オロニクスの火種を受け継ぐことのできる黄金裔はこの長い間で誰1人として発見されなかった。だがそこに相性の良い「記憶」の力を持つ開拓者が現れた。
ミュリオンがオロニクスから生まれたこともあり、黄金裔たちは穹を火種を受け継ぐ者として提案した。黄金の血の通っていない穹にそんなことができるのかはわからないが穹は術師の肉体を持っているため、決して不可能とは言えないはずだ。
英気を養うために休息をとり、創世の渦心にて試練を受け入れた穹。
祈言を紡ぎ、火種を返還すれば空に浮かぶ星座が輝きを灯す。
試練に潜り込み、「記憶」の中の深淵へと誘われた穹。
オロニクスの声が脳内に反響し、誰かが彼の体を優しく叩いた。
「とんとん……ねえ、起きて!」
「ミュリオンが喋ってる!」
「そうなの!あたしもびっくりしっちゃった!なんて可愛らしい声なのかしら!」
「子供の成長は早いなぁ」
「もう悠仁ったら、お爺ちゃんみたいなこと言って!」
外の深淵は黎明に灯され、明るくなっていた。
オロニクスの朧げだった声も今でははっきりと聞こえ、神殿の奥でその瞳が赤く渦巻いている。
「汝、汝を覚えている。天父は汝を見つめた」
タイタンの言葉はぼんやりしている。
霧の中にいるように、記憶の霜が静かに帷を下す。
金色の霜の中から聞こえる荘厳な声はどこか赤ん坊のようにも思えた。
「オロニクス、聞いて。あなたは長い間、オンパロスの運命を守り続けてきた。人々は記憶から力を得たけど、あなたの肩の荷は重くなるばかり。きっともう、疲れたわよね。でももう1人で背負わなくていいのよ」
「……解放……解放されたい」
「大丈夫よ、あたしたちが助けてあげるから……ゆっくり、眠ってね」
「あとは任せてくれ」
オロニクスの視線が再びこちらへと向く。
「汝には資質……力……そして強い意志がある」
「その通り!」
「だが、1つだけ足りないものがある」
「何が足りないの?」
「それは……未来……」
「未来?」
「天外から来た者、汝は天界を通り抜けたときすでに死んでいたのだ」
「何?」
ここにいる穹は天父——すなわち浮黎の一瞥によって作られた「記憶」の一部にすぎないのだと、オロニクスは言いたいらしい。
思い当たる節はある。天外を通りぬけた時、ニカドリーの矛が列車を撃ち落とし、穹の腹が大きく貫かれたことを。
あの黄金の矛は腹の部分を抉り取り、その際に大量の血が吹き出していた。
だがあのあと、特になんの欠損も後遺症もなく済んでいたことから、それほど大事には至っていないと結論づけていたのだが……
「待って!そんなわけない!もし死んでたとしても悠仁が気づいて反転術式で……」
「………………そうか、魂」
「悠仁?」
「俺はオンパロスに来て……一度も魂の知覚をしていない。いや、やり方も存在を忘れてた。たった今思い出したんだ」
「え、ほんとにボケちゃったの?」
「いや流石の俺も、そこまで耄碌はしてない……と思う。流石に……多分」
「あいまい!」
「……天父とは違う、いやむしろ相容れない存在が……汝に視線を向けた。その眼差しが汝らの存在を……希釈させようとしている」
「それは誰なの!?」
ミュリオンの疑問の問いかけにオロニクスは答えない。神にですら答えはわからない相手なのかもしれない。
再現された深淵の狭間が決壊し始めてしまった。
「歳月の権能を誰かが……背負わねばならない……」
もし火種を受け継ぐことができなければオンパロスは永遠の無秩序に陥ってしまうだろう。
それを避けるためにも、彼らは再び失った命を取り戻さなければいけない。
「世界を救いたくば……奪われた未来を……取り戻せ……」
その鍵を担うのは「死」のタイタン——タナトス
15回目の門の刻、夜明けが来る前に未来を取り戻さなければ、穹たち、そしてオンパロスに未来はない。
崩壊していく世界の中で「歳月」の本当の試練が言伝られた。
現世へ戻った彼らはタナトスを探しているキャストリスを探しにいく。
ケファレの御姿を一望できる広場にて……
「先日……樹庭でご一緒した時、あなたたちがなぜ私の呪いの影響を受けないのか疑問に思っていました。もしかすると天外の異能かもしれない……とも考えていましたが、まさかこのような理由だったとは……」
キャストリスの手が直に穹の頬に触れる。
どれだけ時間が経とうとも、彼女の手が死をもたらすことはない。
信じられないものを見るような眼差しが向く。
「生者」に触れるその震えはとてもか弱く、その間穹は何も口にしなかった。
「もし……あなたたちの魂が本当に身体から離れているのだとしたら、『納棺師』である私ならその行方を感知できるかもしれないと思いまして」
「死」の権能がその魂の在処を探す。
剥がされた魂は活路を見出せないままどこかに彷徨っているらしい。
その痕跡を最後まで辿ることは叶わなかったが、猶予はまだ存在している。
「どうか私が使命を果たせるその時まで持ち堪えてください。オンパロスには……おふたりが必要なんです」
ファイノンとアグライアにも顔を見せにいけば、彼らは穹の安全をはっきりと確認し、安堵してくれた。
タナトスの行方については何もつかめていない。だがアグライアには「死」の居場所を知っている者に心当たりがあるようだ。
その名前は「サフェル」。「詭術」の盗賊、縦横無尽に世界を駆け巡る黄金裔の名だ。
そして穹たちが生と死の境目を彷徨っている間、同じように「呪い」の狭間で歩みを止めない1人の男がいた。
枯れた旅人たちは誰1人としてその男を見ない。ただ黒い潮騒へと顔を向けているばかりであった。
「ここは冥界の外側のステュクス?つまりタナトスがいるとでもあなたたちは言いたいのですか」
耳をすませば潮流の音が聞こえ————
「其方はそこまでして死にたいのか?」
「……!」
「おお、目覚めたか」
サーシスの声が響き、意識が現世へと戻る。
悠仁を真似た瞼から顔ではなく、タイタンの姿となって顕現したサーシスが隣にはいた。
他人の目からは見れず、まさに幽霊のような状態。
だが時が経てばいずれ霊となり消えていくのはアナイクスの方になる。
フレイムスティーラーから襲撃を受け、命からがら「理性」の火種を体内に入れ隠すことで保ってきた彼の魂ももはや擦り切れかけていたのだ。
猶予は15日。そして、彼に穹たちのような蘇生の機会は訪れない。
宣告されたわずかな余命。
だがそんなことを聞いても彼の顔に動揺や恐怖などは見られない。むしろこれから解くべき課題を見つけ、活き活きとしていた。
「もう一度聞くが……其方は本気でアグライアを裏切るつもりか?」
「そもそもあれに忠誠を誓った覚えはありません」
「其方の門下生たるあの白髪の小僧は?」
「盲信には必ず代償が伴う。これはファイノンにとって良い教訓となるでしょう」
アナイクスはこれからあの元老院と接触をするつもりだ。
火を追う旅を続けるかどうか、世界の命運をめぐる議題を評議にて話し合う民会にて彼は……元老院側につくことを決めた。
その狙いはケファレにあり、彼は人々が信仰してきた神話をその手で台無しにする算段を練っている。
黄金裔にとっては裏切りだが、彼にとってはどうでもいい。むしろアグライアに対して清清する気分だ。
「であれば…………虎杖悠仁はどうなのだ?」
「……」
「ふふ、初めて嫌な顔を見せたな」
「そもそも天外の彼らと黄金裔は同盟関係にはありますが、元老院と敵対関係ではありません。裏切る、という言葉の意味を履き違えないでください。どうせあのお節介のことです。この件を仮に知ったとしても私の意図にすぐに気づくでしょう」
「ほう……其方らの関わりは他の誰よりも短いと思っていたのだが、随分と奴を信頼しているように見える」
「まわりくどい言い方ですね……他者との関係の構築に時間の有無は必要ありません。彼は私に対し幾つもの有益な情報を齎してくれました。であれば、私はその誠実さに対し同じように返すだけです。等価交換、と言えばあなたにも理解できますか?」
「わかったわかった。そういうことにしておいてやろう」
釈然としないアナイクスは心の中で再び舌打ちをした。
開拓者と虎杖はよくもまあ、同じ肉体を共有しておきながらあれほど上手に意思疎通が取れるものだ。
生まれも育ちも違う、血縁関係ですらない赤の他人同士でありながら。やはり波長でもあったりするのだろうか。
早くもこちらは、目の前ののほほんとした神に対して苛立ちが募り始めているというのに。
そうこうしているうちに元老院の使者が彼らが佇む広場を訪れた。
オクヘイマ人やクレムノス人とは違う、機械仕掛けの肉体を持つアンティキシラ人の男が使者として出向いてくる。
「私はリュクルゴス、どうぞ『ライコス』とお呼びください。今はオクヘイマにおける議会の主席を務めており、『神礼の観衆』の名のもと、誠実な市民の自己表現の権利を守っています」
天外の呼び名で言えばオムニックに近いのだろう。
二対の手を生やし、目元を覆った彫刻のような人間は丁寧な口調で彼らに挨拶を交わした。
少なくとも彼からは元老院特有の黄金裔に対する憎悪や悪意などは感じられない。
「無駄な駆け引きは結構です。オクヘイマ民会における樹庭からの特派公使である私は以前からあなたの手腕をよく知っていますので」
「ふふ、いいですね。カイニス殿もあなたのような勇敢な盟友は好意的に迎えてくれるでしょう」
だが油断のならない人物であることには相違ない。
そして呪力を感知できるいまとなって、アナイクスは目の前のリュクルゴスから感じる違和感の正体を理解した。
このアンティキシラ人は……呪力を操作し、己の力量を上手く隠していることに。
昼時にうつり、穹たちが訪れたのは民会が行われる黎明の崖。
議題の内容はオクヘイマの指導者はアグライアで良いのかどうかであった。
議員の者の大半は彼女が政を執りなし「火を追う旅」をやめることを希っている。
繁栄の時代——「黄金紀」の再来を企む元老院にとって、再創世を成そうとしていた黄金裔はあまりにも邪魔な障害なのだ。
ろくに前線に出ず、影からコソコソと面倒な妨害行為を行うその醜さはまるで過去の呪術総監部そのものだ。
災厄の三タイタンが滅べば、黄金紀は再来するなどという根拠のない机上の空論に縋るその姿は哀れでしかない。
だが元老院の指導者たるカイニスはどこか自信があるようだ。
「元老院は根拠のない口約束はしない。見ろ、今私の隣に立っているのがその証左だ」
そう高らかに宣言した彼女の隣には……アナイクスとキャストリスの姿があった。
「……そんな」
親しい者たちが敵側に寝返ったことを知ったファイノンは頭をガツンと殴られたような眩暈に襲われている。
その横で穹……のなかにいる悠仁はあーまぁ、そうだろうなぁ、という視線をアナイクスに送っていた。
アグライア嫌いのアナイクスのことだから裏切ることなど歯牙にもかけないのだろう。
(どうせゴラスンのことだし、最初から味方ではないとか言うんだろうなぁ。……つーか、まあ、あっちもどうせ裏切るんだろうし)
アナイクスは保守的な思考を毛嫌いしている節がある。
自らの考えを絶対視し、タイタンが支配しているこの世界をひっくり返そうとしている男だ。
過去のやり直しをしようなどという古に囚われた連中に尻尾を振ることのできる人間ではない。むしろ正面から噛み付くタイプだ、と悠仁は短い付き合いのなかでかなり理解していた。
それをせず、あえて背後から刺すような真似をする意図があるのは、何かしらの策があるのだろう。元老院に近づくメリットはほとんどない。可能性として高いのは世を背負うタイタン————ケファレに違いない。
奇しくもアナイクスの予想通り、悠仁はその意図を正確にではないものの理解した。
キャストリスがそちら側についたのもアナイクスが何かしらの交渉をしたに違いない。
「天秤が傾き、結果が明らかになりましたね。ケファレとタレンタムの名において、そして神礼の観衆の名において私は見ました。次回の民会の議題は『火を追う旅の中断』に変更され、この決議案はすべての市民にオクヘイマの前途を示すべく、英雄の壁に掲示させていただきます」
ライコスが民会の閉幕を宣言し、元老院の議員たちは歓声をあげる。
参加者たちは次々とその場を後にし、残されたのは黄金裔サイドのアグライア、ファイノン、穹、そして元老院についたキャストリスだけだった。
「皆さん、ごめんなさい。きっと聞きたいことがたくさんありますよね。すべて正直にお話しするつもりです」
「はあ……では初めから説明してもらえますか」
「……先生は、私に見せてくれたのです。長く……重い過去を……」
それは遥か過去の記憶。
ケファレと魂を融合したアナイクスが見せた光景は驚くべきものであった。
サーシスと瓜二つの「カリュプソー」という名を名乗る女性。
ニカドリーの理性の姿を模った「ゴーナウス」と言う男性。
そして自分と、車椅子に座るよく似た少女、「ボリュシア」
アナイクスが見せたのはケファレがかつて見た記憶。
彼が見た過去の人物はすべて、今のタイタンと同一人物の可能性が高い。
カリュプソーは「理性」を、ゴーナウスは「紛争」を、そしてボリュクスは「死」のタイタンとなってこの世界を守っている。
つまり世に知られるタイタンたちはかつて黄金裔と同じような英雄たちだったのだ。彼らは預言に従い次々と神権を受け継ぎ、最終的に新世界の神々になった。オンパロスはある種の「輪廻」のように繰り返されていると、あのヒュポグリテスは結論付けた。
キャストリスは彼女自身が長い間探し続けた死の神の姉であり、再創世する前の世界から送られてきた唯一の証拠なのである。
というのがアナイクスの仮説だ。とはいえ、彼はすでにその「もしも」が真理であると確信しているそうだ。
「情報が……あまりにも多すぎる……」
「ゴラスンらしいなぁ。おおかた、次の再創世で自分が神になって世界を創り直せることに喜んでるんだろうけど」
突如として告げられた荒唐無稽な仮説にあのアグライアでさえすぐには受け止めることができなかった。
キャストリスが彼らについたのは、そちらの方が素早くタナトスを発見できる可能性が高く、穹たちの魂を手にいれるまたとない機会だからだ、と彼女は説明する。
「もしあなたたちと対立する運命にあるのなら、それに抗いましょう。全身全霊をもって、私の望むものを守ってみせます」
「ふふ、そうですか……」
「最初の一歩を踏み出さなければ、何も始まらないと……モーディス様はその行動をもって教えてくれました」
「……キャス、あなたが胸の内をこうして話せるようになるのをずっと待っていました。教えてくれたことに感謝します」
アグライアは目くじらを立てることはなく、むしろ彼女の成長を喜んでいる様子であった。
記憶の中でボリュクスの生まれ故郷が「スティコシア」という場所であることから、自然とタナトスもそこにいるのではないかという考えが浮かび上がった。
アグライアは彼女にスティコシアへ行くことを快く承諾してくれたものの、残る問題は、そのスティコシアにどうやっていけばいいのかだ。
「神話によればザグレウスは死者の領域を自らの宝物庫としていたと伝えられています。つまり、かの者は冥界を自由に行き来できたということです」
そうなればザグレウスの神権を受け継いだ半神にも同じことができるのではないか。
「明日、昼時に雲石の天宮に来てください。 ”サフェル”を案内役として、あの古代都市へと導くよう手配します」
そうして訪れた次の早朝、「詭術」の半神たる黄金裔と出会う前にキャストリスにはしたいことがあるらしい。
彼女の過去、処刑人としてさまざまな者たちを永い眠りへと送り続けた半生を回顧しながら雲石市場を歩み続ける。「死」を与える能力を持ち、タナトスと密接な関係をもっているからこそ、彼女は初めて人を救えるかもしれないこの機会を大事にしたいのだ。
此度の旅は彼女にとって最後の旅になる。預言では、キャストリスはいずれ花の海の果てで生者と抱擁を交わした後、永遠の別れが来るのだろう、と告げられていた。
「それを聞いても、私は特に驚きませんでした。その言葉は預言というよりも、私のこれまでの人生そのもののように思えたので」
それゆえに彼女は最後の機会に黄金裔の仲間たちに贈り物をしたいのだそう。
はじめに送る相手は穹たちだった……のだが
「あら?プレゼントが……見当たりません」
肝心のプレゼントがないらしい。
代わりに机の上に置かれていたのは猫のマークの入った金色のコインと石板。石板には何やら文字が書かれている。
「これはザグレウスの……やはり彼女でしたか」
「怪盗ニャンコが参上したの?」
「犯人はアグライア様がサフェル様。ザグレウスの権能を継いだ半神で、オンパロスのあちこちに伝説を残す盗賊です」
石板の指示に従い、その痕跡を辿っていけば、たどり着いたのは大地獣の飼育施設。
人の気配はなく、ぼーっと突っ立っている大地獣の姿がそこにはあった。
呑気な緑色の瞳がこちらに向く。その目には三割の誠意と三割の賞賛、そして三割の悪戯の色を浮かべている。
「サフェルの正体は大地獣だった!謎はすっかり解けた!」
「流石に無理があるだろ。てかすっかりじゃなくてスッキリじゃね?」
「はあ、サフェル様は相変わらずお人が悪いですね」
キャストリスはその大地獣の姿を見て、深くため息を吐いた。
「え、まじなの?まじなやつなの?」
「ふふん、名探偵穹って呼んでもいいよ」
「ゴ、ゴイゴイスー……」
隣で茶番を繰り広げている2人をおいてキャストリスは視線を大地獣から何もない空間へと移した。
彼女の視線が鋭くなると、無から聞き覚えのない少女の声が聞こえる。
「もう相変わらず防犯意識がからっきしなんだから。大事なプレゼントなんでしょ、肌身離さず持っとかないと」
「プレゼントだとわかっているのなら返してください。そうやって遠くから話しかけるのではなく」
どうやらキャストリスにはサフェルがどこから話しかけに来ているのかがわかっているらしい。おそらく、何度も彼女に盗まれた経験があるのだろう。
どこか圧のあるキャストリスの声にも動じず、サフェルは姿を現さない。
「え〜?プレゼントなんだし、ここは高値で買い取ってもらわないと!風の民は1つの場所に長く留まらないよ。でも誠意があれば話は別。ふふん、どうする?」
「いいでしょう。言い値で買います、いくらですか?」
「えっ、値切り交渉とかしないの?」
「あっ、えと……ごめんなさい。値切るのは得意ではなくて……」
「お金が余ってるならカンパしてくんない?」
「こら、穹も十分お金あるでしょーが」
「あははっ!"引きこもり姫"っていうあだ名は伊達じゃないね。じゃあ、2人ともうちに来てくれる?商談はまともな場所でやるべきだしね」
こんな開けた場所でお金のやり取りをするのは確かに危ないことだと思う。
相手がプレゼントを盗んだ盗賊でなければ、の話ではあるが。
「あなたの魂の気配を探れば十分……たやすいことです」
「いいね。んじゃ、そういうことで。あっ、そうそう……商談が成立する前に前金を貰っときたいんだけど、いいかな?……ほいっと——」
風が空を切った。
「うにゃ!?」
「随分とまあ、手癖が悪いな」
穹、いや悠仁が見知らぬ少女の腕を掴んでいた。
灰色の髪に青い宝石のような瞳。大きなフードを被り、さながら義賊として相応しい装いをしている。
「詭術」の半神、サフェル張本人である。「飛翔する幣」という祝福を持ち、まるで神速に近い瞬間移動能力を有する、まさに盗賊に相応しい力だ。
「嘘っ!?どうやって!?」
「長生きしてくると目が肥えてくるんだよ」
悠仁本人にもその神速を完全に捉えられたわけではない。ただ長年培ってきた戦闘技術があれば自身の間合いに入ってくる呪力の方向であればなんとなく読み取れる。あとは向かってくる方向に合わせて手を添えておくだけ。
随分前にもらった神血の蜜露を狙ったのだろうが、視線でバレバレでもあった。
「うへぇ、裁縫女から話は聞いてたけど、本当にやばいぐらい強いんだね。正直舐めてたよ〜。それでぇ……この手外してもらえる?」
「もう盗まない?」
「盗まない盗まない!もうグレっちからは盗まないから!あーイタタタタタ!」
それほど強く握ったつもりはないのだが、どうやらこちらの想像以上に華奢な体のようだ。
ホイっ、と腕を離せば、サフェルはすぐさま光を超えた速度で足早に去っていってしまった。
「おぼえてろニャ〜!」
なんて小物っぽい捨て台詞を残して
「あやべ、キャストリスのプレゼント返させるの忘れてた」
「問題ありませんよ、これから取り返しに行けばいいのですから」
「待てーー!ルパンーーー!!」
「それは銭形のとっつぁんの方じゃん」
探偵じゃなくて警部になっちゃってる。
というわけで、その痕跡を辿り、彼女の隠れ家までたどり着いた。のはいいものの肝心のサフェルの機嫌はあまり良くない。
今まで誰にも捕まることのなかった己が誇る俊足が容易く捉えられてしまったことがやはり若干不満なのだろう。
「みんなに話したいことは3つ。1つ目は裁縫女からあんたたちをスティコシアまで連れていって『死』のタイタンを探すのに協力するように頼まれたこと。2つ、元老院からタナトスの火種を手に入れてそれを渡すように頼まれたこと」
「意外と顔が広いんだな」
「まあね、これでもあたし半神だし」
驚くようなことではない。
あの狡猾な元老院のことだから、何がなんでもタナトスの火種を手に入れたいのだろう。
「そして3つ目は……あたしはどっちの依頼も受ける気はないって言いたかったんだけど……」
「けど?」
「悠っちがいるなら話は別かな」
先ほどの悠仁の力を垣間見たサフェルはその力がタイタンにも及ぶと正確に見抜いてみせた。
本来はキャストリスたちに本当に「死」の神と対峙する勇気があるのかを確かめる予定だったそうなのだが、悠仁の存在を知った彼女は考えを改めてくれたようだ。
「見る目があるね」
「なんで穹が誇らしげなの」
「まあね、これでも財宝を見抜く目は人一倍あるし。でも、最後に一つ忠告しとく。スティコシアは決して観光地じゃない。あそこはアグライアの財産10倍、いや50倍はあるかもね。なのにあたしは一度も行ったことがない。なんでかわかる?それはね————腐っても半神であるあたしですら無事に帰ってこれる保証がないから」
先ほどまでおちゃらけていた人と同一人物とは思えない真剣な声音で彼女は問いかける。
冥界に片足を突っ込んだ「死」の神が眠る場所。
韋駄天の如き俊足を持っていたとしても「死」から逃れられるかどうかは半々な確率。
「大丈夫、俺もう何回も死んでるから!」
「俺も俺も」
「あたしが死ぬかもしれないって言ってんの!あー、もう、追加料金マシマシだからね」
「他の人たちよりも長く生きてきましたので、いくらか蓄えはあります。それらを……すべてお渡ししても構いません」
「そんなことしたらそのあと食べていけないんじゃない?」
「あ、では9割……いえ8割にしましょうか……」
「じゃあお言葉に甘えてキャストリスの貯金の8割プラス神血の蜜露1本でいいよ……へへ、悪くない取引だね」
「とりあえずキャストリスから盗った物を返して」
「はいはいわかってるよ。意外とグレっちってねちっこいんだね。ほれ」
その投げた指輪をキャストリスはなんとか受け止める。
取引は終了し、長旅への英気を養うため、彼らは自分の部屋で休息を取ることにした。
翌朝、オクヘイマの門に集合した彼らは早速、スティコシアに向かうことになる。
「じゃ、行くよ」
黒いコインをかざし、投げる。
視線がそのコインに吸い寄せられていく最中……キャストリスとサフェルの気配が消える。
回転しながら落ちていくコインが地面へとたどり着く前に……無から再びサフェルが姿を現し——
「さ、あんたたちの番」
渡されたコインを彼女に返す。
再び天高かくサフェルはそれを投げ——
「緊張しないで。だって————一瞬だからね」
音も光も何もかもをすべて置き去りにした。
瞬きをする暇もなく、次元すら超えた足はすぐさま彼をスティコシアへと送り届けた。
「終わり。じゃあね〜」
穹が反応する暇もなく、サフェルは去っていってしまった。
先についていたキャストリスと視線を交わし、目の前に聳え立つ廃墟に視線を移す。
静かな潮の満ち引きと、「死」が繰り返される滅びた海洋国家が彼らの前に姿を現したのであった。