目を覚ますと、そこはふかふかの天国だった。
真っ白で硬い、あの待機室の味気ないベッドとは違う。体重を預ければ優しく沈み込み、寝返りを打つたびに肌触りの良いシーツがふんわりと身体を包み込んでくれる。空調は完璧に管理され、微かに香る清潔な柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐる。人工的ではあるが、窓の外にはスペース・コロニーの居住区画に作られた朝の陽光が、柔らかく差し込んでいた。
(……最高だ)
俺は薄目を開けたまま、シーツに頬をすりすりと擦り付けた。ここがもし前世の自室なら、昼過ぎまで二度寝を決め込んでいるところだが、今の俺はただの男子高校生ではない。機動兵器の生体ユニット「U222」なのだ。
あのヴィルヘルム・オルバース少尉という、顔は怖いが優秀な男との顔合わせから、数週間が経過していた。
その間に何度か、俺たちは機動兵器に接続されて宇宙空間へと放り出され、あの得体の知れない侵略者「Raider」との戦闘。つまりは出撃を経験している。
正直に言って、脳と脊髄を直接機体に繋がれる感覚は、何度味わっても慣れるものではなかった。膨大な情報量が頭蓋骨の中を暴れ回り、神経が焼き切れそうになるほどの激痛と疲労が襲いかかってくる。文字通り、命を削っているという実感が嫌でも湧いてくる時間だ。
だが、それでも俺が今こうして自我を保ち、ふかふかのベッドで朝を迎えられているのは、ひとえにパイロットであるヴィルヘルムの腕が良いからに他ならない。彼の操縦は無駄がなく、機体の挙動は極めて正確だった。
そのおかげで、生体ユニットである俺にフィードバックされる過負荷は、想定されていた最悪のケースよりもずっと少なく済んでいる。
そして何より、この同居生活の待遇の良さだ。
出撃と出撃の合間、俺たち生体ユニットはパイロットの管理下でコロニーの居住区画に滞在することが許されている。
幾度かの出撃を終え、相性の確認も済み、バディとして問題なしとされて、正式にヴィルヘルムの管理下に置かれることになった俺は、つい先日、ヴィルヘルムとの同居生活を命じられたのだが。
ヴィルヘルムに与えられた士官用の個室は、俺にとってはまさにスイートルームだった。
(とはいえ、ただ飯を食って寝てるだけのニートユニットだと思われたら、いつあの白い独房に送り返されるか分かったもんじゃない。ここは一つ、有能で健気なところをアピールしておかないとな)
俺はむくりと起き上がると、支給された機能的なルームウェアの皺を軽く伸ばした。鏡の前で「感情を失った従順な少女」の顔を作り、よし、と気合を入れる。
目指すは、ヴィルヘルムの胃袋と好感度だ!
俺は足音を忍ばせて寝室を出ると、リビングに併設されたキッチンへと向かった。
時刻は早朝。ヴィルヘルムはまだ隣の部屋で寝ているはずだ。
彼が起きてくる前に、温かいコーヒーと気の利いた朝食を用意しておく。そうすれば「こいつ、部品のくせに気が利くじゃないか。よし、今日のディナーはあの不味いチューブ食ではなく、ちゃんとした肉を食わせてやろう」となるに違いない。完璧な作戦だ。
キッチンに立ち、ずらりと並んだ最新鋭の調理家電を前に腕を組む。
とはいえ、ここは未来のSF世界だ。火を使って鍋を振るうような原始的なものではなく、食材をセットしてパネルを操作すれば、ある程度の食事は自動で合成されるフードクッカーが主流だった。
(まずは、コーヒーだな。軍の支給品じゃない、ヴィルヘルムの私物の高級そうな豆があったはず……)
戸棚を漁り、黒いパッケージを取り出す。パネルの表示を読み解きながら、抽出機に豆と水をセットしようとした、その時だった。
「……何をしている、U222」
背後から、地を這うような低い声が降ってきた。
ビクッ! と肩が跳ねそうになるのを必死に堪え、俺はゆっくりと振り返る。
そこには、黒いトレーニングウェア姿のヴィルヘルムが、眉間に深い皺を寄せて立っていた。起き抜けだというのに、その隙のない立ち姿と鋭い眼光は健在である。むしろ、寝起きの不機嫌さがプラスされて、普段より三割増しで顔が怖い。
「……おはようございます、オルバース管理官」
俺は無表情のまま、規定通りの角度で一礼した。
「パイロットの疲労回復および、覚醒水準の引き上げを目的とした、カフェイン飲料の抽出を試みていました。本日のタスクに貢献するためです」
どうだ、このいかにも「健気な生体パーツ」っぽい言い回しは……我ながら完璧なセリフ回し。心の中でガッツポーズを決めながらヴィルヘルムの反応を窺う。
ヴィルヘルムは一つ、大きなため息をついた。
「……お前の機能に、俺の給仕は含まれていない。生体ユニットは、機体との接続試験と出撃時の演算処理、そしてそれに備えた休息のみが義務付けられているはずだ」
「はい。ですが、管理官のコンディションは、そのまま部隊の生存確率に直結します。わたしは、管理官に万全の状態でいていただくための、最適な……」
「屁理屈をこねるな」
ヴィルヘルムはすたすたと歩み寄ると、俺の手からコーヒー豆のパッケージをひったくるように取り上げた。
「お前は指示されたことだけをやればいい、どけ……」
そう言ってヴィルヘルムは、俺をキッチンの端に追いやり、慣れた手つきで抽出機を操作し始める。
数分後、部屋中を包み込むような、芳醇で香ばしい匂いが漂い始めた。
(うおお……いい匂い……)
俺は表情筋を微塵も動かさないよう細心の注意を払いながら、内心でヨダレを拭いた。あの濡れた段ボール味の栄養チューブをすすっていた日々を思えば、この匂いだけでも涙が出そうになる。
ヴィルヘルムはカップにコーヒーを注ぐと、続いてフードクッカーのパネルを操作した。完成したのは、こんがりと焼き目のついたトーストと、スクランブルエッグのような黄色い食べ物、そして新鮮なサラダだった。
彼はそれをトレーに乗せ、ダイニングテーブルへと運ぶ。
「座れ」
俺は無言で椅子を引き、ヴィルヘルムの向かいにちょこんと座った。
目の前に置かれたのは、明らかに「人間のための」朝食だ。
「……オルバース管理官。わたしは生体ユニットです。エネルギーの補給は、規定の栄養ペーストで事足りますが」
一応、設定を守ってそう進言してみる。だが内心では「頼む、ペーストに戻せなんて言わないでくれ。そのトーストを俺にくれ!」と必死に祈っていた。
ヴィルヘルムは向かいの席に座り、コーヒーを一口すすると、酷くつまらなそうに言った。
「規定のペーストは効率的だが、長期的なストレス耐性に難があるというデータがある。それに、俺は食事の席で、向かいの人間がチューブを啜っているのを見るのは好かん」
「……わたしは、人間ではなく、部品ですが」
「……口答えをするな。これは管理官としての命令だ。食え」
「……了解しました」
俺はフォークを手に取り、スクランブルエッグらしきものを口に運んだ。
(……うまぁぁぁぁぁぁっ!!)
脳内で花火が打ち上がった。なんだこれ、前世で食べたホテルの朝食バイキングより美味いじゃないか。未来の科学技術、万歳。
頬が緩みそうになるのを奥歯を噛み締めて耐え、俺はあくまで「エネルギーを補給する機械」のような一定のペースで、しかし確実に皿の上の料理を胃袋へと収めていった。
ヴィルヘルムは電子端末に視線を落としながら食事を進めていたが、俺が綺麗に皿を平らげたのを見ると、ほんのわずかに、口元を緩めたような気がした。
ふふふ、チョロい。冷徹な軍人を気取っているが、結局は「自分が作った飯を美味そうに(無表情だけど)全部食べる奴」に悪い気はしないはずだ。この調子で胃袋を……いや、この場合は俺の胃袋が掴まれているのか? …… まぁいっか! 美味しいし!
─────
朝食を終えた後の午前中は、ヴィルヘルムにとっての事務作業の時間だった。
リビングの片隅に設けられたデスクで、彼はホログラムのモニターをいくつも展開し、眉間に皺を寄せて難しいデータと睨み合っている。次回の出撃ルートの確認や、機体のダメージレポートの作成など、やることは山積みらしい。
一方の俺はといえば、彼から一歩斜め後ろに下がった位置で、直立不動の姿勢を保っていた。
これも「従順で忠実なパーツ」をアピールするための作戦の一つだ。名付けて「忠犬ハチ公作戦」。ご主人が仕事をしている間は、微動だにせず付き従う。この健気な姿を見せつければ、彼の庇護欲をさらに刺激できるはずだ。
十分経過。
ヴィルヘルムはモニターから目を離さない。
……三十分経過。
俺の足が少し痺れてきた。
…………一時間経過。
(……ひま。マジでひま。そして足痛い)
内心で悲鳴を上げ始める。軍人基準の直立不動を舐めていた。体幹が鍛えられていないこの華奢な少女の体では、一時間立ち続けるだけでもなかなかの重労働である。
と、その時。ヴィルヘルムが突然、ペンを机に放り出した。
「……気が散る」
彼はくるりと椅子を回転させ、俺を真っ直ぐに睨みつけた。
「お前はそこで突っ立っているのも仕事の内だと思っているのか?」
「はい。管理官の不測の事態に即座に対応できるよう……」
「俺の部屋で、しかも非番の日に、不測の事態など起きるか。そんなに突っ立っていたいなら、訓練場に行って壁にでも向かって立っていろ」
きつい言い回しだが、俺は気付いていた。彼の視線が、俺の小刻みに震え始めている膝をちらりと一瞥したことを。
「……ソファに座っていろ」
ヴィルヘルムは大きなため息をつきながら、リビングのソファを指差した。
「次の出撃に備えて、体力を温存しておくのもお前の重要なタスクだ。無駄に体力を消耗するな」
「……了解しました」
俺は痛む足をおさえて、ロボットのようにカクカクとした歩みでソファに向かい、腰を下ろした。柔らかいクッションが疲れた足を癒してくれる。
俺が背筋を伸ばして座っているのを見て、ヴィルヘルムは頭を掻いた。彼はデスクの引き出しから携帯用のデータパッドを取り出すと、俺の膝の上にぽいっと放り投げた。
「それは……?」
「待機中の暇つぶしだ。コロニーのライブラリにアクセスできる権限を付与してある。軍事機密以外なら、映画でも音楽でも好きに閲覧しろ。突っ立ってこちらを凝視されるよりは、余程マシだ」
そう言い捨てて、ヴィルヘルムは再びモニターに向き直ってしまった。
(え、マジで!? いいの!!)
俺はデータパッドを握りしめ、歓喜のあまり震えそうになるのを必死に抑え込んだ。
あの白い部屋で壁のシミを数えるしかなかった日々から苦節……大体一ヶ月。映画が見られる、音楽が聴ける、前世の娯楽には及ばないかもしれないが、今の俺にとっては砂漠で見つけたオアシスに等しい。
(冷血人間を装ってるけど……。なんだよ、ただの良い人じゃん。お人好しじゃん。最高かよ)
画面には無数のアーカイブが並んでいる。俺はヴィルヘルムの背中をちらりと盗み見てから、一番面白そうなSFアクション映画の再生マークをタップした。
広いリビングには、ヴィルヘルムがキーボードを叩く規則正しい音と、データパッドから漏れる微かな映画の音だけが響いている。
互いに干渉はしないが、確かな温度のある空間。俺は映画(結構ぶっ飛んだB級映画だった)の内容に内心でツッコミを入れながらも、この穏やかな時間がいつまでも続けばいいのにと、そんなことを考えていた。
─────
夜。
夕食を終え、シャワーを浴びた後の時間は、生体ユニットにとって最も重要な「メンテナンス」の時間である。
俺はベッドの端に腰掛け、ヴィルヘルムに背中を向けていた。ヴィルヘルムの手には特殊な洗浄液と医療用の綿棒のようなツールが握られている。
俺のうなじにある、機動兵器と接続するための金属のソケット。ここの手入れを怠ると、接続不良による脳へのダイレクトなダメージを引き起こすため、念入りな清掃とチェックが欠かせないのだ。
本来なら専門の整備班がやるべき仕事なのだが、ヴィルヘルムは「自分の機体に繋ぐパーツの管理を、他人に任せる気はない」と言って、必ず彼自身の手でメンテナンスを行っていた。
「……動くなよ」
低い声と共に、冷たい洗浄液がソケットの周辺に塗布される。
ヴィルヘルムの指先は、軍人特有のタコができていてゴツゴツしているのに、信じられないほど優しかった。
傷をつけないよう、少しでも痛みを与えないよう、細心の注意を払ってツールを動かしているのが、背中越しでも伝わってくる。
首の後ろという急所を他人に弄られているのだ、本来なら恐怖や不快感があるはずだが、彼の指先の丁寧な動きは、不思議と安心感を与えてくれた。
「……汚れの蓄積はないな。神経接続部も正常だ」
独り言のように呟きながら、ヴィルヘルムは手際よく作業を進めていく。
「お前たち生体ユニットは、ここのソケットが命綱だ。少しでも異常を感じたら、すぐに報告しろ。戦闘中に不具合を起こされて、機体の道連れにされてはたまらないからな」
言葉の選び方は相変わらず刺々しい。あくまで「機体のため」「部品の管理」というスタンスを崩そうとしない。
だが、その手つきの優しさと、言葉の裏にある不器用な気遣いを俺は少しづつだが理解していた。
(……よし、ここは一つ、高度な作戦を実行に移すとするか)
俺は、彼がソケットの最終チェックのために軽く指を押し当てた瞬間に合わせ、わざと体の力をふっと抜いた。
「っ……」
微かな吐息を漏らし、そのまま後ろへと倒れ込むようにして、体を傾ける。
ガクン、と姿勢が崩れた俺の体を、ヴィルヘルムの太い腕が咄嗟に受け止めた。
「……っ! どうした、 U222」
背中越しに、彼の少し焦ったような声が響く。硬い胸板に背中を預ける形になり、彼から漂う微かなコロンの香りと、高い体温が伝わってきた。
「……申し訳ありません、オルバース管理官」
俺は虚無顔をキープしたまま、弱々しい声を絞り出した。
「ソケットの接触に反応し、一時的な平衡感覚の乱れが生じたようです。すぐに……復帰、します」
言いながら、ゆっくりと体を起こそうとする。が、ワザと少しだけふらついて見せた。
「……無理をするな」
ヴィルヘルムの腕に力がこもる。彼は俺の肩をしっかりと掴み、再び倒れ込まないように支えてくれた。
「……一昨日の出撃での負荷が強すぎたか? いや、数値上に異常はなかったはずだが……」
彼の声には、明確な動揺と心配が混じっていた。
部品に対するそれではなく、目の前の少女が、壊れてしまうのではないかという、人間らしい焦燥。
「いえ、管理官の処置に問題はありません。わたしの、素体としての耐久性の問題かと……」
「喋るな。少し横になっていろ」
ヴィルヘルムは俺をベッドに寝かせると、首元までしっかりと掛け布団を引き上げてくれた。
「今日のメンテナンスはここまでだ。明日も朝からデータリンクのテストがある。しっかり休んでおけ」
「……はい、おやすみなさい。オルバース管理官」
「ああ。……おやすみ」
部屋の照明が落とされ、ヴィルヘルムの足音が遠ざかっていく。ドアが静かに閉まる音を確認してから、俺は布団の中で、小さく、しかし確かなガッツポーズを取った。
(大・成・功!!)
見よ、あの焦りっぷりを。冷徹な軍人を気取っていても、ちょっとか弱さアピールをしただけであんなに優しくしてくれるなんて。
お人好しだとは思っていたが……チョロい。あまりにもチョロすぎる。
(この調子で「健気でちょっとドジだけど頑張りやな生体ユニット」を演じ続ければ、俺の余生は安泰だ。美味しいご飯を食べて、ソファで映画を見て、出撃の時だけしっかり頑張る。完璧なライフプランじゃないか)
俺は自分の見事な演技力と計算高さに酔いしれながら、ふかふかの枕に顔を埋めた。
明日は彼からどんな待遇を引き出してやろうか。そんな能天気なことを考えながら……。
【Raider/レイダー】
他銀河からの侵略者。生命体と機械が融合したかの様な戦艦や機動兵器を駆って、ワープしてやって来る。目的不明、動機不明、対話不能の侵略者。鹵獲した残骸から乗組員やパイロットが発見されない事や、圧倒的な科学力を有している筈なのに、一方的な侵略を行わないなどの行動から、一説では、Raiderの侵略は彼らにとっては一種のゲームなのではないかと言う声もある。