『ヴィル、スケジュール確認です。本日一四〇〇に移送艦隊第二部隊との合同打ち合わせ、一六〇〇にコロニー管理局への定例報告、一八〇〇に……』
「わかってる。自分の予定くらい把握している」
『把握していると言いつつ、先週の管理局との会議を三十分すっぽかしたのはどなたでしたっけ』
「……あれはシミュレーターの調整が長引いただけだ」
『シミュレーターの調整を一人で二時間もやっていたこと自体が問題だと、わたしは言っているんです。ヴィル自ら機体に乗り込む必要はもうないんですよ? 終戦から二年も経ってるんですから』
「……煩い。操縦技術の維持は管理職の義務だ」
『義務じゃなくて趣味ですよね、それ』
端末のスピーカーから流れ出る俺の声に、デスクの向こう側でヴィルが盛大にため息をついた。ホログラムモニターを三つも展開して書類仕事をしていた手が完全に止まっている。
俺──ユニは、ヴィルヘルム・オルバースの私用端末兼業務用端末のOSとして、今日も元気に稼働中である。
あの大規模防衛戦から六年。Raiderの旗艦を撃破した後、人類の技術者たちが旗艦の残骸からワープ技術や生体科学技術など、Raiderの技術の解析に成功し、以前から考案されていたという太陽系圏内へのワープ妨害機構が構築されたことで、Raiderとの戦争は事実上終結した。
終戦からもう二年が経つ。
ヴィルは現在、星間及びコロニー間の移送艦隊警備の主任を務めている。かつてのエースパイロットが、今やデスクワークと部下の管理に追われる中間管理職だ。前世の知識で言えば、まさにサラリーマン。似合わないことこの上ない。
俺はと言えば、そのデスクの片隅に置かれた端末の中から、毎日ヴィルの顔を見ている。
スピーカーを通じて声を届け、画面越しにスケジュールを管理し、時には夜遅くまで残業する彼に「いい加減に寝ろ」と小言を飛ばす。
肉体はもうない。指先の感触も、コーヒーの匂いも、彼の体温の重みも、もう感じることはできない……。
でも、ヴィルの隣にいられる。声を聞いて、声を届けられる。それだけで、俺は十分すぎるほど幸せだった。
『ところでヴィル、今日の昼食はちゃんと食べましたか? 食堂の利用履歴が端末に来てないんですけど』
「……栄養バーで済ませた」
『……また栄養バーですか。わたしがいた頃は、あんなに美味しいご飯を作ってくれてたのに。自分のことになると途端に雑になりますよね、ヴィルって』
「お前に言われると耳が痛いな」
『痛くなる様にしてるんです、わざと』
ヴィルが呆れたように鼻を鳴らした。二十八歳になった彼の顔は、出会った頃よりも少しだけ角が取れて、眉間の皺も幾分か浅くなっている。それでも真面目な仏頂面は健在で、端末のカメラ越しに見上げるその横顔は、六年前と変わらず整っていた。
(……相変わらずのイケメンだな、この男。老けないのは不公平だろ)
と、そこにオフィスのドアがノックもなしに開いた。
「主任。一四〇〇の合同打ち合わせの資料、まとめておきました。あと、管理局から追加の提出書類が三件来ています」
入ってきたのは、黒髪をショートに切り揃えた碧眼の若い女性だった。ジトッとした気怠そうな瞳でヴィルを見据え、書類の束をデスクの上にぽすんと置く。
ジーナだ。
ロットナンバーG117。かつてヴィルの二代目の生体ユニットとして配属され、俺がOSとして全力でバックアップしながら、ヴィルと共に終戦まで戦い抜いた少女。Raider由来の生体科学のおかげで脳と神経系の損耗も回復し、今は健康な身体でヴィルの秘書を務めている。
名前は、俺がつけた。ジーナ。G117から取って、可愛い響きにしたかったのだが……。
当時、本人には「意図を理解できません」と真顔で言われた。ひどい。
『ジーナちゃん、おはよう! 今日も美人だね!』
「……おはようございます、ユニさん。お世辞はいいので、主任のスケジュール管理をもう少し厳しくしてください。先週の会議のすっぽかし、尻拭いしたの私なんですから」
『それはヴィルが悪い』
「なぜ俺が挟み撃ちにされなければならない」
『日頃の行いです』「日頃の行いですね」
ジーナと俺の声がぴったり重なった。ヴィルが天を仰ぐ。
(……いい連携だ。さすがジーナ)
『ジーナちゃん、今日のヴィルのお昼ご飯、栄養バーだったんだって。ひどくない?』
「……主任。栄養バーは非常食です。日常的に摂取するものではありません」
「……食堂が混んでいたんだ」
「『並んでください』」
「……もういい。書類を寄越せ」
ヴィルが渋々と書類に手を伸ばす横で、ジーナが碧眼を細めてため息をついた。二十一歳にしてすでに苦労人の風格が漂っているのは、間違いなく俺とヴィルのせいだろう。
申し訳ないとは思う。
思うが、反省はしない。
『……あ、ジーナちゃん。そういえば今日、ヴィルからちょっとしたお願いをされてるんだけど』
「お願い?」
『うん。端末を新しいのに買い替えるから、一時的に中継器で待機しててほしいって』
ジーナがヴィルの方を見た。ヴィルは書類から目を上げず、「ああ」とだけ答えた。
「この端末も、もう三年は使ってるからな。処理速度の低下が目立ってきた。ユニのデータ容量に対して、スペックが追いつかなくなっている」
『まぁ、確かにわたしのデータ、重いですからね。元生体ユニットの意識データまるごと一人分ですし』
「新しい端末は明日届く。今日の業務が終わったら、中継器に移ってくれ」
『了解です。……ちょっと寂しいけど、一晩くらいなら我慢します。だからジーナちゃん、その間はよろしくね』
ヴィルの目が、一瞬だけ端末のカメラに向けられた。その口元が、ほんのわずかに弧を描いた気がした。
(……ん? なんだ今の。なんか、ニヤッとしなかったか、この男?)
気のせいだろうか。ジーナもちらりとヴィルの顔を見たが、すぐに視線を書類に戻していた。
─────
その日の業務を終えて、俺はヴィルの手で中継器に移された。
中継器の中は暗くて静かで、でも不快ではなかった。データの海の中をぼんやりと漂っているような感覚。意識はあるが、入力も出力もない。目も耳も口もない、純粋な「思考」だけが浮遊している状態。
(……こういうの、久しぶりだな。OSになりたての頃は何日もこの状態だったっけ)
あの時、ヴィルの端末に初めてインストールされた瞬間の嬉しさを思い出す。「やったー! 大成功!」なんて叫んだ、あの日。画面越しにヴィルの驚いた顔を見た時の、胸の奥が弾けるような喜び。
(……まぁ、一晩だけだ。明日には新しい端末で、またヴィルの寝坊を叱ってやれる)
そんなことを考えながら、俺は意識の電源を落とした。
─────
……目を、覚ました。
(……ん?)
目を覚ました?
おかしい。OSである俺は「起動する」ことはあっても、「目を覚ます」という感覚にはならないはずだ。端末にインストールされる時は、暗闇からいきなりシステムが立ち上がるような、スイッチが入るような感覚で……。
今のこれは、違う。
泥の底からゆっくりと浮き上がっていくような、重い瞼を押し上げるような、ぼんやりとした覚醒の感覚。ずっと昔に、どこかで味わったことのある……。
(……待て。瞼?)
重い。確かに、重い。まぶたが、ある。
そして……光が見えた。
ぼやけた視界が、少しずつ焦点を結んでいく。
白い天井。
柔らかな照明の光。
清潔な空気の匂い。
どこかで微かに聞こえる、空調の低い駆動音。
……シーツの感触が、背中にある。
(……え?)
身体が、ある?
横たわっている、何かの上に。柔らかい何かの上に、仰向けで、寝かされている。背中に触れる布の感触。肩から腕にかけて伝わる、布団の重み。空気が肌を撫でる、かすかなひんやりとした感覚。
(……え? え??)
指を動かそうとした。
動いた。
右手の指先が、シーツの上でかさりと擦れた。指の腹に、織り目の細かい布地の感触が伝わってくる。
左手も動いた。こちらも同じように、指先がシーツを掴んだ。ちゃんと五本、全部動く。
(……なに、これ。なんだこれ。え、ちょっと待って??)
心臓が……心臓が、ある。胸の中で、ドクドクと脈打っている。速い。どんどん速くなっている。
ゆっくりと、両手を持ち上げた。
視界に入ってきたのは、色白で、透き通るような肌を持つ、華奢で小さな手だった。指は細く、骨ばったところなど微塵もない。
見覚えがある。ずっと昔に見た、俺の手だ。
「……っ」
声が、出た。
喉が震えて、肺から空気が押し出されて、声帯が振動して。耳が、自分の声を拾った。スピーカーを通してではなく、自分の鼓膜が、自分の声を聞いている。
俺は弾かれたように上半身を起こした。
白い、清潔な部屋。医療設備のようなモニターがいくつか並んでいるが、あの記憶にある無機質な軍の医療区画とは違う、柔らかな内装の個室だった。
そして、ベッドの脇の椅子に、一人の男が座っていた。
黒い髪。少しだけ角の取れた顔立ち。腕を組んで、こちらを見ている。その口元に、見慣れた、けれど、六年前のような不器用さはなく、どこか穏やかで、少しだけ得意げな笑みが浮かんでいる。
「……おはよう、ユニ」
ヴィルの声が、マイク越しではなく、空気の振動として、俺の鼓膜に届いた。
「…………ヴィル?」
「ああ」
「……なに、これ。身体が……身体が、ある……?」
「そうだ。Raiderの生体科学、ジーナの損耗回復にも使われた技術を応用して開発された最新の生体義体だ。人間の身体と寸分違わない……。お前のデータを、その義体にインストールした」
「……端末の買い替えって……」
「嘘をついた。すまん」
全然すまなそうじゃない顔で、ヴィルはそう言った。むしろ、端末のカメラ越しに何年も見てきたどの表情よりも、今の彼は晴れやかで、嬉しそうで、ほんの少しだけ照れくさそうだった。
「…………っ」
視界が、滲んだ。
涙だ。目に涙が溜まっている。溢れそうだ。嘘だろ、泣くの?
……俺、泣けるの?
「……ユニ?」
「……っ、ちょっと待って。待ってください。情報量が多すぎて処理が追いつかない……」
「お前が処理落ちするとは珍しいな」
「ヴィルのせいですからね!? こんなサプライズ、心臓に悪い……って、あ、心臓がある。心臓がちゃんと動いてる……」
右手を胸に当てた。トクン、トクン、と。規則正しく、力強く、確かな鼓動が掌に伝わってくる。生きている音。
俺の身体が生きている音だ。
涙が頬を伝い落ちた。温かい。涙って、こんなに温かかったっけ。
「……ユニ。手を」
ヴィルが、右手を差し出していた。
大きくて、硬くて、タコの後のある手。六年の月日で少しだけ節が太くなったけれど、あの頃と変わらない、不器用で温かい手。
俺は、震える指先を伸ばした。
指先が、触れた……。
「…………あったかい」
声が、掠れた。
ヴィルの掌の温度が、俺の指先に直接伝わってくる。肌と肌を通じて、ダイレクトに。
六年間、ずっと忘れかけていた感覚。
人の温もり……。ヴィルの、温もり。
涙が止まらなかった。
「……ヴィル。あったかい。ヴィル、手が、あったかい……」
「ああ。お前の手も温かいぞ。……いや、相変わらず少し冷たいか」
「……っ、ひどい。泣いてるんだから、もう少し優しくしてくださいよ……」
「泣くな。それに悪い意味じゃない。……鼻水が出てるぞ」
「出てません!」
ヴィルが、ふっと笑った。低くて、控えめで、けれど温かい笑い声。あの星空の下で聞いた時と、同じ声。
俺の手を包み込むヴィルの指に、きゅっと力がこもった。
「……おかえり、ユニ」
「……っ……」
もう駄目だ。
なにも言えない。
声が全部、涙に変わってしまう。
俺はヴィルの手をぎゅっと両手で握りしめて、溢れる涙を止めようともせずに、ただ何度も何度も頷いた。
「……ただいま。ただいま、ヴィル……」
─────
どれくらい泣いていたのか、わからない。
ようやく涙が収まった頃、部屋のドアがノックされた。
「……主任、そろそろよろしいですか。入りますよ」
ジーナの声だ。返事を待たずにドアが開く。黒髪の碧眼の少女が、トレーにティーカップを三つ載せて入ってきた。
「……あ、ジーナちゃん。知ってたの?」
「当然です。このサプライズの手配をしたのは私ですから。主任一人では、とても手の足りないような内容でしたしね」
ジーナがトレーをベッド脇のテーブルに置き、俺の顔を覗き込んだ。碧眼がじっと俺を見据えて、それから、ほんの少しだけ目元を和らげた。
「……義体の調子はどうですか、ユニさん。不具合があればすぐに技術部に連絡しますけど」
「……大丈夫。完璧。指も全部動くし、目も見えるし、耳も聞こえる。鼻も利く。……あ、コーヒーの匂いがする」
「淹れてきました。……主任が、ユニさんが目覚めたら飲ませてやりたいって」
ヴィルの耳が赤くなった。二十八歳になっても、こう言う所は変わらない。
「……別に。義体の味覚機能の動作確認が必要だと判断しただけだ」
「「はいはい」」
またジーナと声が揃った、ヴィルが観念したように目を閉じる。
ジーナが差し出してくれたカップを、両手で受け取った。陶器の温もりが、まだ少し不慣れな指先にじんわりと沁みる。
鼻を近づけると、芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。コーヒーの匂い。あの朝、ヴィルのキッチンから漂ってきた匂いと同じ、あの、温かい匂い。
一口、口をつけた。
苦い。
ちょっとだけ酸味があって、舌の奥にほのかな甘みが残る。熱い液体が喉を滑り落ちていくと、胃の底からじんわりと温もりが広がっていった。
「……美味しい」
そう呟いた瞬間、また涙が溢れそうになった。ティーカップを包む手に少し力を込めて、必死に堪える。
「……味、わかりますか?」
ジーナが静かに訊いた。
「うん。わかる。すごく、美味しい……六年ぶりのコーヒーだ……」
ヴィルが、何も言わずにコーヒーをすすった。
その口元が、隠しきれないほどに緩んでいるのが見えた。
「……ジーナちゃん」
「はい」
「ありがとう」
「……仕事ですから。気にしないで下さい」
「……ジーナ」
「事実ですので」
ヴィルが優しい顔をして、ジーナが澄ました顔でコーヒーを飲む。俺はその光景を見て、泣き笑いのような顔になった。
コーヒーカップを両手で包みながら、俺は改めて自分の手を見下ろした。色白で、華奢で、小さな手。かつて生体ユニットとして動かしていた頃と、ほとんど変わらない。
でも、今度のこの手には期限はない。
生体ユニットじゃない、消耗品じゃない。
この手で、もう一度、ヴィルにコーヒーを淹れられる。
この手で、ヴィルの手を握れる。
この手で、ヴィルを抱きしめられる。
「……ヴィル」
「なんだ」
「今日は、わたしがご飯を作ります。ヴィルに、美味しいスクランブルエッグを食べさせてあげたい」
ヴィルが一瞬、何かをこらえるように目を細め、それからゆっくりと息を吐いた。
「……俺達の料理は、フードクッカー任せだっただろう」
「今のフードクッカーはもっと性能上がってるはずですよ。任せてください」
「……まぁ、栄養バーよりはマシか」
「栄養バーと比較されるの、ちょっと心外なんですけど」
「主任の食生活の基準を、まともな人間と同列に考えない方がいいですよ、ユニさん」
ジーナが淡々と追い打ちをかけ、ヴィルが無言でコーヒーをすする。
笑った。
声を出して、お腹の底から、笑った。
自分の笑い声が、自分の耳に直接聞こえる。スピーカー越しじゃない、データの変換を通してじゃない。
喉が震えて、息が漏れて、頬の筋肉が引き上がって……笑っている。俺は、自分の身体で、笑っていた。
窓の外には、コロニーのスクリーンが映し出す穏やかな午後の陽光が広がっていた。
ヴィルの手のひらの温度が、まだ俺の指先に残っている。コーヒーの香りが鼻腔をくすぐり、ジーナの呆れた溜息が耳に心地よい。
(……ただいま。ようやく、ちゃんと帰ってきた)
消耗品だった俺が、一度死んで、OSになって、そしてまた、こうして、ここにいる。
ヴィルの隣で、コーヒーを飲んでいる。
カップの中の茶色い液面に、赤い髪の少女の顔がぼんやりと映っていた。目元が赤く腫れて、鼻の頭も赤くなっていて、およそ美人とは言い難い、ぐしゃぐしゃの泣き顔。
でもその顔は、この上なく幸せそうに……笑っていた。
【U222/ユニ】
この度「ハイスペック生体義体美少女」に進化した。未だに自分に魂が在るのか? とかは分かってないが、ユニ本人はヴィルを支えられるなら魂の有無なんぞどうでもいいので、特に気にしてない。初めて泣けた。
【ヴィルヘルム・オルバース/ヴィル】
今回の主犯。退職金を全額前借りしている。ユニの生体義体のデザイン(容姿・声色・体温・体臭……etc)を七回リテイクした。ユニ(故)を愛しているのは変わり無いが、ユニ(OS)も愛する覚悟を決めた。
【G117/ジーナ】
今回の共犯者兼被害者。
普通の生体ユニットだったのに、変なOSと異常に過保護な管理官に挟まれ、更にその二人のイチャイチャを毎日毎日、嫌になるほど見せられたせいで、OFFった筈の情緒を強制的に再起動させられた。苦労人で常識人。ツッコミ役。
─────
後日談その1『ヴィルヘルム・オルバースの幸せ余生計画!』でした。