転生スプリンター   作:ナカイユウ

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※本作品はフィクションであり、作中にて登場する大会記録等は全て架空のものです。


悲運の天才

 2011年8月9日。これまで10秒の壁を破る短距離走者が誰一人として現れていなかった日本の男子100M走において9秒93という日本記録及び当時のU20世界記録を叩き出し“日本の陸上界を大きく変えうる逸材”、または“超人”と期待された1人の高校生が、自宅での突然死によって17歳の若さでこの世を去った。日本記録を樹立した男子100M走を始め、20秒31の高校生記録で優勝した男子200M走、そして男子4×100Mリレーの優勝で短距離三冠を達成した全国高等学校陸上競技対校選手権大会(※以下インターハイ)が幕を閉じてから、僅か2日後の出来事だった。

 

 矢沢風馬。生前最後の大会となったインターハイで彼が叩き出した100M走の記録は15年以上が経った今もなお日本の短距離界において破る選手は現れず、17年と220日という短い生涯と共に伝説として今日も日本記録という形で残り続け、世界を目指す日本のスプリンターたちの“最高到達点”として立ち塞がっている。

 

 そんな“悲劇の天才”が遺した栄光の陰で、“悲運の天才”と呼ばれた同い年のスプリンターがいたのはご存じだろうか?

 

 

 10秒22_

 

 

 矢沢が今まで日本人が破ることの出来なかった10秒の壁を破った日、同じ100メートルの直線を彼の次に速く駆け抜けた男がいた。

 

 その男は矢沢と同じ松耀高校陸上競技部に所属し主将として短距離チームを引っ張り、4×100Mリレーでは同期でありエースの矢沢と共にリレーメンバーとして第3走者とアンカーでバトンを繋ぎ松耀高校の優勝に貢献。100M走では優勝した矢沢に次ぐタイムを記録し準優勝、200M走でも決勝に進出し3位を記録した実力者でありながら、高校時代は絶対的エースだった矢沢の陰に隠れる形となってしまった。

 

 そんな彼もライバルであり戦友でもあった矢沢の死を乗り越え、陸上の強豪として知られる東央大学へ進学後は着実にスプリンターとしての頭角を現していき、大学2年次と3年次に100M走でインカレ連覇。また3年次の日本選手権では同種目の準決勝で自己ベストとなる10秒06を叩き出し決勝でも2位になり、この戦績が評価され日本代表の強化指定選手に選ばれアジア競技大会では100M走と4×100Mリレーのメンバーへ抜擢されるなど才能が開花。この頃には彼を“二番手”として見る者は誰もいなくなり、それどころか日本の短距離界を担う次世代のスターになっていくであろうという期待を込められるほどの選手になっていた。

 

 それは彼自身にとって、志半ばでこの世を去った戦友が見ていたはずの景色に最も近づいた瞬間だったのかもしれない。

 

 だが彼の陸上人生の歯車は、その年のインカレを終えたあたりから違和感があったという右脚による影響で狂い始めることとなる。

 

 

 「心のどこかでずっと嫌な予感みたいなものが渦巻いていたんです。それでも脚のコンディション自体はこれ以上ないほど最高な状態だったので、“走るのを止める”という選択肢はありませんでした_」

 

 

 後にこう語るように、何かがおかしいことは気付いていた。それでも彼は日本代表としての期待に応えるため、世界選手権とオリンピックへの出場を果たすため、そして何より目標としていた10秒の壁を破るため、 右脚に“爆弾”を抱えながらも今まで以上に過酷なトレーニングを行い、まるで自らの運命に抗うかのように走り込むことを止めなかった。

 

 しかし目標を果たすために選んだ選択は、最悪な形となって返って来ることになってしまう。

 

 

 「バチっという音と一緒に、僕の選手生命は終わったんだなと今にしてみれば思っています。もちろんあのときは“自分はまだやれるはずだ”と信じていましたが_」

 

 

 大学4年次の5月。初優勝の懸かる日本選手権に向けた練習中、右脚がついに限界を迎えた。アキレス腱断裂。この怪我により代表選考を兼ねたレースへの出場が不可能となり、8月に行われる世界選手権へ出場するという望みは絶たれた。それでも来年のオリンピック出場に向けて気持ちを切り替えリハビリをこなし、半年後には競技へと復帰した。

 

 しかし彼が大学3年次の日本選手権で叩き出した100M:10秒06の自己記録を超えることは二度となく、以降は怪我の影響でフォームを変えざるを得なくなり成績も低迷した。卒業後も実業団に進み短距離を続けたものの大学3年次までの輝きが戻ることはなく、目立った結果を残せないまま24歳で選手を引退し、自身が果たせなかった夢を後進へ託すため指導者の道を進むことになった。

 

 

 その男の名前は、波多野道啓。高校時代には“矢沢風馬に次ぐ100Mの実力者”と呼ばれ、世界レベルの大会でも十分に戦えると言われるほどの確かな実力を持ちながらも中高時代は圧倒的な才能を持つチームメイトの陰に埋もれ、スプリンターとして一気に伸び咲かるタイミングで脚の怪我が襲いかかり、結果的にその怪我が原因で早期での引退に追い込まれてしまった彼のことを、同じ競技に命を賭ける日本のスプリンターたちは揃って“悲運の天才”と呼んでいる_

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……道啓?」

 

 記憶の中よりも少し大人になっていながらも、現役だった頃の面影が色濃く残ったかつてのチームメイトの姿に、俺はついその名前を無意識で口にしていた。主将として松耀高校陸上競技部の短距離部門を絶対的エースと呼ばれていた風馬と共に引っ張り、同校のインターハイ三冠に大きく貢献した“矢沢風馬に次ぐ実力者”と呼ばれた男。

 

 

 

 

 

 

 今も残り続けている風馬の記憶の中で、この人とは練習を含めて誰よりも100メートルを速く走り抜けられるかを競い合ってきた……いや、正しくは圧倒的なスピードで他の連中を置いてけぼりにする風(お)馬(れ)を相手に、最後の最後までごく僅かに残っているかも分からないほど小さく不確かな希望という可能性を信じてこ(・)の(・)心(・)に向き合い続けた、ただ一人の戦友だった。

 

 

 風馬。お前は一体何のために自分をここまで追い込んでいるんだ?_

 

 

 風馬が何を感じていたかなんて、秘めていた思いを言語化する声が聞こえない俺には分からない。何かに憑りつかれたような狂気じみた熱量で100メートルを誰よりも速く駆け抜けることに全てを捧げた17年の人生で、10秒の壁が近づけば近づくほど風馬は孤独になっていった。それでも道啓だけは、追いつき追い越すことを諦めなかった。

 

 

 勝てる奴がもういないって言うなら、俺がお前を止める_

 

 

 100メートルを駆けるたびに、いつも0.3秒ほど後ろを必死に追いすがり走っていた。結局その差は、風(・)馬(・)の(・)身(・)体(・)が朽ちるまで埋まることはなかった。それでも風馬が刹那を刻んで記録を縮めるたびに、道啓も離されることなくその後ろを食らいついてきた。そんな彼に風馬は果たして何を語り、何を思ったのか。前世の声を知らない俺にはわからない。

 

 

 勝ち逃げだけはさせるかよ_

 

 

 ただ道啓がエゴを剝き出しにしてすぐ後ろを追い続けてくる気配を感じながら直線(トラック)を走る風馬の視点は……俺には心なしか強者の孤独を忘れてかけっこが大好きなた(・)だ(・)の(・)少(・)年(・)になって喜んでいるように感じた。

 

 

 

 

 

 

 「…そ(・)の(・)名(・)前(・)で呼ばれるのは久しいな」

 

 目の前から聞こえた低い声で、視点(いしき)が過去から現実へと強制的に戻される。

 

 「あ、すいません。何で知ってんだって話ですよね?」

 「いや何でもない。独り言だから気にしないでくれ」

 

 やらかしてしまったことに気付き、咄嗟に釈明しようとした俺に道啓さんは独り言だと言って遠回しに教室へ向かうよう促す。しかし表情は言葉とは裏腹に、どうして自分の名前を知っているんだ?と俺に問いかけている。道啓さんのことを認識しているのはあくまで風馬の記憶を持つ俺だけであって、相手からすれば完全な初対面のわけだから無理はない。

 

 「波多野道啓さん、ですよね?父が短距離やってたんで名前は存じてます」

 

 ただこのままなあなあにしても後々面倒なことになると直感して、俺は話を続ける。この人が陸上界隈では名が知られている人だったことが不幸中の幸いだった。日本代表選手に選ばれるほどの実力を持ちながらも怪我に泣かされ、目標としていた日本一の座を手にすることなく24歳の若さで引退した“悲運の天才スプリンター”。

 

 言うまでもなく、この人が夢半ばで表舞台から降りた未来(いま)を、風馬は知らない。

 

 「…名前は?」

 「井浦蒼です。陸上競技部のスポーツ推薦で今日からここに入学します」

 

 “父”という単語から何かを察したのか、道啓さんは俺の眼を真っ直ぐに凝視して名字を聞く。

 

 「井浦……そうか。君が4月からここの陸上競技部に入ると聞いている雄(・)平(・)さ(・)ん(・)の(・)子(・)息(・)か」

 

 俺の名字を静かに復唱して、一呼吸を置いて合点が行ったと言わんばかりの表情で呟く。聞き間違いではなく、はっきりとその口は父のことを下の名前で呼んだ。井浦ではなく“雄平さん”と呼ぶ口ぶりからして父と何かしらの面識があると俺は察したが、そもそも父は俺や明良の前では今の仕事の話は全くと言っていいほどしないから、当然この人が父のことを下の名前で呼ぶ理由は何一つ知らないし見当もつかない。

 

 「…あの、もしかして父と知り合いなんですか?」

 「そんなことより早く自分の教室へ行け。入学早々に新入部員から遅刻者を出されては陸上部の印象が悪くなる」

 

 そんな風馬の知らない未来のことを掘り下げようとした俺の言葉を遮るように、道啓さんは少し強めな口調で教室へ戻るよう忠告する。父とは面識があるのか。どうして風馬のチームメイトで誰よりも親しかったと言えるこの人がここにいるのか。

 

 少なくとも俺がここを推薦で受けたときは、この人なんていなかった。

 

 「はい。分かりました」

 

 風馬へ挨拶しに来たついでで色々と気になることが増えてしまったが、初日から面倒な揉め事は起こしたくないと判断して、俺は道啓さんの指示に従って1年F組の教室へと素直に向かった。

 

 

 

 

 

 

 (似ているな…)

 

 クラス分けで決まった自分の教室へと少し足早に戻って行く後ろ姿を見て、心が呟く。恐らくは165cm前後といったところの短距離走者(スプリンター)としては小柄な背丈と、正面玄関に飾られた賞状を睨むように見つめていた横顔と、俺の名前を呼んだときに垣間見た純粋な眼つき。

 

 「……」

 

 雄平さんの息子が4月からこの学校の陸上競技部に入部するということは前任者のコーチと雄平さん本人から聞いていたが、いざ実物と会ってみたら彼の纏う空気はやはりお父さんというより、風馬(あいつ)に似ていると一層感じた。

 

 (まだ時間はあるか…)

 

 左手にはめているスマートウォッチで時間に少しの余裕があることを確認して、つい1分前まで雄平さんの息子が立っていた位置に立ち、同じようにあいつの名と未だ破られぬ記録が刻まれた賞状と対峙する。

 

 「風馬……お前は輪(・)廻(・)転(・)生(・)って言葉信じるか?」

 

 

 

 

 

 

 「…これはすごいな」

 

 彼をスカウトしたという前任者のコーチから引き継ぎも兼ねて井浦蒼に関する資料と共に送られた大会の映像を見たとき、思わず心の声が漏れた。オンユアマークスの合図と共にスターティングブロックに両足を付けてスタートを待ち、号砲が鳴ったと同時に脊髄反射と言っても過言ではないほどの反射神経の良さを武器としたロケットスタートで先頭に立ち、スタートダッシュの勢いを保ったままゴールラインまでを一気に駆け抜けていく、比較的小柄な体格によるハンデを逆に利用した素早さと力強さを兼ね備える流麗で軽々としたフォーム。中でも得意種目と聞いた100M走での彼の走りからは、映像越しでも光るものを感じた。

 

 

 100M:10秒70(+0.1)

 

 

 これが去年の全中大会の決勝で井浦蒼が出した現時点での自己ベスト。この記録で彼は全中の男子100M走において決勝2位という“井浦雄平の息子”として世間的にも名に恥じない結果を手にすることになった。いや、例年であれば恐らく彼は100M走に限った話で言うなら2位に甘んじることなく優勝も十分可能なはずの走りが出来ていた。

 

 

 100M:10秒44(+0.1)

 

 

 だが運悪く、同い年に自分よりも0.26先を走るライバルがいたことで彼の優勝は叶わなかった。 “本物がついに現れた”と陸上界全体を震撼させたそのライバルは、100分の1ながら風馬が18年もの間ずっと守り続けていた10秒45という中学生記録をも上回った。その話を聞いたときは思わず感慨深いものを感じたが、記録というものは月日の大小はあれど必ず塗り替えられていくもので、風馬(あいつ)が最後に叩き出した9秒93の日本記録も永遠のものではない。故に寂しさなどは1ミリたりとも俺は感じなかった。

 

 「…見れば見るほどそっくりだ」

 

 井浦蒼のフォームを見た俺にとって、10秒70のタイムも1位になれなかった結果も心底どうでもよかった。ただ資料と映像を何度も見返した中で、もし彼のフォームが矢沢風馬に憧れたから真似てみたなんてものではなく、100分の1秒でも速く走るために試行錯誤した末で辿り着いた走りだとしたら……そんなことを不覚にも考えてしまった。

 

 「よりによってあいつと似るなんて……可(・)哀(・)想(・)にな」

 

 

 

 もしそれが本当であるとしたら、何とも惨めで救いのない話だろうか。

 

 

 

 

 

 

 「…俺は信じないけどな」

 

 風馬の名が刻まれた賞状へ二言だけ告げて、俺は正面玄関を後にした。




【人物紹介】

波多野道啓(はたのみちひろ)・・・松耀高校陸上部・短距離部門コーチ。松耀高校陸上部OB。男子100M走日本記録及び男子200M走U20日本記録保持者である風馬とは同期で、主将を務めた高校3年次のインターハイでは4×100Mリレーで共にリレーメンバーとして走って優勝に貢献した。大学時代は日本代表の強化指定選手に選ばれるなどスプリンターとして才能が開花したが、大学4年次のときに負った怪我が原因で以降は戦績が伸び悩み、24歳で現役を引退し指導者へ転向した。

1993年4月10日生まれ。身長183cm。専門種目:100M走(PB:10.06)/200M走(PB:20.39)
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