「誤解しないで、これはここにいる全員の安全のためなんだよ」
白髪の青年はバットを穹に返し、しまうように促した。
彼によれば、この場所で武器を持つ自体が挑発行為になってしまい、先ほどの石像……「紛争」のタイタンの配下たちは外敵を容赦無く駆逐する仕組みだそうだ。
「もし君たちが武器を振り続けるのなら、自分たちが獲物になるだけでなく……彼らの剣先が罪のない人々に向くことにもなるからね」
青年は指差す方向には門の物陰でひっそりと隠れひそむ市民らしき姿もあった。
「とつぜん現れた君たちを敵か味方かすぐに判断するのは難しい。しかも君たちは武器がなくても十分強いからね。もしかしたら危険な状況にあるのは僕のほうかもしれないだろう?」
人当たりの良い笑みを浮かべ続けてはいるが、その口調からは圧が感じられた。
もし襲われたとしても応戦できる体勢を崩していないのだ。
「さて、ここに来た目的を話してくれないか、天上から舞い降りたお客さんたち?」
一触即発とまではいかないものの、仲良しこよしなどと言える呑気な雰囲気でもない。
その刺々しい空気の中に鶴の一声が入り込む。
「あーーーー!ファイちゃん、また一人で突っ走って勝手なことして!」
てちてちと可愛らしい足音を立てながら、赤髪の幼女が青年の足元へと駆けていった。
「ああっ、大変!人様の武器も壊しちゃって!ちょっと、これが初めて会った人へのマナーなの!?」
「一番穏便な方法で解決しようと思って」
「全然穏便じゃない!」
「はい、ごめんなさい」
子供が大人を叱りつけている。
本来なら真逆の光景であるはずなのに、どういうわけか二人にはその光景が妙にしっくりきた。
「ファイちゃんは天上から来たのが悪い奴なんじゃないかって心配ちてたの。でも『あたちたち』には二人とも悪意がないように見える。『あたちたち』はヤヌサポリスのトリビー。こっちはファイちゃん。……ほらファイちゃん、謝って!」
「トリビー先生がそういうなら……すまない、おふたりが危険地帯に独特な方法で着陸したものだから、僕が警戒しすぎたんだ」
「そちらの行動は理解できなくもない。俺たちは天外からこの世界に降り立った『開拓者』だからな」
ファイちゃんと呼ばれた青年が静かな威圧をそっと消し、丹恒もまた素直にこちらの素性に応えた。
すでに見られている以上、隠す必要はない。
もしあちらに敵意があるのなら、こんな無駄話もしないはずだ。
「外は危険だから、場所を変えよう。神殿にはまだ避難できていない難民がたくさんいるからね。僕はエリュシオンのファイノンだ。先ほどの無礼をお詫びするよ」
「俺は丹恒。こっちは……」
「銀河無敵の銀河打者だ!」
「銀河打者……へぇ、とてもかっこいい名前だね」
「めっちゃいい奴じゃん。悠仁もそう思うでしょ?」
「チョロすぎておじいちゃん心配」
穹の瞼の下から呆れたように顔を覗かせる悠仁に対し、ファイノンとトリビーの二人はギョッとした顔を浮かべた。
「わわっ、びっくりした!」
「へぇ、天外の人たちは面白い体の作りをしてるんだね!もしかして丹恒も体の中に誰かいたりするのかい?」
「俺はこいつらのようなびっくり箱人間ではない」
「丹恒も十分びっくり箱人間だろ。フォームチェンジするし」
天外からやってきた、という言葉は便利だ。
あ、宇宙人だからなのねー、で済まされるし、怖がられたり気味悪がられたりしない。
もしこれが地球だったら、即座に通報されるか、討伐されるかの二択だっただろう。
「とりあえず、丹ちゃんの槍はファイちゃんに全責任を取らせて直させるから安心してね!」
「はは、またハートヌス何杯か奢らなくちゃいけなくなったな」
こちらはオンパロスに来たばかりでわからないことが多い。
安全面を考慮すると、ここは彼らと一緒に行動した方が賢明だ。
二人に案内されながら、丹恒と穹と悠仁は彼らの背後で耳打ちしながら話し合う。
「あの二人、どう思う」
「ファイノンってやつはただものじゃないな。それに現れたタイミングが良すぎる」
「そうだな。列車を破壊したあの槍は明らかに人の手によって作られたものだ。だが、もし彼があの槍と何らかの関係があったのなら、ここで俺たちと会話をする必要はなかったはずだ」
「じゃあ、黒幕じゃないのか……」
「呪力も気になるが、もっと気になるのは言葉だな。あー、共感覚ビーコン?っていう翻訳こんにゃくみたいなもんはカンパニーが踏み入れた場所でしかできないんだったけか?」
悠仁の言う通り、共感覚ビーコンはかつて列車が航路を開き、星々の言語的意思疎通を可能にするためにスターピースカンパニーが開発した翻訳装置。
もしかしたらヤリーロ-VIと同じようにはるか昔にレールが敷かれたのであればありえない話ではないが、アーカイブに記録が残っていないのはおかしい。
「それに、あの少女の一人称が複数形なのも気になる。あれが単なる口癖だとは思えない」
「確かに。ファイノンがわざわざ先生、って呼んでるしな。それにトリビーとファイノンの呪力の雰囲気、さっきの石像と全然違う気がする」
「そうだな。あっちは式神って言って、肉体が呪力で構築されてるタイプだ。そしてこっちの二人は……間違いなく術師の肉体を持ってる。本人たちに自覚があるかはわかんねぇけど」
呪力で肉体を構成している分、式神は人間に比べて呪力の密度が濃い。
確かにあの石像立ちは呪力をプラプラと粗雑に流していた。
それに対して目の前の二人の呪力の流れは自覚して行なっているのかは定かではないものの、とても綺麗にまとまっている。
「どうやらこの世界は、俺たちが想像していたような未開の地ではないらしい。彼らが言う『聖都』ではもっと予想外の発見があるかもしれないな」
そうやって彼らの後をついていけば、早速問題が発生したようで何やら神殿の奥の方が騒がしくなっている。
どうやらお偉い立場の初老が故郷を離れたくないイヤイヤと言って言うことを聞いてくれないらしい。
ここは多くの難民がいるとはいえいつ戦場になってもおかしくない場所。
司祭を名乗る若者は、一族を聖都へ避難させるためにファイノンたちに頼み込んでいたそうだが、あの老人がいかないと彼を慕う若者たちも動いてくれないそうだ。
説得までに時間を要するのはわかっていたそうだが、二人の到着が思ったよりも早かったらしい。
「黄金裔のお二方がせっかく早急に来てくださったのに、このような状況になってしまい申し訳ない」
「気にすることはないよ。ヤーヌスの信仰は他のタイタンの信仰よりも歴史が長い。黄金裔の始まりも『門と道』の導きがなければ存在しえなかっただろうしね。彼が意固地になってしまうのも無理はない」
こうしてファイノンに難民たちの保護を任せ、トリビーを含めた三人はその老人の元へと向かう。
「エスカトン、ヤーヌス、タレンタム、ニカドリー……聞いたこともない単語ばかりだな」
「また……また新しい専門用語を覚える羽目になるのか……最近、ようやく星神とか運命とかについて分かって来たってのに……」
「見て見て!珍しくナイーブになってる悠仁!」
「あまりそういう状態の人間を見せびらかすものではないぞ、穹」
「うふふ、心配ちないで悠ちゃん。そこらへんも後であたちたちが教えてあげるから!」
どうやらトリビーはその容姿とは比較にならないほどの年齢と膨大な知識を持っているらしい。
悠ちゃん、呼びはこの年にもなって歯痒い気分になるが、まあ老害のようにとやかく言う必要もないだろう。
その後、ニカドリーの眷属と呼ばれている石像を一方的にフルボッコにし、襲われていた老人を助け、説得し、何とか聖都——オクヘイマに来てもらえるようになった。
そうして事態が収束したタイミングを見計らい、ファイノンとトリビーがオンパロスのことを詳しく説明してくれた。
「彼らがよく口にしてたエスカトンとは一体何だ?」
「それは終末の降臨を前に人々が足掻く時代のことだね。正確にいえば、この世界——オンパロス全体が終末を迎えている」
悲報、新たな「開拓」の旅、そろそろ終了。
「じゃあ、タイタンってのは?」
「オンパロスの旧神だ。かつて人類が信仰していた神だが、今は敵対している」
「黄金裔って?」
「預言によれば、黄金の血が流れている救世主のことだ」
「簡潔ぅ……」「シンプルぅ……」
「申し訳ない。僕は説明するのが下手でね」
あまりにも大雑把な説明に、悠仁と穹の視線がファイノンに突き刺さり、彼は苦笑いで返す。
「でも長くて退屈な説明もイヤだよね。うーん……そうだ!あの子たちがヤヌサポリスの司祭だから演奏しながら教えてもらおう!」
——『神々は沃土を見守り、大地に草木が茂る。12の星座は目の如し。巨人たちが盃を交わす』
——『3柱は天地を開き、3柱は運命を紡ぐ。またある3体は命を創り、他の3体は災厄をもたらす」
——『彼らは言う。世は余りに静寂なり。我らが願うは、生きとし生けるものの微笑みのみ』
——『そうして人々が生まれた。言葉と歌が紡がれ、愛と友人が誕生した』
——『これで創生は終わった。世の人々の足取りは軽く、魂の荷は重く。では、魂の重みは誰が背負うべきか』
——『偉大なるケファレ、全知の父。その身体は屈強であるにもかかわらず、目を閉じ頭を垂れることを甘んじて受け入れる』
——『黎明の光が肩にのしかかり、黄金の血が大地に落ち——』
——『やがて集まって河となり、英雄たちの身中に溢れる……』
トリビーの語った物語はオンパロスのめぐってきた歴史がとても重厚なものであった。
なお……
「穹、分かったか?」
「ばなな」
「だよなぁ」
「えっと、ばななって言うのは何かの隠語というやつかい?」
「いや、ただの妄言だ。この2人のおかしな発言は無視してくれて構わない」
完全に理解した(してない)顔付きの二人を丹恒は呆れた表情で見つめていた。
しかし、分かったこともある。
少なくとも今の話を聞く限り、呪力は存在しているものの、それ自体を認識している者はいないようだ。
あるいはロロルカのように別の単語で言い換えられているか、だ。
周囲を見渡したところ、黄金裔が術師、それ以外の一般市民が非術師のようなもの。
強いて列挙できる地球との違いは非術師である市民にも呪力の塊である式神を視認でき、術師である黄金裔は呪力を無意識で扱っていることだろうか。
(どちらかといえば、死滅回遊の途中から術師になったタイプに近いのか……?)
とはいえ、それはファイノンとトリビーに聞いても答えが返ってくるとは思えない。
尋ねるとしたら、もっと学者のような人間の方が良い気がする。
そう考え事をしていると、遠くから地響きのように巨大な足音が聞こえてきた。
敵かと思い、そちらを確認してみるも、やって来たのは恐竜のような四足歩行の巨獣と、その下で手を振っている男性の姿が。
「落ち着いて、助けが来たんだ。さあ、みんな行こう!」
「大きな生き物だな」
「この大きくて温厚な生き物は『大地獣』といって、人類の頼もしい仲間なんだ、聖都までの道のりは険しいから、彼らの力を借りることになる」
巨体ではあるがおとなしい性分らしく、初めての乗り手でも十分乗りこなせるようになるそうだ。
「ああ、そうだ。悠仁、君に一つ頼み事がある」
「ん?」
「なるべく一般の人たちの前であまり姿を出さないでもらえるかい。二人にはとても遠い場所からやってきた客人というていでいてほしいんだ。人の体の中に別人がいるという噂が流れると少々厄介なことになりかねない」
「いいけど……あれか、子供が泣くから、とか?」
「まあ印象強い見た目をしているのもあるけど……すまない、今はまだ話せないんだ。もちろん、聖都にいる黄金裔の人には明かしても構わないよ。彼らは口が硬いからね」
どうやらファイノンは列車が天外からやって来たことを市民には隠し通したいらしい。
ファイノンが悪意を持つような人間ではないとなんとなく理解して来たため、悠仁はその頼みを了承することにした。
「みんな、ちゃんと座った?それじゃあ出発しよう——目的地はオクヘイマ!」
大地獣は低くうねり、その背を揺らしながら歩き始めた。
ゆりかごのように動く大地獣の背中はとても居心地が良く、旅の疲れか穹はぐっすりと眠りこけてしまった。
長い旅の末に彼らを乗せたキャラバンはオクヘイマへ到着しようとしている。
「穹、起きろ!」
自分の肉体が揺れ動く感覚がした。
大地獣のけたたましい足音が響き、周囲から無数の悲鳴が聞こえる。
瞼を開けば、そこはキャンバスに水を足したような空模様の中に隕石のように沢山の大砲が降り注いでいた。
それはまさに開戦の幕開け。
ニカドリーの眷属と呼ばれた大量の石像が聖都への侵攻を開始していた。
「街が襲われている!」
ファイノンは先導し、乱戦の根源へと向かって足早に去っていった。
橋は割れ、柱は折れ、住民たちは悲鳴をあげながら逃げ惑う戦乱の光景。
芸術品のように造られた建築物の数々が粉塵をあげ、世界の終末が訪れる。
大地獣の背中から降り立ち、星穹列車の彼らも臨戦体勢に入った。
「ふんっ!」
「はっ」
聖都は守りが堅い避難場所と思っていたが、ここまで危険が及んでいるとは。
まるで成すがままに人々の安寧の場を穢していく様は「壊滅」の行人の行いに等しい。
だが、彼らと反物質レギオンに関連性は見当たらない。
人々を襲うニカドリーの眷属たちを祓い、住民たちを避難させながら最前線で戦っているファイノンとなんとか合流に成功する。
だが、道が倒壊した柱に覆われ通ることができない。
「トリビー先生!」
「任せて!——我が呼びかけに答えよ、オロニクス!」
「?」
どこか懐かしい、デジャブのようなものを感じ取る。
理屈も理由もわからないまま、穹はトリビーと同じ言葉が自然と紡がれる。
「「記憶の幕を取り払い————過去のさざ波を呼び起こせ!」」
すると、まるで時間が巻き戻されていくように柱が徐々に修復され、完全に元通りになっていく。
どういうわけか穹がトリビーと同じ台詞を口走ったことに気付く者はいない。
隣にいた丹恒も、悠仁も、紡いだ張本人たる穹さえも。
「二人とも、すまない。まさかこのタイミングでニカドリーが軍を率いて聖都を襲うとは……奴はずっとケファレの宿敵だったが、今やただの狂った猛獣のようだ」
「人類の敗北だな」
「早いよ」
「慌てる必要はないよ。幸い、オクヘイマもこういう事態のために準備してきたし、『神託』がとっくに警告していたからね」
そう言ってファイノンは彼らを連れて、正門へと向かっていく。
あたり一面酷い有様だ。門番や兵士はいないのだろうか。
敵を掃討しながら、避難民の保護を同時に行なっていくその最中で……
「あ、ファイちゃーーん!」
「ただいま戻りました」
彼らはトリビーと容姿がとても酷似した赤髪の少女たちと出会う。
かろうじて髪型や目隠し、話し方などで違いを判別できるものの、瓜二つというより同一人物のように見える。
「ボクたち、トリアン!」
「あたしたちはトリノンです」
「あたちたちはトリビーって、違う!今は自己紹介してる場合じゃないでしょ!」
まったく、オンパロスは驚きの連続だ。
とはいえ、この三つ子はファイノンによるとなんと彼女たちは黄金裔の中でも古株の人間らしく、オクヘイマを支える者でもあるらしい。
おそらく仙舟の者たちと同じ長命種なのだろう。
「先生、避難民たちを頼んだよ。僕たちは先へ進もう。君たちなら大丈夫だと思うけど、黄金裔の人たちに敵だと思われないよう気をつけてくれ」
「黄金裔って味方じゃないの?」
「味方ではあるさ。ただ一人、めんどくさいヤツがいてね……」
正門をくぐり抜ければ市民が逃げ惑う中、一人の巨人が複数の眷属を相手に懸命に戦っていた。
筋骨隆々なニカドリーの眷属は鋭利でありながら、岩をも砕いてしまいそうな両手剣をその巨人の兜へと叩きつけようとしていた。
「ハートヌス!」
その巨人は先ほどファイノンが口にしていた友人の鍛治士のハートヌスであった。
市民を守りぬき、ボロボロになって倒れかける彼の首元に剣先が向かい、その白き石像を赤き獅子が噛み砕いた。
「『後方なら安全だ』、たいそうな仕事ぶりだな」
殺した眷属の遺骸を増えゆく眷属たちに投げ飛ばし、鍛え上げられた肉体を金髪の男が奮う。
「まったくこんな雑魚どもを相手にするならお前と一線交えた方がマシだ、救世主」
「皮肉はやめろ、モーディス。口を動かしている暇があるなら手を動かせ」
「少なくともお前よりは動かしているつもりだがな」
獅子の如き長き金髪を揺らし、半裸の男——モーディスはファイノンの言葉を鼻で笑った。
王のような不遜の態度に人懐っこい笑みを絶やさないファイノンは珍しく顔を顰めるも、続々と現れる敵を前に言葉ではなく剣を交えて返事を返した。
(……呪力量からしてアイツも術師——じゃなかった、黄金裔ってやつなのか)
悠仁はそのままひっそりとこれまで見てきた敵、味方を一瞥していく。
強い。おそらく強さで言えば一級術師の中でも上位だ。
そして同じく呪力を感知できる穹はというと……
「寒そう」
「あ、思っても口にしなかったのに!」
「すまない、あいつは服をまともに着れない性分なんだ。どうか大目に見てくれ」
「まともな服を着れないお前にだけは言われたくない」
そしてモーディスの視線は今度はファイノンから列車の方へと移る。
「そこの2人よ。こいつを信用しているようだが、考え直した方がいい」
「この状況で盟友を唆すなんて、何を考えているんだ?」
「盟友?最初に言ったはずだ。これまでもこれからもお前たちとのわだかまりを解くつもりは決してないと」
どうやらモーディスは別の一族の継承者であるらしく、相当身分が高いらしい。
それと軽口を叩ける間柄のファイノンは一体、何者なのか。ますます謎が深まるばかりである。
「そこの『来賓』たち、はっきり忠告させておこう。お前たちの案内人は決してもてなし上手だと言えない。それと、ヤーヌスの3人の司祭は一心同体。見聞きしたことは互いの共有できる故、お前たちの一挙手一投足はすべて見られていると思え」
どうやら彼は直感で星穹列車の2人が遠路はるばるやってきた黄金裔ではないと見抜いているらしい。
空気が次第に剣呑になっていく中、三人はその場の鎮圧をモーディスに任せ、聖都有数の居住地である雲石市場にやって来た。
住民の気配はなく、どうやらトリビーたちが迅速に避難を完了させたようだ。
品物である果物籠や椅子、机、人の営みを感じさせる物品が散乱し、まるで嵐が去ったような光景だ。
「もしここを強行突破するとなれば、余計な損失が生じるが……援軍が来るなら話は別だ」
ぞわり
首元にナイフを直接当てられたような感覚が背筋を伝う。
敵意も殺意もなく、あるのは「死」だけ。
冷たい、底冷えたような呪力が頬を伝い、慌てて穹は己の呪力を体の周りに纏い意識を戻す。
「ファイノン様。それから……来訪者のおふたり。いえ、おさんかた。ようこそ、オクヘイマへ」
遠くに蠢く群衆の中を鮮やかな蝶が羽ばたいていく。
巨大な鎌は無駄な動作なく敵の命を綺麗に刈り取り、彼女の後に残るのは灰と煙だけだった。
「君の足音が聞こえた瞬間、僕の英雄叙事詩は始まる前に終わってしまうのかと思ったよ。——キャストリスさん」
「こんなところであなたの叙事詩は終わりませんよ」
「聖都の『納棺師』がそう言うなら、僕はこの戦いを生き延びられそうだな」
生きながら死んでいる。
生気の薄く、抑揚のない声でキャストリスと呼ばれた少女はゆっくりと彼らをニカドリーの降臨した場所へと案内していく。
「私は『死』の影……死を前にすれば『紛争』にも迷いが生じるのです。できる限り、私からは離れて」
「……わかった」
「いま、近づいたらどうなるんだろ、って思ったろ」
「へへ」
「笑っている場合か」
ほとんどのニカドリーの兵士は争うこともなく、キャストリスのそばに近づき命を散らす。
かろうじて生き残った兵士たちを片付け、紛争の王への道が開ける。
「行こう、紛争に立ち向かう時が来た」
「そちらをご覧ください……あなたたちは鳥になって、あの最後の戦場に旅立つのです」
あまりにも早いクライマックス。
しかし、ファイノンとキャストリスはすでに覚悟を決めた顔つきをしている。
どうやら彼女はここに残って残党の後始末と、街が破壊されないように守る必要もあるらしい。
「……そうか、わかった。ではまた後で、キャストリスさん」
「またね!」
「ええ、どうかご無事で」
眷属たちはあらかた片付いた。
狂王を討ち滅ぼすため、彼らじゃ雲石の天宮へと向かう。
人の気配はなく、宮殿は静寂で包まれていた。
「今更だがすまない、三人とも。僕たちの一方的な都合に巻き込んで。ニカドリーは強敵なんて言うレベルの相手じゃない。あの『紛争』の化身を前に逃げるなら今しかない」
「大丈夫、俺何回か死んでるから!丹恒も悠仁も!」
「俺たちはタイタンの洗礼には興味はないが、それでも未知の世界に手を差し伸べるのは『開拓』を進む者としての責務があるからだ」
「神だろうがなんだろうが、ナナシビトとして止まるわけにはいかないんでな」
「そうか……すまない。君たちの決意を試すのは無粋だったようだ。『開拓』『ナナシビト』……君たちの世界でもまた、多くの人に崇拝されるタイタンのような存在なのだろうね。さあ、ともに英雄になろう!」
宮殿の石床を走り抜け、階段を登った矢先、その威圧は唐突に降り注ぐ。
濃密な敵意と殺意。
怒りと狂気に満ちた雄叫びをあげ、「紛争」の王の咆哮があたりに轟く。
「気をつけて!」
人々が癒しを求める源泉——ピュロイスの天井。
その外郭の角に、かの王は戦士を待ち望んでいた。
石英の羽を広げ、黄金の槍を王は高らかに掲げる。
「◻︎◻︎◻︎◻︎◻︎◻︎ーーーー!!!」
紛争の神「ニカドリー」が天罰と戦乱の名をもって、来たる戦士たちに歓迎の意を示す。
乱世の幕を下ろすのは英雄か神か。
世界を救う永劫の戦いが始まろうとしていた。
アグライアが出るところまで書きたかった……やっぱ長いねオンパロス。