怪人をロックオンしたまま走るララクの視界に、異様な光景が飛び込んだ。廊下の先で黒衣の怪人が立ち止まっている。その真正面の壁には、中等部学生の写真がひときわ大きく引き伸ばされ、額縁に収められて掲示されていた。展示用の照明に照らされた少年の顔は、この場を静かに見下ろしているような存在感を放っている。
「! やはり関連性が……」
ララクの思考が一気に加速する。噂、失踪、怪人。そしてクエディーカという名前。断片だった情報が、強引に一本の線へ変わろうとしていた。
「クエディーカ少年! キミに何が起きたんだ!」
本当に本人なのかは分からない。亡霊説も、怪人説も、今の時点では確証のない噂に過ぎない。それでも、この怪人がわざわざこの場所へ来た以上、無関係と切り捨てるには状況が重なりすぎていた。
しかし黒衣の怪人は振り返らない。その代わり、さらに異様な現象が起きる。写真が飾られていた壁そのものが、低い駆動音とともに横へ滑り始めたのだ。石壁のように見えていた外装の裏から隠された空間が露出する。奥は光が届かず暗く、内部構造すら判別できない。
「……どうやら私は、彼のようだ」
低く抑えられた機械音声を残し、黒衣は迷いなく内部へ踏み込んでいく。長い外套の裾が闇へ吸い込まれると、壁は再びゆっくり閉じ始めた。
(隠し扉……! 奥が【透視】できないし、このまま逃げ切られる……!)
ララクは即座に【透視】を発動する。しかし視界は途中で断ち切られた。存在そのものを遮断するような特殊加工が施されているのか、向こう側の景色が一切見えない。怪人の姿も完全に視界から消えていく。
閉じ切るまで残りわずか。
「〈ディアホンブーメラン〉+【ホーミングスロウ】!」
ララクの手に白銀の武器が生成される。【ウェポンクリエイト】によって生み出されたブーメランは、銀鹿の角を削り出したような質感を持ち、表面に淡い魔力光を流していた。走行の勢いを殺さないまま腕を振り抜くと、それは単なる直線軌道ではなく、空気を読むように滑らかに角度を変えながら閉じかけた隙間へ飛び込んでいく。
白銀の刃は、するりと扉の隙間へ噛み込んだ。
完全には閉じない。
「そこまで私に執着する理由が理解できない……!」
黒衣はすぐに異常へ反応した。振り返りざまに足を振り抜き、挟まったブーメランを蹴り砕く。白銀の破片が火花のように散り、内部の暗闇へ消えていく。しかし、その一瞬だけ扉の閉鎖速度が鈍った。
ララクはその時間を逃さない。加速した勢いのまま隙間へ身体を滑り込ませる。しかし開口部は人間の通行を想定した幅ではない。肩も腰も、そのままでは確実につかえる寸法だった。
だがララクは躊躇しない。
【伸縮自在】。
身体の輪郭が歪み、骨格ごと柔軟に再構成されていく。厚みが削られ、全身が細長く変形し、閉じゆく扉の隙間へ強引に押し込まれていく。その姿は人というより液体に近かった。
そして内部へ抜けた瞬間、変形していた肉体が一気に元の形へ戻る。圧縮されていた反動と走行の勢いが重なり、ララクの身体は前方へ弾丸のように押し出された。
視界の先にいるのは、まだこちらへ振り向き切れていない黒衣の怪人。
ララクはその背中へ、勢いそのままに体当たりの軌道で突っ込んでいった。
「面倒な軟体生物だっ……!」
黒衣の怪人の声と同時に、ララクの体当たりが直撃する。2人の身体は勢いそのままに床へもつれ込み、隠し扉の向こう側へ転がっていった。金属質な床へ肩がぶつかる音が響き、散らばった資料が宙へ舞う。
内部は研究室だった。
ただの倉庫ではない。長机には分解途中の機械部品や工具が並び、壁際には教材用と思われる電子端末が整然と積まれている。さらに視線を引くのは、壁へ何台も立てかけられたドローン群だった。円盤型、細長い羽根型、昆虫を模したような多脚型まで混在しており、どれも試作段階なのか外装が開かれたままになっている。薄暗い室内で待機ランプだけがぼんやり点滅し、この空間全体に無機質な生命感を漂わせていた。
「離しません。そして、話してください」
ララクは転がった勢いを殺さず、そのまま膝をついて体勢を立て直す。床へ片手をつき、即座に重心を安定させる動きには迷いがない。逃げられる前に距離を詰めようと顔を上げた、その瞬間だった。
すでに黒衣の怪人は立ち上がっていた。
静かすぎる速度だった。いつ起き上がったのか認識が追いつかない。そして怪人は右腕を持ち上げ、その指先をララクの額へ向けている。
人差し指だけを真っ直ぐ突き出し、脳天を撃ち抜くような軌道で狙いを固定していた。冗談めいた形なのに、そこに宿る圧は洒落にならない。指先へ集まる紫電が微かに空気を焦がし、研究室の空調音すら張り詰めて聞こえる。
「おまえの事は情報不足だが、この国に関係ない事は分かるぞ外国人。血眼になって、どうして私を追いかけられる」
機械越しの声は低く抑えられている。しかしその奥には、本気で理解できないものを見るような違和感が混じっていた。
ララクは額へ向けられた指先から目を逸らさない。撃たれれば危険だと本能は理解している。それでも彼は一歩も引かなかった。
「ボクはただ、零れ落ちてしまった大切な人を、待ち人の元に届けたいだけです。それが魂だけだったとしても、涙に変わるほどの救いになる」
言葉を吐きながら、ララクの脳裏には海の国での出来事が浮かんでいた。
行方不明となった王女。正確には、今もその亡骸は見つかっていない。それでもララクは、彼女が辿った結末を肉親へ伝えることはできた。失われた者が本当にこの世へ還るのか、魂というものが存在するのか、それを証明できる知識などララクにはない。
だが、人は感じる。
もう会えないはずの存在が、確かに帰ってきたのだと錯覚できる瞬間を。涙が流れるほど、胸の奥に何かが届く瞬間を。
ララクは、それを知っていた。
だからこそ、この怪人を放置できなかった。