Yachiyo Infinity~ヤチヨと巡る無限バッドエンド~ 作:グランドマスター・リア
東京行きの新幹線に乗ると、気が付けばそこはもう東京駅だった。
案の定のワープ演出だけれど、物語の舞台が正式に東京へと移ったことの証でもある。
彩葉は変わらずあの六畳間のアパートに移り住み、私は『もと光る竹』を設置していたのと同様の間取りの部屋を借りた。
お金はたんまりとあるので、別にタワマンの最上階に住む事も、なんなら家ごと買う事もできるのだけれど、今の私にはどれも必要ない。
バッドエンド回避のために多額の金が必要になる可能性もあるので、そこまではちゃんと貯めて置こうという判断だ。
当然、私と彩葉の交流は続いている。
ほぼ私から踏み込んでいく形だけど、関係性は持ちつ持たれつな友人関係を維持できていた。
そうした東京生活の開始から――三ヶ月。
夜七時の六畳間には、私と彩葉の姿があった。
「ヤチヨ、今日も泊まってくの?」
机に向かって、予習をしながら片手間にそう聞いてくる。
「んー、そのつもりだけど……なんかダメな理由あった?」
私も料理をしながらの返答。
本音を言えば彼女の言葉にはいつなんどきも向かい合って誠心誠意答えたいけど、友達としてはこのような接し方が適切だ。
「いんや、別にそういう訳じゃないよ。聞いてみただけ」
「そう?だったら今日は遠慮なく彩葉に甘えちゃお~」
彩葉の笑顔がそこにある。
彩葉との生活がここにある。
計四回のバッドエンドの末に辿り着いた平穏は、私にとって泣きたくなるくらい幸せな時間。
ずっとこのまま、何事もなく進めばいい。突発の事故や事件なんてそうそう起こるものでもないし、私が間違えさえしなければ大丈夫なはずなんだ。
「………また、その顔」
「ん?なんか言った?彩葉」
彩葉が小声で何か言ったような気がしたけど、料理中につきよく聞き取れなかった。
「なんでもない。夜ご飯なにかなって」
それすらも、何かの予兆に思えてしまうくらいには、私の心はずっと怯えている。
問い詰めてでも聞き出して、彼女の内心を全部丸裸にしておかないと安心できない。
腹の内では、もしかしたらこの生活を苦に感じ、明日にでも死んでしまおうと考えているかもしれないんだ。
「ふふん♪本日のメインはポトフでございます。もう少しで出来るから、食器出して待ってて」
そして、こんな真っ黒に濁った本心を完璧に隠せるくらいには、私も演技が上手くなった。
彩葉の目に映るのは、常に飄々としていて、温かな居場所を与えてくれる友人、月見ヤチヨでいい。それ以外はいらない。
だからこそ、不安ばかりはどうしても拭えないのです。
「……彩葉、何回も訊いて悪いけど、ほんとうに……無理とかしてないよね?」
料理をしながら、あくまで片手間のていを装って訊く。
学校では文武両道の才女で、バイト先では頼れるベテラン店員。
その両立を完璧にこなす彩葉の心的疲労を、甘く見ているわけじゃない。常に気を配っているつもりではあるし、こうして週に三日は必ずお泊まりにも来ている。
「してないよ。ヤチヨの心配性は相変わらずだね」
声音、表情、ともに問題なし。
私の目なら、彼女がいかに上手く隠していようと見通せる。そんな自信を、ここまでの体験や過去を根拠に誇っていた。
もう絶対に間違えない。
今日も大丈夫。そのはずだ。
◆
ヤチヨ
≪明日のお出かけ、楽しみだね♪
≪お昼にこのパンケーキ食べに行こ!ヤッチョが奢るからさ
≪どうかな?
いろは
≪いいよ
≪でも奢りは嫌。私もちゃんと払う
ヤチヨ
≪金欠って言ってたじゃん
≪大丈夫なの?
いろは
≪真のエリートは遊びも疎かにしない
≪その為に普段の生活切り詰めてんのよ
ヤチヨ
≪倒錯してんなぁ
◆
――数日後。
今日というオフ。
彩葉との二人きりでのお出かけ兼デート前夜の私達は、そうしてメッセージアプリでお互いの浮足立つ気持ちを分かち合っていた。
本当に、楽しみだったんだ。
なにせこのお出かけは、彩葉の方から誘ってきたから。
その時の舞い上がりそうな気持ちは、ずっと胸の中で熱を持っている。彩葉と会う時は、楽しさや幸せと一緒にずっと恐怖や怯え、警戒といった感情がずっと付きまとっていた。
今回ばかりは、この呪いのようなおもりを外してもいいかもしれないと、やっとそう思える。
翌日の空は晴れわたっていた。
絶好のお出かけ日和で、お天道様までも私達を祝福してくれているように思う。
「えへへっ、彩葉とデート♪彩葉とデート♪」
ボロくとも愛おしいアパートの前で『今から出る』という彩葉からのメッセージを見て、私の心は最高潮に高鳴る。
まさかこんな日が来るなんて、夢にも思わなかった。
高校生の彩葉と、お外でデートできる。
こんな奇跡が叶うなら、ここまでの酷い道のりも捨てたもんじゃない。
「おっ、彩葉ぁー!」
二階の一室から出てきた彩葉を見つけて、手を振る。すると、彼女も私に気付いて手を振り返す。
私はそのやり取りにドキドキしながら、階段の下で、彼女が降りてくるのを待った。
一歩一歩、踏み出す彼女の動きが下から見ていると妙に鮮明に、ゆっくりと見える。
上から下へ、彼女の全体像や体の動きをみて、私はハタと感じ取った。
――あれ?なんか、足元……フラついてるような……
以前までの、常に神経を張り詰めていた私なら、その瞬間に階段を駆け上がって彼女の体を支えていただろう。
どんな些細な違和感だろうと、それ一つで全てがひっくり返ることを嫌という程知ってるから。
でも今日この時、この瞬間だけは――遅れた。
「あっ……」
短く、そう発したのは、私か、彩葉か、どっちかは分からない。
錆びついた階段の上から三つ目か、二つ目の段で彩葉の足がエッジを捉えてつんのめった。
体幹の良い彩葉なら、そこから手すりを支えに体勢を立て直すことは難しくない。しかしそれは、あくまで健康な状態の彼女であればの話。
例えば、風邪を引いていたり、熱を出していたり、そうじゃなくても体調が悪くて体が思うように動かない状態だったらどうだろう。
考えるまでも無い。
――落ちる。
「ッ――ダメぇ!」
金切り声で、名前を呼んだ時には遅かった。
ドタドタガタンと、彼女の体が急な段差を踊り場まで転げ落ちて、後頭部から階段の柵に激突した。
「彩葉…………っ、いろは!!」
血相を変えて階段を駆けあがる。
彩葉は目を閉じて、ピクリとも動かず、後頭部を腫らして、額から大量の血を流している。
白く冷たい手が幻視され、そっと私の肩に触れた。
――お前のせいだ。
呼吸が浅くなる。
まともな思考が出来ない。
すぐに救急車を呼べば助かるかもしれない。適切に応急処置をすれば、まだ可能性はある。叫び続ける思考の片隅で、直感は””無駄””と囁く。
数秒前まで抱いていた幸福は、ひっぺがされ捨てられた。
◇~◇
〈酒寄彩葉が死亡しました〉
◇~◇
そこに残っているのは残骸だ。
◇~◇
〈ログ:階段からの転落〉
◇~◇
これで五回目。
理由は簡単――私の不注意だ。
何度も……何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……油断するな、決して気を緩めるな、ハッピーエンドが確定するその瞬間まで神経を張り続けろと、自己を戒めていたはずだ。
呑気な考えを持つな。
悠長に構えるな。
楽しもうとするのは良いが、幸福に酔おうとするな。
ここ最近の私は、いわゆる酩酊状態だった。幸せに酔っていたんだ。
しばらくバッドエンドを迎えていなかったからか、知らぬ間に気が抜けて、結果こうして凄惨な事件を起こす。
私が笑っていた全ての想い出が、途端に醜く思えて、吐き気を催す。
――嗚呼、なんて、
「あは………」
あまりにも、
「あはははははははは………」
罪深く、
「あははははははハハハハハ………!」
馬鹿らしい。
また間違えた。そら間違えた。二度目があれば三度目、その次の次もまた繰り返しの連続。
自分で決めたこと何度もひっくり返して、整えた盤面を自らの手でめちゃくちゃにした癖に一丁前に後悔とは、どこまで愚かなんだ。
「そうだよね。ダメだよね。うんうん分かるよ……」
言い聞かせるように、何度も頷く。
「いいよ。これもまた失敗だ。糧にして進めばいい。大丈夫……大丈夫だよ私、ロードすれば全部なかったことに………なかった、ことに………」
決定的な言葉は、言ってしまえば楽になるのに、喉元で止まって音に出来ないまま消える。
「できるわけが………ないよぉ……」
だって、私は覚えている。
世界が忘れても、私は忘れない。
突き付けられる絶望感も、薄ら寒い死神の吐息も、腕の中で僅かな温度だけ残し消えていく彩葉も、なにもかもがこの身に刻まれてどんどん根っこがおかしくなる。
そうしてまた、同じように私は巻き戻す。
正確には強制的に戻される。
視界が鮮明になると、そこはあの六畳間。この時は確か、ご飯を食べ終わった後だったかな。
幸せな時間のうちに、何かあってもこの時点へ戻ってやり直せるようにって、ここでセーブしたんだ。
私は座っていて目の前にはノートPCがあり、デスクではいつも通り彩葉が勉強している。
「……………ふぅ」
息を吐いて、おもむろに立ち上がる。
表情を消して、彩葉に背後から近づいた。
「彩葉」
声をかけると、彼女は振り返らず声だけで返事した。
「ん、なに?」
その仕草が、何故かとても癪に障った。
そうした態度の内側に、『大丈夫だよ』ってついていた嘘の下に、抱えきれないほどの苦しみを眠らせているんだろうって、そう思うと優しい私のままじゃ居られなかった。
「っ、ちょっと、ヤチヨ!?」
乱暴に彼女の肩を掴んで、片方の手で椅子を掴み、体ごと無理矢理こちらに向けさせる。
「なにし………やち、よ?」
私の顔を見た彩葉は、怯えたように体を震わせた。
そんな彼女を至近距離から見つめ、目と目をこれ以上ないほど近くで合わせて、告げる。
「逃げないで。ちゃんと私の目を見て……そう、いい子。そのまま、逸らしちゃダメだよ」
いつでも優しく飄々としているお姫様が、親友がしちゃいけないこと。
彩葉は今まさに目の当たりにしている『知らないヤチヨの姿』に困惑をあらわにした。
「ちょっと、本当にどうしたの?今のヤチヨ……なんだか怖いよ?」
距離を取ろうとしても、椅子に座ったままではどうにもできない。
でも、逃げようとしたと鋭利に感じ取った私は、更に肩を掴む手に力を入れて、彼女を押さえる。彩葉はその痛みで顔をしかめた。
「……彩葉。あなたさっき、私が『無理してない?』って訊いた時『してない』って答えたよね?」
「そう、だけど……それがなに?」
彩葉は訝しんでいる。
ここまで露骨に態度で示せば少しくらい嘘の片鱗を見せるかと思ったけど、いやはや彼女も隠すのが上手い。ヤッチョ、すっかり騙されちゃった。
「それ……嘘だよね」
だけど、もう騙されてあげない。
絶対に信じない。
「は?いきなりなに?嘘じゃないよ。ヤチヨだって知ってるでしょ?そりゃ、バイトは多く入れてるし、勉強だって楽じゃないけど……ちゃんと睡眠時間は確保して、ご飯だってこうして、ヤチヨの作ってくれたのを食べてる」
どうやら、まだ認めるつもりはないらしい。
それなら私にも考えがある。
「え?な、なにするつもり?その手――」
「動かないで、ケガさせたくない」
私は右手で体を押さえつけ、もう左手の親指を彼女の目の下に添えて滑らすように引っ張って開かせた。
「若干の充血、疲れ目特有の瞼、上手く隠してるけどよく見たら隈もある。視界もぼやけたり、眩暈がしたりとか、そういうのも……覚えがあるでしょ?」
「っ!」
押さえつける手はそのままに、目元から指を離すとぐっと顔を近づけて冷淡に言い放った。
「私、心配だったんだよ?本当に……本ッ当に!目を離したらその隙に彩葉が死んじゃうんじゃないかって、気が気じゃなかった」
たった一つの間違いで、あなたは死ぬ。
私が吐く言葉ひとつ変えるだけで、生も死も、どちらにだって傾く。
「彩葉は、多少困ったちゃんな所もあるけど、いざって時はちゃんと頼ってくれるって、それくらいにはヤチヨを信頼してくれてるって……そう思ってたんだけどなぁ」
ここまで築き上げた信頼関係があれば、私が無理に聞き出したりしなくても、彩葉の方から助けを求めてくれるって、そう信じていた部分もあった。
まあ無駄だったね。
ぜぇんぶ無駄だった。
結局、結末を変えるには私から動かなきゃダメなんだ。
「嘘……
「――っ!?」
彩葉は目を見開いた。
ひゅっと息を吐いて、やってしまったことの大きさと、踏んでしまった地雷がいかに致命的なものだったのかを自覚したようだ。
「もう、彩葉の”大丈夫”は決して信じない。あなたが死なないために、私が全部決めてあげる」
支離滅裂。
酷い、あんまりだ。
それでも構わない。これは罪滅ぼしなんて高尚なものじゃない。
「そして、今度こそは……ハッピーエンドへ連れていってあげるからね♪」
目指した未来へ至るために、必要なことなら何だってする。
彩葉が悲しみ、怒って、私を嫌いになっても、死ななければ未来は続く。続けばどっかでルートは終わって、エンドに辿り着ける。
私は再び誓う。
彩葉、あなたを必ず、幸せにしてあげるから。
■
私達の関係性は暗黒期に入った。
笑顔が減り、たわいない世間話を彩葉から振ってくれることもなくなった。あの時ああは言ったけど、別に彩葉に危害を加えるような事はしていない。
束縛するつもりも、私だけに構って欲しいとも思っていないからだ。
死ぬ可能性のある無茶をして欲しくない一心でしかなく、休日に芦花や真実と遊びに行くとか、今日は一人でゲームがしたいとか、そういうのを拒絶したことはただの一度もなかった。
私がするのは、バイトと勉強の最適化だ。
彼女が体調を崩したのは、この世界に『ツクヨミ』も『ヤチヨの推し活』もないことで、その時間すらもバイトと勉強に宛てたからだ。
いくら私が週三で様子を見ていても、それ以外の時間で無理していたら、体が壊れるのは必然だった。
そんな中で起きた不運な事故だったけど、本質的には不運だったか事故だったかはどうでもよく、それが”いつでも起きうる状態”だったことが問題なんだ。
それからというもの、私は一週間のうち計五日を彼女の家で過ごし、一日だけ家に帰るという生活をしている。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
朝学校へと向かう彩葉を見送る。
ガタンと閉まるドア。
部屋には寂れた空気が立ち込め、そこには私ひとり。構ってと拗ねて、暴れ散らかしていた”かぐや”はここには居ない。
「……最初はもっと酷い関係になるかと思ったけど、意外とこんな感じなんだ」
椅子に座り、机に向かって呟く。
関係はもっと悪化すると思っていた。
拒絶され、口も聞いてもらえないことだって考えていたんだ。
だって、こんなのキモいじゃん。週の殆どの日を押しかけ妻みたいに付きまとって、勉強もバイトも全て管理される。
追い出されそうになったら、力でも言葉でも、押さえ込むくらいの覚悟ではいた。
結果として、彩葉はそんなことしなかった。
雰囲気は悪くなったけど、それだけだった。話はしてくれるし、私が居ることも認めてくれている。
「かぐやだった時も、そうだったな。赤ん坊だった私を受け入れてくれて、彩葉のお金勝手に使って買い物して、困らせることもいっぱい言ったのに……突き放されることは終ぞなかった」
これには彩葉の生い立ちが深く関係している。
母親に言われて苦しかったこと、嫌だったことを、優しい彼女は人に対して絶対にしない。
意見がぶつかることはあっても、仲違いするほどの喧嘩がなかったのはそれが理由だ。
「いつだって、私はそうだよね。彩葉に優しさにつけ込んで、自分のやりたいように無茶苦茶するんだ」
自嘲を禁じ得ない。
これは彩葉のためだけど、これ以上苦しみたくない私の為でもある。
「本当に彩葉のことを思うなら……何度でもやり直せばいい。一秒ごとにやり直して、一個ずつ幸せな時間にしていけばいい。でも……そんなこと出来ないよ」
支離滅裂だ。
私自身も分かっている。頭がおかしくなっているのかもしれない。
乾いた笑いがもれる。
「だって、ヤチヨは……弱いもん」
それは彩葉の死を”受け入れる”ということだ。それだけはできない。
だからといって諦めることも許されないから、こんな中途半端な方法を取っている。
果たして、これはただの時間稼ぎにしかならないのか、ちゃんと彩葉は生きているからこれでいいのかもしれない。
「やっぱ、彩葉みたいにはなれないね」
ちょっと疲れた。
心の疲れだ。
寝よう。寝て起きたら家事をやって、仕事して、買い物にいって、ご飯つくらなきゃ。
「大丈夫……だいじょうぶだよ。彩葉……私が、幸せなみらいに………」
座ったまま、眠気に従って目を閉じた。
微睡んだ意識は、その直後に部屋の外から聞こえた”遠ざかっていく足音”には気付かない。
抱きしめること、スキンシップも随分とご無沙汰だ。
部屋の中に一歩分の隙間。それは私達の心の距離をそのまま表しているようだった。
「また、明日の夕方に来るから」
「うん……」
週に一日だけ、私は自宅へ帰る。
心の余白だ。本当は毎日彼女を見守っていたいけど、そんな事をしたら逆に苦しいだろうという理性から下した判断。
名残惜しさを感じながら、私はドアノブに手をかける。
「……ヤチヨ」
すると、呼び止められた。
随分久しぶりに彩葉の方から、声をかけてもらえたように思う。
「なに?彩葉」
振り返って返事すると、彩葉は一度目を伏せて口ごもった。
言いづらいことなのだろうか。もしかしたら、とうとうこの生活に耐えかねて、出て行ってと言われるのかも。
内心では薄ら寒い思いをしながらも、私は彩葉の言葉を待った。
「……ヤチヨは、さ」
やがて、彩葉は口を開き、予想外のことを言った。
「いま、苦しい?」
思わず、息をのんだ。
澄んだ瞳で、見通すような眼差しで、真剣な表情でそれを向けられると心を鷲掴みにされたみたいに痛くなる。
「なんで、そんなこと聞くの?」
彩葉は何を思って、そんなことを口にしたのか、私には分からなかった。
苦しい思いをしている人間が居るとすれば、彩葉の方だ。信じていた友人が急に豹変し冷たくなって、私生活も悪い方に変化した。
それなのに、彩葉は私のことを聞いてくる。
意味が分からない。
「なんとなく、特に理由なんて無いよ。でも、あの日……ヤチヨが変わったあの時から、私ずっと考えてたんだ」
彼女は一歩ずつ私に歩み寄ってくる。
「なんでこんな事するんだろう。どうしてそんなことを言うんだろう。いったい、ヤチヨに何があったの?って……」
今度は私が問われる側だった。
あの日、私が彩葉にしたことの鏡映しのように、立場だけが違う。
「人って、そう簡単に変わらない。少なくとも、ヤチヨは理由もなくそんな風になったりしないって、私は誰よりも知ってる」
意思の強い。かぐやが一目惚れした綺麗なあなたの貌がすぐそこにあった。
「なにかあったなら、言ってよ。嘘ついてた事は謝るから……この言葉だけは信じて!助けてもらってばっかだった私が言っても、説得力なんてないかもしれないけど……それでも、今度は私が――ヤチヨの力になりたい!」
「……っ」
ふと涙がこぼれそうになる。
同じだ。私だって同じなんだ。甘えてばかりで、たくさんの物を貰いすぎたから、今度は私が頑張りたい。
言えない。言えないよ。
私の正体は、彼女には言えない。知れば、彼女は私を救おうとする。それじゃ意味がないんだ。
「な、なんのことか……ヤッチョにはさっぱり……分からないよ」
目を背けて、そう言った。
目を逸らすなと最初に言ったのは私なのに、あろうことから私が最初にその禁を破った。
長い銀糸が揺らめいて、私の横顔を隠す。おかげで彩葉の顔は見えないし、見る勇気もない。
「……そっか」
彼女が口にしたのは、落胆したような、己の無力さを嘆く様な――そんな声だった。
「私じゃ、ダメかぁ……」
私は耐えきれず、部屋を飛び出した。
夏のじめじめした空気の立ち込めた町を走る。息が切れて、足が痛くなって、もう動けないってなるまであてもなく駆けた。
そのうち、どことも知れぬ石塀に背を預けて、項垂れる。
「はぁ……はぁ………」
息を切らして、そこに雫が一滴落ちる。
なんでこんなことになるんだ。
――やっぱり、私が間違っていたの?
「違う。そうじゃないよ。彩葉……」
心配されるくらいなら、罵ってくれた方がずっとマシだ。彩葉が贈ってくれたものは、罰を受けるべき人間が受け取っていいものじゃない。
「もっと責めてよ。お前なんて嫌いだって、そう言ってよ。言わなきゃダメなんだよ……なのになんで、心配なんて……馬鹿ぁ……」
やっぱり、こんなのうまくいくわけがなかったんだ。
明日、彩葉に謝って関係を戻そう。元通りになるかは分からないけど、そうなれるように努力しよう。
ここに来て、私はようやく自らのやり方が明確に破綻していたことに気付いた。
翌日、一晩かけて気持ちを整理した私は、少し早めに昼頃に彩葉の家へ向かった。
メッセージを送ると『待ってる』と、ちゃんと返ってくる。それに安心して、私の足取りはいつもより軽い。
また、あの幸せな日々に戻れるかもしれない。
そう思うだけでもうれしかった。
アパートに着き、彩葉から預かっている合鍵で部屋のカギを開ける。
「彩葉!お待たせ!」
ドアを開き、待ち望んだ仲直りはそこに……
「ごめん。昨日…は?」
――待ってはいなかった。
そこには、赤い花が咲いていた。
満開だ。とても綺麗で、残酷な絵画。それが二次元であればどれほど良かっただろうか。残念ながら、それは
「いろ、は?え……赤い……血?」
赤い海の中心に彩葉が倒れていた。
血の気が引く。あまりにショッキングな光景に、思考が一瞬フリーズする。しかしこれまで重ねたバッドエンドのせいか、復帰は意外にも早く、私は悲痛な慟哭を上げた。
「っ、いやああああ!!!」
赤い花畑へ踏みこんで、慎重に様子を伺い、抱き起すと、お腹に包丁が刺さっていてそこから大量に出血していた。
「彩葉!いろはぁ!なに……なんでこんなことに……!」
カギは閉まっていた。
強盗が押し入ったとかそういうのじゃない。だとすれば、まさか自分で?それ以外に考えられないけど、あまりにも現実味がなくて頭が追いつかない。
「っ……やち、よ……?」
掠れた、か細い声で彼女が私の名を呼んだ。
「いろは、待ってて、すぐに救急車――」
スマホを取り出すと、彩葉は力の入っていない腕でそれを制止した。
「やめ、て……」
致命的な傷と出血なのに、彩葉の目に宿った光は、私の動きを縫い留めるのには十分なほどに強い。
彩葉は、力なくふっと笑う。
「っ、これ、自分で刺したの……」
予想は、彼女の言葉によって否応なく肯定された。
「っ、なんで……どうしてそんなことをしたの!?」
まくしたてる。
よくよく考えてみれば、メッセージに返信があったのは十分ほど前の事だ。
それなら、彩葉はその時点ではまだ健在だったということ。意識があって、喋れもするということは、つまり……
――私が来るまで待ってから?
ぞっとする。
なんでそんなことをしたのか、微塵たりとも理解する事ができない。
そんな私の疑問を、彩葉の次の言葉が氷解させる。
「だって……私が死ねば……ヤチヨは…その顔を、やめてくれるでしょ?」
「え?」
温かで、大切なものが流れて失せていく中で、彩葉は泣きそうな目をして言った。
「私と、話す時……ヤチヨ、ずっと怖い顔してた………」
言われて初めて気付く。彼女は全部、分かっていたんだ。
隠しきれていると思って、全然隠せてなかった。でも、考えてみればなにも不思議な事じゃない。
”かぐや”が彩葉に隠し事をするなんて、出来るはずがないのだから。
この世界でも、それは変わらない。そんな当たり前のことを、私は失念していた。
「ずっと……ずっと、悔しかった……ゴホッ」
口から赤を吐く。
それでも、彼女は言葉にするのをやめない。
「ヤチヨは、私を笑顔にしてくれるのに……私には、できない……」
どれだけの無念を重ねたのだろう。
ずっと彼女は苦しんでいた。幸せに出来ていると、的外れにも達成感を覚えていた私の傍らで、彩葉は親友の顔を見て何を思っていたのか。
その答えが、今彼女が言ったこと。
だけど、明かされる真実はそれに留まらなかった。
「だから、こんな世界……もう終わらせようって……」
――待って、何を言おうとしているの?
私はここで、二つ目の大きな間違いに気付こうとしていた。もっとも、思考なんてするまでも無く彩葉はそれを告げた。
「知ってたよ……やり直せるん、だよね」
「っ、なんで……!」
言ったことなんて、一度もない。
言葉にしたとしてもいつも一人の時で、外でだって言った事は……いや待て、そうじゃない。
――ある。確かにあった。
私のこぼした独り言を、彩葉が聞けるタイミングが、たった一度だけ。
「ふふっ、ヤチヨ……ちょっと抜けてるところあるから……」
あの時だ。
私はこの部屋で、一度だけ独り言として”それ”をこぼした事がある。彩葉が学校に出かけた後だったけど、ここは壁が薄いから、もしも彼女がドアの傍で聞き耳を立てていれば十分に聞ける。
「……………」
――また、私のせい。
昨日の一言は、きっと彼女にとって最後のチャンスだったんだ。
あの時、私が逃げずに向き合っていれば、それこそ地獄の果てまでついてくる覚悟が彩葉にはあったのに……
それを、私は拒絶した。
その絶望は、あの諦めたような声音に、鮮明に色濃く滲んでいたのに、あろうことか私は彼女を残して逃げ出した。
「私は……ッ……」
赤い海にひとしずくが落ちる。
真っ赤な手が私の頬に触れた。
「綺麗な、ヤチヨの笑顔が……好きだから」
好き。
すき。
彩葉はいつも私にそう言ってくれる。今はその言葉が、こんなにも重く、辛く、痛い。
「今回は無理でも………次の私に託す」
その言葉を最後に、手がすとんと赤い海の中に落ちる。
世界が止まる。
◇~◇
〈酒寄彩葉が死亡しました〉
◇~◇
止まった世界には、彩葉の持っていた温度の名残すら残っていない。完全な無。
◇~◇
〈ログ:自殺〉
◇~◇
巻き戻る。
彩葉の涙も、私の吐いた言葉も、なにもかもがこの世界から消えていく。六度目のバッドエンドにおいて、私は一度もセーブしていない。
それは、心のどこかで拒否していたんだろう。
もしバッドエンドを迎えた時、こんな世界が再び始まってしまうことを……
その迷いの果てが正規ルートであるはずもなく、辿り着いたのはとても美しい赤い花畑。
『綺麗な、ヤチヨの笑顔が……好きだから』
一度は折れかかった心に、彩葉の言葉。
『今回は無理でも………次の私に託す』
先に諦めたのは、彩葉の方だった。
あの世界のままだと、私はずっと変わらないって、彩葉は分かっていたんだ。彩葉が死んでしまう恐怖に怯えたまま、一生笑顔になれないヤチヨ。
そんな私を、彩葉は拒み、自分自身が死ぬ事でリセットした。
無かったことにしたんだ。
私のした最低な言葉と行動を、水に流していいよって全部連れていってくれた。
「……そうだよね。自分だけのハッピーエンドなんて、彩葉が望むわけない」
二人で行かなければ意味がない。
私が幸せになれない限り、彩葉は何度だってバッドエンドを受け入れ、私にリセットを迫るだろう。
まさかここに来て、こんな終わり方があるなんて思わなかった。
「もう、遅いかもしれない。私が、あの子を死なせた事実は、決して消えない」
――でも、彩葉の願いをヤチヨは否定できない。
叶えてあげたいと思ってしまう。
この世界はどれだけ、多くの終わりを内包しているのだろう。
分からない。それが怖くて仕方ないのは変わらないけど、それを一人で背負い込んで”彩葉さえ”なんて思うのはもうやめる。
「――行くよ。わたし」
七度目の世界。
光が明けた時、待っていたのはまだ私達がなんの隔たりもなく幸せだった頃の六畳間だった。
そこに居る彩葉は、生きている。
変わらぬ位置で、椅子に座って、参考書と睨めっこしている。真面目な顔に、真剣な眼差しがあって、その横顔に何度だって惚れこむ。
「……彩葉」
同じように語りかけた。
この時、声にこめた熱は前回とは一線を画す。真剣さを孕んだ言葉は、彩葉を
「なに?ヤチヨ」
きょとんとした目。
その奥に、あんな熱烈で鮮烈な鋭さと、春先の小麦畑みたいな優しさを内包しているなんて、誰が思うだろう。
「ちょっと、立ってもらってもいいかな?」
微笑んでそう言うと、彩葉は首を傾げながらも頷いた。
「……?いいけど……」
椅子から立ち上がった彩葉を、私はそっと抱きしめた。
「ちょっ、ヤチヨ!?本当にどうしたの?その……いきなり抱き着いたりして……」
心臓の鼓動が早くなった。
緊張してるのかな。可愛い。愛おしい温度と感触が、私の心にぶわっと広がって幸福に包まれていく。
こんな簡単なことなのに、私はずっと出来ずにいたんだ。
「ううん、なんでも……ただちょっと、辛い事があって……」
もう隠したりしない。
私の笑顔が好きだってあなたが言ったんだ。ただのトゥルーエンドじゃない。ハッピーエンドへ行くために、私のわがままもこれからは受け入れてもらうよ。
「そう……いいよ。こんなことでヤチヨの気が済むなら、いくらでもしてあげる」
その時耳に届いた彩葉の声音は、この世界で初めて聞くものだった。
そんな声が、表情が、出来たのなら、今までの私はやっぱり全然ダメだったんだ。そう思えて、けれどそれを清算できたのもまた彼女のおかげ。
「えへへっ、それじゃあついで……ヤッチョの決意も聞いて欲しいな」
「決意?」
この一言で始めよう。
まだスタートラインにすら立っていなかった私の、本当のハッピーエンドを追い求める旅。
「かっこ悪くて、”これはやるぞ!”って決めたこともてんでダメで、間違ってばかりのヤチヨだけど……」
彩葉の手をとって、互いの瞳を合わせ、向き合う。
「今度こそ、あなたと私のハッピーエンドに、連れていってみせるから」