう。

 そして大量殺人を犯したのは両面宿儺の方であり、彼女が見た大虐殺の記憶は悠仁の身体を通してみた宿儺の記憶だったということだ。

 ここまで見させられて、いまだに疑うことなどできやしない。

 

 ホタルの顔から血の気が引き、その白い肌が次第に青くなっていった。

 

「それじゃ、あ……あ、あたしは……」

 

 そんなつもりじゃなかった、記憶を操られてたから仕方なかった、なんて言い訳はできない。

 身体を乗っ取られ、街を壊し、罪のない数多の人を殺してしまった彼の罪悪感は、今の彼女の味わっているその比ではないことなど容易に想像できる。

 それでも罪を背負いながら人々を助けようとした彼をホタルは侮辱してしまったのだ。

 

「はいはい、感傷的になるのはそこまで。今の君にはここで口を覆ってあんぐりしてるよりもやらなきゃいけないことがあるんじゃないの?」

「……!」

 

 花火の言葉で襲いかかってきた眩暈が一気に霧散する。

 彼女のいうとおり、こんなところでぼーっとしているよりもしなくてはいけないことがあるのだ。

 ホタルは静かに、そして覚悟を決めたようにごくりと唾を飲みながらすぐに列車の一同の元へ向かっていった。

 そんな彼女の背中を見て、花火は珍しく呆れたようにため息をついた。

 

「ほんっと、花火はゲームのお助けキャラじゃないんだけどなー。これでチャラだからね、黒鳥ちゃんに小指ちゃん」

 

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