定期検診のために訪れた軍の医療区画は、いつ来ても冷え冷えとした空気に包まれている。
無機質な白い壁、鼻をつく消毒液の匂い、そして様々な整備用の医療機器が発する低い駆動音。それらが混ざり合うこの空間は、生体ユニットにとっての整備工場だ。
人間のための病院とは違う。ここには花も見舞いの品も置かれていない。壊れかけの部品を検査し、まだ使えるかどうかを判定するためだけの場所。
首の後ろのソケットに太いケーブルを繋がれ、検査用の冷たいベッドの上に並んで座りながら、俺は隣のベッドの少女に視線を向けた。
淡い金色の髪を短く切り揃えた、俺と同じくらい華奢な体つきの少女。彼女のロットナンバーはS105。
ここ数ヶ月、定期検診の日程が被ることが多く、待機室で顔を合わせるうちに、ほんの少しだけ言葉を交わすようになった「同僚」だ。
「……U222。あなたの生体データ、また数値が微細に変動していますね」
S105は、虚無を見つめるような瞳のまま、一切の抑揚がない声でそう囁いた。口はほとんど動かさず、周囲の軍医や研究員には聞こえない程度の、生体ユニット同士の密語だ。
「……変動? エラーの兆候ですか?」
俺も同じように、表情筋を殺したまま小声で返す。
「いえ。エラーではなく、素体の状態が良好に傾いています。支給される規定の栄養ペーストのみでは、このような数値の向上は理論上起こり得ません」
「……」
心当たりは、ありすぎる。
毎日ヴィルと一緒に食べている、あのフードクッカーで作られた美味しい料理の数々。こんがり焼けたトーストにスクランブルエッグ、季節の果物が添えられたヨーグルト。時には夕食に分厚いステーキ(合成肉だが、味は最高だ)まで焼いてくれることもある。カロリーも栄養価も、あの段ボール味のペーストとは段違いだ。
そりゃあ数値も良好になるだろう。俺の身体は、ヴィルの飯で出来ていると言っても過言ではない。
「……わたしの管理官が、コンディション維持のために独自のプログラムを実行しているだけです。気にする必要はありません」
「……そうですか。S105の管理官は、規定通りの運用を好みます。しかし、U222の数値安定化の手法は、自己保存の観点から興味深いですね」
S105は、まるで他人の事のように淡々と言った。
彼女のパイロットはベテランの軍人らしいが、ヴィルのように生体ユニットを特別扱いすることはないと聞いている。食事は規定のペーストのみ、待機中は部屋での休養。それが、生体ユニットとしての普通の扱いなのだ。
だからこそ、ヴィルがやってくれていることがどれだけ破格なものか、俺は痛いほどわかっていた。あの男は絶対に認めないだろうが。
「……S105。あなたのソケット、周辺の皮膚が少し変色していますが……」
ふと気になって、俺は彼女のうなじを指差した。金属パーツと皮膚の境界線あたりが、うっすらと赤黒く鬱血している。ヴィルが毎晩丁寧にメンテナンスしてくれている俺のソケット周りには見られない、生々しい炎症の痕跡だった。
「……前回の出撃で、一時的に演算負荷が規定値の百二十パーセントを超過しました。その際の、神経の微小な焼き切れによる炎症反応です。問題ありません。まだ、稼働限界までは余裕があります」
神経が焼き切れる。
それを「問題ない」と言い切る彼女の姿に、俺は内心で小さく息を吐いた。
これが、消耗品としての正しい在り方だ。どれだけ丁寧に扱われていようと、俺たちの本質は機動兵器の演算処理を肩代わりするパーツに過ぎない。
出撃を重ねれば重ねるほど、確実に神経は摩耗し、寿命は削られていく。俺も、彼女も、例外ではない。
「……次回の出撃は、大規模な共同戦線になると聞きました。U222、お互いに、部隊の生存確率を最大化するタスクを全うしましょう」
「……えぇ、S105」
─────
数日後。
地球圏の防衛ラインに、かつてない規模のRaiderの群れが襲来した。
宙域を埋め尽くすほどの異形の機動兵器群。機械と生体が融合した、理解を拒む形状のソレらが、まるで飢えた蝗の大群のように押し寄せてくる。それらを迎え撃つため、ヴィルの所属する部隊を含む複数の部隊が合同で展開する、大規模な防衛作戦が発動された。
コックピットの中で、俺は首のソケットから流れ込んでくる莫大な情報の濁流に、必死に耐えていた。
『──右舷より敵機多数接近! 第一防衛ライン、突破されます!』
『各機、散開しろ! 集中砲火を浴びるぞ!』
回線には、怒号と悲鳴が入り乱れている。
俺の脳内には、ヴィルの機体の周囲に展開する数百の敵機の座標、予測軌道、エネルギー波長のデータが、暴風雨のように吹き荒れていた。今まで経験したどの戦闘よりも、情報量が桁違いに多い。視界の端が白く明滅して、電脳化された領域が悲鳴を上げているのがわかる。
『──ユニ! 全方位モニターの死角を補正、左後方への回避ルートを回せ!』
「……っ、了解! データ補正、回避ルート伝達!」
頭蓋の内側を、熱した鉄の棒で掻き回されているような激痛。
演算処理の負荷が、普段の戦闘とは比較にならない。ヴィルの神がかった操縦技術があってもなお、敵の数が多すぎる。一機を撃墜しても、その残骸を踏み越えるようにして新たな敵機が殺到してくる。
(……ぐっ、あっつ……! 脳みそが、沸騰しそうだ……っ)
だが、俺がここで処理を遅らせれば、ヴィルが死ぬ。それだけは絶対に避けなければならない。俺は歯を食いしばり、焼け付く思考の海を必死に泳ぎ続けた。
部隊間のデータリンクを通じて、他の生体ユニットたちの状況も断片的に伝わってくる。
誰もが限界ギリギリの演算を強いられていた。悲鳴すら上げられない生体ユニットたちの、無音の絶叫がデータ領域に響き渡っているような錯覚を覚える。みんな、俺と同じように脳を焼かれながら、それでもパイロットを生かすために処理を回し続けている。
その時だった。
データリンクの片隅から、異常な数値のスパイクを検知した。
『──S機体右腕部損壊! S105、演算負荷、規定値の百五十……百八十パーセントを突破!』
味方の通信が飛び込んでくる。S105。あの医療区画で隣に座っていた少女のロットナンバーだ。
『……っ、クソッ、動け! S105、回避ルートを弾き出せ!』
彼女のパイロットの焦燥した怒号が響く
データリンク越しに、S105の生体データが赤く点滅しているのが見えた。
負荷率二百パーセント……二百二十パーセント。
人間の脳が耐えられる限界を、とうに超えている。
(……やばい、S105、それ以上は……!)
俺が内心で叫んだ、次の瞬間。
パツン、という。
まるで、細い糸が切れるような。あるいは古い電球のフィラメントが弾け飛ぶような。ひどくあっけない、小さなノイズが、データリンク越しに俺の脳裏に響いた。
直後、S105の生体データが、完全にロストした。
『──S105!? おい、どうした、S105! 返事をしろ!!』
パイロットの絶叫が虚空に響き渡る。
だが、応答はない。彼女の機体は、まるで糸を切られた操り人形のように宇宙空間で沈黙し、次の瞬間、Raiderの集中砲火を浴びて無惨に爆散した。
「……っ!!」
俺はコックピットの薄暗いコンテナの中で、震える体を抱きしめた。
死んだ。S105が、脳を焼き切られて。
ほんの数日前、無表情のまま「問題ありません」と言っていた彼女が。「まだ、稼働限界までは余裕があります」と、淡々と告げていた彼女が。ただの演算装置として、過負荷の果てに壊れて、消えた。
あのパツンという音が、耳の奥にこびりついて離れない。
『──ユニ! 同調レートが乱れているぞ! 大丈夫か!』
ヴィルの鋭い声が、俺の意識を現実に引き戻す。
「……申し訳、ありません。他機体の、ロスト信号を受信。一時的な……ノイズです」
『っ……今は気にするな! 俺たちの生存に集中しろ! お前には俺がついている!』
「……はい! ヴィル!」
俺は無理やり感情に蓋をし、再び狂気的な演算の渦の中へと身を投じた。
そうだ、今は、生き残ることだけを考える。
この温かくて不器用な俺の管理官を、絶対に生きて帰すために。
─────
地獄のような防衛戦を生き延び、なんとか帰還を果たしたコロニーの格納庫は、重苦しい沈黙に包まれていた。
出撃した機体のうち、三割が未帰還。帰還した機体も大半が深刻なダメージを負い、格納庫のあちこちで火花を散らしながら応急修理が行われている。
そして、何人もの生体ユニットが、焼き切れによって廃棄された。
俺は機体から降ろされ、ヴィルの後ろを歩きながら、担架で運ばれていく「かつて生体ユニットだったもの」の列を無言で見つめていた。
白いシーツを被せられたソレは、もうピクリとも動かない。人間の形をした、ただの壊れた部品。数時間前まで演算処理を回し、パイロットの声に応答し、生きていたはずの存在が、今はただの廃棄物として番号を振られ、台車の上で揺れている。
S105も、あの中にいるのだろうか。あるいは、機体ごと、あのまま宇宙の塵と消えたか……。
(……そうか。あれが、俺たちの行き着く先なんだな)
心の中に、冷たい風が吹いた。
悲しいかと言われれば、もちろん悲しい。あの無表情の下で「興味深い」と呟いていた彼女の声を、俺はもう二度と聞けない。
だが、それ以上に、奇妙なほどの納得があった。
生体ユニットは消耗品だ。ヴィルがどれだけ美味しいご飯を作ってくれても、夜ごとにソケットを丁寧に磨いてくれても、この首の接続端子を通じて致死の演算負荷を受け続ける事実に変わりはない。
いつか、俺の脳もあのように焼き切れて、死ぬ。
それは明日かもしれないし、半年後かもしれない。だが、確実にその日は来る。
(……俺も、いつかああなるのか……。まぁ、仕方ないか。それがこの身体の宿命だしな……)
俺は、どこか他人事のように自分の死を思い描いていた。
前世で一度死んでいるからかもしれない。あるいは、この身体に組み込まれた生体ユニットとしての処置の痕跡が、死を「廃棄」として受け入れるようにできているのか。
(どうせ死ぬ運命なら、せめて最後まで、ヴィルの役に立ってから死にたいよな。うん、それが一番だ。あいつ、真面目だから俺が死んだら凹むかもしれないけど、優秀なパイロットだから、すぐに新しいユニットと上手くやれるはずだ)
そんな考えを抱きながら、俺は前を歩くヴィルの広い背中を見上げた。
その背中が、いつになく強張っていることに、俺はこの時、まだ気づいていなかった。
─────
士官宿舎のリビングに戻ると、ヴィルは電気も点けず、ソファに深く腰を下ろした。
いつもなら、帰還後はすぐにシャワーを浴びて食事の準備に取りかかるはずの男が、片腕で顔を覆ったまま微動だにしない。格納庫の無機質な明かりに照らされていた時よりも、暗い部屋の中のその姿は、ずっと小さく見えた。
「……ヴィル?」
俺は、いつも通りのトーンを心がけて声をかけた。随分と疲弊しているようだった。あれだけの激戦だったのだから、当然か。
彼を少しでも休ませてあげたかった。こんな時は、温かいコーヒーか、温かい食事が必要だ。
俺がキッチンへ向かおうと背を向けた瞬間。
「……待て」
低く、掠れた声が響いた。
振り返ると、ヴィルがソファから立ち上がり、ふらつくような足取りでこちらに近づいてくる。
「ヴィル……?」
その顔を見て、俺は息を呑んだ。
漆黒の瞳が、酷く揺らいでいる。常に冷徹な軍人であろうとしていたはずの彼の顔に、隠しきれないほどの恐怖が張り付いていた。
戦場であれだけの敵を前にしても崩れなかった表情が、今、静かな部屋の中で音もなく瓦解していた。
ヴィルは俺の目の前で立ち止まると、震える手を伸ばし、俺の首の後ろ……ソケットの周辺に、そっと触れた。
金属の冷たさと、彼の指先の熱さが混ざり合う。まるで、まだそこに生きた回路が繋がっていることを確かめるかのような、恐る恐るといった触れ方だった。
彼はそのまま、俺の華奢な肩を両手で強く、痛いくらいに掴んだ。
「……ヴィル。ソケットに異常はありません。メンテナンスは、また明日でも……」
「……ユニ」
それはどこか、悲痛な響きを孕んだ声だった。
ヴィルは、絞り出すように言葉を続ける。
「……今日、第三小隊の生体ユニットが、三人、死んだ」
「……はい。戦況の激化による演算限界の超過と推測されます。消耗部品の損耗率としては……」
「部品じゃない!!」
突然の怒号に、俺はビクッと肩を震わせた。
ヴィルの顔が、苦痛に歪んでいる。眉間に深く刻まれた皺が、いつもの厳格さとはまるで違う意味合いを帯びていた。
「部品じゃない……。あいつらにも、パイロットがいて……お前のように、言葉を話して……生きて、いたんだ……」
俺の肩を掴む彼の手に、ギリギリと力がこもる。
「……通信越しに、聞こえたんだ。あいつらの脳が、焼き切れる音が。あいつらの絶叫が。……ただの部品が壊れただけなら、あんな声は出ない。あんなふうに、人は……壊れない……っ」
ヴィルの息が荒くなっている。
彼の瞳に映っているのは、今日の戦場での光景だけではない。
彼は、死んでいった生体ユニットたちの中に、間違いなく、俺の姿を重ねていた。
「……いつか」
ヴィルの声が、微かに震えていた。
「いつか、お前も……ああなるのか」
その問いに、俺はどう答えるべきか迷った。
「はい、わたしは消耗品ですから」と答えるのが、生体ユニットとしての正解だ。
だが、今にも泣き出しそうな……いや、心臓を鷲掴みにされたような顔で俺を見下ろす彼に、その正論をぶつけるのは、あまりにも残酷な気がした。
「……ヴィルの操縦技術は完璧です。わたしへの負荷は最小限に抑えられており、直近での機能停止の確率は……」
「そうじゃない!! 確率の話をしているんじゃない!」
ヴィルは俺を引き寄せ、その広い胸に俺の顔を強く押し当てた。
正面から、俺を逃がさないように、ひどく必死な力で抱きしめられている。軍服の生地越しに、彼の心臓が激しく脈打っているのが頬に伝わってきた。
「……嫌だ」
頭上から降ってきたのは、小さな子供のような、弱々しい独白だった。
「お前が……お前の声が、聞こえなくなるのは……お前がただの冷たい骸に変わるのは……俺は、耐えられない」
(……ヴィル)
俺は、彼の軍服の胸元に顔を埋めたまま、目を見開いていた。
彼がどれほど俺の死を恐れているか。どれほど俺を大切に思ってくれているか。
その重たすぎるほどの感情が、抱きしめられる腕の力からダイレクトに伝わってくる。骨が軋みそうなほど強いのに、不思議と、痛くはなかった。
(……そっ、か。ヴィルは、こんなにも俺の命を、自分事のように重く受け止めてくれてるんだな)
俺は、自分がいつか死ぬことを「仕方ない」と割り切っていた。
でも、ヴィルは違う。ヴィルは、俺が死ぬことを「絶対に許容できない」と、全身で恐怖してくれている。
なんて不器用な男なんだろう。消耗品の死を、ここまで恐れ、こんなにも必死に抱きしめてくれるなんて。
俺は、そっと両手を伸ばし、彼の背中に回した。
震えているこの大きな背中を、どうしても撫でてやりたかったから。
「……大丈夫です、ヴィル」
俺は、彼の背中をぽんぽんと優しく叩きながら、確かな意志を込めて言った。
「わたしは、簡単には壊れません。あなたの側にいるための最適解を、常に演算し続けますから」
それは、紛れもない強がりだ。
限界は確実に近づいている。今日の戦闘でも、脳が焼け焦げるような感覚は確かにあった。運命は変わらない、結末は、変えられない。
けれど、今、決めた。
彼がこれほどまでに俺の死を恐れ、悲しんでくれるのなら。
俺は、最後の最後、本当に脳の神経が完全に焼き切れて、この意識が暗闇に溶けるその瞬間まで、絶対に彼には、死の予兆を悟らせない。
いつものように、従順で、ちょっとポンコツで、マイペースなユニのままで、彼の隣で笑っていよう。
彼の中で、俺との思い出が、幸せだったと、笑顔で思い出せるものになる様に……。
「……あぁ。そうだな、ユニ。……俺が、絶対に守る。お前を、あんな風にはさせない」
ヴィルは、自分自身に言い聞かせるように呟きながら、さらに強く俺を抱きしめた。
彼の温もりを感じながら、俺はヴィルの肩越しに、暗いリビングの天井を見つめる。
(……俺の命のタイマーは、もう止まらない。なら、せめてタイマーが鳴るその時まで、この男に最高の日常をプレゼントしてやるのが、俺の最後の任務だな)
互いを想い合うが故に、絶対に交わることのない決定的な認識のズレ。
彼は俺を生かすために必死になり、俺は彼を悲しませないために死の影を隠して綺麗に散る準備を始める。
まるで、少しずつ降下を始めたジェットコースターに乗っているような、静かで、残酷な夜だった。
【U222/ユニ】
好きなもの:
・SF小説。「星を継ぐもの」とか「わたしたちが光の速さで進めないなら」とか良かった!
・ロボットアニメ! ゲーム! プラモデル!
・甘い物全般! 特に生クリームを使ったお菓子が好き。
嫌いなもの:
・辛い物全般。山椒は無理。絶対に無理。
・バッドエンド。メリバはものによる。
【ヴィルヘルム・オルバース/ヴィル】
好きなもの:
・コーヒー(苦いのが好み)。
・古典天文学。
・細かい作業。
嫌いなもの:
・無駄な時間。
・甘すぎるお菓子。
・自分。