「システム正常。全データリンク完了。オールグリーン。U222、思考同調開始……レート、フェイズ4を維持」
機動兵器の狭いコックピット。俺の意識は今、肉体を離れ、この巨大な鋼鉄の塊と一つになっていた。
頚椎のソケットを通じて流れ込んでくる膨大な情報の濁流。機体の装甲をかすめる宇宙塵の振動、エネルギー伝導管を流れる熱量、背面のスラスターが吐き出す凄まじい推力。
そのすべてが、まるで自分自身の皮膚感覚のようにリアルに感じられる。
前世で憧れたロボットアニメやゲームじゃ、神経接続なんて、自身の身体の様にロボットを操れるチート能力みたいに描かれていたけれど、現実はクソゲーだ。
人間の脳の処理能力を遥かに超えた量のデータを、俺の脳と電脳が無理やり演算させられている。頭蓋骨の内側を常にジリジリと炙られ、掻き回されているような慢性的な熱さと苦痛、神経が一本ずつジリジリと焼き切れていくような幻痛。
それは出撃を重ねるたびに、俺の寿命という名のバッテリーが、勢いよく減っていくのを実感させた。
『……チッ、次から次へと。増援か。U222、敵影反応多数。全方位モニターの死角データを補正しろ。予測回避ルートをメインに回せ!』
「了解。……データ補正完了。回避推奨ルート、および反撃の最適解を送ります」
通信越しに聞こえるヴィルヘルムの声は、半年前に出会った時と変わらず冷徹で、事務的だ。
だが、その声を聞くと、不思議と脳内の熱が少しだけ引く気がした。
出会ってから半年。
俺たちは、クソみたいなこの戦場で、数え切れないほどの死線を潜り抜けてきた。
最初は俺をただの消耗品として扱おうとしていたヴィルヘルムだったが、俺が「従順で健気で、ちょっとドジだけど役に立つ生体ユニット」を完璧に演じ続けた努力が実ったのか、あるいは彼自身の根のお人好しさのせいか、最近では彼との連携は、自分でも恐ろしい程のものになっていた。
彼が何を考え、どう動きたいのか。言葉にされなくても、接続された回路を通じて、彼の意図や考えを感覚的に理解できる。
『そこだ……ッ!』
ヴィルヘルムの叫びと共に、機体が踊るように宇宙を駆けた。
俺が演算した回避ルートを寸分の狂いもなくトレースし、敵のビーム攻撃を紙一重で回避。同時に、死角から接近していた別の敵影に対し、背面のビーム・キャノンをノータイムで発射する。
閃光。
宇宙空間では音は聞こえないはずなのに、脳内に直接、敵が爆散する衝撃が伝わってくる。
『……掃討を確認。帰還する。U222、システムを通常モードへ移行。思考同調を解除しろ』
「了解。……シンクロ解除。お疲れ様でした、オルバース管理官」
脳内を支配していた熱が引き、視界が機体の全方位モニターから、コックピット内の無機質な計器類へと戻る。それと同時に、鉛のように重い疲労感が全身に圧し掛かってきた。
(……うへぇ、今回も命が削れた音がしたぜ。でも、ヴィルヘルムが無事なら、俺の余生も安泰だからな。これくらいの等価交換は安いもんだ……ということにしておこう)
俺は狭い生体ユニット用ポッドの中で、華奢な少女の体を小さく丸め、帰還の途につく機体の振動に身を委ねた。
─────
コロニーの居住区画、ヴィルヘルムの士官宿舎に戻った頃には、日付が変わろうとしていた。
出撃後のルーチンは決まっている。
まずはシャワーを浴びて。それから、濡れた段ボール味の栄養ペーストを無心で胃袋に流し込み、出撃時の演算処理で消費した、最低限のエネルギーを補給する。
本来なら、ここでヴィルヘルムによる頚椎ソケットのメンテナンスが始まるはずなのだが、今日は彼も疲弊しきっているようだった。リビングのソファに軍服姿のまま深く沈み込み、片手で顔を覆って動かない。
(……おや、ご主人様、今回はかなりお疲れのご様子だな。まぁ、あの数の増援を相手に、俺に過負荷をかけないように精密な操縦を続けてたんだから、当然か)
そんなヴィルヘルムを横目に見ながら、俺は足音を殺して、キッチンへ向かった。目指すは、ヴィルヘルムの私物の高級コーヒー豆だ。
「給仕しようとして怒られた事件」以来、キッチンへの立ち入りは制限されていたが、今は緊急事態である。管理官のコンディション管理は、生体ユニットの最優先事項だ。
(……パネル操作は……いつも見てるから覚えてる。ええと、こうして、こうで、これで……よし!)
最新鋭の全自動抽出機を、慣れない手つきで操作する。
数分後、リビングに芳醇なコーヒーの香りが漂い始めた。その匂いだけで、ソファの上の軍人がピクリと反応したのを、俺は見逃さなかった。
俺は二人分のマグカップを両手に持って、音を立てずにソファへ近づく。
「……オルバース管理官。規定外の行動ですが、カフェインによる覚醒作用と、リラックス効果による疲労回復を提案します。……どうぞ」
ヴィルヘルムが顔を覆っていた腕を退け、俺を見上げた。その目は、少しだけ驚いたように見開かれ、それからいつもの険しい、眉間に皺の寄ったものに戻った。
「管理官のパフォーマンス低下は、次回の出撃におけるわたしの生存確率を著しく下げます。これは、自己保存のための最適解です」
無表情のまま、感情を一切排したロボットのような声で言い切る。
(どうだ、この徹底した「道具」としての振る舞い。これなら文句は言えまい)
ヴィルヘルムは呆れたように大きなため息をついたが、今回は「下がっていろ」とは言わなかった。彼はゆっくりと体を起こすと、俺が差し出したマグカップを受け取り、熱いコーヒーを一口すすった。
その瞬間、彼の顔の強張りが、ほんのわずかに、本当にわずかにだけ緩んだ。
(ふふふ、勝った)
俺は内心で勝利のガッツポーズを決めながら、彼から1人分の距離を開けてソファに座る。
ヴィルヘルムは無言でコーヒーを飲み続け、俺も隣でコーヒーに口をつけた。
部屋には、電子機器の微かな稼働音と換気設備の唸り、彼がカップを置く音だけが響く。この沈黙も、最近は不思議と居心地が悪くなかった。
カップが空になった頃、ヴィルヘルムが突然、ぽつりと呟いた。
「……U222」
「はい。何でしょうか、オルバース管理官」
「……U222、この呼び方は、効率が悪い」
「……はい?」
思わず、演技を忘れて素の声が出そうになった。
効率? アルファベットと数字の組み合わせが、効率が悪い? 意味がわからない。
「戦闘中、一分一秒を争う状況下において、U222と呼ぶのは、発音の手間が多い」
「……では、なんと?」
軍人らしい、理屈っぽい言い分だ。俺は内心で「充分短いだろ」とツッコミを入れつつも、従順なパーツの顔をキープする。
ヴィルヘルムは、空になったカップを見つめたまま、少しの間沈黙していた。その耳たぶが、空調のせいか、ほんの少し赤くなっている気がした。
「……ユニ、だ」
「……ユニ?」
「お前のロットナンバー、Uと2から取った。……これならロスも最小限で済む」
ヴィルヘルムは、捲し立てるようにそう言うと、気まずそうに顔を背けた。
(……えっと、今、この人……俺に、名前をくれた、のか?)
生体ユニットは、消耗品だ。名前を持つことはない。ロットナンバーで管理され、壊れれば新しいロットナンバーのユニットと交換される。それが、この世界の常識だ。
「……ユニ」
口の中で、その新しい名前を反芻してみる。
可愛らしい、女の子の名前。前世の俺なら、絶対に気恥ずかしくて死にたくなるような名前だ。
だが、今の俺は……。
「……はい」
気がつくと、声が、いつもよりほんの少しだけ弾んでいた。
自分でも驚くほど、素直に、その名前が体に馴染む感覚。
無表情を貫くはずの顔が、筋肉の統制を失い、ほんの少しだけ和らいでいくのを止められなかった。
(……あ、やば、演技が。虚無顔、虚無顔に戻さなきゃ……)
焦って表情筋に力を入れるが、口元の緩みはなかなか元に戻らない。
「……『ユニ』。……認識しました」
俺は、和らいだ表情のまま、ヴィルヘルムを真っ直ぐに見つめた。
「効率的な運用のため、その愛称の使用を受諾します。……ありがとうございます、オルバース管理官」
「……。分かればいい」
ヴィルヘルムは、俺の表情の変化に気づいたのか、気づかないフリをしたのか、フイと立ち上がった。
「今日のメンテナンスは、明日の朝に行う。……さっさと寝ろ、ユニ」
「はい。……おやすみなさい、オルバース管理官」
自室に戻り、ベッドに潜り込む。
胸の奥が、なんだか不思議と温かい。前世で、徹夜してプラモデルを完成させた時のような、あるいは、予約していたアニメのブルーレイボックスが届いた時のような、あの満ち足りた感覚に似ているけれど、何か違う、もっと温かで、焦がれるような感覚。
(……ユニ、か)
ユニ、ユニ……。何度か空に指を走らせて名前をなぞる。
俺は布団の中で、自分の新しい名前を心の中で何度も呼びながら、深い眠りへと落ちていった。
─────
翌朝。
リビングには、いつものようにフードクッカーで作られた朝食が並んでいた。
ヴィルヘルムは、コーヒーを飲みながらデータ端末に目を通している。昨夜のやり取りなど、まるでなかったかのような、いつも通りの冷徹な軍人の姿だ。
俺は皿の上のスクランブルエッグを口に運びながら、布団の中で温めていた計画を実行に移すタイミングを窺っていた。
彼が俺の名前を効率化のために変えたのなら、俺も彼の呼び方を効率化のために変える権利があるはずだ。これは、より対等な関係構築のための重要な一歩である。
(よし……)
俺は、水を一口飲み、口を開いた。
「……オルバース管理官」
「何だ、ユニ」
「……効率が悪いと思います」
「……は?」
ヴィルヘルムが端末から目を離し、怪訝そうな顔で俺を見た。
「オルバース管理官。という呼称は発音の手間が多く、効率的ではありません」
俺は、昨夜彼が使った論理を、そのままオウム返しにする。
「……なら、なんと呼ぶつもりだ」
ヴィルヘルムの声が、少しだけ低くなった。怒っているのか、呆れているのか、判断がつかない。
俺は、一拍置き、彼を真っ直ぐに見つめて、告げた。
「……ヴィル、と呼んでも、よいでしょうか?」
(……言ってやった。言ってやったぞ)
内心で冷や汗を流しながら、彼の反応を待つ。
ヴィルヘルムは、呆然とした顔で俺を見ていた。
それから、片手で顔を覆い、酷く疲れたように顔を下げ、大きくため息を吐いた。
「……お前、本当に……」
その声は、怒りというよりは、凄まじい徒労感に満ちていた。
「……好きにしろ」
「……!」
「ただし、外部の人間がいる前では、絶対に許可しない。……分かったか、ユニ」
(……お? おおおお?)
俺は内心で歓声を上げた。まさかの即時許可。
「……はい、ヴィル。……命令を受諾します」
俺は、和らいだ表情を隠そうともせず、深く一礼した。
その声は、昨夜よりもさらに、明るく、弾んでいた。
「……はぁ。……さっさと食え」
ヴィルヘルムは、少し赤くなった耳を隠すように、乱暴に端末に視線を戻した。
(……ふふふ。やっぱりチョロいぜ……ヴィル)
俺は、新しい名前と、新しい呼び方に、胸を躍らせながら、朝食を再開した。
このダークなクソゲーみたいな世界も、この男と一緒なら、案外、クリアできるかもしれない。
なんて、根拠も無いことを考えながら。
【生体ユニット】
機動兵器とパイロットを繋ぐ中継器であり、パイロットへの負荷を代わりに受ける生体演算装置。本来、人間の脳では耐えられない演算処理の過負荷に対応出来るように、調整(脳の一部を電脳化・脊椎の一部を機械化)を行われているが、それでも限界はあり、次第に神経や脳が摩耗し、生命活動に支障を来すようになり、最期には摩耗し切って死ぬ。