Yachiyo Infinity~ヤチヨと巡る無限バッドエンド~   作:グランドマスター・リア

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第2章

 

 

 

 戻さなきゃ。

 もっと前に、ずっと以前に、過去へ過去へ。

 時計の針を逆方向へ、がむしゃらに回し込む。それによって、この世界で築き上げた土台の無に帰して行くけれど、なんの未練もない。

 

 結局バッドエンドに行き着くことしかできないようなルートで生み出したものなど、あるだけ醜悪なだけだ。

 むしろ、消えて欲しいとすら思う。

 

 真っ黒な泥水をすすりながら、私は再び”最初の日”に戻ってきた。

 そこは、最初に任意の形でセーブをした喫茶店のテラス席。

 

「……ここからなら、まだ取り返せるんだよね?」

 

 答えられる者は居ない。

 こんな悪趣味なゲームで、吐いた『Q&A』にそう都合よく回答が返ってくるわけがないのだ。独り言はあまねく虚空に消え去る。

 

「まっ、答えてくれるわけないよね。知ってるよ。もういい。自分でちゃんとなんとかするから……」

 

 そうしなければ、積もっていく自責の念に押しつぶされてしまう。

 この世界で、二度も彩葉を死なせた。

 その絶望は、フィクションだからとか、創作だからって言い訳が通用するような生易しいものじゃない。

 

「彩葉に……会いに行かないと……」

 

 そう言葉にした。

 何よりも先に、そうしないといけないと意思を固めた。それに呼応したように世界に変化が起こった。

 

 ――世界に、幾度目かの静止が訪れた。

 

◇~◇

 

 〈酒寄彩葉に会いに行きますか?〉

 ・はい

 ・いいえ

 

◇~◇

 

 初めての演出。

 まるで、ここに戻ってくるのを、待っていましたとでも言うように……そう、嘲笑うかのように、予定調和に用意されていたみたいなイベントの発生。

 

「ッ――!!!!」

 

 ブチっと頭の中で何かが切れる音がして、拳を振り抜く。

 半透明なシステムウィンドウを相手に、そんな事をしたって意味がないのに、私はまるで二度のバッドエンドが既定路線だったかのような有り様に、怒りを抑えきれなかった。

 

「ふざけ、ないで……」

 

 だけども、一番許せないのは自分自身。

 だって、あの二度のバッドエンドはそのどちらも私のせいで起きたものだから。私がちゃんと考えて行動していれば防げたもので、決して理不尽な展開なんかじゃなかった。

 

「ふざけないでよ!!」

 

 そう、分かってる。

 心の中ではそうなんだけど……

 

「分かってる……分かってるよ!私のせいでああなったのくらい……でも、こんなの、どうしろって……!」

 

 目の前の選択肢を睨んで、吐き捨てた。

 泣きたい気持ちをこらえて、腕を降ろす。

 

「ん、ぐっ……」

 

 その一言で、全部飲み込んだ。

 それで切り替える。選択肢はもちろん【はい】だ。そこを指でタップすると、選択が承認された。

 

 すると、周囲の景色が変化。

 そこはどこぞの河川敷だった。

 

 選択肢の演出をパスすると、それに応じた場所にワープするらしい。

 

「……っ、はぁ……落ち着いて、私。彩葉に会うって言う選択肢でここに飛ばされたんだから、きっと近くに居るはず……」

 

 周囲を見渡すと、やはり居た。

 

 下にある道から、少し奥に入り込んだ広場にあるベンチ。そこに、酒寄彩葉は居た。

 私が前回見たのと全く同じ気配を纏い、同じ表情で……

 彩葉は、この頃からすでに限界だったんだ。

 こんな状態で三週間も放置して、そんな折に私が突然現れたからって来るべきバッドエンドを回避するなんて不可能に決まってる。

 

 ――ごめんね。彩葉……でも、今度こそ……

 

 決意新たに、彼女へと近づく。

 今度は迷わない。この世界は、ゲームであっても現実そのもの。救うという意思を少しでも鈍らせれば、私程度の小娘は容易く堕ちてしまう。

 

「ねえ……」

 

 だから、ちゃんと私からあなたに手を伸ばすよ。

 

「そんなところで暗い顔して座って、どうかしたの?」

 

 

 

 

 一か月の壁を越える。

 

 そこを目指して、私は彩葉に寄り添う。学校が終わった後、私達は河川敷のひとけのない広場に集合しては、コミュニケーションを重ねた。

 今回は、余裕と呼べるほどでは無いけど、積み重ねるための猶予はある。

 

 まずはたわいない話から始めた。

 日常のこれがどうだとか、私が普段、雑談配信で話しているような内容と相違ないような……くだらない内容が主。

 けれど、深刻な話をするよりも、その間だけは現実を忘れられるからか、彩葉は笑ってくれる。

 

 最初は怪しがっていた彼女と、普通に話せるようになったのは二週間後のこと。

 一週間でどうにかしようとしたのが、如何に無謀だったのかよく分かる。

 

 今日もいつも通り、夕日の暮れ始めた河川敷で私達は隣り合って座っていた。

 

「ねえ、ヤチヨは…さ」

 

 彩葉が、いつになく真剣な感じで口を開いた。

 

「辛い環境から逃げるのは……ダメなことだと思う?」

 

 ――来た。

 

 ようやく、やっと、彩葉が話してくれた。

 心の闇を他人に見せるのは、とても勇気がいる行為だ。近すぎたら心配をかけるのが嫌で言えないし、遠すぎても意味がない。

 

 元世界における、推し配信者とリスナーという関係は、その最も最適な例だった。

 今のように、もし違う立場だったなら――

 必然的に、私が自分自身の匙加減で丁度いい塩梅を見つけ、そこに収まるしかない。

 彩葉から打ち明けてもらえたのは、そこに私が居るという証明でもある。

 

「……そうだね」

 

 この返答次第で、このルートの未来が確定する。

 私はもう過去の焼き直しみたいな言葉を吐くつもりはない。今、ここに居る彩葉に真剣に向き合って、私が出せる答えを届けるんだ。

 

「時と場合にもよるけど……ヤッチョは『逃げられない』『逃げちゃいけない』って決め付けない事が、大事なんじゃないかなって思う」

 

 逃げてもいい――その一言だけでは意味がない。

 

 彩葉が自分の意志で”逃げる”ことが大切なんであって、その過程を私が消してしまったらルートの一番向こうで必ず後悔する。

 どこかで可能性が閉じれば、私達はまた同じような末路を辿る。それだけは阻止しなければならない。

 

「可能性は無限に存在する。もしかしたら、その場に留まったまま解決する方法だってあるかもしれないし、逃げる以外にない事だってある。どちらかを塞いで考えるんじゃなくて、選ぶことが重要なんだよ」

 

 途中までは手を引いてもらっても、最終的には自分の足で歩くのが人生

 何より、他人を補助輪にして歩むような生き方を、彩葉が望んでいるわけがない。それなら、私は彼女を一人にしないことで、彩葉を助ける。

 

「私は、彩葉の未来を代わりに選んであげることはできないけど、選択肢を与える事はできる」

 

 どうかこれで、未来へ進んでくれ。

 過去に留まることを選ばないでくれ。

 その意思で紡ぎだした答えを、彼女に告げた。

 

「しんどい時はね。逃げてもいいの。この先あなたがどんな選択をしても、ヤチヨは彩葉の味方だよ」

 

「………ん、ありがとう。ヤチヨ」

 

 彩葉は安心したように笑って、私に寄り添って体重を預けてくれた。

 

 

◇~◇

 

 〈酒寄彩葉が死亡しました〉

 

◇~◇

 

 その二週間後のことだった。

 

◇~◇

 

 〈ログ:自殺〉

 

◇~◇

 

 私は再び、時を巻き戻した。

 

 

 

 逃げてもいい(・・・・・・)

 なるほど、そう言うと、こうなるのか……

 

 ――私はまた間違えた。

 

 

「一度距離を離して、時間をおいてみるのもいいんじゃないかな。そうすれば、色々冷静になれて、見えてくるものもあるかもしれないよ」

 

 こう言うべきだったのだ。

 逃げるか、留まるか。

 ある種、訣別とも取れる重たい決断を、まだ彼女にさせるべきではなかった。ここで私が提示すべきだったのは、選択は”保留できる”ということ。

 

 で、セーブで巻き戻してそう言った私に、彩葉は……

 

「そっか。そういうのでも良いんだ……」

 

 まるで気付きを得たような表情をした。

 それを見て、私は表面上はニコニコとしながらも、内心では何度も愚かな自分の心臓を自責の刃で刺した。

 

 

「また……死なせちゃったな」

 

 帰ってきて、ベッドに崩れ落ちて呟く。

 これで三度目のバッドエンド。

 またしても、私はわたしのせいで彩葉を死なせた。

 

 最終的には無かったことになる事も、私だけは覚えている。

 それもまだ、自分が直接酷い思いをするならいい。

 

 痛いのも、苦しいのも、しんどいのも惨いのもなにもかも、耐えられる。

 

 でも、この”辛さ”は無理。

 心がもう、この痛みは嫌だと拒絶する。何度も重ねれば、いつか致命傷になると魂が叫んでいるのに、止まることはできない。

 月見ヤチヨは、そういう人間。

 心は折れない。足も動く。

 だったら平気なのかって言うと、そんな事は無くて……

 

「あの時……ちゃんと最初から、ああ言えてたら……バッドエンドにならずに………っ」

 

 そういう”たられば”を一度考えると、体が拒否反応を起こして不愉快な感覚が喉元までこみ上げてくる。

 

 口を押さえて、必死に深呼吸した。

 やがてそれは収まって、私は今度こそ無気力にベッドに転がる。

 

「なんだよ……やっぱ、全然ダメじゃん……」

 

 声が震える。

 

 ――助けて……彩葉。

 

 胸のうちに浮かんだ、切実なSOS。そこに孕んだ大きな矛盾を消化しきれないまま、私は瞳を閉じる。

 最近の寝つきはいつも最悪だ。

 

 

 

 もっとちゃんと、彩葉の心の内を聞くべきだと思った。

 この頃の彼女の心情を、まだ私は理解しきれていない。

 会う度に彩葉は嬉しそうにしてくれるけど、帰る時の追い詰められた顔はいつも一緒。

 

 踏み込み過ぎないのは大人の処世術であり、適切な距離を保つことで、互いに傷つけあわずに済む。まずはそんな生温い考えを破る。

 

 例えこれが”ヤマアラシのジレンマ”でも、傷つけあう相手がいなくなって、より傷つく結果になるくらいなら、私はその痛みすら抱きしめよう。

 

 ――我慢してね、彩葉。私も我慢する。

 

 

「私が家で、どんな感じかって?」

 

 訊いた。

 それは、これまで直接的には触れようとしていなかった部分。

 

「あけすけに話せることじゃないのは分かってる。でも……ヤチヨはもっと、彩葉の力になりたいから……」

 

 こないだ、逃げる逃げないの話をした矢先、関係性も深まった今はタイミングとしても丁度良い。同時にここしかないとも思っていた。

 

「こうやって毎日話してて、彩葉の悩みもいっぱい聞いて……だけど私、まだ彩葉のこと……あんまり分かってない」

 

 辛すぎて死に逃げるほどとは、一体どういう事なのか。

 そこを知らない限り、私は彼女を救えない。

 

「……いいけど、そんなに気分の良い話じゃないよ?」

 

 彩葉は特に怒るでもなく、あくまで聞く側()のことを案じた。

 辛い状況でも人への思いやりを忘れない。バイトと学業で限界ギリギリの生活なのに、赤ん坊だった私を受け入れてくれた彩葉も、そんな優しい少女だった。

 

 故にヤチヨは、今ここに居る。

 

「それくらい覚悟の上だよ。今日は、そう決めてここに来た」

 

 そう言った私の覚悟が伝わったからか、彩葉はそれ以上なにも言わず視線を前に移して、一つひとつ思い出すように語り始めた。

 

「いつからだったかな……家に居る間は、殆ど自分の部屋で過ごすようになった。ご飯を食べる時以外はずっと……」

 

 諦めたような表情には、深き憂いが見て取れる。

 

「お兄ちゃんが出ていく前は、お母さんともまだ話せてたんだけど……一人になってからは、てんでダメになっちゃった。一人だと、怒られたり小言を言われた時に誰も味方が居ないし、そういうのが会う度に起こるって思うと、キツくて……」

 

 それは、あの家がもう元のように温かな場所に戻ることはないと、彼女自身が既に諦めていることを意味する。

 

「お父さんが死んでから、色々とあったのは話したよね?お兄ちゃんが出て行ってからはもう地獄。正直……最近は、家に帰るのも辛い」

 

 泣きそうな顔で吐露されていく本音に、胸を締め付けられる。

 こうして私と関わっている間も、彩葉は常に追い詰められていた。

 家に居る間のことは、当然今の私には知りようもなく、その決定的な距離はなにをしても埋まらない。

 

「帰り道が、永遠に終わらなきゃいいのにって……毎日思ってる。玄関のドアを押す手も、上手く動かないの。しまいには、こんなにも楽しい時間まで出来ちゃって……」

 

 学校で友達と関わる時間も、私と交わす逢瀬も、平たく言えば現実逃避の一種。

 その一時だけは、辛いことを忘れられる。けど結局は――ご飯を食べ、眠るためには家に帰らないといけないし、中学生の彼女にできる抵抗なんて何もない。

 

「まるで……家が、監獄みたいなの……朝になると一時的に出所できて、夜になるとまた投獄される。ずっとその繰り返しで、頭がおかしくなりそう……」

 

 どこにも味方が居らず、逃げ道のない閉鎖空間で、ずっと過ごさないといけない。

 母親は家を管理する絶対の主でありいわば監守に等しく、そんな人物が居る場所で心が休まることなど皆無。むしろその逆だ。

 だが、いかに辛かろうと他人に言うのは難しく、言えたとしても解決できるほどの力を持った人はそう多くない。

 

 夜中眠る時でさえ、怒りの声が頭の中にリフレインし続けて、そうして疲れは溜まる一方で、精神はどんどん崩壊していく。

 

 それが続くと人はどうなるか。

 答えは簡単だ。

 

 

「いっときは……死ぬしかないのかなって……そんなふうに思ってた」

 

 

 それだけが、唯一の逃げ道になる。

 選択肢がひとつなら、恐れとか怖いとか関係ない。

 落ちる先の暗闇が、とても魅力的に見えてくるわけだ。

 

 その本質的な闇に初めて触れて、私は自分が恥ずかしくなる。

 中途半端に手を差し伸べても、それは届くどころか彼女の目に映ってすらいない。

 

 ちょっと考えれば分かる事だ。中学生の女の子が、一人上京を決意するほどの家庭環境とは一体どれほどのものなのか。

 絶対に、まともであるはずがない。

 それでも、相手は親だ。きっぱり決別できるような関係じゃない。どう頑張っても嫌いになんて、なれないんだ。

 

 例え私が、彩葉からどんな酷い事をされても、そうであるように……

 思い出が、共に過ごした時間が長すぎる。

 

 ぐちゃぐちゃで、苦しかったはずだ。

 そんな彼女に、私は―――

 私は……――――

 

 

「まあ、今はそこまでじゃないんだけどね。辛いのは変わらないけど、前は向けてる」

 

 

 その言葉に、私はハッとして彼女の方を見た。

 

 ――峠は越えた。

 向こうに続く山も、越えるには相当な困難が予想されるが、いま登った山よりは高くない。そうとでも言いたげに、彩葉の顔は空を見上げている。

 

「それは、ヤチヨが助けてくれたからだよ」

 

「……っ、違う!」

 

 気付けば否定の言葉を口にしていた。

 

「それは全部、彩葉が強いから……ヤチヨは、こうして聞くまで、何も分かってなかった……そりゃ、きっかけは私だったかもしれないけど、最後に選んだのは彩葉なんだよ」

 

 決して、誰かに手を引いてもらったわけじゃない。

 きっかけを月明かりに進み、道を見つけたのは彼女自身。

 

「同じだよ。その”きっかけ”がなきゃ、私は死んでた」

 

 鈍い色をした瞳が、私を真正面から捉える。

 

「ヤチヨに無くても、私にはある」

 

 子供っぽさを残しながらも、ガラス細工みたいに綺麗で脆い、そんな美しい笑み。

 いつのまに覚えたの、そんな笑い方。

 

「今更、なかったこと(・・・・・・)になんてさせない」

 

 その言葉に、胸が弾む。

 意図せずとは言え、彼女の口からそれを言われるとは思わなかった。私が取り消した未来と過去すら、まるでその言葉に乗っているみたい。

 

「見てて、私、ちゃんとするから。ヤチヨみたいに、何でもできる凄い人間じゃないけど、私なりにやってみる」

 

 死にそうな少女は、もうそこには居ない。

 ようやく、長い夜が明けたような気がした。

 

 

 

 翌日、彩葉は母親に上京したい旨を”今日”伝えると言った。

 これでようやくひと心地付くかな。

 いや、この世界はどこにどんなトラップが隠れているか分からない。ハッピーエンドに至るまで油断は禁物。

 

 夜は配信をして、他の仕事を片付ける。

 この世界にはツクヨミがないから、そこもルート進行の難易度をかなり上げている。

 『もと光る竹』がなければ、仮想世界は作れない。私は本来ならあるべき物の助けなしに、彩葉を本来と同等の幸せな未来へと連れていくんだ。

 

 恐らく、それがこの世界のハッピーエンド。

 バッドエンドは、それ以外のあらゆる結末か――彩葉の死。

 

 ここに来て、このゲームの全貌が見えてきた。それもあまりに途方もない道で、見通しは全くつかない。

 その間、あと何度バッドエンドを迎えることになるのだろうかと考えて、やめた。

 あまりのおぞましさに気が狂いそうだった。

 

「このまま上京が決まれば、マップも東京に移るのかな。それだとまた勝手が変わってくるし、色々とやる事も増える」

 

 東京へ越した後の彩葉とどう関わるのか、そこも考えておく必要があるだろう。

 やることも、意識を回す事も多い。

 その上常に気を張っているから、幾ら八千年モノとは言ってもメンタルがゴリゴリと削られていく。

 こういう神経擦り減らすような時間は続くほどに思うのだ。

 

「それはいつ……どこまで、続くんだろう」

 

 あの満月の夜か、はたまたもっと先なのか。

 それより短いことはあり得ないのだけは分かるから、余計に気が滅入る。

 

「もう寝よ。明日も早いし……」

 

 日々は過ぎていく。

 その味気無さだけは妙にゲームっぽくて、私はそれが嫌いだった。

 

 

 

 

 お母さんとの交渉は難航しているようだ。

 ここのところはその愚痴が多く、以前に彼女が相当に揉めたと言っていた意味をひしひしと実感する。

 

「はぁ……ホントしんどい。早く家出たい」

 

 そう言っている彩葉は疲れてこそいるけど、以前までのように今にも死にそうという感じはしない。

 諦めの色を感じないことに安堵しながら、私は彼女に寄り添って励ます。

 

「もし、どうしてもキツイってなったら、一時的に私の家に避難してもいいからね?」

 

「いや……それは流石に頼り過ぎだし、部外者のヤチヨにそこまで迷惑かける訳にはいかないよ」

 

 彩葉らしい照れ隠しの所作をしながら、やんわりと断る。

 一応、彼女はすでに私の家の場所を知っている(というか何度か遊びに来ている)ので、どうしてもとなったら本気で避難先にするつもり。

 『本来の月見ヤチヨ』や『ツクヨミ』という逃げ場のない彩葉には必要な助けだ。

 

 遠慮なんてして欲しくない。

 

「別に、そんなこと気にしなくていいのに……彩葉ならいつだって大歓迎なんだけどなぁ。あっ、それなら上京した後は一緒に住むのとかどう?」

 

「気が早すぎ。それに、そんなのお母さんが許してくれる訳ないよ」

 

 私も一緒に東京へ行くと言ったことは軽くスルーされる。解せない。でも、表情は先程よりも元気さを取り戻したようだ。

 良かった。今回は間違えなかった。

 毎日、この逢瀬は私にとって最も気が抜けない時間となっている。私の言葉一つで、彩葉の命が散ってしまう。そう思うだけで、逃げ出したいほどの重圧を感じてしまう。

 

 それでも、楽しみだというのも本音ではあって、私はそのか細い幸福のおかげで精神を保てているんだ。

 

「えへへっ、ヤッチョは諦めないよぉ。また追々お誘いしますから」

 

「すな!絶対に了承しないからね!」

 

 嗚呼、このやり取り、本当にかぐやだった頃に戻ったみたいだ。

 この尊い時間を壊さないように、今度こそもうバッドエンドなんて踏まずに最後まで辿り着こう。

 

 

 その日の夜、案の定というべきか、彩葉から『ヤチヨの家。やっぱり行ってもいい?』と連絡が来た。

 私はもちろん『いいよ。待ってるね』と快諾。

 

 やっぱり言っておいて良かった。もしも言っていなければ、追い詰められた彩葉が夜の街を着の身着のまま過ごすことになっていたかもしれない。

 ――ナイス、私。

 

 彩葉が来た時、美味しいご飯でも食べてもらおうと気合を入れてディナーの準備を始める。

 メニューは何にしようかなって、鼻歌でも歌いながらるんるん気分。

 まさか、そんな時に来るとは誰も思わない。

 

 けれど世界は、平穏な時ほど牙を剝き、私へ襲い掛かってくる。

 

 

◇~◇

 

 〈酒寄彩葉が死亡しました〉

 

◇~◇

 

 

「――え?」

 

 そこに、再び悪魔の宣告が舞い降りた。

 すぐに死因が表示される。

 

◇~◇

 

 〈ログ:交通事故〉

 

◇~◇

 

 

「そんな……どうして………」

 

 運命は決して、順調な道を許してはくれない。

 

 止まった世界で、もう見慣れたロード画面を前にして崩れ落ちる。上手く行っていると思っている時ほど、失敗のショックは大きい。

 

 しかしこれは、初めて私に直接的な原因のない理不尽なバッドエンド。

 

 強いて言うなら、彼女に私の家という逃げ場を与えた事で、彼女が夜に家を出てしまうというIFが発生し、交通事故という凄惨な事象を引き起こした。

 でも、こんなの事前に対策するなんて不可能だ。

 それこそ、私が傍に居たってフルスピードの車が突っ込んで来たら防ぎようがない。

 

 

 

 自動でロードされた直前のセーブデータは、くしくも三十分前。

 このタイミングのロードだけは、一日以内のセーブデータでも例外的にロードの対象になる。

 さっき、彩葉からのメッセージに返事を返してすぐに、念のためにセーブしたんだ。

 

「っ、行かなきゃ!!」

 

 こうしてはいられないと、着の身着のまま家を飛び出す。

 

 彩葉には”やっぱり迎えに行く”という旨のメッセージを飛ばしたけど、既読はつかない。

 このルートにおいて、私は彩葉の家から丁度三十分圏内のところにあるマンションの一部屋を借りている。

 

 全速力で疾走しても、落ち合うのはちょうど中間地点。

 彩葉が通ってくるルートは大方分かっているので、後は彼女とすれ違わないことと、私が彼女を見つける前に事故に遭わないことを祈るしかない。

 

「お願い!間に合って!」

 

 必死になって走る。

 息が切れても、足が悲鳴を上げても、止まる事は許されない。

 夜の街は街灯がちらちらと光って、それだけが道を照らしていているから住宅街なんかはそこまで光量が多くない。

 

 やがて、夜でもそこそこ車の入りがある”程良い広さの通り”に差し掛かった。

 そこで丁度、少し行ったところにある横断歩道の反対側に彩葉の姿が見つける。

 

「――彩葉ッ!!!」

 

 叫ぶ。

 すると、今まさに青信号に変わって道路を渡り始めた彩葉がこちらを向いた。

 

「え?ヤチヨ?」

 

 彼女は私がここに居る事に驚いているが、私はぎょっと目をむいて走りだした。

 道路の奥から、猛スピードで走ってくる車が見えた。

 恐らくそれが彩葉の死因を招いた車で、今まさに一直線に彩葉へと向かってきている。

 

「彩葉!後ろ!」

 

 私の声に反応して、彩葉が振り返る。

 当たるかどうかギリギリの位置だから、ちょっと横に避ければ大事には至らない。しかし彼女は動揺のあまり動けないでいた。

 

「ッ!!あああぁああ!!」

 

 足に力をこめて、全身で体当たりする勢いで彩葉に飛びつき、その華奢な体を伴って二人共に身を投げ出した。

 その直後、彩葉を上にして、私は固くザラザラした道路に背中から滑り込むようにして打ち付ける。

 車は私達の足を掠めるギリギリを通り過ぎ、クラクションを響かせながら走り去っていった。

 

「っ、はぁ……はぁ……」

 

 心臓がばくばくと鳴っている。

 

 ――助かった。

 紙一重、タッチの差だ。ここに来るまでにあと少しでも走る速度を緩めていたら、私は目の前で彩葉が車にはねられるという凄惨な光景を目にしていただろう。

 

 そんな中、茫然自失となっていた彩葉が我に返る。

 

「た、たすかった……の?あっ……ヤチヨ!大丈夫!?」

 

 案じられながらも苦笑を浮かべ、手を振る。

 

「だ、ダイジョブダイジョブ。ちょっとばかし背中を強打して痛いくらいだから……」

 

「でも、背中……血が……」

 

 青ざめた彩葉の視線を追うと、私の首筋から背中にかけてそりゃもう酷い傷が出来ていた。

 着替える間もなくTシャツ一枚で出てきたもんだから、こんな服装であんな転び方したらそりゃこうもなるだろう。

 

「あー……これはまあ、うん。名誉の傷ってやつ?あのままじゃ彩葉が危なかったし……それに、なにより二人ともこうしてちゃんと生きてる。それに比べたら、これくらい安いもんだよ」

 

 家に帰ったらちゃんと治療すべきだけど、そんなことより彩葉を守れたことへの安堵の方が強かった。

 ミスを取り返すのではなく、守る事でのバッドエンド回避はこれが初めてだ。それは、私の心に小さな光を灯す。

 

「だから、そんな顔しないで……彩葉」

 

 私は彩葉を、ハッピーエンドまで導くために存在しているんだ。

 その私があなたの為に怪我をするのは、何もおかしい事じゃない。こんなの彩葉の責任でもないのだし、こんな事で気に病んで欲しくなかった。

 

「ねっ、一先ず、さ……帰ろ。私の家に……」

 

「………うん」

 

 私は、痛む背に顔をしかめながらも立ち上がり、彼女を連れて自らの住むマンションへと戻った。

 

 

 

 

 そこからはバッドエンドを踏む事は無く、晴れて彩葉の上京が決まる。

 条件は本来の歴史と変わらないけど、四回ものバッドエンドを乗り越えて、ようやくここまで来た。

 

 

「住むところと、進学する高校も決まった。来年の春には東京に行けそう。それもこれも、全部ヤチヨのおかげ」

 

 いつもの河川敷のベンチで、二人並んでのお喋り。

 一か月の壁を越えて、今は冬のまっさかり。こんな寒い時期でも、私達はこんないかにも肌寒い場所を憩いの場としていた。

 

「ううん、ヤチヨはただ背中を押しただけ。お母さんを説得して、それ以外にも色んな難しいことをクリアできたのは、彩葉が頑張ったからだよ」

 

「相変わらずめっちゃ褒めてくれる……私は本気でヤチヨに感謝してるのに……まあ、そう言ってもらえるのは嬉しいけどさ」

 

 これは本心。

 結局、どこに居ても彩葉は彩葉だ。私のした些細な助けだけで、本当にここまで来てしまった。

 その当人である彼女は、視線を下に向けて寂しそうな顔で言う。

 

「……でも、ひとつだけ残念なことがあるとすれば、ここでヤチヨと話す時間もあと数ヶ月で終わっちゃうってことかな」

 

「ヨヨヨ、彩葉がそこまでヤッチョとの時間を大切にしてくれてたなんて……感激のあまり涙が……」

 

「ちょっ、本気で泣かないでよ!行き辛くなっちゃうじゃん!」

 

 そうだ。

 彩葉その春の時点で、私とは一旦お別れになると思っている。それも含めて決断した。そんな彼女の意思を私は尊重しているけど、ここで繋がりを断つわけにはいかない。

 

 

 その選択肢は、目の前にある。

 

◇~◇

 

 〈彩葉と一緒に東京へ行きますか?〉

 ・はい

 ・いいえ

 

◇~◇

 

 分かり切ったことだ。

 当然、返答は『はい』と決まっている。

 

 そうすると、選択肢は消えて再び世界が動き始める。確定した未来へ向けて私もやるべきことをしよう。

 

 

 

 ――数ヶ月して、彩葉が東京へ行く当日。

 私があの選択肢を選んだお陰なのか、引っ越し先などは東京へ直接行かなくてもとんとん拍子で決まった。

 これもまたシステムの強制力なんだろう。

 

 引っ越すのも、彩葉と同じ日。

 勿論この事は、彩葉には言っていない。言った事でなにか予想外のことが起こるリスクもあるから、慎重に慎重を重ねた結果だ。

 ただしこの京都を出るまでは油断できない。

 

 

 ――ということで、私は今、彩葉の家の前に堂々と彼女を迎えに来ていた。

 

「やっほー、彩葉!ヤチヨも今日から東京に住むから、どうせだし一緒に行こ♪」

 

「はぁっ!?」

 

 私を見た彩葉は、玄関のドアを開けたまま、それはもう可愛らしい顔で唖然としていた。

 その背後にはやはり彼女の母親も居る。揉めたという割にきっちり見送りはする所が、いかにもあの人らしい。

 

「……誰や、あんた」

 

 流石に見かねた彩葉のお母さんが、私にそう問うてくる。

 

「初めまして、彩葉の友達の月見ヤチヨって言います」

 

 ちょっと声が低くなる。

 私はこの人のことを、嫌いではないが苦手だ。

 一面知った程度で悪しように罵れるような人物ではないが、かと言って良い人物かと聞かれるとそんなことは決してない。

 ある意味、私が関わってきた中ではもっとも複雑な人間性をした人物と言ってもいいかも。

 

 その絶対零度の視線がまあ怖い。ヤッチョには効かないけどね。

 

「なるほど………彩葉にしょーもないこと吹き込んだんはあんたか?」

 

「いやいやまさか。これはちゃんと娘さんが自分で決めた事ですよ。相談相手くらいにはなりましたけど……その程度の意思で娘さんが口論しているように、あなたの目には見えましたか?」

 

 一触即発。

 だがこんな状況でもなければ、この人に無礼な口は聞けない。

 なにせ現実じゃ、恋人の母親だ。それに終わった話を蒸し返して、二人の仲を再び悪くするのも私の本意じゃなかった。

 

 だから、今だけ。

 これで終わりにする。

 

「……まあええわ。娘の交友関係にまで口出すほど私も野暮やない」

 

 もっと棘のある言葉を乱射してくるかと思えば、意外にもあっさり引き下がった。これは確かに、言い負かせるような相手じゃない。正論モンスターとはよく言ったものだ。

 

「そうですか。じゃあそういうことで、娘さんは貰っていきますね」

 

 なので、とびっきり癪に障る言い方をしてやる。

 これでは私が子供みたいだけど、こちとら彩葉にあんな酷いことを言った人に鬱憤が溜まってないわけない。

 

 どんな心情があろうと、吐いた言葉が全て。

 言葉は簡単に人を傷つけ、追い詰める。遠慮もなくそのナイフで他人をずさずさと刺すような人は、ハッキリ言ってまともじゃない。

 

 言葉の裏や事情なんてのは傷つける言い訳にはならないし、厳しさや教育も過ぎればただの暴力。

 

 正論を装備している人間が、必ずしも正しい行いをしているかというと、そうでもない。

 

 その証拠に、彼女は人の怠惰を指摘する割に、まだ中学生の少女が出奔を決意するほどに、家庭環境を悪くしてしまっている。

 

 ――結果的に、この世界の彩葉は二度も死んだ。

 

 だから、この人はちっとも完璧なんかじゃない。

 そもそも完璧な人間なんて、どこにも存在しない。

 八千年生きた私ですら、そうなのだから。

 

「さっ、行こ。彩葉」

 

「えっ、あ……うん」

 

 そんな彩葉の手を引いて、私は歩き出す。

 彼女の母親は、去っていく娘を一秒たりとも目を放すことなく見送っている。

 

 そう、あそこまで批評してもなお頭ごなしには罵れない。困ったことに、こういう一面がある人だから。

 

 もう意味がない事だけれど、そんな貴女に私は一言だけ物申させてもらおうと思います。

 

「……最後にひとつだけ」

 

 私は横顔ごしに、視線だけ向けて言い放った。

 

「子にとって、親は化け物です。貴女()の吐いた言葉は、娘にとって一生モノの呪いになり得る。それをどうか、忘れないでください」

 

 返答も反論もなかった。

 私は今度こそ彩葉を連れて、最寄り駅へと向かった。

 

 

 言った事は取り消せない。

 あなたの言葉が子の逃げ場を奪って、あなたの行いが子を殺す。

 

 

 もし子供がそんな状況に陥った時は、必ず誰かの助けが必要になる。

 誰も手を差し伸べなければ、その子供は気が狂って怪物になるか、苦しみに耐えかねて谷底で死ぬかのどちらかだ。

 

 ――そんな未来は、すぐそこにあった。

 

 貴女は、あなた自身が吐いた言葉と行いのせいで、娘が必死になり、あなたに認められようとしてしまっている事に気付くべきだったんだ。

 

 その呪いを誰かが解かない限り、彩葉は一生、彩葉らしい生き方なんて出来ない。

 

 それを分かっているのかいないのか。

 どちらにしても、そんな人に誰かを””甘ちゃん””呼ばわりする資格はないと私は思っている。

 

 

 なんていう、私の攻撃的な内心や、込めた想いも、賢いあの人ならきっと全部理解するはずだ。

 このやり直しの世界で、いつかこの言葉が実を結ぶかもしれない。

 そう願って、意味もない焼き直しの言葉を吐き出して、やっぱりそれにも自己嫌悪するという最悪な気分のまま、私は東京へと旅立った。

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