目を覚ますと、そこはひたすらに真っ白な天井だった。
「……ん、ぁ」
乾ききった喉から、掠れた声が漏れる。鼻をつくのは、ひんやりとした無機質な空気と、微かな消毒液の匂い。どこかで規則正しい電子音がピッ、ピッと鳴り続けている。
重い瞼をゆっくりと押し上げると、ぼやけた視界が徐々に焦点を結び始めた。
真っ白な天井。真っ白な壁。シーツの感触。
どうやら、ベッドの上に寝かされているらしい。
(病院……か?)
思考が泥のように重い。
俺は、たしか……ロボアニのイベントの帰り道だったはずだ。両手いっぱいに限定品のプラモデルやグッズの入った紙袋を抱えて、ホクホク顔で横断歩道を渡っていて……。
そこへ、ブレーキ音をけたたましく鳴らしながら突っ込んでくる車列。
玉突き事故に巻き込まれそうになっていた見知らぬ誰かを見て、考えるよりも先に身体を投げ出していた、我ながら見事なダイブだったと思う。
見知らぬ誰かを突き飛ばし、その代わりに俺の身体に凄まじい衝撃が走って……そこで記憶は途絶えている。
(なるほど。あの絶望的な状況から生還したのか、俺。すげぇな、奇跡ってあるもんだ)
身体や頭がガンガンと痛むのは仕方がない、何せ車に轢かれたのだ、むしろ生きてベッドの上で目を覚ませただけでも御の字だろう。
そう思いながら、状況を確認しようと身体を動かそうとした、その時だった。
(……ん?)
違和感。
まず、腕が上がらない。いや、正確には上がるのだが、何かに引っ張られるような感覚がある。
視線を下ろすと、腕には点滴のチューブだけでなく、見たこともないよう数のケーブルのような物が何本も這わされ、肌に直接貼り付けられていた。
そして何より……手だ。
目の前に持ち上げた自分の手。
それが、俺の記憶にある自分の手と全く違っていた。
(は……?)
色白で、透き通るような肌。指は細く長く、骨ばったところなど微塵もない。
どこをどう見ても、華奢で小さな、女の子の手だった。
パニックになりかけた頭で、慌てて自分の身体を見下ろす。
着せられているのは、病院の寝巻きというよりも、体にぴったりと密着する機能的なプラグスーツのような白い衣服。
その胸元は、控えめではあるが、確かな丸みを帯びて膨らんでいる……。
信じられない思いで、反対の手で自分の顔に触れる。
……わぁ……ちっちゃくってすべすべだぁ。
……さらに、肩口からハラリとこぼれ落ちてきたのは、俺の短い黒髪ではなく、鮮血のように赤い、サラサラのロングヘアだった。
極めつけは、首の後ろの違和感だった。
嫌な予感がして、恐る恐るうなじの辺りに触れてみると、そこには、人間の皮膚にあるまじき、硬くて冷たい金属の感触があった。ポッカリと開いた、無機質な「穴」。何かを接続するための、ソケットのような金属パーツが、俺の頚椎に直接埋め込まれている。
「……っ!?」
咄嗟に飛び起きようとした瞬間。
『──システム起動。生体ユニットU222、意識レベルの回復を確認。
脳内に、直接無機質なアナウンスが響き渡った。
耳から聞こえたのではない。頭蓋骨の内側で直接鳴り響いたような感覚。
直後、頭をカチ割られるような鋭い痛みが走り、俺はベッドの上でのたうち回った。
痛い、痛い痛い痛い!
まるで、頭の中に無理やり圧縮された大容量データをぶち込まれ、それが一気に解凍されていくような感覚。
俺の意志などお構いなしに、膨大な量の「知識」が脳細胞に刻み込まれていく。
『──現在の地球圏は、他銀河より飛来した正体不明の侵略者:仮称Raider、による攻撃を受けている』
『──人類は宇宙空間のスペース・コロニーへと退避し、防衛線を構築』
『──生体ユニットとは、対Raider用機動兵器の制御を担う生体演算装置である』
『──パイロットの脳にかかる莫大な演算負荷を肩代わりするため、電脳化および脊椎の機械化調整を施された素体』
『──ロットナンバー:U222』
「……っ!?っ………っ……!」
激痛の中で、無理やりインストールされた知識が、俺の思考と結びついていく。
他銀河からの侵略者、Raider。
劣勢に立たされた人類。
防戦一方、敵の目的さえわからず、いつ滅びてしまうかもわからない……クソみたいにダークなSF世界。
……そして、今の俺の身体。
首に埋め込まれたソケットから機動兵器と接続し、人間には到底処理しきれない戦闘データを代わりに処理するための、ただの「パーツ」。
それが、生体ユニット。
やがて、頭痛がじわじわと引いていくと共に、俺はベッドの上で、ぜぇぜぇと肩で息をしながら、完全に現状を理解してしまった。
「やばぁ……」
呟いた声は、鈴を転がすような、酷く可愛らしい少女の声だった。
理解はした……理解、してしまった。
俺はあの事故で死んだのだ。
そして、あろうことかこんな世紀末みたいなSF世界の、しかも「機動兵器の生体パーツ」という、鬱ゲーのキャラみたいな立場に憑依転生してしまったらしい。
前世の記憶を持ったまま、記憶消去処理済み、生体調整済みの生体ユニット「U222」として目覚めてしまったのだ。
「前世で俺、なんか悪いことでもしたっけ……?」
道端のゴミはちゃんと拾ってたし、おばあちゃんには席を譲ってたし、最期なんて見知らぬ人を庇って死んだというのに……。女神様的な存在からチート能力を貰って剣と魔法のファンタジー世界でスローライフ、みたいな展開にはならないのか。
インストールされた知識によれば、生体ユニットは「消耗品」だ。
人間の脳と神経を無理やり演算装置として使っているため、出撃を重ねればあっという間に神経が焼き切れ、摩耗し、やがては壊れて死ぬ。早ければ数カ月、数年保てば御の字、という完全なる使い捨ての部品。
……控えめに言っても、クソでは?
深呼吸をして、冷静に考える。
しかし、どのみち、この首のソケットや脳の電脳化を元に戻す技術なんて、俺にはない。
ここで俺が「俺は前世の記憶を持った男なんだ!」と叫んだところで、精神異常を起こした不良品として即座に
ならば、どう生き残るか。いや、どうせ死ぬ運命にある消耗品だとしても、いかに快適な余生を過ごすかだ。
「……消耗品なら、せめて良い待遇と余生を」
俺はベッドの上で、小さな拳をぐっと握りしめた。
軍隊だってバカじゃない。貴重な兵器のパーツである生体ユニットを、無駄に痛めつけたりはしないはずだ。
むしろ、素直で従順な優良個体であればあるほど、「こいつは長持ちさせよう」と丁寧なメンテナンスを受けられるに違いない。
反抗的な態度をとって独房に入れられたり、罰を与えられたりするのは絶対に御免だ、美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで寝て、機体に乗っていない時はなるべくダラダラ過ごす。
そのための戦略は一つ。
『記憶も感情も消去され、完璧に調整された、従順でかわいそうな生体ユニットの少女』
これを完璧に演じ切ることだ。
幸い、今の俺の容姿は鏡を見なくてもわかるくらいに可憐で儚げな少女(のはず)だ。表情筋を死滅させて「命令に従うことしか知りません」みたいなオーラを出しておけば、大抵の人間は同情するか、扱いやすいと重宝してくれるはず。
方針は決まった。今日から俺は、従順なパーツ「U222」として、この過酷な世界をのらりくらりと生き抜いてやる。
─────
などと決意を固めてから、数週間……。
(……ひま。マジでひま)
声には出さず、心の中で大きくため息をつく。
あれから俺は、生体ユニットの待機室という名の、独房と何ら変わらない個室に押し込められていた。
白い壁、白い床、最低限の硬いベッドと、機能性しか考えていないトイレとシャワー、窓なんて当然ない。
定期的に運ばれてくる食事は、チューブに入った灰色の栄養食だけだ。味は濡れた段ボールをすり潰して冷やしたような代物で、最初は吐き気を催したが、今はもう無心で胃に流し込む技術を習得した(するしか無かったとも言う)。
この待機期間中、俺がやることといえば、ひたすら壁を見つめるか、監視カメラに向かって虚無の瞳を向けることだけだった。
軍のスタッフが時折、健康診断やソケットのチェックにやってきたが、俺はその度に、事前に決めた「感情を失った人形」の演技を完璧にこなした。
痛みに対しては小さく眉をひそめる程度に留め、質問には「はい」か「いいえ」のみで答える。決して自分からは喋らない。
おかげで、スタッフたちの間では「U222は調整が完璧に成功した優良個体」という評価が定着しつつあった。計画通りである。
しかし、一番の問題は圧倒的な退屈だった。
スマホもない、ゲームもない、漫画もない。前世で積みゲーにしていたRPGや、予約していたロボットアニメのブルーレイボックスのことを思うと、血の涙が出そうになる。
頭にインストールされた知識を脳内で反芻して時間を潰すのにも限界がきていた。
そんな、干からびるほど退屈な待機期間が続いた、ある日のこと。
プシュッ、と微かな空気が抜けるような音を立てて、数日ぶりに個室の重い電子ロックが開いた。
食事の時間ではない、定期健診でもない時間帯。
俺はベッドに腰掛けたまま、表情筋をピクリとも動かさずに、ゆっくりと扉の方へ視線を向けた。
扉の向こうに立っていたのは、見知らぬ青年だった。
年齢は二十歳そこそこに見えるが、その立ち姿にはまさに軍人と言えるような重々しい空気が漂っている。
黒い髪は無駄なく短く切り揃えられており、漆黒の瞳は氷のように冷たい光を宿していた、身長は高く、軍服の上からでもわかるほどに鍛え上げられた体躯。
どこか近寄りがたい、厳格な印象を与える整った顔立ちの男。
男は静かに部屋に入ると、俺を見下ろすようにして立ち止まった。その視線は、人間を見るというよりは、新しい備品のスペックを確認するような、無機質なものだった。
「お前が、U222か」
低く、よく通る声。冷徹さを絵に描いたような声色だった。
俺は内心で「うわぁ、なんかめっちゃ、軍人!
って感じ。 しかもイケメン……。だけど顔こわっ!」とビビり散らかしつつも、表面上は完璧な虚無顔を装う。
服装とか、やって来たタイミング的に見て、たぶん、この人がこれから俺を管理する人間なのだろう。
インストールされた知識によれば、生体ユニットには必ず担当のパイロット兼管理官がつくらしい。
つまり、俺の快適な余生は、この男にかかっているのだ。ここで第一印象をミスるわけにはいかない。
俺はベッドからゆっくりと立ち上がり、インストールされた軍規の通り、機械的な無駄のない動きで男の前に進み出て、敬礼の姿勢を取る。
そして、顔を上げ、男の黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「はい。わたしは、生体ユニットU222です」
抑揚のない、平坦な声。瞬き一つせず、ロボットのように告げる。
完璧だ……。
我ながらアカデミー賞モノの演技では?
男は俺の様子を少しの間だけ無言で観察していたが、やがて興味を失ったように小さく息を吐いた。
……時化た反応すぎない?
なんというか、生体ユニットという洗脳された消耗品に対する、模範的な対応だった。
「俺はヴィルヘルム・オルバース、階級は少尉だ。本日から、お前を搭載する機体のパイロットであり、お前の管理官を務める」
「……ヴィルヘルム・オルバース管理官。認識しました」
ヴィルヘルム・オルバース。冷徹っぽいけど、軍人としてはかなり優秀そうな感じがする。
優秀なパイロットなら、機体を無茶な動かし方をして生体ユニット(つまり俺)に過剰な負荷をかけることも少ないはずだ。これは当たりを引いたかもしれないな。
「お前には明日から、機体との接続適性試験を受けてもらう。今日のところは、俺の顔と名前を覚えておけ」
「はい、オルバース管理官」
用件だけを端的に告げると、ヴィルヘルムはくるりと踵を返した。必要なこと以外は一切口にしない、無駄の削ぎ落とされた振る舞い。
扉の前で一度だけ足を止め、振り返らずに付け加えた。
「……部屋の環境に不備があれば、端末から報告しろ。管理官として、搭載ユニットのコンディション管理は俺の責務だ」
それだけ言い残して、電子ロックの向こうに消えていく。
……ん? 今のって、もしかして「何か困ってることがあったら言え」っていう意味か?
まぁ、「消耗品のコンディション管理は管理官の仕事だから当然だ」という、いかにも事務的な言い回しだったけれど。それでも、ここ数週間で接してきたどのスタッフよりも、ほんの少しだけ人間味のある言葉だった気がする。
再び静まり返った個室の中で、俺はベッドに腰を下ろし、小さく息を吐いた。
ヴィルヘルム・オルバース管理官。
顔は怖い、態度は冷たい、口数は少ない。だが、あの最後の一言を聞く限り、少なくとも生体ユニットを「壁に向かって喋ってる」程度にしか思っていないタイプではなさそうだ。
よし、まずは第一関門突破だ
俺は内心でガッツポーズをする。
これから、あのオルバース管理官に「便利で手のかからない、ちょっと可哀想な生体パーツ」として気に入ってもらい、何としてでもあのクソマズい栄養食からグレードアップした食事と、できれば暇つぶしの娯楽を勝ち取ってみせる。
目指すは快適な生体ユニットライフ。
レッツ、快適な余生!
【生体ユニット:U222】
実は憑依転生では無い。普通に転生して、普通に孤児になって、普通に軍に徴収されて、半ば強制的に生体ユニット施術を受けさせられて、今世の記憶を喪っただけ。前世の記憶は「魂(外部ストレージ)」から再インストールされた。
【ヴィルヘルム・オルバース】
U222の搭載される機動兵器のパイロットであり管理官。今回の被害者。