第十二話【ケイちゃんとお勉強】
放課後の嵯峨野家。
リビングのテーブルにはリョウの定期テストの答案用紙が並べられていた。
「……確認しました。リョウ君、少しよろしいですか」
ケイが答案用紙を一枚ずつ指先で整えながら、神妙な面持ちで口を開いた。
「なんだよ、わざわざ見直さなくていいって言っただろ」
「いいえ、今後の学習スケジュールを組む上で現状把握は必須です……それにしても驚きました。数学78点、国語80点、日本史は84点……意外とできるんですね」
「……まぁ、やることはやってるからな」
ふと、リョウの脳裏に中学三年生の頃の光景が浮かんだ。
空っぽになった自分に手を差し伸べた才馬。
彼に追いつきたい一心で慣れない学習塾の椅子に座り、吐き気がするほど参考書を読み込んだ。
塾の仲間たちと競い合うように問題を解いたあの泥臭い時間は、今のリョウの確かな土台になっている。
「ですが」
ケイの動きが止まった。
彼女の手元にはまだ一枚、裏返しのまま残された用紙がある。
「……この『英語』だけおかしくありませんか」
ケイがその最後の一枚をスッと表に返した。
そこには景気のいい他の教科とは対照的な『28点』という数字が、殴り書きのような赤ペンで刻まれていた。
「…………」
ケイは一度目を閉じ、もう一度見開いた。
いわゆる二度見である。
「……リョウ君、これ何かの暗号ですか? あるいは、名前を書き忘れて減点された結果……」
「名前はちゃんと書いたわ! 実力だ!」
「不可解です。なぜ高校受験を突破できたのですか?」
「あ? ああ……受験の時は、過去問から教科書まで全部丸暗記したんだよ。理屈とか文法じゃねぇ、『この形が来たらこれ』っていうパターンを脳に叩き込んだ」
「……丸暗記。意味も分からず?」
「おう、気合で乗り切った。けど高校に入って範囲が広がったらもう無理だ……。パターンが多すぎて脳のメモリが足りねぇ」
ケイは「信じられません……」と呟きながら、答案の中身を精査し始めた。
そして、そこには「珍回答」の地層が広がっていた。
「リョウ君、この『Visit(訪れる)』という単語の読み仮名……なぜ『ビスタ』と書いたのですか?」
「あ? いや、直感だ。ビスタって、なんかこう、なんか……アレだよ、アレ……なぁ、アレって何だ?」
「私に聞かないで下さい!!綴りをよく見て!! どこに『タ』の要素があるのですか! 」
ケイの声が一段階大きくなる。
リョウは眉間にシワを寄せ、テーブルを叩いて身を乗り出した。
「意味わかんねぇんだよ! なんで英語ってのはこう、素直じゃねぇんだ! トマトを『トメィトゥ』、ポテトを『ポティトゥ』って気取って発音するくせによぉ!」
「それは発音の規則性が……」
「だったら必然的にタマゴは『タメイゴゥ』になるはずだろ!!」
「卵はエッグです!!!!」
ケイの絶叫がリビングに響き渡った。
「なんでそこだけ日本語を無理やり英語風にアレンジしたのですか! 和製英語ですらありません!!お願いですから存在しない単語を生成しないでください!」
肩で息を吐くケイ。彼女は震える手でさらなる問題作――アクセント問題の解答欄を指差した。
『問題:imaginationの英単語の正しいアクセントに点を付けて答えなさい。』
例文:『Don't mind. It's your imagination. He had stayed on business in New York yesterday.』
解答:『It's your imagination!』
『imagination』の後のピリオド(.)に縦棒を書き加え、力強い感嘆符(!)になっていた。
「……なんですか、コレ。ただの感嘆符です」
「……いや、アクセントって『強調しろ』ってことだろ? だったら語尾を強く言うのが一番伝わる。想像力(イマジネーション)ってのは、叫ぶもんなんだよ!!」
「採点者の心へのアクセントは抜群ですが、テストとしては0点です」
ケイは静かにプリントを置いた。
「私……貴方はまさか、ある種の天才なんじゃないかと錯覚することがあります。その発想の飛躍、もはや芸術的ですらありますね……では、次です」
ケイはポケットを探り、嵯峨野家の鍵を取り出した。
キヨツグから預かっているものだ。
「この鍵のタグにある文字。これは何と読みますか?」
タグには『SPAREKEY』という文字が刻まれている。リョウは顔を顰め、絞り出すように答えた。
「……スパレ……ケイ…………ハッ!? 違う違う!!」
ケイの視線が、絶対零度の冷たさでリョウを射抜く。
「なるほど。ローマ字読みの呪縛、そしてキーを『ケイ』と読む謎のシンパシー……根が深いですね。リョウ君、はっきり言いますが」
ケイはゆっくりと、残酷な事実を告げた。
「リョウ君の英語力は、モモイ以下です」
「なんだとぉ!?」
今日一番の絶叫が、夕暮れの住宅街にこだました。
「おい、いくらなんでもそれはないだろ! 」
「ちなみにリョウ君、『IF』文を理解できますか?」
「人間、もしもの時(IF)とか考えず、今を全力で生きるしかねぇんだよ! 」
「プログラミングを人生観で上書きしないでください!」
リョウはガックリと膝をついた。
「ま、まさか……」
「彼女はあれでもゲーム開発部のシナリオライターです。完成品に急遽テキスト修正が発生すれば自分で修正してますよ……テキストに関わるプログラミングはある程度把握してるので」
「……俺、モモイ以下なのか……」
「モモイは単純に勉強不足です。貴方は『変な理屈』でわざわざ間違った道に突っ込んでいきます……他の教科が70点以上取れるなら、英語ができないのは単なる『甘え』……いえ、非効率な学習の結果です」
項垂れながらリョウがぼやく。
「俺には無理だ。……知識と経験と技術とやる気と興味が足りない」
「素直にやりたくないといいなさい! あーもう! 教科書開く! ノート出して!」
ケイは自分の袖を捲り上げ、宣言した。
「私が教えます。わからないところがあったら、どこでも言ってくださいね」
「……わかりましたよ、お姉ちゃん」
一瞬、ケイが固まる。
「……っ、お、お姉ちゃん……」
予想外だったのか、耳まで赤く染めながら視線を逸らした。
「なんだその顔」
「いや……もっと嫌味っぽく言うかと思ってました」
「あー向こうじゃアリスの妹扱いだもんな、だから姉扱いに得意気になってたのか」
「……得意気にはなってません」
即答するが耳の赤みだけは全く引いていない。
「へー」
「なんですかその反応は」
「いや別に。“お姉ちゃん”って呼ばれて嬉しそうだったなって」
「嬉し――っ!」
ケイが言葉に詰まる。
「……ち、違います。私はただ、姉として頼られる立場に多少の責任感を――」
「言い訳長ぇな」
「貴方が変な茶化し方するからでしょう!」
ケイは咳払いして表情を取り繕うと、教科書を開き直した。
「……では、まずbe動詞からやり直します。先生への道のりは長いですよ」
「そっからかよ!?」
夕闇が迫るリビング。
ケイの怒号、そしてリョウの的外れな抵抗。
「……さ、才馬君は苦労したんですね……今度教え方でも聞いてみましょうか……」
ケイはそっと天を仰いだ。
感想、お気に入りありがとうございます。
ここからはこんな感じの話を続けていければなと……
出会い編はやること多すぎてかなり長くなりました。
小説初心者なのでその他至らぬ所は言っていただけると励みになります。