朝の騒がしさが過ぎ去った嵯峨野家は、妙に静かだった。
キヨツグは仕事へ。
リョウは学校へ。
一人残されたケイは、洗濯機の唸る音を聞きながら腕を組んでいた。
「……」
テーブルの上には、綺麗に畳まれたランチクロス。
その中央に鎮座しているのは――弁当箱だった。
「……忘れてますね」
かなり大事な忘れ物だ。
朝、ケイが「栄養バランスは大事です」と説教した直後に弁当を忘れるとは何事か。
ケイはスマホを取り出した。
キヨツグから渡されたばかりのものだ。
連絡先一覧。
『嵯峨野リョウ』をタップ。
数秒後、返信が来た。
ケイ:
リョウ君、お弁当を忘れてます
リョウ:
マ?
いや草
ケイ:
草ではありません
昼食抜きは健康管理上見過ごせません
リョウ:
ヤッッッベ☆
完全に忘れてた(^q^)
(や、やたらポップな文体ですね……)
いつものガラの悪いリョウの口調とは想像できない文体だった。
ケイ:
その顔文字やめてください腹が立ちます
リョウ:
ごめんなさい、文章だけでも穏やかな感じにしたくて
届けるの危ねえし適当に購買で済ませるわ
ケイ:
学校の場所を送ってください、届けます
リョウ:
え
ケイ:
送ってください
リョウ:
圧がこえーよ
数秒後、位置情報が送られてくる。
キヴォトスとは違う、この世界の『学校』という場所への興味も手伝って、ケイは小さく息をついた。
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スマホの地図アプリを頼りに校門前に立ったケイは、その場に不釣り合いなほど整った容姿で、周囲の視線を集めていた。
「……リョウ君は、まだでしょうか」
ケイが腕の中で抱えた弁当を守るように身を寄せていると、背後の生徒たちの間でひそひそと声が上がる。
シャッター音。光る画面。
二人の男子生徒が、ケイにレンズを向けニヤニヤと笑いながら端末を操作しているのが見えた。
「やっべ、マジで撮れた。転校生か?」
「いや、制服着てないぞ。……SNS上げよーぜ」
ケイは眉をひそめる。
服装も髪型も変えてるので”天童ケイ”とは認識されなかったようだが隠し撮りはまた別の問題だ。
(……不快です。盗撮など、ルール違反も甚だしい)
ケイが直接注意をしようと一歩前に出た、その時だった。
「――テメェら」
冷たい声が割れるように響く。
隠し撮りをして笑っていた男子生徒の背後にリョウが立っていた。
二人の手首を逃がさないように掴んだ。
「っ、リョウ君!?」
「あ、いってぇ! 何しやが……!」
「俺のお姉ちゃんを隠し撮りとは、いい度胸してやがるな」
伊達眼鏡の奥で光るリョウの眼差しは、凍りつくような冷たさがあった。
「消せ、今すぐ。そのデータもゴミ箱の中身もだ、関節なんてコツさえあれば簡単に外せる」
「ひっ……!」
リョウの圧に、男子生徒たちは顔を青ざめさせ、震える指でデータの削除を完了させる。
乱暴に手を離すと、冷たい視線で追い払った。
「次やってみろ、どうなるかわかってんだろうな」
逃げ去る生徒たちの背中を見送り、リョウはふう、と息を吐く。
それからケイの方に向かって歩いた。
「ケイちゃ……ケイ、変なトラブルに巻き込んでごめん」
ケイの嫌がる”ちゃん”付けが思わず出そうになり慌てて訂正するリョウ。
「いえ、貴方のおかげで助かりました。ありがとうございます」
「別に君のためじゃねぇよ……バカやってるやつに腹立っただけだ」
リョウは視線を逸らす。
「嵯峨野、速いって!おまたせケイちゃん!」
そこへ軽やかな足取りでユナが駆け寄ってきた。
ユナはニシシと笑ってケイの隣に並ぶ。
「嵯峨野ったらケイちゃん見かけた瞬間大焦りで全力疾走してたんだから!」
「そうなんですか?」
リョウの顔が真っ赤になり俯く。
「普通の速さだっての……そんな焦ってねぇよ」
「そういうことにしておきますね」
「ふふっ……ねえケイちゃん、この制服のブレザー貸してあげる! これ羽織れば目立たないよ!」
「……え? ありがとうございます……?」
ユナに促され、ケイは借りたブレザーを羽織る。
少し袖が長いが、その姿は一気に学校に馴染んだ。
「よし、これでバッチリ! 行こう行こう、部室でみんなでご飯食べようよ!!」
「はい!?私も行くんですか!?」
満面の笑みを浮かべるユナに驚愕するケイ。
リョウが頭に手を当てながら答える。
「水岡に話したら一緒に食べようって聞かなくてな……」
「今日だけお願い!ケイちゃん!」
ユナが手を合わせて頭を下げる。
ケイは観念したかのようにため息をついた。
「……わかりました一緒に食べましょう」
「やった!ありがとう! ケイちゃんはご飯ある?」
「いえ……帰ってから食べる予定だったので」
「じゃあ購買だね!」
はしゃぐユナを仕方ないという顔でケイは見つめた後、ふと思い出しリョウに向き直る。
「そういえばリョウ君。本来の目的を忘れるところでした。お弁当です」
「ん、そうだったな。ありがとう」
ケイが静かに弁当箱を差し出し、リョウが受け取る。
ユナがひょいと覗き込み、目を輝かせる。
「わあ、いいなぁー! 手作りお弁当!? なんかもう新妻というか、奥さんみたい!」
「何を言ってるんですか……住まわせてもらってますし、これくらいは当たり前です」
ケイは至極当然という顔で答える。
「ふざけたことを……ただの親戚だわ」
リョウは視線を逸らしながら吐き捨てた。
ユナはその反応を見逃さない。
「親戚とはいえ美少女の手作りだぞ~このこの~」
ユナがここぞとばかりにリョウを小突いてからかう。
リョウは慌てて咳払いをし、照れ隠しにぼそりと付け加えた。
「……それに、どっちかってーと……お姉ちゃんだしな」
それを聞いたユナは、目を丸くして立ち止まる。
「えっ!? そうなの!? ケイちゃん、先輩だったの!?」
「あ、えと……そうですね」
ケイは、先ほどリョウが男子生徒に対して「俺のお姉ちゃんを隠し撮りとは」と言い放った言葉を思い出す。
(……お姉ちゃん。そう、私はリョウ君の姉。指導者であり、保護者……)
ケイは密かに口元を緩めると、少し照れながらも両手を腰に当て、ふふんと胸を張った。
「ええ、そうです。リョウ君のことは私がちゃんと導かないといけませんから」
(あ、めっちゃ得意げになってる)
得意げに言い放つケイの姿をリョウは微笑ましく見つめた。
「いいなぁ!可愛いお姉ちゃんお弁当欲しいよー!」
「うるせぇな! 水岡だって才馬の分作ってるだろ!!」
駄々をこねるユナに、リョウが激高する。
「それはそれ! 私だって可愛い女子にお弁当作ってほしいのー!」
「なんつー欲張りな奴だ……才馬も苦労するわけだ」
「ええ〜? カイトは私が作ってあげて喜んでるもん!」
ユナは唇を尖らせて主張する。
リョウは呆れたように肩をすくめ、視線を逸らした。
「カイトがどれだけ喜んでるか、その目で見ればわかるよ!」
先陣を切って歩き出すユナ。
「ほらほら、まずはケイちゃんのご飯! 購買行くよー!」
その後ろをついていきながら、ケイは小さくリョウへ耳打ちした。
「……本当に大丈夫なんですか?」
「何がだよ」
「学校です。一応私も学生ですが、平日に違う学校にいるというのは」
少しだけ硬い声音。
ケイなりにかなり緊張していた。
リョウは後頭部を掻きながら前を歩くユナの背中を見る。
「何かトラブったら俺が何とかする……それに君の事情は才馬達には“病気で休学中”ってことにしてる。無理に喋る必要はねぇ」
「……随分、自然に嘘を吐くんですね」
「しょうがねぇだろ……つーわけだからちゃんと話を合わせろよな」
リョウの言葉に、ケイは小さく頷いた。
校舎へと続く並木道は、昼休みのチャイムで学生たちの活気に満ちている。
初めて歩くこの場所の風景は、ミレニアムサイエンススクールとは何もかもが違う。
けれど。
「ほら二人ともー! 置いてくよー!」
騒がしく手を振るユナを見て、
ケイは小さく息を吐く。
「……少しだけ、楽しみになってきました」
「そりゃ何よりだ」
昼休みの喧騒の中。
ケイは初めて、この世界の『学校』へ足を踏み入れた。
どうやら今日は、弁当を届けるだけでは終わらないらしい。
評価、お気に入りありがとうございます。
繁忙期が終わりました。
ここから少しずつ書き溜めて以前の投稿頻度に戻していきたい所存です。
速度が亀と思われるかもですがあと3話くらいで少し関係が進展する予定。
小説初心者なのでその他至らぬ所は言っていただけると励みになります。