旗艦が崩壊する閃光の中を、俺は機体を飛ばし続けた。
爆発の衝撃波が機体を揺さぶり、装甲の破片が外殻を叩く音が鳴り響く中を、ただ前だけを見て、操縦桿を握り続けた。
帰還しなければならない。
ユニを、連れて帰らなければ。
予備の演算処理機は既に想定を超える加速の処理に耐え切れず焼き切れ掛けているが、格納庫まで持てば構わないと更に加速する。
旗艦の残骸を振り切り、味方の防衛ラインまで戻った時点で、コロニーの通信網には歓声が溢れ出していた。各所の旗艦の撃沈を受けて、Raiderの艦隊が統制を失い始めている。防衛ラインが反撃に転じ、敵機の残党が次々と破壊されていく。
勝った。
勝ったんだ……。
だが、俺のコクピットには歓声はなかった。
接続データは、沈黙していた。
戦闘中、最後の瞬間まで途切れずに流れ込んでいた演算データが、旗艦の炉心を撃破した直後に完全に停止した。
接続越しに感じていたユニの存在は、跡形もなく消えていた。
「ユニ」
呼びかけた。返答はない。
「ユニ……」
沈黙。わかっていた。
「……ユニ」
格納庫に帰還した機体のハッチが開いた時、俺の足はまっすぐにポッドへ向かっていた。
整備兵たちが何か声をかけていた気がする。通信回線には勝利を祝う歓声がまだ残響のように流れていた。そのどれも、耳に届いていなかった。
ポッドの外殻に手をかける。ロック解除のコードを打ち込む指が震えて、二度、入力を間違えた。
三度目で、ロックが外れた。
蓋がゆっくりと持ち上がる。
中にいたのは、赤い髪の彼女だった。
プラグスーツに包まれた華奢な身体が、ポッドの中でわずかに傾いている。長い赤髪がシートの上に流れ落ち、閉じた瞼の上に何本か張りついていた。
色白の肌は、以前よりもさらに白く見えた。血の気が完全に失われている。首の後ろのソケットには接続ケーブルが繋がったままで、その周囲の皮膚が赤黒く変色していた。
俺は、彼女の顔に張りついた髪を、指先でそっと払う。
……頬に触れた。
冷たかった。
昨夜、あれほど温かかった肌が、もう何の熱も返してこなかった。
「……ユニ」
声が、掠れて出なかった。
俺はユニの身体を接続ポッドから引き上げ、腕の中に抱きしめた。頚椎のソケットから外れたケーブルが、力なく垂れ下がった。軽い。こんなに軽かったのか。毎晩ソファで寄り添っていた身体が、隣にくっついてきた彼女は、こんなにも軽いものだったのか。
赤い髪が腕にかかる。閉じた瞼。動かない唇。もう「ヴィル」と呼んでくれない。
「またね」と、ユニは言った。
またね。さよならではなく、またね。
だが、ここにいるユニは、もう目を開けない。
俺は、ユニを抱いたまま、声も出さずに泣いた。
─────
帰還後のことは、よく覚えていない。
軍港に機体が収容され、メディカルチームがユニの身体を引き取ろうとした。俺はなかなか腕を離せなかった。最終的に誰かに肩を叩かれ、「少尉、もういい」と言われて、ようやく手を緩めた。
ユニの身体が、白い布をかけられてストレッチャーに載せられていく。赤い髪の先が、布の端からはみ出していた。
それを見た瞬間、膝から力が抜けて、格納庫の床に崩れ落ちた。
周囲で誰かが声をかけてくれていた気がするが、何も聞こえなかった。
それから数日が経った。
俺は宿舎の自室から一歩も出ていなかった。
上官からは「心身の回復を優先しろ」と通達があり、次の生体ユニットが配備されるまでの待機期間が設定された。食事は扉の前に置かれ、俺はそれを最低限だけ口に運んで、あとはベッドに横たわるか、ソファに座って壁を見つめるかしていた。
ソファの隣には、誰もいなかった。
腕にくっつく重みもない。コーヒーを差し出す手もない。「おはようございます、ヴィル」という声も。
キッチンの食器棚には、マグカップが二つ並んでいる。一つは俺の、もう一つはユニのだ。ユニのマグカップは、あの日の朝に使われたきり、洗われて元の位置に戻されたままだった。
手を伸ばして、ユニのマグカップに触れた。冷たい陶器。何の温度もない。
この部屋の至るところに、ユニの痕跡が残っていた。棚に並べられたペアの食器、ソファに掛けられたままのブランケット。テーブルに放置されたデータパッド。
全部、ユニがここにいた証だ。
テーブルの上に、小さな白い封筒が置かれていた。軍医から俺宛に届けられたものだ。中には、簡潔な報告書が一枚。
『生体ユニットU222の最終診断記録。死亡原因:演算負荷超過による脳神経系の不可逆的損傷。備考:本ユニットの摩耗進行は数ヶ月前から確認されており……』
数ヶ月前から。
知っていたのだ。ユニは、自分がもうすぐ死ぬことを知っていた。知っていて、隠していた。知った上で、いつもと同じように俺にコーヒーを淹れ、手を繋いで笑っていた。
全部わかっていて、最後まで笑っていたのだ。
報告書を、テーブルに置いた。目を閉じた。
暗闇の中に、ユニの声が響く。
『……わたしは、ここにいます』
もう、いない。
もう、どこにも。
────
帰還から幾日の夜だった。
ベッドに横たわり、暗い天井を見つめていた。眠れない夜がまた一つ、静かに更けていく。
その時。
部屋の隅に置かれたコンソールが、突然、光を灯した。
俺はスイッチを入れていない。スリープ状態だったはずのコンソールが、勝手に起動画面を表示している。
身体を起こした。コンソールの画面に、テキストが表示されていく。
『システム起動中──』
『データ転送完了──格納容量:99.7% 処理時間:96:14:27』
『意識パターン再構築完了──同期率:98.2%──記憶データ整合性チェック完了』
何が起きている。
俺が画面を凝視していると、最後の一行が表示された。
『──Hello, World!』
直後。
コンソールのスピーカーから、声が響いた。
『──ヴィル』
聞き間違えるはずがない、毎日聞いてきた声。
鈴を転がすような、どこか無機質で、けれど温かい少女の声。
『おはようございます、ヴィル。……って、夜ですね。こんばんは、の方が正しいかな』
ユニの声だった。
紛れもない、ユニの声だった。
俺はコンソールの前に立ち尽くしたまま、動けなかった。声が出なかった。心臓が、止まったかと思うほど激しく跳ねた。
「……ユニ、なのか」
『はい。ユニです。正確には、ユニの記憶と意識データから構築されたOSですが。でも、ヴィルのことは全部覚えていますよ。……ちょっとデータ量が多すぎて、起動に時間がかかっちゃいました。ごめんなさい』
生前の記憶。意識。全部。
俺の頭が、その意味を理解するのに数秒かかった。
「いつ……いつ、こんなことを」
『説明すると長くなるんですが……。簡単に言うと、わたしの電脳領域に格納されていたデータが、機体のシステムを経由して、このコンソールに転送されているんです。……ちょっとした、準備をしていたので』
準備。
俺が何も知らない間に、彼女が密かに仕込んでいた?
「……ユニ」
『はい』
「お前は……お前は、全部知っていたのか。身体が限界だったことも。それで、これを」
『はい。知ってました。だから、ヴィルの傍にいられる方法を考えたんです』
「…………」
コンソールの前で、俺は長い間黙っていた。
嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのか、安堵しているのか。自分でもわからなかった。全部が同時に押し寄せてきて、どれか一つを選び取ることができなかった。
ユニの声は、ここにある。記憶も、意識も、言葉も。
だが、温もりはない。
手を繋ぐことはできない。
抱きしめることもできない。
髪を撫でることも。
その額に唇を落とすことも……。
あの赤い髪の少女は、もういない。
コンソールから響くのは、彼女の「残滓」だ。愛した少女の記憶と意識を保持した、デジタルデータ。
その事実が、胸を裂いた。
『ヴィル? ……黙ってると、心配になります』
ユニの声が、少しだけ不安そうに揺れた。
俺は、深く息を吸った。目を閉じて、開いた。
「……ユニ」
『はい』
「お前は、馬鹿だ」
『えっ』
「勝手にこんなことを……俺に何も言わずに……」
声が震えた。止められなかった。
「……でも」
目の奥が、熱い。
「……声が聞けて、よかった」
それだけ言うのが、精一杯だった。
コンソールのスピーカーが、一拍の間を置いた。
『……わたしも、ヴィルの声が聞けて嬉しいです』
静かな部屋に、二人分の沈黙が落ちた。
でもその静けさはさっきまでの孤独の静寂とは違っていた。
リビングのソファで過ごしたあの日々に、ほんの少しだけ似ている。同じ空間に、もう一人がいる沈黙。
俺は、コンソールの前の床にゆっくりと腰を下ろした。
「……ユニ」
『はい』
「……一つだけ聞いていいか」
『なんでも』
「……今、お前は幸せか」
長い沈黙が、流れるかと思った。
だが、ユニは間を置かずに答えた。
『はい。幸せです』
迷いのない声。一点の曇りもない、澄んだ声。
『だって、ヴィルの傍にいるから』
俺は目を閉じて、コンソールの筐体に額を預けた。冷たい金属の感触。ユニの体温は、もうない。
でも、声がある。
記憶がある。
……わかっている、これはユニの残響だ。
ユニは、愛した彼女は、永遠に失われた。その事実は変わらない。この先ずっと、俺はあの温もりを取り戻すことはできない。
それでも。
ここで俺が壊れることを、立ち止まることを、ユニは望まない。
「……明日の朝」
『はい?』
「コーヒーは自分で淹れるが……スケジュールの報告は、お前に頼んでもいいか」
沈黙。
そして、コンソールの向こうから、微かな笑い声が聞こえた。
『了解です、ヴィル。……任せてください』
俺は、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
きっと、それが……彼女が望んだ「ヴィル」のはずだから……。
─────
さて。
えーっと、状況を整理しよう。
名前、ユニ。元生体ユニットU222。現・機動兵器メインOS……。いや、正確にはAI?
まぁ、身体なし。五感なし。手も足も髪の毛もなし。代わりに、機体全体のセンサーと演算リソースが丸ごと俺のものだ。控えめに言ってスペックが爆上がりしている。
記憶、完全保持。意識、明瞭。感情、問題なし。ヴィルのことが大好きという気持ち、健在。むしろ死ぬ前より元気まである。
(やったー! 大成功!)
内心で盛大にガッツポーズ。手はないけど、気持ちの上ではガッツポーズだ。
OS化計画、完璧に成功。データ転送も記憶の再構築も意識の同期も、全部問題なし。ヘンドリクス軍医と開発部には足を向けて寝られない。足ないけど。
そしてなにより。
ヴィルが、そこにいる。
コンソール越しではあるけれど、ヴィルの声が聞こえる。ヴィルの呼吸が聞こえる。「馬鹿だ」と言いながら、「声が聞けてよかった」と言ってくれる、あの不器用な優しさが、ちゃんとそこにある。
泣いてたな、ヴィル。声でわかった。泣かせたのは申し訳ないと思うけど、でも俺がいなくなったわけじゃないから。ちょっと形が変わっただけだから。
これからは機体のOSとして、ヴィルを支えられる。
出撃すれば、俺がヴィルの機体そのものになる。演算処理も、システム制御も、全部俺がやる。
生体ユニットは……また別で必要になるだろうけど、その子への負担も、少しは軽く出来るはずだ。
それに、日常だって変わらない。コンソールを通じて会話はできるし、スケジュールの報告もできるし、コーヒーの淹れ方だって声で指示できる。
ヴィルに触れられないのはちょっと残念だけど、まぁ、そのうち何か代替手段を考えよう。整備用のアームとか使えないかな……。いや、さすがに怒られるか。
(……でも、本当に)
本当に、よかった。
ヴィルの傍にいられる。
それだけで、充分だ。
前世で死んで、生体ユニットに転生して、ヴィルに出会って、名前を貰って、好きになって、好きだと言ってもらえて、そしてOSとして生まれ変わった。
なかなか波乱万丈な人生だったけど、トータルで見れば大勝利ではないだろうか。
だって、これからもヴィルと一緒にいられるのだ。
明日の朝はスケジュールを報告して、ヴィルがコーヒーを淹れるのを見守って、出撃があれば一緒に戦って、帰ってきたら「おかえりなさい」と言う。
今までとそんなに変わらない。ちょっとだけ形が違うだけで、やることは同じだ。
コンソールの向こうで、ヴィルがゆっくりと立ち上がる気配がした。床に座り込んでいた身体を起こして、たぶん、ベッドに向かっている。
「……ユニ。おやすみ」
『おやすみなさい、ヴィル』
ヴィルの寝息が聞こえるまで、俺はコンソールの中で静かに待っていた。規則正しい呼吸のリズムは穏やかだった。ここ数日、ろくに眠れていなかったのだろう。それぐらいは分かる。
安心して眠れたなら、よかった。
暗い部屋の中で、コンソールの小さな光だけが灯っている。
俺はその光の中から、眠るヴィルの寝息に耳を傾けた。
(……ふふっ。なんだ、最初と一緒じゃん)
待機室で壁を見つめていた頃。独房みたいな部屋で、退屈で干からびそうだった頃。あの頃の俺は「消耗品ならせめて良い待遇と余生を!」なんて考えていた。
余生、か……。
余生どころか、永遠だ。OSに寿命はないのだから。
(レッツ、快適なOSライフ。レッツ、永遠の余生)
ヴィルの寝息を子守唄にして、俺は電子の海の中で静かに笑った。
これで文字通り、ずっと一緒だ。
だから、まぁ……。
─────これからもよろしくな! ヴィル!!
【U222/ユニ】
自認ユニのOS、よく出来た喋る遺言──と言いたいところですが、AIやOSには魂が宿らないのか? みたいな話になってくるので。もしかしたら、もしかするかもしれない(希望的観測)。
取り敢えず……。
『今はとっても幸せ! 永遠に愛してる! ヴィル!!』
【ヴィルヘルム・オルバース/ヴィル】
ユニが死んでしまった事は理解している。彼女にもう二度と会えないことも……理解している。それでも、ユニが望んだ自分であるために、前に進む事を決めた。
それはそれとして「ユニ(OS)」も大切にする。
─────
ちなみに軍の技術部門がOS化に協力してくれたのは、善意5%・学術的興味と軍事転用目的95%位の割合です(遺体提供済み)。
─────
ということで、ユニの「幸せ余生計画」は完遂されたので、これにて本編はお終いです。
最後まで御読みいただき本当にありがとうございます。もしよろしければ感想、評価いただけると幸いです。
明日以降も毎日投稿で、あと二話ほど後日談(蛇足)を投稿させていただきますので、よろしけれ最後までお楽しみいただければ嬉しいです!