転生スプリンター   作:ナカイユウ

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※本作品はフィクションであり、作中にて登場する大会記録等は全て架空のものです。




 信じられないと思うが、俺は転生者だ。いや、当事者の俺ですら未だに信じ切れていない部分があるが、この頭の中には生まれたときから矢沢風馬として生きてきた“記憶”が残り続けている。

 

 

 「“蒼”。今日から君の名前は蒼だよ」

 

 

 真夏のピーク真っ只中の晴れ渡った8月9日の朝、俺は生まれた。生まれてから物心がついた辺りまでの記憶は今ではすっかり脳内から抜け落ちてしまい全くと言っていいほど覚えていないが、何の因果か俺が生まれたのは奇しくも風馬がこの世を去ったまさにその日だった。

 

 なんてこと、産声を上げたばかりの未発達な脳みそが理解するはずもなく、少なくとも物心がつく前の俺は自分が転生者であるとは全く思ってなどいなかった。

 

 

 「ゴール!よくできまちたね~蒼ちゃん」

 「しかし生後8か月で歩けるようになるなんて凄いなこの子は」

 「お姉ちゃんの明良もだけど、やっぱり私たちの血が流れてるおかげかな?」

 「あきらはしれるよー!」

 

 

 それはあくまで俺は()()()()()を引き継いだだけで、人格自体は井浦蒼(おれ)そのものだからだ。これを分かりやすく例えるとするなら、俗に言う転生ものでありがちな“現世で命を落とした主人公が違う世界で生きている誰かの魂に憑依する”という人格ごと引き継がれるパターンではなく、俺の場合は生まれつき前世の記憶を持っているだけの状態で知能は年齢相応のレベルだということ……分かりやすくすると言いながらあんまり分かりやすくなっていない気がするからもっとシンプルに例えると、憑依ではなく風馬の記憶を一人称視点のVRで覗いているような感覚が近いだろう。正直このことについては当事者の俺でさえまだ分からないことが多いから、これが言語化の限界だ。

 

 

 「あー、おー、いー」

 「そうそう。もう一回言ってごらん?」

 

 

 ということもあり恐らく自分の名前をたどたどしくも言葉にできるくらいの頃の俺は、頭の中に残っていた記憶が何を意味しているのか全く理解出来ず、ただの()()()()だと思っていた。

 

 

 「凄いね蒼くん!また1位だよ!」

 

 

 ただ幸か不幸か。もしくは潜在的に風馬の記憶を見ていたからか。はたまた両親が共に陸上経験者というスポーツ一家に生まれた影響か。俺は物心がついたときから走ったり身体を動かすことがとにかく好きで、運動センスは周りのみんなと比べて頭一つ抜けていた。特にかけっこは幼稚園に上がったときから負けなしで、運動会の徒競走はいつもぶっちぎりの1位でゴールしていた。

 

 もちろんこれまた俗に言う転生ものでよくある“生まれ変わったらチートレベルの能力を手に入れていた”というご都合主義じみたものではなく、あくまで“幼稚園の中で一番足が速い”程度のレベルで、傍から見た俺は人よりスポーツが得意だということを除けばどこにでもいる普通の園児だった。

 

 

 「蒼も陸上競技やってみない?」

 

 

 幼稚園を卒園する少し前、かけっこが大の得意だからと両親が姉の明良と同じ陸上競技を俺へ勧めた。もちろん先に陸上を始めた明良に影響された部分もあったものの、走ることは大好きだったから両親の勧めに迷わず頷いて、俺は小学校へ上がるタイミングで明良と同じ陸上クラブに入った。

 

 

 「明良、おれって100メートルを9秒台で走れるようになれると思う?」

 「なんで?」

 「100メートルを9秒台で走った夢が忘れられないんだよ……夢なのかわかんないけど」

 「ひょっとして()()()ってやつ?」

 「それだっ、多分」

 「俄かには信じ難いけどね…」

 

 

 俺が頭の中に残り続けている(それ)がただの夢じゃないと自覚し始めたのは、ちょうど陸上クラブに入って明良と同じ短距離走を始めた小1のときだった。ただこのときは記憶のほんの一部分しか()()()()()()()()から、明良が冗談で返した“予知夢”というワードを俺は真に受けて勝手に納得していた。

 

 

 「井浦蒼です。よろしくお願いします」

 

 

 いつからかずっと頭の中で残り続ける得体の知れない映像は予知夢となって、季節は巡っていった。明良も入っていた陸上クラブに入り、俺は夢の中で自分が1着で走り抜けた競技と同じ陸上(もの)を始めたが、クラブの方針で大会に出場できるのは小3からということもあって、俺にとって練習の成果を発揮できる舞台は運動会の徒競走だった。

 

 

 「位置について。よーい!」

 

 

 パンッと鳴り響くピストルの音を合図に、砂利のグラウンドに敷かれた半周分のコースを駆け抜ける。夢の中で見た景色と比べるとスピードは全然違うものの、ただでさえ周りのみんなより速く走れていたところに加えてクラブで速く走るための技術(コツ)も教わった俺は、小学校に上がっても変わらず徒競走では陸上をやっている明良と共に無双していた。

 

 

 「いいなぁ蒼くんは足速くて」

 「なあどーやったら蒼みたいに速く走れるか俺にも教えろよ~」

 

 

 運動会やクラスマッチが終われば、俺はいつもクラスの英雄だった。元から走ること自体が好きだったことに加えて、クラブでの練習がこうして目に見えた結果という形になっていく成功体験が、陸上競技へ更にのめり込むきっかけへとなっていった。

 

 

 「蒼くん。君も4月から大会に出場する資格がある選手になるわけだけど、専門にする種目は決まったかい?」

 「はい。短距離走でお願いします」

 

 

 季節は更に進み、小3へ上がりいよいよ大会に出られるようになったところで、俺は短距離走を専門にすることを心に決めた。理由は元から自分は短距離に向いていると子供心ながらに自負していた部分もあるが、一番の理由は1着で自分がゴールする予知夢がきっかけだった。

 

 もうこの頃になると、運動会で1位になったくらいじゃ満足できない程度には俺の心は陸上競技、更に言えば短距離走に染まり出していた。

 

 

 「蒼。最初の10メートルは前傾姿勢、そこからトップスピードまで加速していくのに合わせて身体を徐々に起こしていく。これを忘れないようにな」

 「うん」

 

 

 本格的に短距離走という種目を始めてから最初の大会となった、ジュニア競技大会。出場した種目は男子小学3年の100M走だった。いわゆる部内戦にあたるクラブ内選抜で同期の中で一番速く100メートルを走って掴んだ、初めての舞台。

 

 

 『続いて、男子小学3年100M、7組のタイムレースを行います』

 

 

 次の日に行われる女子小学5年の100M走に出場する明良や両親が観客席から見守る中で、俺は初めて通い慣れた練習場以外のトラックのスタートラインに立った。レースの内容は予選も決勝もない、風も含めて全てが一回で決まる全7組のタイムレース方式。

 

 

 『第4レーン。井浦蒼くん。豊島AC』

 

 

 こうして迎えた初めての100M走。自分の名前がいま立っているレーンと共に競技場に流れた瞬間、今まで感じたことのない高揚感が心臓の奥深くをドッと揺らして、電流がほど走ったかのように全身を伝った。

 

 

 (もしかしてこれが、俺が見ていた夢?)

 

 

 生まれて初めて体感した、()()()()()という感覚。その感覚に身を任せるままに、俺は夢の中でスタートに立ったときの自分と同じように、100メートル先のゴールを見据えて両手でフレームの形を作り、その隙間に1着でゴールする未来の景色を捉えた。

 

 

 100メートルは楽しいか?_

 

 

 ほんの一瞬だった。両手で作ったフレームの景色に目を通したとき、誰かが自分に向かって話しかけてきたような気がした。

 

 

 『オンユアマークス』

 

 

 最高潮に跳ね上がるテンションと相反する“位置について”の声が耳に届いて、父とコーチが言っていたように位置に着く前に軽くジャンプをして両手を慣らし余計な力を身体から抜かして、ハイになっていた心を落ち着かせてスタブロに両足をつけた。夢の中にいる俺も、こんなふうに身体をリラックスさせて、スタートを知らせる号砲へ一気に集中力を高めていた。

 

 偶然か否か、この日の空は夢で見たときと同じような雲がほとんど見当たらない快晴で、風速1メートル以上2メートル未満の追い風が優しく背中を押していた。

 

 

 『セット』

 

 

 スタート前、最後の声。後脚を上げたときのスタブロが僅かに揺れる音と、直後の静寂。

 

 聞こえてくるのは自分の心臓の音だけ。

 視えているのは自分の走るコースだけ。

 

 それは恐怖すらも覚えるほど、()()()()()()とそっくりだった。

 

 

 パンッ

 

 

 号砲が鳴り響いた瞬間から、俺は無我夢中に100メートル先の未来へ向かい走った。自らの身体がゴールの白線を通り過ぎるまで、まるで夢と現実が入れ交じった世界の中をただ一人で走っているかのような感覚の中を俺は無我夢中になって走っていた。

 

 生まれて初めて体感した、()()()()()()という感覚。今までにないくらい軽く動く身体で疾走するうちに周囲の足音も影も消えて、自分(おれ)だけが一直線の赤い地面を走っている、誰もいない世界。100メートルを走り切る10数秒の間だけ、確かに俺はインフィールドの全てを支配していた。そんな気がした。

 

 

 「……はぁっ」

 

 

 凄いスピードで迫ってきた白線が真下を通り過ぎて、次の瞬間にゾーンが解けて、観客席のほうから拍手の声が聞こえてきた。生まれて初めて大会で100メートルを走った感想を言うとするなら、本当に気が付いたら終わっていた。

 

 その代わりに、今まで味わったことのない達成感がこの身体と感情を埋め尽くしていた。

 

 

 「蒼っ!ライスラン!」

 

 

 ラインの付近。ゴールした俺を大声で称える明良の声がした。嬉しさと驚きが交じった元気な声を耳にして、視線を投げた先で目一杯に広げた両手を振る明良と拍手をする母とカメラで動画を撮りながら小さく頷いた父を見て、ようやく自分が1着でゴールしたことを知った。

 

 

 (俺……こんなに速く走れたんだ……)

 

 

 観客席の反対側へと振り返った先の視界に映った電光掲示板の一番上。順位、エントリーナンバー、名前、所属チーム、タイムの順で自分の結果が表示されていた。

 

 

 「…やばっ」

 

 

 15秒27(+1.3)……これが、俺が大会で出した一番最初の100M走の記録。見た瞬間は喜びよりも、圧倒的に驚きが大きかった。追い風が味方してくれたとはいえ、まさか俺がこんなにも速く走れていたなんて夢にすら思ってもいなかった。今まで練習でどんなに調子が良くても15秒4台後半を出すのが限界だったはずなのに、いきなり2コンマも速く走れていた。

 

 走り出す前に感じた妙なデジャヴと、一歩目を蹴り出したのと同時に広がった、夢で見た光景と全く同じような、自分だけが走っている光景。

 

 

 (…やっぱりあの夢は本当に予知夢だったんだ…!)

 

 

 ずっと海馬で残り続けるあの映像は、今日のことだった。そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 風馬_

 

 

 

 

 

 

 「……ふうま?」

 

 

 直後、俺は顔も名前も知らない()()に話しかけられた。しかも話しかけてきた誰かは、俺のことを蒼ではなく“ふうま”という名前で呼んだ。何が起こっているのか、訳が分からなかった。

 

 

 「……え?」

 

 

 いきなりの出来事でパニックになりかけた心を正常に戻そうと、何気なく視線と意識を電光掲示板へ無理やり向けた。

 

 

 

 

 

 

 15.17だったはずの数字は9.93という数字にすり替わり、順位を示す1の数字と見覚えのないエントリーナンバーの隣には、“矢沢風馬”というどこかで聞いたことのある名前が記されていた。

 

 

 

 

 

 

 「……」

 

 

 何故か重くなっていた瞼を開けると、俺は競技場の医務室のベッドで横になっていた。

 

 

 「あっ、蒼起きたよ」

 

 

 ぼやけていた視界が鮮明になると、安堵した表情を浮かべる明良と両親がベッドの外から見下ろす恰好で俺のことを見ていた。ついさっきまで泣いていたのか、明良の両目は少しだけ赤くなっていた。

 

 

 「…待って俺っ」

 「急に身体を動かすな。お前は倒れたんだから」

 「……俺、倒れたの?えっ、何がどうなってんの…?」

 

 

 いや待てそれどころじゃないと一気に我へと返って起き上がろうとした俺を、父は強い口調で静かに止めた。“お前は倒れたんだ”と言われて、俺はますます自分の置かれている状況が分からなくなった。当たり前だ。つい数秒前まで競技場のトラックの上に立って電光掲示板を見ていたら、次の瞬間には医務室のベッドの上。こんなの子供だろうと大人だろうと誰だって混乱するものだ。

 

 

 「蒼。まず安心して欲しいのは、蒼はちゃんと100メートルを走り切って1着でゴールしたのよ」

 「……てことはじゃあ、俺はちゃんと走ってゴールはしたんだ」

 「うん。そしてゴールした後に電光掲示板のほうを見たら、いきなりフラっとなって倒れたのよ」

 

 

 状況が飲み込めずにパニックになりかけた俺を、母はいつもの優し気な表情と声色で落ち着かせた。事の顛末としては、100メートルを走り切って1着でゴールした直後に俺は気を失った。あの後に倒れた俺を運んでくれた医務室の先生からは、貧血を起こして倒れたと診断を受けた。ちなみに俺が意識を失っている間に100M走の表彰式は終わっていて、ついでの形で1位の表彰状を受け取った。

 

 

 「何事もなくて良かったわね」

 「そうだね」

 「ほんっと倒れたときは明良ビックリした」

 「明良、蒼が目を覚ますまでずっと泣いてたもんね」

 「マジか……ほんとごめん」

 「ううん。蒼が無事なら明良は嬉しいよ」

 「そっか」

 

 

 もちろん目が覚めたらすぐに気分はスッと落ち着き、記憶も混乱なく正常だったこともあってインフィールドを少しだけ騒然とさせた俺の気絶は診断通りの結果に終わったものの、コーチからの指示もありひとまずこの日は大事を取って早めに家へと帰った。そして翌日に念のため病院へ行き精密検査を受けて脳も含めてこの身体には全く異常がないことが証明されて、大会が終わった3日後には普通に練習に参加していた。結論から言えば俺が倒れた原因は単なる貧血で、幸いにも身体的な後遺症は全く残らなかった。

 

 

 「どうしたの蒼?さっきからボーっとして?」

 「えっ?あ、いや何でも」

 

 

 ただその代償として、昨日まで予知夢だと信じ切っていた夢は、自分のものではない1()7()()()()()()にすり替わっていた。

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