先生、暴れる
巨竜と波の都市国家「スティコシア」
アナイクスの推測が正しければ、行方をくらましているタナトスはこの廃墟のどこかにいるはずだ。錬金術の秘法を用いて一時的に自分の魂をサーシスとケファレと融合させた方法を用いれば千年見つからなくなったタナトスを呼ぶことができるかもしれない。
廃城の中にあるのは瓦礫と死者の魂だけ。
生者は1人としておらず、返事をしてくれる亡者は誰1人として存在していなかった。
「死」のない世界で生きていた黄金紀の人々の魂を解放していきながら彼らはスティコシアへと向かっていく。
そんな最中で彼らは見知った顔に出会うことになる。
「モーディス?」
「……お前たち、か」
他の亡霊とは違う黄金色の輝かしい生き霊
死んではいないはずの彼の魂がどうしてここにいるのか。
それは彼が暗黒の潮との戦い続けている証拠だ。何度も死に、そして生き返り、クレムノスひいてはオンパロスを「守護」し続けている。
「俺は……死を拒んでいる。そして遡り、この忌々しい冥界から抜け出す……それが俺の、宿命だ」
「なんか話し方がぎこちなくない?回線がラグい?」
「死を迎えないよう、その誘惑との戦いに全神経を集中させているようです」
彼らはモーディスにここを訪れた理由を説明する。
錬金術を嗜む死者の魂から聞いた情報によれば、塔の上に錬成陣を作りボリュクスを復活させようとしていた。
「死に……攻め入るか」
「そうです。もし私たちがかの神を打ち破れば……あなたも不死の呪いに煩わされる心配がなくなります」
「いいだろう、幾度も死とすれ違った者が……案内してやる……」
そしてたどり着いたのは塔の上。
巨大な錬成陣。彼岸と此岸の境目で彼らは再会を果たす。
「キャスちゃん、悠ちゃん、グレーちゃん!それにピンクのワンちゃん!」
「トリアン?けど、あなたはもう……」
元気な赤い髪の少女が黄金の炎に包まれながら、彼らのもとへとやってくる。
トリアンはフレイムスティーラーに殺されたははず。であれば彼女は偽物もしくは幻影なのだろうか。
「ステュクスを遡る時に、亡くなった友に会うのは初めてだな」
「やはり……これまでと同様、トリアン様から生者の気配を感じられません」
「うん!そういうこと。もうみんなのところには帰れないって知ってるぞ」
それでもトリアンはいずれキャストリスがここを訪れるだろうと信じ、人間界に一番近いこの塔で待っていてくれたそうだ。
「だからキャスちゃん、泣かないで!ほら、受け取って!」
彼女が取り出したのは一枚の古びた紙に描かれた黄金裔たちの姿が。
まさに火を追う旅路を思い描いた可愛らしい一枚絵。
決して絵画などと呼べるような美しさはないが、一人一人が丁寧に描かれていたどれほど彼らを思っていたのかが自然とわかる。
「へへっ、頑張って描いたんだ!」
「……素晴らしい絵です、トリアン様」
キャストリスはそう言って、静かに、それでも確かに微笑んだ。
「あ、いま笑ったよな!へへっ、ボクたちの願いが叶ったぞ!」
「あなたたちはこう言ってくれましたよね。運命は道の果てに咲く花じゃなく、人々が門を潜って、花の海に向かった足跡でできてる、小さな道のことをいうのだと。そして私の道もまもなく終点に向かう。最後の鍵を届けてくれてありがとうございます」
「鍵?キャスちゃん、難しい話してる?」
「予感がするのです。あなたからいただいたプレゼントは、いずれ彼らの命を救う鍵になると」
「へへっ、ならよかった。じゃあみんな、これからも笑顔を大切に。勇敢に前に向かうんだぞ。みんな————『また明日』!」
眩しい笑顔を残し、トリアンの金色の姿はスティコシアの月夜の下で、霧の中に消えていった。
ステュクスの果てにいれば「死」から抜け出せなくなることを憂慮したモーディスもまた、彼らに別れを告げた。
塔の上に描かれた錬成陣の上で、彼女は記憶の中の双子を思い返す。
「暗澹たる手」の試練は「最も近しい家族の命を奪う」こと。新世界にたどり着く前に死んでしまった姉の死を悔やみ、タイタンとなった妹は姉の魂を構築した。その結果、彼女は人前から姿を消し、行方知れずとなってしまう。
そう、彼女は姉——キャストリスのために死にここで眠っているのだ。
タナトスの火種を手に入れるためにはボリュクスを甦らせるしかない。錬金術の力で自身の身を捧げ、陣の上に立ちすくむ。
「————『以上、これにて終了。言葉はもう不要です』アナイクス先生が錬成の準備を終えた後に言っていたセリフです。これより……ボリュクス、あなたを蘇らせます」
黄金の血が垂れ流れ、泥と混じり陣に広がる。
——我が師、アナクサゴラス 森羅万象の叡智を与えたまえ
——剥落せし死竜の残骸
スティコシアを流れる川が湧きほとり、神の再誕を祝うために徐々に空へと集まっていく。
死の淵にて輝く純水は溢れ、空城を満たす。
——地から天へ昇り 天より降臨せよ
——地は天の如く 天は地の如く
濁流の中で死竜の卵が生み出される。
蝶が舞い、花は咲き、厳かに「死」が生まれようとしていた。
「すべての死を司る恵みよ……私が抱擁を授けましょう」
眠りから覚めた卵が割れ、腕を、体を、翼を生やし、「死」の胎盤が咆哮を上げた。
突如として目覚めたボリュクスに人間だった頃の記憶はないのか、自らの火種を守らんと彼らに対して敵意を向ける。
「私を救ってくれた少女は……もう消えてしまったのでしょうか」
悲しみに満ちた声音をあげ、竜はことほぐ。
殻に閉じこもった腕を伸ばし、無数の泥が溢れ出し彼らを襲う。
「おっと!」
泥と死で満たされた荒波を避け、2人は後方へと下がる。
キャストリスは鎌を、穹は「記憶」の力を宿す羽ペンを取り出した。
いくつもの古代文字を書き出し、写し、具現化させ、その波を無理やり押し止める。
「————!————…………」
「ごめんなさい。でも、もう決めてしまったんです」
泥波が押し留められ、その間合いにキャストリスが張り込み、ボリュクスの本体へと近づく。
草木の根のように侵蝕していくその腕を彼女の大鎌が切り落とし、死竜は悲哀の声を上げた。
「ルールは破るためにある!」
鋭い爪の攻撃を弾き、黒のバットが白く輝く。
危険を感じた竜は再び泥の波を飛ばし迎撃に出たため、立ち止まり地面を叩きつけた。
打撃によって剥がされた石床を持ち上げ、壁にして塞ぐ。
「———!————!!」
勢いが弱まることを知らない濁流に対し、穹は石板に呪力を流して盾として活用しつつ押し返してゆく。
目眩しにと、壁の横から槍を投擲し、ボリュクスの外郭に小さな傷が走った。
「ふんっ!」
そのまま壁を蹴り、泥波を跳ね除けながらボリュクスへと近づく。その壁が崩れる前に乗り上げた2人は濁流の上を乗り越える。勢いよく飛び越えた先に待ち受けていたボリュクスに2人はすぐさま攻撃を仕掛けた。
鋭く磨かれた鎌の鋒とバットの打撃によって竜が閉じこもっていた殻に大きなヒビが入り込んだ。
「————……!」
竜の咆哮によって「死」の幹は再び活性し、双尾が手足のように迫っていく。
穹は宙でバットから存護の槍へと持ち替え、その太く長い鞭のような衝撃を受け止めながら後ろに下がった。
「もう涙に暮れる心配はありません。あなたに、安らぎを与えましょう」
「お姉……ちゃん……?」
「ええ……ただいま」
微かに残る前世のボリュクスの魂が、生き別れた家族に反応した。だがそれは無意識に出た潜在意識の反応であり、死竜の攻撃が止んだ証拠ではない。
むしろその胸に溜まり続けていた怒りの火が静かに燻り始めていた。
「————!?…………!」
悲しみはやがて怒りに醸成され、ボリュクスの攻撃はさらに苛烈になっていく。
羽を殻に纏わせ、咆哮と共に巨大な衝撃波が飛ばされた。
キャストリスの前に立ってなんとか受け止めるが、その攻撃は単純な物理攻撃ではなかった。
「うぅ……!」
「穹さん!」
魂を削り、精神的な体力がごっそりと奪われた穹は槍を持ったまま片膝をついてしまった。
さすがは「死」を司る神だ。「紛争」のような純粋な力のエネルギーとは違う、肉体にまるで重しがついたような感覚。
頬をたたき、物理的な痛みでその精神麻痺を抑え、ふらつきながらもなんとか立ち上がってみせた。
「大丈夫ですか!?」
「…………ああ」
穹には魂を知覚する術はない。だが、それでも自身の魂がすり減っていくのがひしひしとわかる。
猶予は短い。短い戦い最中で決着をつけなければ彼らは間違いなくここで死ぬ。
「あまり無理をなさらないで」
穹を前線に出すことは駄目だと察したキャストリスは1人でボリュクスの元へと走っていった。
ミュリオンが囮として空を飛びながら翻弄し、時たま可愛らしい肉球で応戦するも、効果はイマイチ。ただ可愛いだけだ。
妖精に迫る腕をキャストリスが斬り落としたが、ボリュクスの攻撃が止むわけではない。
再び羽ペンを取り出した穹はそれをかざし、「記憶」の文字列を弾丸のように飛ばしていった。
「……いけ」
細長い腕は精密性のかけらも無いまま、氷の結晶となった文字を弾く。
そこの隙間をついた一つの文字が引きこもり竜の殻の内側に入り込み、小さな衝撃を与えた。
「——————!?——————!」
ダメージはない。
ただその意識外からの攻撃は死竜を大いに動揺させることにつながる。
怒りに飲み込まれた死竜は突然、周囲のものをそのツタのような腕で破壊し始めた。
「気をつけてください。無意識とはいえ、怒りが溜まり始めています」
「穹、代わるか」
「いや……このままいく……!」
その背骨が怪しく光り、なんらかしらのエネルギーを放出しようとしていた。
右腕に集った「死」の光りは垂れ、液体のようにドロドロと溶け出した。
泥とは違う、液状化した紫色の光体。もはや防ぐ手段はなく、死は更なる死をもって永遠の眠りをもたらすのだ。
「存護の槍よ……」
意識がふらつく。槍で足を支えながら、穹は一歩ずつ前へと進んだ。
鼻から血が流れ落ちる。垂れ落ち、それでも足は進んでいく。
少しでも抵抗しようと、もう片方の手で鼻から垂れ流される血を受け止め、集めて前方へと振りまいた。
「…………」
ボリュクスは集まった光体を握りつぶし、溢れ出す泥は美しい華の海を広げていく。
そこはもはや現世ではなく冥界。「死」の気配はより濃く、より早く世界そのものを侵蝕し、書き換える。
命の奔流が渦を巻き、生者へと牙を向く。エネルギーというにはその光はあまりにも怪しく禍々しく、そして美しかった。
目の前に湧き上がる死の前兆に、穹の足がすくむことはなく、進む。
イメージするのはいつだって勝利。その身に宿る英雄の姿を思い返す。
熱のように血管を伸ばし、体の輪郭をつくる。飛び散る血を己の体の一部と錯覚させる。
「……爆ぜろ」
迫る波を前に床に無造作に振りまいた血液が焔の槍と強く共鳴し…………爆発を起こした。
小さな爆発が幾重にも重なり、やがて巨大な花火を生み出す。幾年も放置されてきた古びた床には効果覿面であり、地面を媒介にして攻撃を行い続けたボリュクスにとってはまさに痛手となる反撃であった。
侵蝕する死の花は消え去り、残ったのは胴体がガラ空きとなったボリュクスのみ。
「死よ……安らかに眠ってください」
キャストリスの鎌が大海を切り裂き、巨大な旋風を起こしながらボリュクスへと斬撃か届く。
衝撃波がぶつかり、決壊寸前だった穹の意識が消えていく。
最後に彼が見たのは朽ちかけの月が輝く青い華の海原出会った。
黎明の崖にておこなわれていたのは「火を追う旅」を続けるかどうかの最終議題。
黄金裔につく者たちは再創世を望み、元老院の議員たちを私利私欲に塗れていると糾弾し、対する元老院は黄金紀の再来を待ち望み、黄金裔たちを偽りの英雄だと断じた。
どこまでいっても結論の出ない不毛な論争にアナイクスは黙ったまま静聴を続けていた。両者の意志はタレンタムの天秤にかけられ、最終的な決議は投票によって決することになる。
途中経過での答えは均衡。アナイクスが票をどちらに投じるかによって、このオンパロスの運命は変わってしまう。彼の予想通り、火を追う旅は中止に最も近い場所にまでやってきた。
「さあ、アナクサゴラス殿。あなたが最後の出番です。どうか慎重にお考えください。あなたの神聖な一票がこの均衡を崩すのですから」
「わかっています。一々おっしゃらなくて結構」
「であれば構いません。常識に反するあなたの答えを楽しみにしています」
アナイクスは自身の生徒に目を向けた。
あの頃のような未熟な戦士ではない。まさに世を背負う英雄の名にふさわしい弁論であった。
投票の札を投じる一歩手前で彼はじっと立ち止まる。一向に動こうとしない彼を前に、周囲の観衆がざわつき始めた。ぐずくずするなと糾弾する者、大事な決断なのだから待たせようとする者。だが、そんなものはただの雑音。
「アナイクス殿、どうかお忘れなく……」
「第一に、私のことをアナイクスと呼ばないでください。第二に私の話を遮らないでください。沈黙は金と言うでしょう?」
精神を集中させ、すべての雑音は無へと帰して行った。
隣で脳内にいる神が面白そうに周囲を一望していた。
「世の中のあらゆる苦難は、其方の道具として利用されるのではないかと考えてしまうな」
「ふっ、身体と魂が分断されたのはこうして使うためなのでは?我が師サーシス、またはカリュプソー。最後まで付き合ってもらいますよ」
冥界のさざなみを追って、彼の意識は深淵へと誘われていく。
ここではないどこかで、今は亡き師の言葉が反芻する。
『行きなさい。真理はすでに君の手にある』
孤独の探究の道は新たな始まりを迎えようとしている。その果てにたどり着いた時、賢人は真理の扉の前へと進んでいくのだろう。
目を閉じて、瞳を開く。
そのさきに広がっていたのは——————
「先生、あなたの推測は証明されました」
一面に広がる紫色の花。欠けた月に反射され、蝶は鱗粉をまいて羽ばたいた。
常世ではない世界の最果て、現世の裏側でキャストリスは恩師に伝える。瞬きの間に、冥界は消え視線の先にはケファレの御神体が。
「ふふふ……ははははっ……フハハハハッ」
笑う。賢者はただ、笑う。
「感謝します。キャストリス」
彼は票を投げ入れた。
その方向は……
「答えは明白です。私は……『火を追う旅』に投票します!」
歓声が響く。
賞賛の声、罵詈雑言の声、戸惑いの声、驚きの声。ありとあらゆる感情が入り混じり、彼へと降り注ぐ。
しかし、それはゴールテープを切り終えた彼にとっては平等に無意味。
「私は世界の真理を解き明かした……ハハハっ、フハハハハハ!フハハハハハハハ!!」
真理は解き明かされた。
もはや元老院の味方をする必要はない。
「天秤が傾き、結果が明らかになりましたね。神礼の観衆の名において、私は見ました————「待て!ライコス!アナイクス殿……どういうつもりだ!?裏切りの代価がどれほど重いか、その脳にしっかりと刻ませる必要がありそうだな……!」
激昂するカイニスを他所にアナイクスは涼しい顔を保ったまま。
「どうやらあなたは誤解されているようです。あなたはただ私を知らないだけ。あなたたちの哀れな政治ごっこに興味はありません。陣営だの、立場だの陳腐でただの笑い種でしかない。私の選択は一度たりとも変わっていない。……私こそが正しく、私が……私だけが唯一の真理なのです」
「カイニス殿、民が見ております。我々は民主主義の精神を貫き、この結果を尊重するべきです。私は見ました。オクヘイマがその運命を選び、民会の火を追う旅を支持することを!」
「ライコス……お前……!」
民会の平等性を保ち公平をきすライコスの意見にカイニスは忌々しげに睨みつけた。
「どうやらまだ満足していない人がいるようです。それでは、私が民会にもう1つ……いえ、2つ花を添えて差し上げましょう。最後の授業です。耳の穴をよく開けておきなさい」
そうして彼は一つの質問をその場にいる者たちに投げかけていく。
再創世の果てで黄金英たちが思い描いた災いも狂乱もない美しい新世界が待ち受けているのか、そのことをケファレに誓える者はいるのか。
誰も答える者はいない。いや、答えられない。火を追う旅が果たして最善なのかを理解している者は誰一人として
「ふん、馬鹿げていますね。私以外にこの素晴らしい未来を約束できる者はいないのですか!?なのに民会では誰1人として疑念を抱かず、この決議が通ったと?ふん、ヘソで茶を沸かすとはこういったときに使う言葉なのでしょうね」
「アナイクス先生……いったい何を……」
「彼の芝居に付き合ってあげましょう」
突飛的に始まった彼の奇行を止めようとするファイノンをアグライアは制した。
先ほどまで罵詈雑言や非難を向けていた者たちまでもが静まり返り、彼の残りの言葉を待ち侘びる。
「今、神悟の樹庭のアナクサゴラスがここに宣言します——火を追う旅が約束した未来は本物です。なぜなら預言にあるケファレの半神……エリュシオンのファイノンがその完全無欠な記憶をもって新世界を再構築してくれるのですから」
「なんだって!?」
「そう!火種を背負うタイタンは過去の黄金裔であり、同じ火種を背負う黄金裔は未来のタイタン——そして、私たち全員の魂は『世を背負う』神跡の下で永遠に存在するのです。ケファレの庇護にあるもの全てが必ず新たな新世界に辿り着けることを約束しましょう!」
民会に大きなざわめきが起こる。黄金裔を支持する者、反対する者、元老院を支持する者、反対する者たちは皆が口を揃えて彼の言葉の正気を疑っている。
だがそこに神礼の観衆たるライコスが制止を入れる。タレンタムの元、彼は職務を全うするため中立を貫き続けた。
「お鎮まりください!皆様方が混乱されることも大変理解できますが、我々はまだ彼の言葉を全て聞けていません。アナクサゴラス殿。であればあなたがおっしゃったもう一つの真理とは一体なんなのでしょうか?」
「よくぞ聞いてくれました。それは皆さんもよくぞ知る暗黒の潮のことです」
「なんだって!?」
ざわめきはより一層大きくなっていく。
それもそうだ。「暗黒の潮」は古来より侵略を続ける忌々しい敵。
だがその正体も目的も不明であり続け、人々の心の中にはいずれ暗黒の潮によって世界が滅んでしまうのではという疑念が存在しているのだから。
「タイタンが過去の黄金裔であることが証明されたいま、これもまた一つの真理へと昇華されたのです。心して聞きなさい。———世を背負うタイタン、そして世を脅かす暗黒の潮。これらは全て人間から生み出されたものであり、どちらも本質は変わらないということを!」
「はぁ!?」「あいつは……何を言っているんだ?」「ついに気が狂ったのか」「元からだろ」
「ま、待ってくれ先生!その理論だと僕たち黄金裔もまた、暗黒の潮と同一の存在だと言っているような気がするのだけど」
「だからそう言っているのですよ。であれば聞きますが、黄金裔と一般的な人間の違いはなんですか?なぜ黄金裔には他の者たちとは違う力があり、我々はタイタンの力を受け継ぎ半神となれるのですか?」
「それは……」
「答えられない。答えられるはずがない。であれば、衆愚の皆さんにももう少しわかりやすく言葉にしましょう。暗黒の潮は我々が常日頃感じる恐怖、恨み、怨念から生み出されたいわば負の集合体なのです。その力に影響を受けた人間こそが我々黄金裔であり、タイタンとなるのですよ」
もはや観衆も評議会の上に立つ者までもがそんなバカな理論はあり得ない。彼を引き摺り下ろせ、と罵っている。
だが、そんな野次馬を彼は鼻で笑い、己こそがただ一つの真理だと吹聴し続けた。
「その力は我々の魂に根付いています。人間はそのまさに『呪い』と呼べるであろう力を生み出し、神と言う名の奴隷を、暗黒の潮と言う名の舞台装置を作り上げました。未知なるモノはこの世に何一つなく、万物は全て私のこの手にあり、我々人間こそがこの世界における真の神だということです!」
「そ、それじゃあ……再創世が終わっても、私たちはずっと暗黒の潮に脅かされ続けるってこと!?」
「黄金紀と結局何も変わらないじゃないか!火を追う旅も徒労だって言いたいのか!?」
「私がいるのだからそんなことが起きる可能性など万一もあるはずがないでしょう。であればなんのための再創世なのです?私たちの敵は私たちの手のうちで滅ぼせるのです。決して届かぬ頂でも不滅でも不死でもない!」
「黙って聞いていれば好き勝手言いおって……生まれ変わってもお前らに跪けと言うのか!?おまけに神を奴隷と冒涜しようとは……どれだけ人を惑わせば気が済む!何を根拠に……」
「私の話を遮るなと言ったはずです!しかし……聞かれたからには答えてあげましょう。私は優しいですからね」
その根拠はケファレの神体を使った実験にある。
彼は自身が元老院議員とカイニスの黙認の元、ケファレと自身の魂を融合させ、その記憶の一部を垣間見たことを説明する。
「私は卑劣で恥ずべき冒涜者。当然、死刑に処されるべきでしょう……ですが!その後ろ盾として、黙認し、涜神の手助けをした元老院も同罪ではないでしょうか!?」
この議会において、アナイクスの理論が正しいか正しくないかなどといったことはどうでもいい。
重要なのはこの場における人間に「疑念」の種を植え付けること。
そして……自分が死刑に処させることである。
「ふ、ふざけるな!罪人のなしたことなど、い、一切知らん!ライコス……尊き『神礼の観衆』でありながら、元老院が汚名を着せられるのを黙って見ているつもりか!?」
「もし汚職が事実であれば認めるべきですが、そうでなければ心配する必要はありません。元老院が何千年にもわたって築き上げた信頼は一夜で崩れることはないのですから。民を愚弄した者は必ず報いを受け、誓いを破った者は酷刑に処させるべきかと」
今、この場において判決を下すことができるのはもはや「金糸」のアグライアしかいない。オクヘイマ法典に基づき、半神である彼女だけがその権利を有しているのだから。
「ケファレとタレンタムの名において、オクヘイマは7つ目の刻までに委員会を結成して調査を行い、その結果を開示しましょう!そして神悟の樹庭のアナクサゴラスはケファレを冒涜したことを告白により、死刑が執行されます。しかし、その前の『喝采投票』次第で、減刑と赦免の権利を有するものとします」
「「「「「死刑!死刑!死刑!」」」」」
「ふふっ、ハハハッ」
余断を許さない死刑の連呼に思わず、アナイクスは笑みを浮かべてしまった。
それは自身が死んでしまうことに対する自嘲ではない。己が目指すべきゴールに辿り着いた勝者の顔つきだ。
ファイノンはその様子にたじろぎ、彼と不仲であったアグライアもまた言葉を失う。
「何を迷っているのですか、アグライア。あなたらしくないですね」
「「「「「死刑!死刑!死刑!死刑!」」」」」
「ふぅ……それでは満場一致により……タレンタムよ、この者に『死』の運命をもたらしてください」
拍手喝采が巻き起こり、ほぼ全ての民衆がその結果に沸き立った。
かつてこれほど皆の意見が一致したことはあっただろうか。いやない。
熱狂的な喝采の中で、一際大きな拍手を鳴らしていたのは……他でもないアナイクス張本人であった。
「と……いうのが今回の結末です。終わってみれば、随分と呆気ないものでしたね」
「なんというか派手にやったなぁ、ゴラスン」
そこは創世の渦心。
火種を返還する場所であり、アナイクスの処刑場でもある。
だが、肝心の死刑囚の顔に憂いは全くない。
悠仁とアナイクスはお互いの身に起こった出来事について隠すことなく共有しあった。
ボリュクスを甦らせ、その火種を受け継ぎ半神となったキャストリスのおかげもあって、悠仁と穹は無事に命を取り戻すことに成功した。その代償に彼女は冥界で魂を背負う者としての役目を負い、死の海の守護者となる。
西風の果てで彼女は悲哀の地へと向かい、この世界と別れを告げていったのだった。
彼女との抱擁を交わした後、穹は意識を完全に落としてしまったため、悠仁が代わりに「歳月」の半神として「死」の火種を返還した。
悠仁はアナイクスがもう長くはないことを知っていた。死んでいた魂を無理やりタイタンの火種で延命させていることを知った時は流石にたまげたが、むしろアナイクスらしいと思わず納得してしまったのだ。
まあ、その後に民会で行った冒涜行為には白目を剥いたが。
「何か最後に言い残すことはあるか?」
「ありません。……と、言いたいところですが、私としては呪術の真髄……『領域展開』に届きたかったですね。サーシスは使い物になりませんでしたよ。まあ、それは来世の私が完遂させるでしょう」
「むしろその一歩手前まで辿り着いたことの方がすげぇよ。さすが天才」
「ふっ、当然です。ですが……あえて言います。虎杖悠仁」
「ん?」
「あなたがいなければ、私が真理に辿り着くのはもう少し後になってしまったかもしれません。あなたの歩んできた旅路とその協力に最大限の謝辞を。そして敬意を示します」
「そこで真理に辿り着けなかった、って言わないのがゴラスンのいいところだと思うよ」
「よくわかっているではありませんか。……そこの2人、なぜそのような視線を私に送ってきているのですか?」
ファイノンの驚きに満ちた表情と、人間としての感情を失いつつあるアグライアの恐ろしいものを見たかのような視線がこちらに向いていた。その視線の意味を察し、呆れつつもアナイクスは懐から小さな赤い石を取り出し、直接悠仁に手渡す。
「ゴラスン、これは?」
「私たちの『呪力』に関する記録、記述。そして見解をまとめて記憶媒体です。あなたであれば私が死んだ後も上手く活用できると思っていますので、私の信頼を裏切らないように」
「そっか……ありがと」
記憶結晶を受け取った悠仁の顔はそれでもやはり憂いを帯びていた。
本人が納得しているとはいえ、やはり友人が死んでしまうのは悲しいのだ。
「しゃんとしなさい、虎杖。誰か1人でも生きている限り、死にゆく者たちが真の意味で敗北することはない。それこそ呪術師のあり方なのでしょう?であれば私が託したものを最大限使い果たしてください」
「応。サンキューな、ゴラスン」
「……結局、あなたのその珍妙な渾名は治りませんでしたね」
「いや〜、呼びやすくてつい」
「つい、ではありません。…………ですが、アナイクスと一度も呼ばなかったことは悪くなかったですよ」
そして、彼は他の者たちとも最後の別れを告げ、自らの処刑台に立った。
己が成すべきことは成した。残された真相は彼の後を継ぐ者たちがいずれ解き明かすと信じて。
理性の神がその思想を守らんことを。
渦心にて、アナイクスは自らの心臓に手を伸ばす。
神の命、その魂。最後の生命線を使い果たし、命の危機に瀕した彼はその場に倒れ込みかける。
「ぐぅっ……ふっ、喜ぶといい。……サーシス」
締め付けるような心臓の痛み。そして苦しみ。
だがそれでも彼はずっと笑っていた。そしてそれはこれからも変わらない。
チリとなって消えていく友人に悠仁は決して目を逸らすことはない。
「あなたの魂を使い————新世界に疑念の種を蒔きましょう!!」
燃えゆく胸はやがて一つの火種へと変わる。
手に持つ蒼き結晶は輝きを忘れることはなく、愚かなヒュポクリテスは見上げ、高らかに笑い続けた。
『「——以上、証明終了。言葉はもう不要です」』
ほ、ほんとはキャスとかファイノンをメインにする予定だったんですよ…
でも気づいたらほぼ先生の独壇場になってたんです…