鉄墓は討伐され、銀河に再び平和が訪れる。
運命の狭間で人々の「記憶」が元の場所へと戻っていく。
「迷子にならないようにね♪」
デミウルゴスはその光景を見守り続けていた。
「やっと見つけた。キュレネ……デミウルゴス」
そこで彼女は天才ヘルタと出会う。
彼女とも勝利の喜びを分かち合いたいところだが、天才の表情は芳しくない。
「知恵」の演算に矛盾が生じている。
そこでキュレネは天才から衝撃の事実を知ることとなった。
——「記憶」の星神、浮黎はまだ誕生していない。
水晶でできた巨体の中身は空っぽであり、未来から過去へと誘われる虚像。つまりただのハリボテだったのだ。
無漏浄子。浮黎になる可能性を秘めた「記憶」の子たちの中にキュレネは入っている。だが今の彼女は少なくとも浮黎ではないことは確かだ。
であればオンパロスにてキュレネや開拓者たちに一瞥を与えたのは?
この永劫回帰を作り出した星神の一柱は誰だったのか?
これは矛盾であり、この非整合性はいずれ「鉄墓」を復活させる可能性を秘めているのだとヘルタは言う。
「ヌースは私に二つの未来を示してくれた」
一つ目は踏み出した未来の「記憶」の道を辿り、世界から解き放たれ群星へと向かう姿。
そこでキュレネは星穹列車に乗り込み、オンパロスの因果から解き放たれる。「記憶」の精霊として開拓の道を共に歩むことができるだろう。
そしてもう一つは……歩みを止め、オンパロスの中で「記憶」を繋げる神へと至る姿。
どちらが正しい道か、知恵の神は答えなかった。しかし、誤った方を選べば生じた綻びによって再び「壊滅」の因子がばら撒かれるだろうと。
「アドバイスとしては、あまり深く考えずに、まずは自分の心に問いかけてみるといいよ」
傲岸不遜な態度を崩さないはずのヘルタが今はやけに深刻そうに、重々しくそう言葉をかける。
キュレネはしばらく目を伏せ、そしてすぐさま眼差しを真っ直ぐ天才へと向け、答えを示す。
「決めたわ。あたしは————」
「ちょっといいか?」
定められた運命が裂ける。
銀河の渦中から四つの腕が顔を出した。
「悠仁!?」
「おじいちゃん?どうしてここに……っていうのは野暮かな」
ザンダーの遺骸を使った呪いの王……虎杖悠仁がそこに姿を現した。
「知恵」、「記憶」そして「神秘」の使令が集う。魂を知覚して彼女らの元へとやってきた悠仁は自分を指差しながら二つの運命のもう一つの運命を提示してみせた。
「話は聞いてた。誰かが見てないといけないんなら俺にやらせてくんない?」
あまりにも突拍子もなく、軽い口調で銀河の運命を左右する重大な決断を口にしたのだ。
まるでちょっとした手伝いをするかのような口ぶりに二人は目を見開く。そして反射的にキュレネは首を横に振った。
「ダメよ!それじゃあ結局悠仁が……」
「ああいや、流石の俺もそこまで考えなしじゃない」
「そもそもおじいちゃんは『記憶』の子——無漏浄子じゃないからその因果の中には入れないはずなんだけど……その様子だと何か考えがあるみたいだね」
ヘルタの疑問に悠仁は当然だと頷いた。
左手には呪力を宿した羽ペンを、もう片方の手には古びた『紡がれた叙事詩』を取り出す。その力の中には「記憶」だけでなく「神秘」の力も宿っている。
「ちょっと前の旅で虚構歴史学者に出会ってな。そこでアイツは虚構の力を使って新しい"自分"を作って偽っていた。俺もオンパロスの『記憶』から『神秘』で虚構を集めて"無漏浄子"ってやつのフリをすればいい。俺って今ちょっと他より強めの使令みたいだから星神のフリぐらいならできるんじゃないか?」
「神秘」の本質は虚飾と捏造。真実を欺瞞に、欺瞞を真実にする歴史の改竄者。
その不確実性を用いれば、同じく存在定規があやふやな「記憶」の星神としての役割を担えるのでは、と悠仁は言いたいのだ。
ただの運命の行人であればそれは不可能だろうが、「知恵」の使令の肉体、「神秘」の使令の魂、そして存在そのものが
「無漏浄子ってのはみんなピンク髪って聞いたことあっけど、ほら俺の今の髪もピンクっぽいし他よりは誤魔化しやすくない?」
「星神のフリをし続けるのに雰囲気が似てるだけで成れたなら銀河の根幹が揺らぐんだけど」
「実はここに来る前に眠ってる長夜月をとっ捕まえて色々聞いてきた。俺も鉄墓と殺りあって多少この力のことはわかったが、『神秘』に関しちゃ、あっちの方が詳しいからな」
よく見てみれば、悠仁の右手には赤いゼリー状の粒が汚れのようにくっついていた。
右手に視線が集まっているのに彼も気付き、何もなかったかのようにその粒を払って話を元に戻す。
「それにこの体は元々オンパロスの管理者だったライコスの遺骸だ。物語を安定させるために結末を観測し続けるのが必要なら、337千万3355回の永劫回帰を物理的に体験し続けたこの身体が適任だろ?」
「やり方はわかった。でもそれじゃあ結局、彼女が背負う役目をおじいちゃんが背負うだけになるんだけどそれでもいいの?」
「ヘルタの言う通りよ。あなたはもう、何十、何千億もの時を一人で過ごしてきた。せっかく再び解放されて、今回の旅で自由に動かせる身体も手に入れることができたのに……」
「それでもいい…………って本来は言いたかったんだけどな。俺がまた勝手にいなくなったら、列車のみんなどころか
それは遥か昔、天元という結界術に長けた人間がいた。
その呪術師の尽力によって千年間、国内が呪いで溢れかえることは防がれていた。その一部として使われたのが"両面宿儺"の即身仏。
仏に昇華したその遺骸を用いて均衡を保ち続けられたのならば、同じようにこの天才の遺骸を使ってでもできるだろうと彼は説明した。オンパロスに巨大な結界を張り、それを維持する核として遺骸を設置する。
「魂を切り分けて呪物にすることができるのは二人も俺の"記憶"から知ってるだろ?
魂、そしてその器さえ残っていればオンパロスを観測できるだろうと予測を立てたのだ。
神秘の使令としての虎杖悠仁と両面宿儺としての虎杖悠仁。前者が呪力を、後者が「神秘」の力を放棄する縛りを使えば星神のフリをするという無理難題もやってのけると豪語してみせる。
「待って。それってつまり、せっかく得た『神秘』の力をほとんど返してしまうってことよね?」
「うん」
「それはダメよ!あなたがこの旅で得た力はこの先きっと彼らの旅路を強く支えてくれる。だから……」
「はっはっはっ、別にもうアイツらは十分強くなったよ。俺に頼らなくてもな。そもそもたいして上手く扱えない不相応な力だし、この際捨ててちまってもいいだろ」
使令としての力の実質的な放棄。この銀河に住まう強者ならば間違いなく白目を剥いて驚嘆するかもしれないその行為を彼は平然と行なった。
「まあ確かに、こんなあやふやな力を使うよりキュレネが残った方が間違いなく『鉄墓』は復活しないし、開拓の旅で皆んなを守れるようにもなるかもしれないな」
「なら……」
「でも——やる」
面を上げて、揺るぎの一切ない眼球がキュレネを見据える。
「…………どうして」
「それが必要だと思ったからだ」
「諦めた方がいいよ。こうなったらテコでも動かないからね。彼の"記憶"から見なかった?」
呆れたような、けれどどこか嬉しそうなため息を吐いてヘルタは悠仁の意志を肯定した。
「キュレネが残ることが不安なわけじゃない。一人は寂しいとか、そんな説教じみたことを言いたいわけでもない。オマエならきっと永劫回帰のループにも耐えられる。……でもやっぱちょぴり寂しい」
「……」
「何が正しくて正しくないかなんてその時になるまで誰にもわからない。それこそ神だって同じだ。だからこの選択が間違ったものかもしれない。けど俺はやる」
悠仁はその大きな手のひらをキュレネへと向ける。
「俺たちと一緒に英雄になろう、キュレネ。誰一人として欠けることなくな。…………だってこれはロマンチックな物語なんだから。そうなんだろ?」
「————!」
「完全無欠のハッピーエンドの方が俺は好きだな」
キュレネは差し出された手を見つめる。
血の通ってはいない。けれど、大きく温かみのある手。
彼女は少し、また少しと手を近づけて……そしてその手を強く握りしめた。
「ええ!行きましょう!」
過去に留まる者は一人。されどその者は過去だけには留まらず、未来をその手で切り拓き続けるだろう。
残される者は誰もおらず、誰もがオンパロスから続く明日へとその足を踏み入れたのであった。
「それで……なぜその話を私たちだけに聞かせたのですか?」
そこは紡がれた叙事詩に刻まれた最後の一幕。夢でも現実でもない狭間にある星穹列車を模した"記憶"の中で彼らは英雄たちとの再会を果たす。いつもナナシビトたちが集まる車両の隅にて悠仁はアナイクスとケリュドラに事の顛末をすべて明かした。
「いや黙って勝手にするのはやっぱ怒られるかなって思って」
「すでに実行に移すことを決めた時点で変わらないと思うがな。腹立たしいことこの上ないぞ」
「ごめんて」
無限を描き続ける群星が大きな窓に映ってより一層輝いている。テーブルの上のガラスにスラーダを注ぎ、アナイクスとケリュドラの二人は呆れながら天外の美酒を味わった。
「自身を即身仏……つまりオンパロスに張られる結界のコアとなるということですか。理論上は可能でしょうが、そうなった場合あなたは天外で『神秘』の力を行使することはできません。再度確認しますがそれでいいのですね?」
「いいっていいって。むしろ一つの力を失うだけで皆未来へ進めるんだから御の字ってやつだろ」
「はあ……愚問でしたか」
頭を抱えてため息を吐いたとはいえ、彼らも悠仁のした選択を責める気はないようだ。どちらかといえば何も言わずに突っ走りかけたことに対して思うところがあるのだろう。
「そういえばデミウルゴスの方ではないキュレネ……お前の従者はどうした?」
「ああ、今はあっちでファイノンと色々話してるよ。積もる話もあるだろうからな」
あの時は鉄墓との戦いでゆったりと話す時間もなかった。ファイノンにとっては最初の輪廻の頃から一度も話せていない故郷の大切な家族なのだから、せっかくの機会を与えないわけにはいかないと判断したのだ。
机上に置かれたチェスの駒を取って3人は遊戯を始める。天才と女皇の腕に比べれば見劣りする腕前だが、そんなものは気にせず彼らは駒を置き続ける。
「二人にも色々迷惑かけたな」
「本当にそうですね」
「本当にそうだな」
「もう少しフォローくんない?」
天才たちの尽力、黄金裔たちの奮闘、そしてナナシビトたちの協力。どれか一つでも欠けていれば間違いなく鉄墓に勝つこともオンパロスを未来へ進めることも不可能だっただろう。
「開拓」の力で次元の壁が壊れ、世界に「記憶」が溢れ出したことによってデータに縛られていた世界は銀河に新しい芽を出す種となった。要するに、紡がれた叙事詩の「記憶」によってデータの羅列でしかなかった黄金裔たちが現実世界で生を与えられるということだ。
「ゴラスンは天外に出たら何するんだ?やっぱり天才クラブに入る?」
「ええ、天外の星神、そして運命という謎をこの手で解き明かしてみせましょう」
「頼もしいなぁ。ケリュドラはー……世界征服の続きか」
「言うまでも無いことだな。その時が来ればこれまでの分も存分に働いてもらうぞ?宿世卿」
「へいへい、仰せのままに」
あいも変わらずカイザーの野望は留まることを知らないようだ。
ソファの上でふんぞり返ったケリュドラは何かを思い出したかのように懐から見覚えのある青い結晶を取り出した。それは「法」の火種。セプターの権限を書き換えることのできる天秤の証明だ。
「だがその対価は出しておこう。先払いというやつだ」
「であれば私も『理性』の火種をあなたに渡しておくことにしましょう。あなたの知力でセプターを操作することにいささか不安が残りますからね」
「もしかしてディスられてる?」
「はい」
「さいですか……」
火種の、そして半神の権能はオンパロスでしか使えない。未来へと踏み出す彼らに取ってその力はもはや不要と言えるだろう。
久しぶりの憩いの時間を満喫していれば、パーティ車両の方が騒がしくなっているのが聞こえてくる。どうやら穹も目を覚ましたらしい。今はヒアンシーやトリビーたちと話をしている最中に違いない。
古びた叙事詩を広げ、本来刻まれることのない裏の話を書き記す。そして自身の指を引きちぎり、そこに魂の半分と全ての呪力を注ぎ込んでおいた。これを穹に渡して呑み込ませれば悠仁もまた現実世界に無事に帰ることができるだろう。
「さて……もうそろ時間か。色々準備を進めておかなきゃな」
「魂を分化した呪いの指ですか。非常に興味がありますが、それを調べるのは現世であなたと再会してからにするとしましょう」
「ま、こんなもんをオンパロスに残すわけにもいかないし」
古びた『紡がれた物語』。それはエピローグではなくはじまりのプロローグを語る初巻。最初の輪廻におけるキュレネの記憶から虎杖悠仁のこれまでの旅路の刻まれた裏話でもある。
「あっ、悠仁!」
車両へと入ってきた穹はいの一番に悠仁の元へと駆けつけてきた。その後ろにはデミウルゴス……キュレネの姿もある。
「よっ、穹。……じゃあケリュドラとゴラスン、また銀河のどこかで会えるといいな。そんじゃ、また」
その別れの挨拶に返事はなかった。二人はただただ遠ざかっていくその大きな背中をじっと見つめ続ける。
彼の意識が開拓者の方へ向いたのを見計らったケリュドラは黙りこき続けるアナイクスを面白そうな眼差しで嗤う。
「どうした叡智卿。貴様らしくその名で呼ぶなと言えばよかろうに」
「訂正させる気力すら残っていませんよ。まったく、あの強情さにはほとほと呆れます」
「ハッ、それには同意するがお前も大概だろう」
「その言葉、そのまま返させていただきましょう」
「ほう?言うじゃないか。本来ならば極刑に処すところだがここはすでに天外だ。多少の無礼は甘んじよう。しかし……僕との一局に付き合え。勝てたのならば今の発言はなかったことにしてやる。しかし敗北すれば……」
「死刑ですか?極刑をなかったことにすると言ったのはあなたのはずですが」
「大衆が呼ぶ名をアナクサゴラスからあの名前に変えてやろう」
「決して負けられない理由ができましたね。覚悟してください、カイザー」
「いい顔をするな、叡智卿。そうでなくては……しかし何故あの名をそれほど拒む。呼びやすく、わかりやすく、なおかつ愛嬌があっていいではないか」
「あなたまで気の狂ったことを言わないでください……本当に」
賢者と皇帝の棋の結果は誰も知ることはない。だが運命とは平等に微笑み、平等に残酷だと彼はこの後に知ることになる。
鉄墓の討伐が終わり、「記憶」で再現された星穹列車の中。
目覚めた開拓者はこれまで出会ってきた12の黄金裔たちとこれまでの過去を、そしてこれからの未来を共に描きながら物語の結末にて頼れる仲間であり、家族とも言える彼とも再会した。出会っていの一番に渡されたのは配線が露出した機械の指だった。
「じゃ、穹これ飲んで」
「?何これ」
「俺の指」
「つまり……ライコスの指ってこと?」
「そゆこと」
「えぇ〜……嫌だ……」
「コラッ、好き嫌いしてると立派な大人になれないぞ!」
「じゃあ俺は子供のままでいい!」
そもそも何故飲む必要があるのか。
ライコスの肉体はオンパロスのデータの存在ではなく、実際に現実世界で作られたオムニックのものと同一のはずだ。せっかく手に入れた肉体のはずなのに穹のなかに戻ってくる理由はないはず。
「いやぁ、それは……そのぉ……なんと言いますか……」
それを問いただせば、悠仁は途端にしどろもどろになり答えに詰まった。「均衡」の勢力がどうのだの、天才クラブ#4からの刺客がどうのと理由を述べていたが、全て建前のようにしか見えない。三年もの間共に身体を一緒にしてきたのだから、他の人よりも多少は悠仁のことを知っているつもりだ。
知っているからこそ、それに追及するような真似はしなかった。
「わかった」
「いやヘルタからね?色々言われて仕方がないからこの肉体はオンパロスに……え、いいの?」
「いいよ。悠仁を信じる」
その指を受け取り、穹は勢いよく飲み込んだ。ドブのようにひどい味だが、姫子のコーヒーよりはマシだ。
飲み込むと同時に体内に"呪力"が廻り、身体の内側に馴染みのある魂が宿ったのを感じ取る。前を向けば、四つ腕姿の悠仁は視界からすでに消えてしまっていた。ほんの一瞬不安に襲われるも、すぐさまそれが杞憂だとわかる。
「やっぱこっちの身体の方が馴染み深いなぁ」
瞼の下から聞き馴染みのある声が聞こえた。反射する窓を見れば、そこには一つの目と口が顔を出している。
「おかえり!」
「ああ、ただいま」
二人の開拓者たちにとってそれ以上の言葉はもはやいらなかった。
一方で列車から消えた「神秘」の肉体は……
現から離れ、永劫回帰に続く輪廻の丘の上で悠仁は迫り落ちる太陽を見ながら紡がれた叙事詩を開く。今の彼に呪力は欠片もなく、あるのは「神秘」の力のみ。
「さて……最後の一仕事といくか」
タイムリミットまであと少し。
指輪を嵌め、永夜の帳を下ろすための手印を作ろうとしたその時、ふと背後から感じた視線の主にゆっくりと振り向いた。
「お久しぶりです、虎杖殿」
今、この場所に取り残されているのはただ一人だけだろう。この体の主、ライコスがデータの姿として彼の前に現れたのだ。
「オマエ……まだいたのか」
「ええ、世界を救うため自ら得た使令の力を放棄するという誰もが成し得ないであろう決断をしたあなたにおひとつだけお聞きしたいことがありまして」
不満そうな表情を浮かべる悠仁であったが、戦闘態勢は取っていない。管理者権限すらない今のライコスにできることはほとんどないのだから。
「最初の天才に持ち上げられるとむず痒かって仕方ないな」
「それはそれは、お褒めいただき光栄です」
「褒めてねぇよ。皮肉だっての」
最初から最後までやりづらい相手だ。
敵であるのにも関わらず、この傲慢な天才が自分に送られる言葉はすべてに尊敬と称賛の意が含まれている。しかも、それは紛れもない本心であるのだから、さらに厄介極まりない。
自らの造物であり、「知恵」の絶滅大君——鉄墓が敗北してしまったのにその声音に悔しさや負け惜しみなどの感情は乗っていなかった。むしろ何故か誇らしげな様子さえある。
「ですが非常に残念でもあります。あなたが『神秘』の使令として知恵のヌースを殺す未来が訪れる確率が半減してしまいましたから」
「そもそもヌースを殺す気なんてさりとてねーっての。俺を英雄視するのは勝手にすればいいが、自分の理想まで勝手に押し付けるのはやめろ。…………いや英雄視とかもしないで欲しいわ」
「ふふっ、自分が褒められるのに慣れてないのね」
「おやあなたもいらっしゃたのですか」
悠仁の影の隙間から姿を現したのは他でもない過去のさざ波のキュレネであった。大人の姿とは違うエリュシオンの故郷で生まれ育った「歳月」の少女の姿が残る。
データの存在であった彼女もまた、オンパロスの黄金裔たちと一緒に新生するだろう。ここにいるのはわずかに残った"呪い"の残滓に過ぎない。
「別に見送りとかは必要ないって言ったんだけどな」
「そんなこと言わないでちょうだい。一人は寂しいって言ったのはあなたの方でしょ?」
「それを言われると弱いかも」
あくまで魂の一部を残しておくだけであり、おそらくオンパロスを観測し続ける星神のフリ……即身仏と化した時の意識は残ることはないだろう。幾億年の孤独とも、永遠の死とも違う安らぎのある眠り。「壊滅」の脅威から仲間たちを守るためだと思えばそれほど辛いことではないと悠仁は考えている。
それに万が一のことがあっても、列車の仲間たちが、そして向こうにいる自分がなんとかしてくれるだろうと信じている。
「虎杖殿、最後に一つ質問させていただきたいことがあります」
「ん?」
「生命体の第一原因。それはなんだと思いますか?」
リュクルゴスが「記憶」の方舟に乗せられて新生することはない。ザンダーとの接続はすでに切られており、ここに残っているのは過去に取り残された一人のアンティキシラ人のみだった。それでも彼は彼として先達に問いかける。最初の、失敗の天才が解き明かせなかった疑問を。
「生命体の第一原因ねぇ……そんな小ムズイこと考えたこともなかったな」
「であればもう少し簡潔に。なぜ私たちは生きているのでしょう。なんのために生まれ、そこにはどのような意味があるのでしょうか」
「意味、か……そんなもん考えてても意味ないんじゃない?」
「生命が生きることは無意味、だということですか?」
「ちげぇって。いちいち生きることに意味を見出す必要なんかないんだよ。どんな生き方をしようとも、意味を見出せなくても……そこにいるだけで人には間違いなく価値がある。生命が生きる原因なんぞ考える必要はない」
「……それは思考の放棄ではありませんか?」
「オマエらみたいな天才は繊細すぎるんだよ。世界がどうだのとか、人間がどうのだとか一人の脳みそじゃどう足掻いてもわからないようなことを一人で抱え込んで勝手に自暴自棄になって無茶苦茶する。1日1日を頑張って生きてる人たちにとっちゃ人類の未来だの可能性だのなんて喉に刺さった小骨にもならん」
「…………」
「ライコス、オマエのことは苦手だしやったことも許しはしない。けどオマエのやったことすべてが間違ってたとは思わない。何が善で何が悪かなんて人それぞれだしな」
夕焼けが一人の影を映す。
天才の考える思考など悠仁はすべてを理解できない。彼は聡明ではあるが叡智でも賢人でもないのだから。だが、理解できないからこそ、見えてくるものもある。ある意味でリュクルゴス、ひいてはザンダーも知識の"呪い"という名の枷に囚われた人物なのだ。
「オマエ、俺の『記憶』を見たんじゃなかったのか?」
「あなたの『記憶』を垣間見、そして憧憬を抱いたのはザンダーです。私はその意志を受け継いだだけに過ぎません」
「そういうもんなのか」
「てすがその知見を学ぶことができたのは残された私にとって何よりの幸運でもあるのでしょう。それでは私はこれで神礼の観衆としての役目を終えましょう」
ライコスはただ首を垂れて辞儀を示している。そしてデータしか残っていなかったその残り香もまた影を落とし消えて行った。
夕焼けが落ち、オンパロスに残された生命はたった一人だけ。
「じゃあ行くか。こんなところでうだうだ駄弁ってるわけにもいかねぇし」
そして王は立ち上がり、沈みゆく過去に向かって歩み始めた。その背中を見送るのはたった一人だけだった。
紡がれた叙事詩を閉じて、ゆくりなく最後の一歩を踏み出した。
「悠仁」
「ん?どうしたキュレネ」
「過去のさざ波」が王に最初の言葉を投げかける。
「また明日!でしょ?」
穏やかでありながら起伏の少ない表情を崩し、彼は振られた小さな手を見て快活に笑った。
「応!また明日!」
星空のカーテンの下、人気のない墟の中で彼は儀礼剣を胸に突き刺し、残された呪力の残滓とオンパロスの「記憶」から最初の知性の種を取り出す。
天才の遺骸から抽出された管理者権限と「法」の火種の力を使い、オンパロスのシステムそのものに介入を始める。己を「神秘」で包み、秘匿し、演者は神に成り済ました。
羽織で顔を隠し、「記憶」の狭間にて胡座をかいてその叙事詩の中を覗く。そこには英雄たちの軌跡が事細かに描かれている。これを守護し、その軌跡をなぞり続けることで彼らと星穹列車はさらなる群星の果てへと進めるだろう。
セプターの中央にはじまりの種を添え、神秘の使令は瞼を閉じた。
「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」
オンパロスに永夜の帳が下ろされる。意識は次第に混濁し、世界、そして銀河と共に「神秘」の使令としての存在が希薄化されていく。力の喪失をひしひしと感じながら、彼は静かに微笑んだ。
この旅路はきっといつか誰かをレールに乗せて遥か群星へと連れて行ってくれると信じて。
床の上に捨てられてしまった「紡がれた叙事詩」。
現実へと目を覚まし、「開拓」の旅を無事に終えた彼とその仲間たちは家族との再会を果たす。
本を取り、ページを開き、そこに記された筆跡を4人で大切に見つめる。柔らかい筆跡の中には芯の強さが残っていた。
ページの隙間から一枚のしおりが落ちていく。ひらり、ひらりと舞っていくがその薄い紙はどれだけ舞っても床へ落ちることはない。それどころか、桃色の光を発し、次第に上へと昇っていく。
クジラのライトの下で、そのしおりは眩しい光を放った。
「ミュン?ミュ……ミュン!」
聞き覚えのある誰かの声。
光は目をくらませ、次に瞼を開いたとき彼らが見たのは桃色の可愛らしい妖精の姿だった。
オンパロス編終了!
二相楽園の本編が終了してないので、ここで一旦更新を停止します。
初めて投稿した作品ということもあり誤字や稚拙な部分も色々とありましたが、ここまでこの作品を書き続けられたのはひとえに読者の皆さんのおかげです。ありがとうございます。
最高に楽しかった!また明日!