Yachiyo Infinity~ヤチヨと巡る無限バッドエンド~ 作:グランドマスター・リア
雪解けの季節。
まずはそこまで頑張ろう。
私はもう、恐怖からも、彩葉と向き合うことからも逃げない。私が笑顔にならないと彩葉が幸せになれないのなら、やってやろうじゃないか。
何度バッドエンドを迎えようと、死んでも折れてやらない。
夏に二回。
秋に一回。
私はそれぞれバッドエンドを乗り越えた。
その度にたくさん泣いて、それでも”まだだ”と奮い立った。心が死にそうな時は、素直に彩葉に甘えた。
転んでひざに刻んだ怪我も、流れた血も、何一つとして忘れない。
進むとはそういうことなんだ。
今はただ二人で一緒に未来へ。
九月のある日、彩葉が悩ましげにキーボードの鍵盤を見つめていた。
彼女は今、いわゆるお仕事中だ。
あれ以降、私は彩葉の働きすぎに歯止めをかけようと、私への楽曲提供と動画編集の仕事を振ることでバイトの時間を削ってもらっている。
お給料は、それまでの収入に色を付けたくらいには払っている。
無論、彩葉の曲はそれに見合うクオリティをしているし、身内贔屓で情けをかけているわけじゃない。
そんな彼女に、肩口から声をかける。
「お悩みの様子だね~?」
彩葉は視線だけ私に向けて、また鍵盤へ移した。
「んー……次の曲。なんかしっくりこなくてさ」
横にはノートPCが置いてあって、モニターには楽曲制作ソフトのウインドウが映っていた。
所狭しと並んだ音。一見すると纏まっているように見えるそれを見て、私は彩葉から片方のイヤホンを取り、自分の耳につけた。
「うん、うん……ヤッチョはいい曲だと思うけど、何処が不満なの?」
メロディを聴くだけで、歌詞が浮かんでくるくらいには文句のない出来栄えをしている。
しかし彩葉は私の言葉を受けても納得いかないようで、首を傾げて唸る。
「出来は悪くないんだけどね……こう、なんだか乗らないって言うか」
「メッセージ性?それともパッションの話?」
「どっちも、だと思う。足らないって表現が近いのかな。多分もっと上のレベルにできるだろうことが分かってるから、悩んでるの」
真剣な目つきをした横顔は、音の線を一つひとつなぞっては『ああでもない』『こうでもない』と思案している。
そんな彼女を見ていると、なんだか嬉しい。
私のために必死になって、真剣になってくれている。
お金を貰っている故の責任感もあるとは思うけど、彩葉はおそらく、この曲を『まだヤチヨには相応しくない』って思ってくれているんだ。
もっとその顔を見ていたいけど、そろそろ助け舟を出そう。
そうとなれば、こんなものは邪魔だとワイヤレスイヤホンの接続を切る。
「だったら、こういうのは?」
そうして鍵盤に手を置き、音を刻む。
「いや……それならこっちの方が……」
それに対して、彩葉も音を返す。
彼女の横に座りなおして、白鍵と黒鍵に指を走らせる。
「こういうのだと楽しそう!」
「ちょっと、めちゃくちゃにしないでよ!ここはこう!」
二人の手が走る。
音を投げて返して、それを繰り返せば自然と連弾のようになる。
楽譜もなにもない。ただ気持ちよく音を叩くだけの連弾は、六畳間に壮麗な音の空間を作り出す。
高音と低音が互いで自然に成り立ち、それはまるで会話のようだ。
昔は不快なジングルしか奏でられなかった私が、今では彩葉と連弾できるまでに成長した。
幸い、時間なら幾らでもあったし、私は常人よりも何倍も早く技術の類いを習得できる。彩葉と再会する前は、自分の曲の作曲だってやっていたし、ピアノの演奏だって同じだ。
――音は自由。
時に懐かしきあの部屋、時に遊び過ぎた少女期、そして訪れる終わりの儚さ。
様々な物語がそこから形成される。
これはピアノじゃなくてキーボードだけど、二人で遊ぶだけならこれでも十分に楽しめる。
「――って、いつの間にか連弾になっちゃってるし……」
「でも指、止まってないよ」
喋りながらも音は途切れない。
「こういうのは始めるのは簡単でも、やめ時がわかんないの」
「素直じゃないなぁ。楽しいからやめたくないって言えばいいのに♪」
そう言いつつも、その表情から先程までの強張りない。
一人じゃ奏でられない音も、二人ならこんなにも簡単に形にできる。新たなインスピレーションを与えるのに、これ以上の刺激もないだろう。
数分。
あるいは数十分。
どちらともなく、綺麗に音が消え入る。幕を降ろした二人だけの劇場。
「……連弾って初めてやったけど、良いね。彩葉とだからかな?」
「まあ、私も楽しくはあったよ。結局、作曲は少しも進んでないけど……」
苦笑する彩葉に、私は人差し指を立てる。
「気分転換にはなったんじゃない?創作に刺激は不可欠だよ」
「一理ある……か。うん、ありがとう。もう少し頑張ってみる」
言って、彩葉は再び作業に戻った。
そんな彼女を見守りながら、私も夕食の準備を始める。
少し前まで、彩葉は完全に日が暮れてから数時間しないと帰ってこなかった。
帰宅しても、見せるのは疲れを滲ませた微笑みだけ。
一度冷たくなった料理を温めなおして、食事の後は勉強。
それが今は、学校が終わったらすぐに帰って来てくれる。
すぐさま仕事に取り掛かるという点では、以前までと変わらないかもしれない。しかし、作業中にも彼女の顔には活力が感じられる。
生き甲斐を持てている証拠だ。
何事も限界ギリギリでやるより、モチベーションを持ってやれる方が良いに決まっている。
効率良く体力を使えるから、自然と体調も今までより良くなる。
余裕が生まれると、空気が柔らかくなるんだ。
それに、笑顔が増えると、その分だけ普段の生活も豊かになり、会話も増えてより互いのことを知れるようになる。
「ヤチヨって、進路相談とかって乗れたりする?」
こんなふうに、食後のひととき。
彩葉は何気なくその話題を口にした。
「……これまた急だね。まだ高校一年生なのに、もうそんな先のこと考えてるの?」
私は敢えてそういう聞き方をした。
彩葉の性格とか、諸々の事情を考えたら当然の帰結とも言えるけど、彼女の場合は選択肢を無理やり潰しているように思えてしまう。
「早く決めるに越したことはないでしょ。それに、東大の……法学部とかに行くなら、この時期から準備を進めておかないと現役合格は難しい」
流石は令和のスパダリナンバーワン。高校二年の時点で通学時間に赤本をかじるだけはある。
こういう話はいつかすると思っていたけど、そのタイミングは早い段階で訪れた。
意外だったのは、彩葉から私に相談してくれたこと。
しかし、その考え方自体はいかにも彩葉らしいと言えよう。
この問題は難しい。
この世界に『かぐや』は居ない。
現実の彩葉のような道へ進まないのなら、どのようにして彼女に『彩葉なりの生き方』を伝えられるのか。
「法学部かぁ……やっぱ弁護士に?」
「今のところは……」
どうにも煮え切らない返事だ。
私の知るこの時期の彩葉なら、言葉を濁さずハッキリと『弁護士を目指す』と言っていた。
「彩葉、前に言ってたもんね。お母さんに認めてもらいたいって」
だから、もう少し踏み込んだ聞き方をしてみる。
「まあ……うん」
迷いを孕んだ顔で俯く。
私に相談するくらいだから、浅からぬ悩みを抱えているのは分かっていたけど、既に核心は近いらしい。
私が彼女にしたことは間違いじゃなかった。
仕事への苦悩も、将来への迷いも、全て彼女が前向きに進んでいる証拠だ。
「それ、お母さんとは話したの?」
「話せるわけないよ。どうせ『そんな事で悩むなんて甘ちゃんの証拠』だって言われるだけ。まともに取り合ってくれるわけがない」
諦めた顔でそう言う彩葉。
これはまだ別のアプローチが必要そう。
「……話が逸れちゃったね。それで、どういう事で悩んでるの?」
本題に戻すていでそう切り出す。
彩葉はその問いに最初は言い辛そうにしていたけど、やがてこう言った。
「変えたい、のかな?最近になって、ヤチヨの仕事を手伝うようになってから、色々と生活とかも変わって……思ったんだ」
ふとあるお昼時にでも降ってきて、消えずに残る。
劇的なきっかけがあった訳でも、革新的ななにかがあった訳でもないだろう。漠然と自然発生して、その癖忘れることは出来ない。
「前と比べて、今がこうで、そうして振り返ると……進路とかも、このままで良いのかなって……」
最初は小さかった違和感は、時を経て様々な方向に波及する。
その中頃に彩葉は立っている。
「ははっ……家を出た時点で、選択肢なんてないのにね。きっと、お母さんはそんなの認めてくれない。変えるとか、それ以前の問題なのに……迷うなんて……」
追いかけて、見失って、立っている場所がどこなのかも分からない。
それでも確かな指標はあって、苦しむ。
嗚呼、とても良い生き様だ。こんなにも彩葉は成長したんだな。
「お母さんが、実際にそう言ったの?」
それなら、背中を押すのが私の役目だ。
「え?」
私の言葉に彩葉は予想外とでも言いたげに目を見開いた。
「法学部に行って、弁護士になる。それ自体は、とても素晴らしいことだと思うよ。お金はいっぱいあるに越したことはないし、安定した職を目指すのは悪い事じゃないからね」
一概に彩葉の進路が悪いとまでは思わない。
このまま弁護士になって、安定した収入を得つつ家庭を築く事でも、幸せは手に入る。
「でも、それだけじゃあつまらない!」
人生とは楽しいものであるべきだ。
だって今の彩葉にとってこの六畳間が最高に愉快な空間なのだから、未来でだってそういう場所を築く権利は常にある。
「彩葉は、曲を作るのが好きだよね。それを夢にするんじゃダメなの?」
「そりゃできたら楽しいかもしれないけど……私にそんな才能ないし、それに私だけで決められることじゃないでしょ。そういうの……」
そうだ。
進学するにも、なにをするにも親の力がいる。彼女一人では決められないかもしれない。だから認めてもらわなくちゃいけない。
理屈は通っているけど、そこには決定的なプロセスが抜けているんだ。
「そうだね。でも、認めてもらわないとって彩葉は言うけどさ」
そして前提の中にも致命的な盲点が存在する。
「もし弁護士になっても認めてもらえなかったら、それから先、彩葉の人生はどうなるの?」
親に認めてもらいたい。
子供なら当然のように抱えている欲求は、そう簡単に捨てられるものじゃないし、捨てようとするものでもない。
だけど、それだけを指標に生きていくのは非常に危険だ。
前提が覆った時に、なにも選べなくなる。
「っ………」
案の定、彩葉は言葉に窮した。
「そうなった時に『だったらもういいよ』って、割り切って生きていける?」
仮に認められたとしても、じゃあ次はどうするのって話だ。
傍からみれば容易に想像がつくことだけど、本人が自分から気付いてそこに目を向けるのは難しい。
「『自分らしい生き方』って、凄く難しいけどね。ヒントがあるなら、諦めず探すべきだと思うよ。今の彩葉なら、それが出来るとヤチヨは思う」
彩葉の将来を、私が代わりに決めてあげる事は出来ない。
他人に依らない人生なんて有り得ないけど、自己を確立させることは出来る。そうなる為のプロセスが、反抗だ。
彩葉には、まだまだ考える時間がある。
なにも今すぐ決める必要はない。悩むうちに思考は自然と固まってくる。
「そう……かな。いや、そうなのかも……」
俯いていた表情がようやく前を向いて、私と目が合う。
「おかしいな。さっきまでめっちゃネガティブだったのに、ヤチヨの言葉を聞いたら、本当に出来るって思えて来ちゃう」
はにかんで言う彼女に、私も嬉しくなって微笑む。
「えへへっ、それなら、ヤッチョもそうだからお互い様だね♪」
この子の道を光で照らしてあげたい。笑っている顔を見たい。その想いを胸に秘め、頭を撫でて、ぽんぽんとさすってあげる。
「忘れないで、私は何があっても彩葉の味方だよ」
こんなにも可愛い。それだけで私には十分。誰がなにを言おうと、いかなる理不尽が彼女を惑わせようと、私が彼女を連れていく。
――それから二週間後。
彩葉は夕方、開口一番に私にこう言った。
「お母さんと、話したよ」
その言葉に私は心臓が震えた。
あの会話の流れからして、近々なにかしら動きがあるとは思っていたけど、私としても気が気じゃなかったんだ。
思わず作業していた手が止まる。
「ど、どうだったの?」
緊張する。
なにせそそのかしたのは私だ。ああ言った手前情けないけれど、こればかりは許して欲しい。
「『ちゃんと考えが纏まってから話しなさい』とだけ……それ以外には、驚くくらい何も言われなかった」
ほっと胸をなでおろす。
私の言葉のせいで関係悪化とかにならなくてよかった。必要なことではあったし、大丈夫だという確信も最初からあったけど、万が一なんてこともある。
「本当に、ありがとう。ヤチヨに相談して良かった」
そう告げた彩葉の顔は実に晴れ晴れとしていて、ほんの一年前とはえらい違いだ。三日あわざれば、なんて言葉があるけどいやはや若者の成長は凄まじい。
たった一言、二言の助言で、百歩も二百歩も進んでしまう。
油断していると置いていかれちゃいそう。
「……えい!」
「えっ、ちょっとなんでいきなり抱き着くの!?」
返す言葉は、謙遜でもおめでとうでも違う。
私の今の気持ちを表すにはこれしかなかった。
「嬉しいから!ヤッチョは、友達が一歩前に進めたことが嬉しくてたまらないのです!」
一個やり遂げるたびに、無限の喜びに包まれる。
この世界において、間違わずに進めたことは、とても尊い奇跡なのだ。
「もう……ヤチヨは、ずっと変わらないね」
彩葉の手が背中に回る。
何度やっても飽きない。回数を重ねるごとに、幸せが増幅する。彼女の肌の心地よさに、思考が浮ついてくる。
「……そんなヤチヨだからだよ」
彩葉は肩に顔を置いて、穏やかに紡いだ。
「あの日、実家を出る時……ヤチヨが、私のためにお母さんに怒ってくれたことが、本当に嬉しかったの」
それは、私が自己嫌悪した言葉の結果だ。
正しかったのか、ひょっとしたら余計なことをしたんじゃないかって、自制心のなさを憂いたことが、ちゃんと彩葉の助けになっていた。
一つ、心が救われる。
「本気で私を想ってくれてるって、痛いほど分かった。それから、一緒に過ごすほど、私もヤチヨが大切になってきて……そうしたら、自然と悩みが言葉に出来てたんだ。不思議。まるで魔法みたい」
藻搔き続けてきた結果が、こんなにも優しいものであったなら、全部許せてしまう。
「いつもありがとね。ヤチヨ」
やはりこの世界は残酷なほどに美しい。
十二月の暮れ。
寒波も真っ只中、クリスマスムードの町で私と彩葉は行きつけのカフェでお茶をしていた。
「時間が経つのは早いね~。もう年末まで一ヶ月を切っちゃったよ」
「同感。ヤチヨと会ってからは、月単位であっという間に過ぎるから、目が回りそう」
彩葉にはこの半年ちょっとの間、私の配信や仕事を手伝ってもらうことでお給料を出し、バイトの時間を減らしてもらっている。
勉強のやり過ぎも厳禁なので、頻繁にゲームに誘ったりしてセーフティーをかけていた。
そのお陰もあって、過労によるバッドエンドはあれ以降来ていない。
それでも『そんなの有り得ないでしょ』っていうバッドエンドが起こる。交通事故や事件に巻き込まれたり、彼女や私に直接非のない理不尽。
そんなことが都合よくやってくるのは、恐らくこの世界の仕様みたいなものだ。
突発のイベントのようなもので、それは来ると確信した上で私の手で乗り越えるしかない。
精神は削られるけど、その結末をひっくり返せるのは私しか居ない。そして、一歩ずつでも進む度に、目指した未来へ近づけている気がするのだ。
「じゃあ、来年はもっともぉーっと振り回してあげよっかな♪」
「お手柔らかにぃー」
パンケーキと、カフェオレ。
そして流れる二人の空気。
この為に頑張っていると思えば、私は何度だって立ち上がれる。
「でもまあ、その前にクリスマスと年末だよね!色々とすっごいの考えてるから、覚悟しててよね?」
「”楽しみ”じゃなくて!?覚悟とはまた物騒な……」
楽しいイベントだってちゃんとある。辛い事ばかりの世界じゃない。
八千年の間だって、そうだった。同じように比べることはできないけど、知ったこと、経てきた体験は確かに熱をもって、私の魂を形作っている。
私はもうキラキラで無敵のお姫様じゃないけど、それでもこの世界の主人公であることには変わりない。
「そうそう、これは予告状なのです。楽しすぎるイベントがこれから来ることへの、ね」
この時間を尊いと思えば思うほど、消えた時に悲しくなる。
そう分かっていたから、以前までの私は敢えてそこに居過ぎないようにしていた。それを油断だと、バッドエンドを招きかねない不注意だと切り捨て、自分の気持ちを押し殺していた。
そんなことしないでって、彩葉が命をかけて言ってくれたから、今このルートはある。
息は白く、手は赤く、私の頬には朱色が刺す。
それが冬の風物詩で、あなたの微笑んだ顔は月や姫より雅に輝く。
バイトがない日の放課後、一緒にショッピングに行った。
完全なオフ日に、日帰り温泉に行ったりもした。
その情景の一枚一枚が、シナリオゲームのギャラリーのように、私の想い出に収まっていく。
瞬く間に終わってしまった二ヶ月が、そうじゃなかったらきっとこんな感じ。別れる必要がない私達なら、きっとこんな感じだったよね。
私はもうこの世界を、もう一つの現実であると思っている。
証拠に、ほら、あなたの所作一つにこんなにも感情的になってる。否応なく訪れる死に、こんなにも心を痛めている。
それでも、偽物じゃないと、心が、魂がそう言ってるからこそ、諦めずにハッピーエンドに行きたいんだ。
想像してみて?
光り輝く未来で、私と彩葉がすごく楽しそうに笑っているんだよ。それってとても、素敵なIFストーリーだ。
〈ヤチヨワールド〉の本質は、そこなんじゃないかって最近になって思い始めた。
ありうべからざる未来の証明。
それによって、何が救えるのかは分からないけど、きっと意味があるから””私””はこの世界へ自分自身の魂を閉じ込めたんだ。
そこまで分かって、答えが出て、だからこそ浮上した悩みもある。
「ねえ、過去の私。あなたはどんな謎を、この世界に隠したの?」
自室で過ごしてる時間はもっぱらモノローグ。
誰も知らないけど、確かにそこにあった物語。私だけが知る、ビターでハードで、切ない御伽噺。
その整理をするために、自問自答を何度も重ねる。
「彩葉とかぐやと、皆を救えるって……それって、外の世界で私の記憶がロックされている間になにかあったってことだよね」
危機が迫っていなければ、救えるなんて言葉は使わない。
そこだけがずっと気がかりだ。何かが起きているなら、早くこの世界を終わらせなくちゃいけない。
けれど、今の私はそんなふうに消極的な考えが出来ないくらいには、この世界を愛してしまった。
「早くしないと、なんだよね。外の世界には、本物の彩葉たちが待ってるんだから……」
この世界で起こったことは、バーチャルだけど現実だ。
もう私の、人生の一部だ。無かった事にはできない。
「ハッピーエンドに行くってことは……当たり前だけど、この世界を終わらせるってことになる」
果たして、今の私にそれができるのか、分からなくなってしまった。
ハッピーエンドになった後も、まだこの世界に居たいと思っているしまうんじゃないだろうか。
積み重ねた時間は、愛の重さに直結する。
その重さを、今の私は消してしまえるのか、分からない。
「そんなこと……今の私にできるのかな」
その答えだけは一向に出ない。
進むと決めた私に根差した、一つの迷い。
ほんの一雫だ。すぐに心の奥底にしまった。それなのに、この世界は、そういう心の隙を的確についてくる。
無遠慮に、胸の中に手を突っ込んで、引っ張り出して見せびらかしながら、ぐちゃぐちゃにしてくる。
丁寧に残酷に。
――来たるクリスマス。
その日は彩葉がなんとかバイトの休みを取ってくれて、デートした後にパーティーという予定になった。
こうして予定を立てて、迎えるごとに名残惜しさと嬉しさが同時にやってくる。
それもまた生きてるってことなのかなって、ほんのり苦く、甘い味わいは心臓の鼓動と一緒に体全体へと広がっていく。
「今日は彩葉とデート♪デート、デート♪デートット♪」
彩葉が過労で階段から落ちた世界線でも、そうして浮足立つ思いで居た。
今は、あの時の自分だって受け入れている。もう失敗したルートの全てが間違いだったとは思わない。どんな失敗をしても、次に託して歩き続けようって、そう決めたからだ。
ハッピーエンドとこの世界の終焉にも、いずれ答えを出す。
でも今は、今だけは彩葉との時間を大切にさせて。
今か今かと待ち望む時、視線の先にちょっとおしゃれした彼女を捉えると私の足取りは早くなる。
「お待たせ。彩葉!」
「ん、ヤチヨ」
待ち合わせ場所は、東京駅前。
食事をした後に、丸の内のイルミネーションを見て歩くそんな贅沢な時間を、これから。
「こんばんは。服、めっちゃ似合ってるね」
ぽっと顔が熱くなる。
「い、彩葉だって……お化粧までしちゃって、気合入ってるじゃん……超可愛い」
ナチュラルメイクに、清楚で落ち着きがありながらも華やかさを感じる装い。
私の前には、女神が居る。私も結構ちゃんとおめかししてきたけど、彼女の前では霞んでしまいそうだ。
「っ……なんだか、照れくさいね。こういうの……」
「もう、彩葉が始めたのに……!」
お互い照れて、惚れ合ってるのがまるわかりなのが尚更恥ずかしい。
現実の彩葉になら、幾らでも大好きって言えるのに、ここではこんなシチュエーションの一つですら、とても重く、熱く心を震わせてくる。
「ごめんごめん。それじゃあ、いこっか」
そう言って差し出された手を取ると、ふわふわって幸せな気持ちが溢れ出す。
おかしくなっちゃいそうなくらいの興奮だけど、それが心地よい。
「うん!」
叶ったデート。
夜に暮れた町で、あなたと手を繋いで歩いていると、こんなにも尊くもっと長く続いて欲しい時間があっという間に過ぎてしまう。
予約していたレストランで美味しいディナーを食べていると、彩葉があまりにも緊張しているので、茶化して場を和ませた。
その後、立ち寄ったブティックでマフラーを私から、手袋を彩葉から、お互いに送り合った。
アクセでも良かったけど、あくまでもプレゼント交換だから彩葉の財布事情もちゃんと考慮する。
あの時、帰らなければ迎えていたであろう冬。
この景観、そしてデートというイベントが、まるで終盤であるかのような空気感を作り出している。
ゲームとは常に終着点が定められている。どれだけ切望しようと、その日々の先へは行けない。
私は、一緒には行けない。
だって、本質的にはこの世界の人間じゃないから。
エンドの後へいけるのは、
そうでなければならないんだ。
その事実を認め、迷いを抱いてからも”そうであれ”と自分に言い聞かせてきた。
そうしないと、誰も幸福になれない結末を迎えてしまう。
「――ヤチヨ」
彩葉が呼んだ。
「なあに、彩葉」
私は応えた。
「綺麗だね。イルミネーション」
あなたの透き通った瞳に、キラキラと反射するイルミネーションの光。
ごめん、彩葉。私は今、イルミネーションよりもあなたに夢中です。あらゆる情景は彩葉をより綺麗にする背景画だ。
――あなたはイルミネーションを背に立っている。
――あなたはイルミネーションを見ている。
演出とは常に登場人物を引き立て、場面の流れに私達は心を奪われる。その一瞬はまさに永遠にひとしく、けれども止まることなく進んでしまう。
「……彩葉の方が、綺麗だよ」
息を忘れる。
心臓がバクバクと鼓動する。
恥ずかしい。顔から火が出そう。目を逸らしたいのに逸らせない。
「……嬉しい。私も、ヤチヨの方が……綺麗、だと思う」
綺麗な微笑みだ。
慈しみを持った、自らの『好き』を捉えた人の、流麗でありながら艶のある仕草。大人の彩葉が好きを伝える時によく似ているそれに、私の緊張は最高潮にまで高まる。
少女が、そういう貌をして、私に向ける。
それも、幾つもバッドエンドを越えて、こんなにも長い時間を過ごした相手がそんなふうにして……平静でいられるわけがない。
彩葉はヤチヨを見て、
「好き」
心が、悲鳴を上げた。
嬉しいとか、そんな次元では表せない。天地がひっくり返るでも、革命的でも、挙句の果てには空でも飛べそうとか、全ての表現がチープ。
これは、恋だ。キミなんだ。そうとしか言えない。
私にとってこの衝動は、渇望は、心は願いは感情は――初めから、酒寄彩葉という名前以外に有り得ない。
「私は……酒寄彩葉は、ヤチヨが好き」
涙が、溢れそうになる。
一年とちょっと、不思議な出会いをした二人の少女が、クリスマスにイルミネーションの只中で恋を成就させる。
それはなんとも、幸せな最終章。
「私、も……」
お返事を言葉にしようとした。
そのアクションこそ、世界が待ち望んだフラグ。
◇~◇
〈この世界を終わらせますか?〉
・はい
・いいえ
◇~◇
世界が止まる。
再び、その在り様を示すように残酷な提示が訪れた。
「……………」
言葉も、出なかった。
なにこれ。
――世界を、終わらせる?
どうしてそんな言い方をするの。なんでそうやって、告白を受け入れるか、受け入れないか、そのなによりも大切なヤチヨの……かぐやの、選択を貶めようとするの?
「やめてよ」
もう弄ばないで。
「 これ、私の大切なものなの 」
お願いだから、あと少しだけ、もう少しだけでいいから、放っておいてよ。
「 かぐやの
上を選べばハッピーエンドだ。
現実に戻れる。
この世界の
そういうエピローグが、エンディング後のCパートで流れる。プレイヤー感涙の素晴らしいラストだ。
さあ、上を押せ。
選択しろ。
「っ……こんなの……!」
それで終わりなのに、私の心はどこまでも弱いまま。
選択は最後まで、間違いで彩られていた。
◇~◇
〈この世界を終わらせますか?〉
・いいえ◀
◇~◇
世界が再び動き出す。
強制力によって紡がれる言葉。
「ごめん……なさい」
それは大切な人を切り裂き、冷たい風に消えていった。