夢を見た。
夢と現実の狭間でオーロラ色に輝くさざなみが揺れる。
心得領域ではない、星穹列車の車両の中でもない。
オンパロスに残されたどこかの記憶の深淵の上で。
「……ミュン?」
——なんの音だ?
「……おと?だれ?あれ?どれ?」
生まれたての赤子のようにソレは浮遊し、そして漂う。
何を言っているのかは聞き取れない。だが何を言っているのか理解はできる。
「あなた、あたし……あたしはだれ?しってる、しらない……でも、なつかしい」
たどたどしく、話したい内容も理解できない。
「……ねて、いいよ。じゃま、よくない」
映っていた輪郭は再びぼやけ始め、境界が再び曖昧になっていく。
次に目に入ってきたのは朝日の輝きであった。
一晩中、頭の中に響いていたあの声は一体、なんだったのだろうか。
悪夢ではなさそうだったが、この世界の法則となんらかの関わりがあるのかもしれない。
丹恒とこれからのことについて話していれば、ファイノンから連絡が入った。
トリアンがニカドリーのいるクレムノスを発見したらしく、これから出発する予定になったそうだ。
すぐさま黄金裔たちが集うバルネアに向かえば、そこにはファイノン、モーディス、キャストリス、アグライア、そしてトリアン5人の黄金英の姿があった。
「ふん……本当に己の運命を他人に委ねるつもりだったとは。狂ってるのか、それとも愚かなだけなのか……」
「たぶん両方かな。モーディス、君もそろそろ友人の1人や2人、作ってみたらどうだ?」
「モーディスはぼっちなの?」
「そうなんだ。彼は気難しい性格をしているが、悪い奴じゃあない。どうか仲良くやってほしい」
「HKS。余計なお世話だ、救世主」
クレムノスはモーディスの故郷であり、彼の一族はニカドリーの民だ。
だがかの神が狂気に飲まれたことを境に、彼は人間の怒りを持って神の権能を剥奪することを決意した。
クレムノスに向かうことになったのはファイノンとモーディスと穹の三人。
半神の二人、キャストリス、丹恒はこの場に残り、聖都の防衛を務めてくれる。
彼らは早速、紛争の化身が眠る土地へとトリビーが作り出した百界門を通っていった。
人の気配はなく、邪道に堕ちたタイタンの尖兵が跋扈するクレムノスの廃城。
長いこと整備されていない外壁は崩れ、蔦や葉の生い茂っている。
道中の残党を片付けながら狂奔の戦王の待つ場所へと向かった。
「凄まじい圧力だな。以前とは比べ物にならない」
「忘れるな、俺たちがここに立っているのは、お前がニカドリーを倒したいと切望しているからだ。お前がよく口にする覚悟とやらを見せてみろ」
視界が歪んでしまうほどの凄まじい威圧感に気圧されそうになりながらも、彼らは王の御前へと辿り着く門を開いた。
ひび割れ、砕け落ちた玉座の上で、ニカドリーは眠りについていた。
残されしクレムノスの王子はかつて信奉していた祖神に高らかに宣言する。
「朽ち果てた神よ!俺と相対し、終焉を迎えよ!」
モーディスの声を聞き、永きに渡る眠りから目を覚ました神は黄金の槍を握る。
聖都で見た弱々しい肉体ではない。
狂気に堕ちいようとも、汚れひとつない戦士の鎧は重厚に整えられていた。
「我はクレムノスの子、神託を受けし黄金裔——我が千の傷、百の命を以って、貴様の叙事詩に栄えある死を刻もう!」
実直な宣言に応えるように狂戦の王はけたたましい咆哮をあげる。
黄金の槍を掲げ、神は戦士に戦意を示す。
こうして、戦いの火蓋は切って落とされた。
同刻、宇宙ステーション「ヘルタ」にて。
ステーションの裏側。
職員のほとんどがその存在を知らない禁区エリアにて、天才クラブ会員番号#83の大魔女——ヘルタは優雅に佇んでいた。
幼少期の姿を模した人形を使った遠隔操作ではない、大人の姿であり、今現在の彼女本人がもつ肉体。
「知恵」の使令たる彼女は魔女を模した巨大な帽子を再び深く被りながら、目の前の面倒臭い問題にため息をついた。
「はあ……」
『おや、あの才色兼備、我らが造物たちが誇る素晴らしき天才のマダム・ヘルタがため息なんて珍しいですね。でもそんな姿も美しい!』
「茶化すのはやめて、第四の鏡。あと、そんな当たり前のことをいちいち口にしなくてもいいから」
ヌースへの謁見システムに介入しようとしたメモスナッチャーを誅した彼女は自身の造物である『第四の鏡』をコテンと叩いた。
自由意志を持たせたのはヘルタだが、こういった場面でも軽口を叩こうとする姿勢はいかがなものか。
だが、そんなことは今の彼女にとっては瑣末なことであり、捕えたガーデンの記憶からオンパロスのことを読み解いた。
「オンパロスには"呪力"が存在する。機械頭も、スクリューガムも、ましてや私でさえ辿り着けなかった答えをあの星は持ってる」
『マダム・ヘルタですら分からないままとは……あれ?でも虎杖悠仁さんから度々情報とかはもらってましたよね?それに、この前彼らか呪物化した武器とかをもらったじゃないですか!』
「あれはあくまでサンプル。おじいちゃん本人が呪力について解き明かすことに無頓着なせいで全然、研究が進まなかったの。目の前にある謎を解明できないで、結局後回しにされた私の気持ちを考えたことはある?」
『じ、地雷でしたか〜……ごめんなさい』
オンパロスにはいくつものメモスナッチャーが潜り込んでいる。
中の様子はほとんど分からないが、星の観測演算結果とコソ泥の「記憶」から分析、解析した結果、オンパロスから虎杖悠仁の"呪物"である両面宿儺の指と同じ周波数が発せられていることが発覚した。
自分で解き明かしてみせるはずだった謎の一つを他人からの情報共有——正確には無理やり読み取ったに近いが——がなければ解明できなかった、という事実にどこか不満げなヘルタであった。
「人間が持つ負のエネルギー。ようやく観測をすることができたのは喜ばしいけど、逆に言えばできることはそれだけ。使用用途も、出力方法も結局分からずじまい。唯一知ってるおじいちゃんは論外だったしね」
『でも記録によれば、最初に出会った時、すでに"呪力"の発生源やその在り方については教えてるじゃないですか。マダム・ヘルタなら絶対にいずれ解明できますよ!』
「肝心の術式の使い方の説明が一体どんなものだったのかも模擬宇宙の記録に残ってるでしょ。それを見てから言って」
『えーっと、どれどれ……[呪力ってのは臍を起点に流す]。あれ?思ったより悪くなさそうじゃないですか。他には……[そこから、こう、全身でグッと出して、グワーッてくるから]。……雲行きが怪しくなってきましたね。[術式の出し方?そら……そうよ……そらあれよ]。……雑すぎません?』
「もういいから。やめて」
『うわぁ、挙げ句の果てにはこんなこと言ってますよ![赤血操術の基本?あー、……こう、しょんべ「やめてって言ったよね?」すいません……』
要するにあんま参考にならなかった、という話だ。
悠仁は「昔はそこそこちびっ子どもに教えてたんだけどなぁ、ボケちまったかなぁ」と言っていたが、いまいち信用できない。
「結局、機械頭のデータベースに"呪力"は載っていなかった。おじいちゃんが星神が生まれる前の時代から来たのを考えればおかしなことじゃない。問題は……」
『問題は?』
「
かの知恵の星神——ヌースは天才#1のザンダー・ワン・クワバラが作り上げた天体計測機であり、唯一の人造星神。
真理を渇望し、無限とも言える自己進化の過程で戴冠を果たした其はこの世のありとあらゆる未知を既知に押し上げた。
どれほど偉大な発見をしようともヌースはすでに識っていることが当たり前の常識であり、この思考域の外側を作り出せるのは文字通りの天才のみ。
天才クラブに属しているように、ヌースの演算上において予想外の行動を取る不確定性をもった生命体がこの領域に達することができるのだ。
ヘルタやスクリューガムもまた、知識の特異点となりうる存在でもある。
『大変じゃないですか!……もし、あのポルカ・カカムに目をつけられたらどうするんですか!?』
天才クラブ会員番号#4—ポルカ・カカム、通称
数多ある天才たちを殺し、知恵の特異点を潰やしてきた要注意人物の名。
ありとあらゆる事象を100%にし、絶対的な殺害を可能にする「全知域」。自由自在に己の望んだ場所へ因果を辿り時空を介して行ける「因果の鎖」。
状況によっては全能とも言えるこの能力をもって、彼女は天才殺しの天才の名を冠した。
いくらあのヘルタでさえ、彼女を前にすれば生き残れるかは怪しい。もしポルカが呪力の存在を知り、ヘルタどころか虎杖悠仁や穹にまで目をつけてしまえば……
「別に」
『へ?』
「たしかに、ポルカは間違いなく”呪力”に目をつけるだろうけど、そんなことはどうでもいい」
『え、ど、どうでもいいんですか?』
「ポルカ如きにおじいちゃんが殺せるはずがない。ゼロに100をかけたら何になるのか知ってる?——答えはゼロ。仮に『全知域』で殺せる可能性を見出せたとしても、殺した程度で彼が死ぬわけないじゃない」
『普通は死ぬと思うんですけど……』
「
『うわぁ、物騒…………というかマダム・ヘルタって————意外とおじいちゃんっ子なんですね!』
「はあ?研究対象を隅から隅まで知っておくのは当然。今の話でなんでその結論になるわけ?」
兎も角、現在のヌースが”呪力”についての記録を持っていないことの問題はそこではない。
ヌースは現在、原因不明の停止状態に陥っている。あくまでその機能を失ったわけではないが、こちらから謁見しようにも顔を見せる仕草さえ見せようとしない。
沈黙
オンパロスを見つけたあと、知恵の神は沈黙を貫き続けている。
『じゃあ何が問題なんですか?』
「仙舟で絶滅大君を、ピノコニーで『繁殖』を一方的に殺してみせたおじいちゃんの噂はもう銀河に広まりつつある。特にガーデンみたいな胡散臭い奴らにはね」
そう。呪力の存在は表舞台はともかくとして銀河に名を響かせ始めていた。
ガーデンは言わずもがな、ファミリー、仙舟同盟、そして……絶滅大君にまで広まっていることだろう。
それに加え、悠仁本人は呪力のことを秘匿することなく開けっぴらに話しているのもあり、"呪力"はもはや既知になりつつある。
「いい加減、機械頭も"呪力"を認識していい頃だと思わない?」
『言われてみれば確かに……』
「それなのに、ずーっとあのぽんこつは"呪力"の存在を認めようとしない。……別の星神が何らかの形で干渉してきてるか、はたまたあの創造主が何かしたか……探偵ごっこは別に好きじゃなけど、今回は面白くなりそうだね」
あるいはヌースが本当にただのいじっぱりで呪力のことを認めていないだけなのかもしれないし、おまけに虎杖悠仁の情報も登録されないままだ。
問いただそうにも其は現在、沈黙を貫き続けている。
「あなたは一体何を考えてるの?」
はるか群星の先にある天体——オンパロスへと視線を向けるヘルタ。
いくつもの運命が交錯する不可思議な天体の未来が一体どうなってゆくのか、それはもはや、誰も知りえることはなかった。
場所は再び戻ってオンパロス。
戦場にてニカドリーと戦っていたはずのファイノンと穹はとある事情で戦線離脱を余儀なくされ、聖都に戻っていた。
「まさかニカドリーがあれほど不死身だとは……」
その理由はニカドリーの持つ独自の特異性。
神格を失ったにも関わらず、あの神の不死性は想像を絶するものであった。
互いの力は拮抗していたものの、あの紛争の王は戦いの陰で牙を磨き、聖都や世負いのタイタン——ケファレに向けて巨大な剣を作り上げた。
クレムノスの信仰の象徴でもあり、天空の神——エーグルの天上の楽園や数多くの都市国家を滅ぼした神の力。
今はモーディスが単騎でニカドリーを相手に己の不死性を押し付け合いながら拮抗状態を何とか保っている。
とはいえ、それもいつまで持つかはわからない。
「戦士の誇りもない、畜生の所業だ。まさかあの神がそこまで堕ちているとは……」
「悠仁の『御厨子』じゃ斬り落とせない?」
「できないことはないが、あれってニカドリーの力の一部なんだろ?本体が不死身じゃあ、壊してもまた再生するかもしれない」
悠仁にとってあそこまで巨大に膨れ上がった呪力の塊は久しぶりに見る。
戦士たちの無念や怨念を幾年もの間かき集めて作り上げたのだろう。
破壊するのは難しいことではないが、本体の不死性を除去できる保証はない。
「もしかしたらあの不死身も"縛り"を使ってるのかもな。自我を失う代わりにどんな攻撃でも死にづらくなる、とか」
「悠仁、"縛り"というのは?」
「約束事みたいなもんだ。あえてデメリットを作り出すことで、それ以上の効果を得られるようになる。例えばアグライアが視力を失った代わりに金糸の性能が上がった、みたいな感じ」
「なるほど……つまり奴は何らかのデメリットを背負って、あれほどの力を手に入れた可能性もあるのか。どちらにしろ、奴の秘密を暴くこと以外に道は残されていない」
「……しかし、クレムノスは長い間霧に包まれていた影響で、その不死性についてわかっていることはほとんどありません。そして…………それを明らかにできるのはただ一柱のタイタンだけです」
その名はオロニクス
「歳月」の権能を司るタイタン
運命の三タイタンのうち、最後に生まれた神であり、いまだに理性を保ち続けている数少ない神でもあった。
時の再現。「黎明」と「永夜」をもたらす権能であり、穹がかつて使った神跡の力の祖とも言える。
過去を再現するその力があれば、ニカドリーの不死性の謎も解けるかもしれない。
問題はあの神が極度の人間であり、そう簡単に協力してくれるかは定かではなかった。
トリビーの百界門を潜り抜け、運命の三相殿に辿り着いた一向。
ヤーヌスの司祭であることを示す石符を受け取り、万路の門の奥地へと続く神殿へと向かう。
案の定、オロニクスは彼らとの対話を拒み、今は行方知れずの法のタイタン——タレンタムの試練を彼らに与える。
子供の児戯のような試練を難なく乗り越え、歳月のタイタンの眠る神殿へと辿り着く。
永夜に包まれた帳の中で宝石のような体は輝き続ける。
物理的な躯を捨て、精神体として空に佇むオロニクスの姿は神秘的で美しい。
「オロニクス、お願いだ。……どうか力を貸してくれ。ニカドリーが狂気に染まりオンパロスを破滅へと導こうとしている。霧に覆われた過去を明らかにして、狂気を鎮めるために僕たちを導いてくれないか!」
タイタンの言葉を理解できるキャストリスがオロニクスの反応はあまりにも悪い。
神託に従い、救世を口実に世界を、神々を獲物と定め殺していった黄金裔はあの神にとって同胞の仇でもある。
憎しみの込められた視線を仄かに感じる。
「『出ていくがいい……今すぐに。それで世界が破滅しようとも……虐殺者どもに手を貸すつもりはない』」
「たしかに……神殺しが獲物に助けを求めるのは都合が良すぎるかもしれない。でも、もう時間がないんだ」
もし交渉がうまくいかなければ、ここでオロニクスの火種を奪うことすらも辞さない姿勢でファイノンは前へと一歩踏み出した。
「こうしている間にもモーディスは何度生死を彷徨っているか分からない。僕が迷えば、彼を苦しめることになるんだ。……オロニクス、すまない」
パシャリ
明らかに場違いなカメラの音が聞こえた。
なのかのカメラを使って、穹がオロニクスの姿を写真に残した。
「つい我慢できなかった。てへ」
「……うん、まあ、うん」
もはや丹恒も悠仁も穹のおかしな行為に苦言を呈さなくなっている。
するとオロニクスが突然、何かを求めるような鳴き声を上げた。
「待ってください。オロニクスの様子が変です——『母上……?母上……』。穹さん、前に出ていただけますか?オロニクスがあなたを呼んでいるようです」
キャストリスの言葉に従い、前へと踏み出せば、オロニクスの神体はさらに光を増して輝き始めた。
「『汝なのか……?母上と巡り会ったのは……母上が汝を懐かしんでいる……。さあ、ついてくるがいい。母上も……汝の姿を見たいと望んでいる。我らにすべてを見せておくれ』」
「タイタンは穹を誘っているのか?」
「わかりません。ただ、これが私たちとの関係構築を望むオロニクスの意志の現れなら、試してみる価値はあるかもしれません。どうか慎重に考えてください」
歳月のタイタンはさざなみのような声で、ただ穹の来訪を待ち続けている。
その誘いを受け付け、「記憶」の海中へと意識が飲み込まれていく。
辿り着いたのは夢の中で見た、オンパロスのどこかの光景。
瓦礫は浮き、星空の中に小さな浮遊物がこちらへと飛んできた。
桃色の妖精は興味深そうにこちらを星模様の瞳で見つめる。
「またお前か……どこに連れていく気だ?」
「あなた。あたし。どこ?つれてく。きおく。あなたの。のぞく?たのしみ。みらい。かこ。みる。ひみつ……」
遠くに広がる夜空は、星穹列車の車内へと変わっていた。
パーティ車両の一室。
誰もいないはずの車両に丹恒、姫子、そして自分自身の姿が氷に閉ざされ、「記憶」の残影として映し出されていた。
「これっていつの記憶なんだ?……悠仁?」
声を投げかけても返事はない。
オロニクスに過去を見せられたとき、彼も一緒にいたはずなのだが……
その残影のそばに行けば、氷像は溶け、存在しない記憶が再開する。
「お疲れ様、君に怪我がなくてよかったわ。……あら、何も言ってくれないの?無口な2人と旅をするのって、なんだか寂しいわね」
「腹減ったな」
「ふふ、そういう時だけ喋るのね。ほら、夕食の準備は整ってるわ」
「……できれば、牛もつ乱切りのラー油和え以外がいいんだが」
「なぁに?故郷の味が気に入らないの?」
「ホルモンのの匂いが嫌なんだ……」
おかしい。こんな会話を2人とした覚えはない。
それに丹恒も姫子の雰囲気や話し方もまるで別人。
悠仁の記憶?それにしてはどこか既視感があるような。
「きおく、わすれる、こんらん。あたしたち、まよい、とける」
妖精の声に誘われ、ぼんやりとし始めた丹恒と姫子の影が薄れ、本当の姿が露わになる。
「カフカと……刃!?」
現れたのは星核ハンターの2人の姿だった。
一体どういうわけか、過去の自分と一緒にいるはずのない相手。
少なくとも、彼らとこうして和気藹々と過ごしたような記憶はない。
『今回の脚本はかなり危険が伴うものでしたが、彼の柔軟な対応のおかげで無事に終わりましたね』
「何か用?今レイド中だから、喋ってる暇ないんだけど」
その後も、記憶の足跡を辿っていけば、サムや銀狼の姿までもが現れ、過去の穹との会話が再生され続ける。
誰に呼びかけようにも返事はなく、当時の記録が延々とそのままリプレイされるだけ。
存在しない記憶はやがて温度が下がり、霜が降り、そして凍りつく。
「カフカ……」
「あら、おチビさん、何かあった?」
振り返った彼女の顔にはよく知った笑顔が浮かんでいる。
「俺、お前のこと忘れてたのか?」
「忘れた?……私、君を不快にさせるようなことをしたかしら?私たちは仲間でしょう。わだかまりを抱えたままでいるのは良くないわ。思うんだけど……」
存在しないはずの記憶の中で、カフカは振り向かず、何も答えなくなった。
意味がわからなかった。こんなことをして何がわかるのか。
こらは宇宙ステーションで目覚める前の記憶なのか、誰も答えを知る者はいない。
「母上……まだ、そこにいるのか?」
オロニクスの声が脳内に反響し、聞こえる。
曖昧な音色は耳では聞き取れないが、不思議と何を言っているかは理解ができた。
「逆流する記憶が……窓を叩いている」
世界の時が止まる。
コーヒーの香りも、天井の明かりもすべては氷のように停止していく。
オロニクスの言葉に従い、記憶の光景を眺めながら、外を見る。
氷晶は雨となって流れ落ちる。世界は漂白され、「記憶」だけが銀河に取り残された。
そこに写っていたのは……
「ミュミュ?」
「あれが……浮黎か」
「記憶」の星神を窓の外から眺めながら、虎杖悠仁は
オロニクスの権能は穹だけでなく、悠仁の過去も同じように反映させた。
結晶体でできた肉体を持たない神々しい身姿。
氷の結晶でできた神体は輝きを失うことはない。
「思えば俺も……ここからだったな」
窓の外を眺め、視線を彼へと移す。
汚れのない白いベッド。
古びたテレビ、看護師のために植えられた花。
呪いを背負い、呪いと戦うようになった先の見えない始発点で、彼が亡き人へ思いを綴る。
「爺ちゃん」
虎杖倭助
悠仁の実の祖父であり、両親のいなかった彼にとっての育ての親でもある。
今際の際でありながら、カラッとしていて、とても入院中の人間とは思えない。
「悠仁……最期に言っておくことがある」
「いいって、興味ねーから」
「オマエの!両親のことだが!」
「そういや最後まで知らなかったな。まあ、別にいいか」
これは記憶による再現。
過去の本人が蘇っているわけではなく、ただの記録映像のようなもの。
「男はカッコつけて死にてぇんだよ!空気読め、クソ孫が!」
「いちいちキレんなって。血圧あがんぞ」
「ケッ、ゆとりがよ」
あいも変わらずシワの変わらない不機嫌で無愛想な顔。
だが、歳をとり祖父と同じ立場になったからか、何となくだがその気持ちもわかるようになってきた気がする。
バランスの悪い花瓶をいじりながら、窓枠で静かに佇む浮黎へと視線を返す。
「……悠仁」
「……何、爺ちゃん」
「オマエは強いから、人を助けろ。手の届く範囲でいい。救える奴は救っとけ。迷っても感謝されなくても、とにかく助けてやれ」
「わかってるって。今もずっと、覚えてる」
だから、まあなんの意味があるというのか。
結局、ここにいるのは本人ではない。
今更、感謝の言葉や恨み言を投げたところで帰ってくるのはあの時と同じ光景だ。
「悠仁」
「?」
妙だ。
ここは記憶の再現。
当時と今で、祖父の言葉が変わるはずがない。
しかし、あの時俯いていたはずの彼の顔がなぜかこちらに向いている。
悠仁の記憶では、この後に続く遺言は……背中を押した呪いの言葉でもあったはずだ。
「頑張れよ」
倭助が伸ばした手を悠仁はコツンと叩き返した。
「————応!」
まるで初心に帰ったような心持ちで、彼は肉親へ笑みを浮かべる。
気づけば病室に祖父の姿は消えていた。
今の光景が一体何だったのかはわからない。
ただの不具合か、それとも奇跡か。
もはや悠仁にとっては瑣末なことだ。
「それで…………オマエは結局誰なんだ?」
「ミュン!」
浮黎とは違う興味津々と言わんばかりにこちらの顔を覗き込んでくる小動物に悠仁は視線を向けた。
日本の病室には絶対いないであろう、人形のように可愛らしい桃色の妖精が満面の笑みでこちらを覗き込んでいた。
泣く泣くニカドリー戦はカットしました。尺が……
追記:また投稿時間ミスりましたぁ!