ザザ……ザザ……と、テレビの画面から不気味な砂嵐の音が響く。
休日の夜。リビングでは、ひと昔前の平成臭さが残るオカルト特番『世界の恐怖体験』が放送されていた。
「ははは! 見ろよこれ、平成のホラーはこれくらい雑な方が面白いな」
ソファでくつろぐキヨツグだけが、コーラを片手にケラケラと笑っている。
その一方で、ダイニングテーブルの方ではケイとリョウ、二人の男女が石像のように固まっていた。
テレビ画面の向こうでは、おどろおどろしいナレーションと共に、都市伝説――『スクエア』の再現映像が流れていた。
『――5人の学生達が雪山へ出かけた。しかし夕方には猛吹雪となり、一行は遭難してしまう。その途中、仲間の1人が落石によって死亡。残された4人は死んだ仲間を背負って歩き、やがて無人の山小屋へと辿り着いた――』
お世辞にも画質が良いとは言えない、ザラついた不気味な映像。
暖房の壊れた暗い山小屋の床に、頭から血を流した男の遺体が横たわっている。
『「このまま眠れば、全員凍死する」……そう確信した4人は、朝まで眠気から耐えきるための方法を編み出した。
4人はそれぞれ部屋の四隅に座る。最初の1人が壁を伝って歩き、2人目の肩を叩いてその場に座る。肩を叩かれた2人目は、同じように3人目の元へ行き、肩を叩いて座る。それを繰り返し、全員が寝ずにバトンを繋ぐという過酷な試み。彼らはこの方法で、見事に吹雪の夜を生き延び、無事に下山することができたのだ……。
しかし、仲間の1人が、ある致命的な矛盾に気づき、愕然とすることになる――』
テレビの音が、心臓の鼓動を模した不気味な重低音へと変わる。
『おわかりいただけたであろうか……もう一度ご覧いただこう。最初の1人が移動した時点で、1人目がいた“最初の角”は、すでに空席になっているはずなのだ。つまり、4人目が辿り着く場所に、本来、肩を叩くべき相手は存在しない。……4人だけでは、絶対にこの連鎖は一周しないのだ。では、あの猛吹雪の夜、4人目が確かにその肩を叩き、優しく微笑み返してくれた“5人目の存在”とは、一体誰だったのだろうか――』
「いや〜、古典的だけどこういうゾクッとする話、結構好きなんだよなぁ。なぁリョウ、お前こういうの――」
キヨツグが笑いながら、何気なく息子を呼ぶ。
その瞬間、――ドタン!! ガシャン!! と、派手な物音がリビングに響き渡った。
「……なにやってんだ?」
キヨツグが呆然と呟く。
そこには、クローゼットの中に上半身を突っ込み、必死に何かを探っているリョウの姿があった。
「い、いや……! 違う、父さん……! 今、クローゼットの奥の空間に、微かな歪み……そう、ワームホールが見えた気がしてな……!」
奥からくぐもったリョウの必死な言い訳が聞こえてくる。声が小刻みに震えているのは気のせいではない。
「バカやってる場合か。……なぁ、ケイ?」
キヨツグは深いため息をつき、今度はキッチンの方へ視線を向けた。
すると、――ゴトゴトゴト!! バタン!! と、またしても不自然極まりない衝撃音が鳴り響いた。
「……なにやってんだ?」
キッチンの戸棚。普段は調味料やレトルト食品が入っているその狭いスペースに、ケイが直角に腰を曲げ、頭と上半身を完全に突っ込んで静止していた。
「いえ……。今、この戸棚の奥に、キヴォトスが見えた気がしましたので。決して、先ほどの不快な映像から視界を遮ろうとしたわけではありません」
いつも通り冷静を装っているが、明らかに早口で余裕のない声が戸棚の中から響く。
「お前らまさか……」
キヨツグは頭を突っ込んだまま固まっている息子と居候を見比べた。
必死に隠そうとしてはいるものの、ホラーが苦手なようだ。
キヨツグが壁の時計を見る。明日からの出張に備え、今夜のうちに現地近くのビジネスホテルに移動する予定だった。
テレビのリモコンを取り画面を消す。
「まぁいいや、俺そろそろ行くわ、明日の出張、前乗りしないと間に合わんし」
――ガバッ!!!
クローゼットと戸棚から同時に頭が飛び出し、二人が立ち上がる。
キヨツグが鞄を手に取り、玄関へ向かおうとしたその時――。
ガシッ、と両手を掴まれた。
「……ん?」
左手をリョウが、右手をケイがぎゅっと握っている。
二人の顔は相変わらず無表情で、視線はあらぬ方向を向いている。
かつてないほど「行かないでくれ」という圧が伝わってくる。
「……なんだよ二人して、そんなに俺がいなくなると寂しいのか?」
キヨツグは少し照れくさそうに笑った。息子とその居候の少女が、自分をここまで慕ってくれている。親として、これほど嬉しいことはない。
「嬉しいけどよ、天気が悪くなる前に行かねぇと……ほら、寂しいなら二人で仲良くしてろ」
キヨツグは優しく笑うと、自分の左右の手をそれぞれの拘束から器用に引き抜いた。
そしてリョウの右手と、ケイの左手を、包み込むようにしてお互い同士でしっかりと握らせた。
「「っ……!?」」
「二人でしっかり留守番頼んだぞ」
キヨツグはカバンを肩にかけて「じゃあな!」と元気よくドアを開けて出て行ってしまった。
キヨツグが車のエンジンをかける音がした。やがて車は発進し、その音も次第に遠ざかっていく。
リビングには静寂が訪れた。
そして、お互いの手のひらから伝わってくる、生々しい「異性の体温」。
「あ……」
「お、おい……」
2人は顔を真っ赤にして手を離そうとした――が。なぜか離せない。
玄関の向こうから聞こえる風の音。静まり返った家。
そして、つい先程までテレビで流れていた不気味なナレーション。
『では、5人目とは一体誰だったのだろうか』
嫌な声が脳裏によみがえる。
「……べ、別に、怖くねぇしな。テテ、テレビなんて全部作り物だしよ」
「ととと、当然です。あのような現象が現実の物理法則に干渉することなどあり得ません」
二人が繋いだ手を微かに震わせながら、必死に早口で恐怖を誤魔化し合い、リビングのソファへ並んで腰掛けた。
しかし、しんと静まり返った広い家の中にいると、どうしても視線があちこちの暗がりに向いてしまう。
「……なぁ、ケイちゃん」
「誰がケイちゃんですか。なんですか、リョウ君」
「……いや、ただ、家の中にもう一人……さっきの『5人目』みたいなのが、いないよな、と思って……」
「っ!、縁起でもないことを言わないでください!」
ケイが身をすくませたその時、リョウが何かに気づいたように「あ……」と声を漏らして硬直した。
「……リョウ君? 何ですか、その妙な間は。気になるので話してください」
「いや、話さねぇ方がいいって……」
「余計に気になります! 話してください!」
促されたリョウは、引きつった顔でぽつりぽつりと話し始めた。
「この前さ、才馬と松永と銭湯行った帰り……駅前の横断歩道の向こうに、白い服着たおっさんが立ってたんだよ。周りと比べてやけに異質でさ。気になって、松永に『あのおっさん誰だ?』って聞いて、ほんの一瞬だけ目を離したんだ。そしたら……誰もいなくなってたんだよ」
「……」
「駅前って昔なんかあったらしいし……俺、そいつをここまで連れてきちまったのかも……」
ケイの顔から一気に血の気が引いていく。
「何でそんな話を今するんですか!?」
「話せっつったの君だろ!?」
二人がお互いに涙目で怒鳴り合った、その瞬間だった。
――ゴロゴロゴロ……ッドカーン!!!
地を揺らすような激しい落雷の音と共に、リビングの電灯が一瞬でパッと消え失せた。
「うおっ!? びっくりした……!」
「きゃっ……!?」
急な大音量にリョウも思わず声を上げてビビり、ケイは短く悲鳴を上げる。
家全体が完全な暗闇へと包まれた直後、凄まじい大雨の音が窓を叩いた。
リョウは大きく深呼吸をして、すぐに落ち着きを取り戻した。前触れもなく大きな音が鳴ったことに驚いただけだ。
ケイが自分の右手をさらに強く握りしめてくるのを感じながら、リョウは意外なほど冷静な声を出す。
「あービックリした……おい、大丈夫か? 雷と停電ならビビる必要ねぇよ。物理的な理屈が付く現象なら、何一つ怖かねぇって」
リョウは雷や停電等のトラブルは守備範囲内だった。理屈の通らない「幽霊」だけが、どうしても無理なだけである。
「リ、リョウ君……私は別に、雷ごときに恐怖など感じません。ただ、暗闇では不都合です。スマートフォンのライトを……」
ケイは繋がれていない方の手でスマホを探そうと、ソファから立ち上がって一歩を踏み出した。しかし、暗闇に慣れていない状態での移動は無謀だった。
「あっ、おい、動くなって――」
「あ痛っ!?」
ケイの足先が、ローテーブルの脚に派手に引っかかった。バランスを崩し、前のめりに倒れ込もうとするケイの身体。
リョウは咄嗟に、繋いでいた手をグッと自分のほうへ強く引っ張って助けようとした。
しかし、その引っ張る力が強すぎた。
暗闇の中、不可抗力によって引き寄せられたケイの身体は――そのまま、リョウの膝の上にストン、と綺麗に収まる形で座ってしまった。
「え――」
「っ、ひゃっ……!?」
密着するお互いの体温。リョウは膝の上に乗るケイの柔らかさに、ケイはリョウの男性らしい体つきを意識してしまい、さらに顔を赤面させる。暗闇のせいでお互いの顔がどれほど真っ赤に染まっているか見えないのが、せめてもの救いだった。
「な、何をして……っ! 退いてくださいリョウ君!」
「君が勝手に転びそうになったから引っ張ったんだろ! 早く退けよ!」
「退きたいのは山々ですが、リョウ君が私の手を放さないから身動きが取りづらく――」
お互いにドギマギしながら必死に言い合いを始めた、その瞬間。
――ドカァァーーン!!!
先ほどよりもさらに近くで、窓ガラスがガタガタと鳴るほどの爆音を伴った落雷が炸裂した。
「ひゃうっ……!!」
ケイは完全にパニックに陥り、リョウの膝の上に座ったまま、彼の右手を自分の両手でこれ以上ないほどの力でギュウウウッと握りしめた。胸元に頭を押し付けんばかりの勢いだ。
「は、離れてください!!」
「いやどっちだよ!! 離れてほしいなら、まずその両手で俺の手を掴むのを止めろ!!」
「これは、不可抗力です! 離れてください、ですが放さないでください!」
「無茶苦茶言うな!!」
しばらく呼吸を荒くしながら押し問答を続けていた二人だったが、やがて次の雷が来ないことを確認すると、じわじわと静けさが戻ってきた。
膝の上の柔らかい重みと、ケイの両手で包み込まれている自分の手の感覚に、リョウは心臓が口から飛び出そうなほどの緊張感を味わっていた。
リョウはこのドギマギするような甘酸っぱい空気に耐えられなくなり、限界を迎えた脳で、過去の体験談を引っ張り出した。
「……中学のキャンプの時なんだけどよ」
「何ですか唐突に?」
「いいから聞けって…… 中学の時さ、キャンプの夜に『降霊術』とかいうオカルトをノリでやりだしたムカつく奴らがいてよ」
「こ、こここ降霊術!? なんで今その話をわざわざするのですか! 完全に逆効果です!」
ケイが身体をビクッと震わせ、リョウの手を更に握る。
「そんなことはねぇ! 霊的な存在が本当に実在するのなら、こっちが触れねぇのが一番ムカつくだろ! だから俺も、幽体離脱して同じ土俵(霊体)で戦うことにしたんだよ!」
「……正気を疑う発想ですね。それで、どうなったのですか」
とんでもないリョウの理論でケイは少し落ち着きを取り戻した。
リョウは少し残念そうな顔をして目を逸らす。
「あと一歩のところで、松永に顔を引っ叩かれて起こされて失敗した」
「結局ダメじゃないですか! 霊界の番長にでもなるつもりだったのですか!」
膝の上からプンプンと声を荒げるケイ。
対してリョウは、ケイに握られていない方の手をギュッと拳にして、メラメラと場違いな闘志を湧き上がらせていた。
それが幽霊に対する恐怖なのか、あるいは至近距離から伝わるケイを意識してのドキドキのせいなのかは分からない。
とにかく、このまま無言になれば耐えられそうにない。
だからリョウは考えるのをやめた。
「いや、まだ諦めてねぇ! とにかくやってみなくちゃ分からねぇ! ケイちゃん、こう、なんか……君のその掌底で、俺の顎を思いっきり下から突き上げてくれ! それで魂をスポンと身体から押し出して――」
「どこの死神代行ですか!? あとドサクサに紛れてちゃん付けで呼ぶのをやめなさい!」
「伊達にあの世を見てないぜって言えるくらいの活躍を、俺がこの家で――」
「どこの霊界探偵ですか!! よくわかんない昔の漫画の話はいいですから! そもそも幽体離脱など非科学的です!」
ケイの全力のツッコミが暗闇のリビングに響き渡る。
リョウは一度大きく息を吐きながらも、これで少しだけ空気がマシになったのを感じ、すかさず反撃に出た。
「だったら君さ、キヴォトスで『特異現象捜査部』だろ!? こういう現象とか怪異の捜査が専門じゃねぇのかよ! 本当は大丈夫なんじゃねぇの!?」
リョウのその指摘に、ケイは一瞬だけ言葉を詰まらせた。そして、これまでにないほど声を震わせ、噛みつき返した。
「と、特異現象には、観測データと数式に基づいた『理屈』があります! ですが、ゆ、ゆゆゆ、幽霊なんていう、理屈の通らない概念は存在自体が定義されていません! 捜査に値しません!!!」
「めちゃくちゃ噛んでんじゃねぇか!! 認めて楽になれよ、幽霊怖いんだろ!? 俺は全然平気だけど!?」
「怖がってなどいません! 私はただ、非科学的な現象に対して強い不快感を示しているだけです!」
「それを世間じゃ『ビビってる』って言うんだよ!」
「言いません!」
ケイが即座に否定する。
だがその直後、会話が途切れた。
外では激しい雨が降り続き、時折遠くで雷鳴が響く。
そして自分たちは今――信じられないほどの至近距離で密着し、ケイはリョウの膝の上にすっぽりと座ったまま、その手を両手で限界まで握りしめている。
「……」
「……」
誰も喋らない。
怖いのか、緊張しているのか、もう二人とも分からない。
ただ一つだけ確かなのは――どちらも絶対に先には離れないということだった。
感想、評価、お気に入りありがとうございます。
ラブコメといえばホラー回はつきもの……?
次回後編になります。
気が付けばここすきもたくさん頂きまして、作品紹介までありがとうございます。
より一層励みになります。
ケイちゃんこんなんでビビんのかと思われるかもですが、ホラーや雷にビビるケイのファンアートに触発されました。
お気に入りも気がついたら200を超えました 沢山の方に少しでも読んで頂きありがとうございます。
小説初心者なのでその他至らぬ所は言っていただけると励みになります。