祝・追放 11   作:高見南純平

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第459話

 黒衣の怪人が現れた瞬間、玄関付近の空気が一変する。ざわめきが一気に膨れ上がり、生徒たちの声が重なった。後ずさる者、立ち尽くす者、状況を理解できずに周囲を見回す者。設置されているカメラの死角ではない。この距離、この位置なら確実に記録されているはずだった。

 

 それでもここまで来ているという事実が、別の不安を呼び起こす。侵入経路も、学院の構造も、すでに把握されている。

 

 次の瞬間、怪人が動いた。

 

 踏み込みと同時に床が鳴る。無駄のない重心移動から、一気に加速。紫電が走り、軌跡だけがわずかに残る。その進路はまっすぐ、サイフウのいる位置へと伸びていた。

 

「不審者で私を挟むなっ……!」

 

 苛立ちを含んだ声が漏れる。前後から迫られる形。逃げ場は限られている。

 

 だが、走り寄ってくるその気配の中に、妙な違和感があった。

 

 狂気じみた圧は確かにある。存在そのものが空気を歪めている。それなのに、焦点が合っていない。視線という概念が曖昧で、狙われている感覚が薄い。

 

 こちらを見ていない。

 

 そう感じた瞬間、怪人はサイフウの目前に達し、そのまま跳躍した。

 

 黒い影が頭上を越える。

 

 時間が引き延ばされたように、動きがゆっくりと見えた。サイフウは反射的に見上げる。仮面がすぐそこにある。だが表情も、視線も、何も読み取れない。ただ滑らかな面が光を受けているだけだった。

 

 そのまま怪人は背後へと抜ける。着地の音は軽く、次の動作へと繋がっていく。

 

(中等部の生徒、なわけこれが?)

 

 疑問が浮かぶ。噂にある存在と重なるが、感覚が追いつかない。年齢の認識と、目の前の現実が噛み合わない。

 

 怪人の周囲にまとわりつく魔力が、空気を押し広げるように滲んでいた。濃く、重く、制御されているはずなのに外へ漏れ出ている。それは子供が扱うものとしては明らかに異質だった。胸の奥に残る圧迫感が、それを否定する。

 

「カライジ、回れ右……っ」

 

 押し出すような声だった。サイフウの視線はすでに後方へ固定されている。空気の流れが変わる。さっきまでのざわめきとは別の、重く沈む圧。

 

 ブーストアックスを握るカライジは、最初に出現した怪人へ意識を集中させていた。だがその声を聞いた瞬間、反射で振り向く。

 

「!? かかか、怪人!?」

 

 視界に飛び込んできた黒に、思考が一瞬遅れる。慌てて斧を顔の前へ引き上げ、防御姿勢を取る。刃先がわずかに震え、ブースト機構の余熱がじり、と音を立てる。

 

 しかし、来るはずの衝撃は来ない。

 

 黒衣の怪人は、カライジを見ていなかった。

 

 その仮面はさらに奥、もう一体の怪人へと向けられている。紫電が細く走り、空気がひび割れるように揺れる。

 

「この世には、得体のしれない者が多すぎる」

 

 機械的に変調された声が、廊下の壁に反射して重く響く。次の瞬間、踏み込み。床がわずかに沈み、視界から黒が消える。

 

 拳が、叩き込まれていた。

 

 反応の余地すらない。ボロ布の怪人の身体が弾けるように浮き、一直線に吹き飛ぶ。鈍い衝突音が空気を震わせ、廊下の奥へと叩きつけられた。

 

 そのまま倉庫前に積まれていたダンボールの山へ突っ込む。白い箱が連鎖的に潰れ、破れ、緩衝材が舞い上がる。紙片や資材が散らばり、棚が揺れて別の箱も崩れ落ちた。乾いた破裂音と崩壊音が、廊下に重なって響く。

 

「ちょ、ちょっと! 機材入ってるやつ!!」

「いやそれ弁償コースでしょ!? やばくない!?」

「人より先に備品心配してる自分が怖いんだけど!」

 

 混乱した声が飛び交う。その中で、ダンボールの山の奥から低いうめき声が漏れる。

 

 崩れた箱の隙間で、ボロ布の怪人がわずかに身をよじっていた。完全には沈んでいない。衝撃は確実に通っているが、それでもまだ動ける。

 

「仮面を剥がさせてもらう」

 

 低く落ちた声とともに、黒衣の怪人はダンボールの山へと歩みを進める。紫電がわずかに揺れ、床に影が伸びる。その足取りには迷いがない。

 

 カライジは、その背を見て悟っていた。噂や断片的な情報ではない。目の前にいるこれこそが、この数年、学院やこの国で確認され続けてきた本物だと。

 

 理解した上で、それでも体は動いた。

 

 ブーストアックスを握り直し、踏み込む。軸をぶらさず、一気に振り抜く。

 

「……っぐ!」

 

 だが刃は届かない。

 

 黒衣の怪人は振り返りもせず、伸ばした手で斧の刃を掴んだ。ゴツゴツとした鉄のような手甲が、刃先を噛み止める。火花が散り、金属が軋む音が耳に刺さる。それでも一切、揺るがない。

 

「安心しろ。見た目以上に無害だ」

 

 抑揚の薄い声が返る。その言葉は、目の前の惨状とあまりにもかけ離れていた。

 

「……避難しろ!」

 

 カライジは叫ぶ。だがその声は、背後のサイフウへではない。視線は廊下の奥、吹き飛ばされたボロ布の怪人へと向けられている。

 

 ダンボールの山の中で、かすかに動く影。

 

「……? 関与してるのか……? ……だが事情聴取よりも、本体を押さえる方が先だ……!」

 

 黒衣の怪人は短く思考を巡らせると、掴んでいた斧にわずかに力を込める。

 

 次の瞬間、押し返された。

 

 重さごと押し戻され、カライジの体が後方へと弾かれる。踏ん張りきれず、バランスを崩し、そのまま尻もちをつく。鈍い衝撃が床から伝わり、息が一瞬詰まる。

 

 黒衣の怪人はすでに視線を外していた。標的を定め、動く。

 

 一歩、踏み出す。

 

 そのまま加速する。紫電が尾を引き、空気を裂く音だけが残る。廊下を真っ直ぐに駆け抜けていく。規律も制止も関係ない。一直線に、ただ目的だけを追って。

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