「カイザー……どういうことだ」
それはファジェイナの討伐を名目に「法」の試練を完遂させ……500名の黄金裔たちを生贄に捧げた後の出来事。
征服を名目に行われた血の儀式にカイザーの懐刀であるセイレンスでさえ憤怒の様相をみせる。
周囲には共に戦場で散っていった無数の兵士たち。誰もが決して満足した顔をしていたわけでもなく、苦悶の表情の中で死んだ者もいれば、カイザーに恨み言を放つ者もいる。それだけであれば、無情な戦場の残酷さを表しただけに過ぎないかもしれない。
「なぜ……なぜワタシの帰りを待たずに、無謀にも先遣軍を出撃させ、彼らを無駄死にさせたんだ!?」
しかし、彼らの軍の中で最も秀でた力を持つセイレンスはどういうわけか、その戦場にほとんど参加することができなかった。後方の脅威を理由に彼女を遠ざけ、他の部下たちを無駄死にさせたと言ってもいい。
「無駄死に?違うな——この戦いで流れた黄金の血は無駄にはならない。彼らは僕が『法』の神となる道を整えてくれたのだから」
カイザーは腹心からの非難を歯牙にもかけている様子はない。むしろ彼女の目から見て、彼らは死んで当然だと言わんばかりの表情だ。
……『法』を背負おうとする者は呪われた者の血をもって、世界の呪いを解かなければならない
「お前や僕のような神託に導かれた黄金裔たちは呪われた存在だ。あの傲慢な神礼官が言った通り、黄金の血は『壊滅』の因子であり、世界の運命とは相容れぬものだったのだからな。栄光ある征服の旅で犠牲になることは、僕が彼らに与えられる最後の贈り物だ」
「……まるで彼らが死んだのは自分の陰謀と非情のせいではないと言わんばかりの口ぶりだな。銀色のシャチがその身を賭して神礼官を退けたことを忘れたのか!?」
「その身を賭したからこそだ!火を追う旅は喪失の道、その中では命さえも些事になる。僕の駒としてあの男はその覚悟を持って散った。ならば他の者たちにも同様の忠誠心がないとは言わせないぞ」
「ならば……ならばなぜワタシを後方へと下げた?」
「お前には果たさなければならない責務がある。それだけのことだ」
ファジェイナの神権を背負えるのは、この地で生まれたセイレンス以外ありえない。
「海洋」のタイタンが支配していたこの都市国家はかつてセイレーンと呼ばれる海の種族たちが住まう土地でもあった。しかし暗黒の潮の侵略によってセイレンスを除いたすべてのセイレーンたちは呑まれて死んでいるのだから。
「選択の権利はお前にある。己を縛る忠誠を捨て、その剣で僕の心臓を貫くか……あるいはこのまま共に歩み続け、海洋の息の根を止めるか。もし僕がオンパロスに新たな『法』を築くことも認められないというのなら、この命を奪うがいい」
オンパロスのカイザーは横暴で冷酷だが自分を偽ることはない。
彼女は星の海へ至る野望のために、すべてを捧げる覚悟ができていると。
星の監獄長はそう言ってこれまで見た「記憶」を思い起こす。
「ここは……」
「鱗淵境といって仙舟・羅浮と呼ばれる大きな方舟の上にある海と繋がった場所よ」
「船の上に海があるのか……あいも変わらず天外の星々は僕の想像を遥かに超えてくるな」
ケリュドラはファジェイナ討伐のためにオクヘイマから出立する直前に、キュレネから日記帳に残された記憶を辿っていた。かつて救世主——つまり穹たちが歩んできた道行を見せたのだ。
始まりの宇宙ステーション、雪に包まれたベロブルグ、「調和」のピノコニー。
その旅路は決して楽なものではなかったが、カイザーの征服に比べれば血の気の少ない穏やかなものではあっただろう。
矜持と誇りを守るために決して屈しなかった若い女皇。「人間」を排し、一度は美しい夢に溺れてしまったものの、失敗を受け入れ、新たな旅立ちを決めた元引導者の青年。
「神」とその創造物のみが歩む居場所。そして「壊滅」が導く先の運命は所詮、残酷な未来しか待っていない。
それを証明するために見せたこれまでの開拓の旅路。しかし天秤を傾かせるのにはまだあと一歩足りない。
しかし、彼女が次に見たいと言ったのはこの鱗淵境だった。正確には穹たちが見てきた旅路の中で海がある場所、であるが。
その理由はきっと彼女に付き従ってここまでやってきた剣旗のためなのだろう。同族はおらず、故郷の海ももはや暗黒に呑まれ気安く泳ぐことすらできないのだから。
もちろん、キュレネの前でカイザーはそんなことを言わなかった。当然の褒美だ報酬だなんだの言って誤魔化すのだろう。だからこそ追及せず、水平線の奥を見つめ続けるカイザーに彼女は声をかけなかった。
「広いな」
ポツリとケリュドラはつぶやく。
鱗淵境に対する思いだけではないのだろう。波の音、磯の香り、風が砂が地肌に触れる感覚。
データではない、本物の感触。「記憶」の中でありながら、自らを閉じ込めていた監獄とは決して違うものだと。
「どう?満足してくれたかしら?」
「……いや、まだだな」
水平線の光景を目に焼き付けたケリュドラはキュレネの確認に異を唱える。まだ何か見せていないものがあったかと首を傾げるが、すぐにその言葉の真意に気がついた。
「そうね。たしかに彼の旅路も見てみたいわよね」
キュレネが取り出した本は今まで穹の旅路を記録していたものとは違い、どこか色褪せ古びていた。表紙から最初の方は擦り切れていたものの、しっかりと文字の記されたページをキュレネは引き抜いた。
その「記憶」は最初の最初の旅路が記されたもの。呪いの始まり、凡人からやがて世を背負う王に至るまでの物語。
「凡人……?黄金裔のような力を持っていない頃から異常な身体能力をしていた男が凡人だと?」
「それに関してはあたしも不思議に思うけど、あの非情な世界の中ではこの頃の彼はまだ力を持っていない側だった」
呪いを背負った少年は若くして喪失の連続にあう。親族の死、友となるはずだった者が異形に変えられ殺される。
肉体も精神も擦り切れるような日々。青年の影にはいつも「呪いの王」の姿があった。
天上天下唯我独尊。まるで傲慢を絵に描いたような男。自身のみを是と捉え、不快と思ったすべてを容赦もなく切り伏せる暴君ともいうべき存在だった。不幸を引き起こす渦中であり、虎杖悠仁が背負ってきた"呪い"の張本人。
「穹と今の悠仁はまるで家族みたいに接してるけど彼らはそうはならなかった。同じ肉体を共有してもなお、彼は悠仁と相容れることはなかったの」
「あの宿世卿が手をこまねくほどだったとはな。これでは王というよりもはや獣の在り方ではないか。……まさかお前はこの男の残虐さが僕と通じるものがあるとでも言いたいのか?」
「どうかしらね?でも統治者としてならあなたの方が何枚も上手よ」
「当然だろう」
気まぐれで傲岸不遜。絶対的強者であり、その時の気分次第で躊躇なく他者を害するその姿とは今の虎杖悠仁とは正反対と言っても過言ではなかった。
同じ呪力、同じ術式、同じように呪物となった背景を持っていながら真逆の人生を歩むことのできたのは一体なぜなのか、ケリュドラはそれが気になる。
「呪いを体に宿した後は、呪いを祓って人を助けて、その繰り返し……になるはずだったの。けれど彼が背負ってきた呪いはあまりにも重すぎた」
最初はただいつも通り"呪い"を祓うだけかと思っていた。
しかしそれは一つの国を巻き込む史上最悪の事件へと変わる。
最強の呪術師が封印され、特級呪霊たちが人間への殺戮を始めた。それを止めようと何人もの呪術師が犠牲となり、彼の目の前で死んでいく。そして彼は最終的に自分の手で間接的に大勢の人の命を殺めることとなった。
守るべきはずだったその人命を自分が生きていたせいで失う。あまりにも露悪的な展開にカイザーは少し眉を顰めるも決して目を逸らすことはなかった。
『錆びつくまで呪いを殺し続ける。それがこの戦いの俺の役割なんだ』
やがて少年は一つの部品と成り果てた。今の彼からは想像もつかないような底冷えた感情のない平坦な声音。
自分はただの歯車だと言い聞かせ、己が地獄の旅を歩み続けることを肯定したのだ。
それでも人々を何度も助け、恩師を解放するために各地を走り奮闘を続けた。自らが犯したわけではない罪をまっすぐ受け止め、背負い、彼は戦い続ける。
「愚か……いや、狂っているのか?そこまでして身の丈を超える呪いと罪を背負う義務がいったいどこにある。奴自身が蒔いた種でもあるまい」
「そうね。そこが彼の悪いところでもあるし……いいところでもある。あの真っすぐさに心を救われた人はたしかにいるんだもの」
彼のその苦労も報われ、ついに最強たる恩師の封印を解除することに成功する。しかし、彼の身に宿す呪いはそれだけでは終わろうとしなかった。
友人の身体へと乗り移ったソレは器の少年を殺そうと牙を向ける。奇跡的にその凶刃から逃れることはできたものの、"呪い"は少年の努力を惨めだ滑稽だと嘲笑った。
やがて最強の恩師が敗れ、少年は"呪い"と再び相対する。
師を失い、家族を失い、肉体も精神も擦り切れて、けれど蓄積された怒りと憎しみがソレでも彼を立ち上がらせ続ける。百折不撓の精神をもって、呪いの王と最終決戦に乗じることとなった。
「最終的に悠仁は自分の"呪い"に打ち勝つことができた。けれど……最後に彼がぶつけたのは侮辱でも怒りでもなく————憐みだった」
「何?」
「……倒した後、呪いではなく人間として生きることを提案したの」
「つまりあの男は……許したのか?自らを地獄へと堕としたすべての元凶を?」
多くの悲劇を見てきたカイザーでさえ、虎杖悠仁の送ってきた人生は顔を顰めてしまい、その元凶どもに不快な感情を抱かずにはいられなかった。外野から見ていただけのケリュドラさえそう思ってしまったのだから当の本人はその何倍以上もの屈辱と悲哀、そして憤怒を抱いたことだろう。
それでも最後には差し伸べたのは救いの手だった。誰かを呪うのではなく、誰かと共に生きる人生を歩もうという提案を彼はしたのだ。
人間とは生まれた時から役割が決まっているわけではない。"呪い"としてしか生きられなかったその男にもきっと別の生きる道があるはずだと、「人間」として生きることができるのだと。
「結果として呪いの王がその手を握ることはなかった。むしろ今までにないぐらい怒らせちゃったぐらい」
「だろうな。この僕でさえ憎しみや怒りは幾千受けてきたが憐憫の感情を差し向ける者など誰1人としていなかった。いや待て……宿世卿は僕にも同じような感情を抱いているとでも?」
「それは本人に聞かなきゃわからないわ。だって時代も場所も文化も全然違うもの。けれど…………何か思うところはあったんじゃないかしら」
「チッ、やはり折檻して口を割らせるべきだった」
戻ってきたら拷問して問いただしてやると息巻くカイザーに微笑みながら彼女は次のページをめくった。
「そのあと彼は自分が呪物を取り込んだことで寿命を克服し、やがて最強の呪術師——特級術師と呼ばれるようになった」
「僕たちと同じ黄金裔……いや半神になったというわけだな」
呪物による長寿が彼に与えたのは孤独だった。
不老の肉体によって彼の友人は皆先に旅立ち、まだ残っていた親しい者たちとの別れを恐れ、自ら他人と積極的に関わることを避け始めてしまったのだ。
最強ゆえの孤独。かつて恩師が受けた苦しみを味わいながらも、彼は目の前の人々を救い続ける。
『……どうでもいいだろ』
やがて呪術師の力も時の流動と共に落ちていった。そのことを憂いた男に対し虎杖悠仁はそう言い放った。
かつて最強に頼りすぎた結果起きた悲劇を繰り返さないために自分に言い聞かせた言葉。
「さびれたな。これが百折不撓と神礼官が謳った男の姿か」
「仕方ないわ。誰だってずっと
それは星穹列車と同じ、天外からの来訪者。
呪力と同じような性質を持った力によっていろんな衝突が引き起こされる。
しかし、1人の天外の青年が「混沌」と「調和」の術式をもって"呪い"をこの世から消し去ることに成功したのだ。青年の勇敢な行動によって衝突は無事鎮まり、虎杖悠仁は自らがやるべきことを思い出した。
それでもわずかな溜まりから呪霊が発生することを考慮して自らが呪物になることを決意する。いずれ呪力が必要となる時が来るその時にまで。
「やがてその指は何千何万何億もの時を超えて、
「……」
「これが悠仁が歩んできた旅路よ。もし『鉄墓』が復活してして銀河に"呪い"を振りまくことになってしまえばこれまでの彼の苦労が失われしまうわ」
「はん、僕に情で訴えかけるつもりか?……まったく、救世主も宿世卿もお前も揃いも揃ってこのカイザーを舐め腐っているな」
辛辣な言葉を言い放つケリュドラだが何を思ったか、いつ訪れるかもわからない目覚めの時を"呪物"の中で独りで過ごした彼の「記憶」を眺め続けていた。
「世に蔓延る呪いを、その宿縁を背負い続けたというのなら『呪いの王』という名にも合点がいく。しかし……それほどの力を持っていながら驕りの一つも見せないとはあまりにも卑屈過ぎよう」
「もう少し自分を大切にして欲しいっていうのはあたしもそう思う」
「僕はそんなことを口にした覚えはないが」
カイザーはじろりとキュレネを睨んだが当の彼女はどこ吹く風といった様子で笑顔で問い返す。
「それで……決意は固まったかしら?」
「固まるも何も『法』はどちらに渡すかはもう決めてある。いちいち言わなくていい」
「なら、答えを聞かせてくれる?」
「僕が『法』を託すのは————」
光歴3960年 ファジェイナの討伐後、火種を返還するためのスティコシアに続く創世の渦心にて
「試練は終わった。……『法』の神権を誰に渡す?」
「ふん、誰にも渡すつもりはない」
「なんだと?」
「このオンパロスにおいて僕こそが『法』なんだ。カイザーの冠をそう簡単に他人へ譲るものか」
ケリュドラは「法」の試練で文字通り"すべて"を目の当たりにした。世界の法則のすべて、あるいは演算の法則「最終協定」を。意のままに世界の法則を書き換えること……何もかも為す事のできる方法を。
しかし、それに至るには一つの供物が必要だった。
「1つの法を書き換えるのに、たった1人、半神の命を差し出せば済むのだから」
「何を……するつもりだ?」
「答えはもう見えているはずだ。天外の力に頼らずとも、僕たちは群星を支配できる。——そのために必要な代価さえ支払えてしまえばな」
天外の力も、神礼官の力もいらない。
自分たちの道は自分たちの力で切り拓くものだと。火追いの神託がかなたより響いたその時から、黄金裔は己が血を燃やし、この暗黒の時代を照らす運命を背負った。
「だがもし僕の征服がなければ、人々はいまだ旧王朝の操り人形に過ぎなかっただろう」
「だが今になってみれば、キミの旅路もまた先人となんら変わりなかったではないか。血と暴力にまみれ、人々を抑圧する過ちを繰り返しているだけだ……」
「そう結論を急ぐな。己が目で見て、己が耳で確かめてみろ!僕が旧法を砕き、新法を打ち立てた生涯をな」
黄金戦争の影を拭い去り、紛争紀以来のあらゆる亀裂を修復した。オクヘイマの権威を確立し、黄金裔も平民も等しく壇上に立てるようにした。罪ある者には罰を、功ある者には報いを。『法』のタイタンの枷を壊し世界を一つに束ね人々が自ら立ち上がれるように導いたのは他ならぬカイザーだと彼女は豪語する。
「ゆえに今、僕の遺言を心に刻め。『ケリュドラはいずれ歴史に埋もれるだろう。されどカイザーとその民、そして彼女が切り拓いた火を追う旅が忘れ去られることはない』と」
「遺言だと……」
この救世の戦いで覆すべき『法』は一つのみ。ゆえに差し出す半神のまた一つで十分だった。
「ヘレクトラ、カイザーの名において最後の命令を下す。——征服のために命を捧げるか、さもなくばその剣で暴君の胸を貫け!」
これがカイザーの残した最後の演説となった。
黄金の血を垂れ流しながら渦心に広がる海の上で空に広がる星屑を眺める。そのそばに腹心たる剣旗卿の姿はない。
民衆はじきカイザーの訃報を知り沸き立つだろう。かつて彼女の即位に歓声をあげていた民衆がその死に喝采を送る。しかし、それをケリュドラは受け入れた。
「……銀河、ついぞ……届かなかった戦場。次の輪廻で必ず……星々に軍団の戦鼓を轟かせ……オンパ……ロスの名を、ケリュ……ドラの名を知らしめよう」
旧法を踏み潰し、新法を築き上げた時点で征服の道は既に終点に達していた。望み通り星海に手を伸ばせない時点で醜く舞台の上で踊り続けようとはしない。
「僕は、僕のやり方で……この宿命を……背負ってみせよう」
同じ王でありながら、あの男の歩みを理解することはついぞ叶わなかった。だが別に無理をしてすべてを理解する必要はない。
カイザーはただ己が信じるべきだと思った道を進むだけだと。
皇帝の消えた未来では多くの神権を背負う黄金裔や英雄が降り立つだろう。彼らが求めるものが戦争か平和かなどカイザーにとっては些末なこと。カイザーを殺せる者は何千、何万といる。
しかしカイザーを滅ぼせるのはケリュドラただ一人。
波間できらめく水面をじっと見つめていた。かつての恩師と初めて盤を挟んだ時の夜空に散らばる星々のように燃え上がっていた光景を思い浮かべる。
「ああ……だが今回の輪廻は……悪くなかった!」
手を伸ばしても決して届かない遥か遠くにある一番星を見つめながらケリュドラは静かに息を引き取っていった。
——光歴3960年、カイザー「ケリュドラ」は暗殺され、「金織」のアグライアが新たな指導者となった。
——光歴4061年、復活したライコスが軍を率いオクヘイマに侵攻。第三次オクヘイマ包囲戦が勃発し、アグライアを含めた9万人の命が散ることになった。
——光歴4123年、キャストリスが冥界の死竜となりオンパロスから逝去。トリスビアスもまた、創世の渦心とスティコシアを門で結び、力を使い果たす。
——光歴4284年、モーディスが『裂魂の儀』によって魂を五つに切り分け、「紛争」の矛となり人類に200年に及ぶ平和な時代をもたらしたのだった。
——そして光歴4534年……残された半神はセイレンスを除き「天空」と「理性」と「詭術」のみ。
「まさか私たち2人で最後の罠を仕掛けることになるとは」
「それで?二代目
「やめてください。私はその名を受け継いだ憶えなど一切ないのですが」
神悟の樹庭の賢人——アナクサゴラスはかつてモーディスの魂を5つに分ける盛大な儀式を取り仕切った男であり、かつて宿世卿が後を託そうとした男でもある。
彼は生き残った詭術の半神——サフェルとあの神礼の観衆を封じ込める方法を模索していた。
「じゃあゴラスンって呼んだ方がいい?」
「はっ倒しますよ」
「も〜、冗談だって〜」
素性も顔も性格もほとんど知らない過去の偉人が自分を名指しでしかも変な渾名までつけていると知った時のアナイクスの心境はとてつもなく複雑なものだった。
とはいえ前回の輪廻の自分が用意した「記録媒体」を見て自分が世界の真理を解き明かしたと知った時は悪い気分ではなかったが。
それはそれ、これはこれ。変なあだ名をつけられた恨みは普通にある。
「前回の輪廻の私の仕事ぶりは見事でしたね。錬金術に対する記録だけでなく"呪い"に関する造詣や知識もしっかりと記されている。であれば、私は受け継がれた私の意志を完遂するだけです」
神にも比肩する存在を閉じ込める夢物語。
もちろん、アナイクスにとってそんなことは赤子の手をひねるより簡単なことだ。
「しかし条件があります。これが最後の一戦、やるからには抜かりなく、徹底的にです」
「ほほう、何かな?」
一つ目は計画の実行場所を半神議院ではなく、創世の渦心に移すこと。世界から隔絶されたあの場所ほど、人を閉じ込めるのにふさわしいものもない。開拓者とライコスの衝突は避けられない。だからこそ、アナイクスはもう一つの条件を提示した。
「この計画をセイレンスに伝え、彼女にも戦局に加わるように要請してください。私はあらかじめ自身を賢女の石へと錬成し、術式に組み込んでおきますので」
「ぐっ……慣れないこと……するもんじゃあ……ないね……」
「理性」が言い放ったその作戦を思い出しながら、サフェルは黄金の血を流し横たわる。
サフェルの役目はライコスをおびき寄せること。「救世主」が戻ってきたと「詭術」の力で人々に誤認させ、ライコスをそのまま創世の渦心へと続く道に誘導してきたのだ。
だがライコスの召喚する暗黒の潮や眷属の波に押しやられ、サフェルは心臓を黄金の矢で貫かれてしまった。
「あなたたちの抗いもこれで終わりです。574年ですか。虎杖殿の尽力があったのにこの程度とは」
「はは……なに?結構、イライラ……してん、じゃん。……あたしたち相手に.500年もかかってる時点で……あんたは、その程度なんだよ……天才のくせに……そんな、こともわかん……ないん……だ」
「……」
後少しで命が尽きようとしていながらサフェルの顔に絶望はなかった。上から見下ろしてくる管理者相手に中指を立てて目をくれる。
「……後は……あんたの番だよ……ぼうや」
「詭術」はそう言い残し、「理性」に後を託す。
創世の渦心へ続く「海洋」の洞窟。その岩道の上からアナイクスが姿を現した。
「おや、随分と遅い到着ですね。あなたの巧みな弁舌で仲間を見殺しにした理由をお聞かせ願いますか?」
「自らの作戦をぺらぺらと話すほど愚鈍ではありませんので遠慮しておきましょう」
天才と賢人が向かい合う。
管理者の背後には無数の召喚物の軍隊がおり、対して賢者の後ろには誰1人として仲間はいない。あの軍隊が今すぐ攻め込んでくれば、アナイクスの体はすぐに肉片となるだろう。
黄金裔の中でも戦闘力のほとんどない彼には時間稼ぎなど決してできない。そんなことはライコスにもアナイクス本人にも当然分かりきっていた。
『最後に一つ聞きたいことがあります、セファリア』
『んー?なんだい?』
『彼は最後、私に対しなんと言っていましたか?』
『——期待してる、ってさ』
自分の知らない人間から送られた激励の言葉など本来鼻で笑っていただろう。
だがアナイクスはあの記録媒体を見てしまった。かつての自分が残した真理であり、希望とも呼べる赤い石。
前世の自分は彼のことをどう思っていたのだろうか。友かはたまたどうでもいい赤の他人か。ただ淡々と遺されていた記録はそれを教えてくれなかった。
「はあ……まったく……勝ち逃げというものほど苛立たしいものはありませんね」
期待している、などいったい何様のつもりか。実にいい迷惑である。
短すぎる言葉でありながら、その裏には確かな信頼と友情が見え隠れしているのだから。
「リュクルゴス、あなたは一つ思い違いをしています」
「ほう、ではその思い違いが何かご教授していただきたい」
手に持った記録媒体の結晶を彼は砕く。
齎された知識のすべてはもう脳みその奥の奥にまでぎっしりと埋め込まれている。これはもう不要だ。天才が教科書を見ながら実験するなど笑い話にもならないのだから。
「私たちは時間稼ぎに来たのではありません」
「……まさか」
結晶片を投げ捨て、指を交錯させる。
眼帯の奥から蒼い炎が湧き上がり、ライコスとアナイクスの2人を取り囲んでいく。
「領域展開」
外殻が覆われ、世界が塗り替えられる。
やがて彼の背中から湧き上がったのは一つの大きな光の樹木。
「——あなたという存在を滅ぼすために来たのです」
賢者はすでに呪術の真髄に到達していた。
ちなみに先生の手印は薬師如来印(嵌合暗翳庭)と同じです。