タクシーを降り、買い込んだ紙袋を抱えて玄関をくぐると、香ばしい醤油と磯の香りが二人を迎えた。
キッチンには、Tシャツの袖を捲り上げたキヨツグが、鼻歌まじりにフライパンを振っている。
「お、お帰り、ちょうどいいタイミングだぜ」
キヨツグは皿を並べながら、二人を見てニカッと笑った。
「今日は景気が良くてな~新鮮なクルマエビを納車したんだ」
「……?」
ケイは首を傾げ、食卓とリョウを交互に見つめる。
「何が納車だエビとして購入手続き踏め、食材だろ」
「ははは、リョウ、ツッコミありがとう」
リョウは溜息をつき、呆然としているケイに顔を寄せた。
「すまん、父さんはな――慣れた相手だと日本語が壊れる」
「壊れるどころか寧ろ進化……?」
「退化だろ!バグんな!戻ってこい!!」
「……は!?すみません、ユナのようにこういう粗相の処理に慣れてなくて」
「才馬のギャグよりはマシだ……」
「まったくです」
リョウは椅子を引いて座る。キヨツグは「仲がよろしいことで」と笑いながら、殻の剥かれたエビの皿を配膳した。
「さあ、冷めないうちに食えよ、リョウ、お前が選んだ服の分しっかり栄養つけさせてやれよ」
「俺のやつは買ってねぇ」
リョウがふてくされたようにエビを口に放り込む。
「ん? 買わなかったのか?」
キヨツグが意外そうにケイを見る。
ケイは少しだけ耳を赤くして答えた。
「リョウ君の選んだものは、その……問題がありました、本人の趣味が全開すぎて、外を歩くには勇気が必要でしたので」
「趣味じゃねぇって言ってんだろ! 似合ってたのは事実だろうが!」
「あー……可愛い系か、お前若いくせに雑な恋愛しかしてないから……好みも歪んじまって」
「意外と可愛い物好きなのですね」
「出まかせ言うな、あんまいじんな、そろそろ泣くぞ」
ケイはぱちりと瞬きをしてから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「では、これ以上は控えます」
「その顔で言われても信用できねぇ」
「善処します」
「絶対しねぇだろそれ」
横で聞いていたキヨツグが、堪えきれずに吹き出した。
「ははは、完全に遊ばれてるじゃないか」
「誰のせいだと思ってんだ」
「親としては微笑ましい限りだな」
「姉としても微笑ましいです」
父と姉の笑みを受けリョウは机に突っ伏す。
(うぅ……誰だよ推しに会えるだけで幸せとか言ったやつ……スマホから生えてきて、姉名乗りだして何で父親と結託しだすんだ……)
「ですが、リョウ君は私のために最適解を導き出そうとしてくれました、リップは彼が選んでくれたものです」
リョウが手渡した淡い色のリップに指を触れる。
「服こそ却下しましたが、私を理解しようとした彼の姿勢とこのリップの選定、”先生”として初日の評価は最高点でした」
「……っ、ゴフッ!!」
リョウが今度は派手に味噌汁をむせた。
「最高点! 聴いたかリョウ! 学校の成績じゃ見たことない数字じゃないか、息子の成長を直接評価してもらえると楽しいもんだな!」
キヨツグが今日一番の爆笑を上げる。
リョウは不貞腐れる。
「飯の最中に変な採点するな」
「事実です、美味しいですねこのクルマ」
ケイは満足げに微笑み、再び箸を動かす。
「やっぱノリがいいなケイ!オプション(ソース)も凝ったんだ!」
キヨツグが満足げに頷く。
ケイの様子を見てリョウはゲーム内の一幕を思い出した。
『もう勝ったも同然!勝負は決まりました!私はゆっくりお風呂に入ってきます!』
(そういや皆の死亡フラグ乱立のノリにのってたな……)
画面の向こうで見慣れたケイの様子を見てリョウは安心したように微笑んだ。
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夜中。
ふと、目が覚めた。
喉が渇いて、リョウはベッドから起き上がる。
廊下に出ると、家の中は静まり返っていた。
(……水でも飲むか)
足音を忍ばせながらリビングへ向かう。
ドアを開けた瞬間、わずかに灯る光が目に入った。
「起きてたのか」
ソファに座るケイが、静かにこちらを見た。
テーブルの上には、買ったばかりの紙袋と、飲みかけの水。
「はい、少し眠れなくて」
リョウは冷蔵庫から水を取り出し、一口飲む。
少しだけ迷ってから、ケイの向かいに腰を下ろした。
ケイの顔には昼間の賑やかさの欠片もなく、どこか遠い世界を見つめているような危うさがあった。
「慣れねぇだろ」
「そうですね」
短く、素直な返答。
「帰れる保証もありませんし」
ぽつりとこぼれる。
その言葉に、リョウは一瞬だけ視線を落とした。
(……やっぱ考えるよな)
少しの沈黙。
冷蔵庫のモーター音だけが、やけに大きく聞こえる。
やがてリョウはテーブル脇からレジ袋を取る。
袋の中から取り出したのは、小さなアクリルプレート。
ケイと出会う直前、コンビニの一番くじで当てたものだった。
ゲーム開発部の四人が楽しげに描かれている。
「これやるよ……あんまり意味ねぇかもだけどな」
受け取ったケイの指先が、透明な板越しに仲間たちの笑顔をなぞる。
「これは……モモイ、ミドリ、ユズ、そして……アリス」
リョウは渡した瞬間に「逆効果だったか」と後悔した。
帰りたい場所を思い出させて、余計に寂しくさせたんじゃないかと。
「ありがとうございます……リョウ君、大事にします」
けれど、ケイはプレートを胸に抱き、真っ直ぐにリョウを見た。
その瞳に迷いはなかった。
リョウは照れ隠しに視線を逸らし、ふと、胸の奥に燻っていた疑問を口にした。
「なぁ、君は何で……わざわざこんなとこまで来て『先生の起源』なんかに会おうとしたんだ?」
「……恩返し、です」
ケイは手元のアクリルプレートを愛おしそうに見つめたまま、静かに、けれど確かな声で答えた。
「先生は多忙な方ですから、会わずに何か力になれればと……
それにあの転送装置の適性があるのが現時点で私しかいなかった、それだけのことです」
「それだけ、かよ……随分と重い恩返しだな」
リョウは溜息をつき、額を押さえる。
「……俺みたいなやつが"起源"で、本当にごめん」
ぽつりと零すが、ケイは即座に返す。
「私言いましたよね、初日の評価としては最高点だと」
「……」
ケイは少しだけ呆れたようにリョウを見つめた。
「それに、先生はそこまで立派な方ではありません」
「……は?」
予想外の言葉に思わず間の抜けた声が出る。
「多忙で、無茶をして、周囲を振り回して……手のかかる方です」
淡々とした口調だった。
けれど、その表情はどこか柔らかい。
アクリルプレートをそっと撫でる。
「それでも、あの人は――私たちにとって必要な人です」
「……」
「だから私は感謝していますし、恩も感じています……起源であることと、背負うことは別問題です」
リョウはしばらく黙っていたが、やがて、ふっと息を吐いた。
「……あー……まぁ」
頭を掻きながら、少しだけ苦笑する。
画面越しに見ていた先生は、確かに無敵のヒーローなんかじゃなくて、ボロボロになりながら生徒と同じ目線で足掻く「等身大の大人」だったはずだ。
「そっか、そうだったな、あの人も……結構ひどい生活してたわ」
「……否定はできません」
ケイが即答し肩をすくめる。
「完璧な人が"起源"だとしたら、私の方が違和感ありますから……リョウ君が申し訳なく思う必要はありません」
「……君がそう言うなら、そういうことにしとくよ」
リョウは毒気を抜かれたように、ふっと息を吐いた。
冷えた水を一口飲む。
ケイの淡々とした、けれど確かな肯定。
リョウは少しの沈黙の後、絞り出すように切り出した。
「そういや、聞かないのかよ……俺の母さんのこと」
踏み込もうと思えばいくらでも聞けたはずだ。
だが、ケイは今まで一度もその話題に触れなかった。
「……聞けば、答えますか?」
「それは……」
リョウは言葉に詰まり、視線を泳がせた。
その動揺を見透かしたように、ケイは静かに言葉を継いだ。
「貴方の問題です、深い問題……私はそれを聞く術はありません
貴方の心に傷をつけずにそれを聞く上手な方法を私は知りません」
リョウの喉が微かに鳴る。
ケイは手元の空になったコップを見つめて続けた。
「だから、待ちます」
そして真っ直ぐに優しい瞳でリョウを見る。
「いつか貴方が話したくなった時、話してもいいと思った時に」
言葉は優しいのに、逃げではなかった。
ただ踏み込まないだけで。
リョウはしばらく何も言わなかった。
やがて、ふっと力を抜くように息を吐く。
「……俺が話すまで待たずに、帰れるといいがな」
軽く言ったつもりの言葉。
けれど――ケイの表情が、わずかに揺れた。
「そうですね」
リョウは立ち上がり、背を向けて歩き出す。
「……なぁ」
「はい」
「初めてだ、そう言われたの……気が楽になった、ありがとう」
振り返らずにそう告げて、リョウは自室へ戻っていった。
一人残されたリビングで、ケイは月光にアクリルプレートを透かす。
「……お礼を言うのは、私の方です、リョウ君」
長い一日が終わりを告げる。
彼女の呟きは、夜の静寂に溶けて消えた。
感想、お気に入りありがとうございます。
長い初日も終わりですね、辛気臭い話をすみません。
繁忙期につきこれから週一更新になる可能性が高いです。
後書き溜めてたストックが……
小説初心者なのでその他至らぬ所は言っていただけると励みになります