プロトアークとして人型へ到達した私。だが、その完成形へ最も近づいていた時期、研究室の空気は達成感ではなく、出口の見えない停滞に満ちていた。部屋の隅では稼働停止中の小型ドローンが逆さに吊られ、作業机には分解途中の関節パーツや焼けた人工筋繊維が山積みになっている。
床を這うケーブルの隙間には工具や栄養剤の空容器が転がり、壁一面へ投影された半透明モニターには、姿勢制御ログや重心移動データが幾重にも重なっていた。足裏圧力分散、関節遅延、平衡補助、反射制御。人間なら無意識で済ませている動作を、研究室全体で無理やり数値化して追いかけ続けているような光景だった。
リードは端末の前へ座ったまま、疲労で浅くなった呼吸を繰り返していた。
「……脚部出力は正常。関節摩耗も許容範囲。人工筋繊維も応答してる。なのに立位保持だけ地獄みたいに難しいの、ちょっと意味分からないなぁ……」
掠れた声だったが、その視線だけはまだ数値へ食らいついていた。理解不能な問題へ遭遇したことで、逆に脳が焼き切れそうなほど集中している、そんな目だった。
リードはコントローラーを握り直し、起動ボタンを押し込む。すると私の内部を導電結晶の青白い光が流れ、脊髄フレームへ埋め込まれた人工筋繊維が生物の血管みたいに脈打ち始めた。関節内部では低い駆動音が連鎖し、脚部ユニットが重量を支えるためゆっくり収縮する。固定台へ預けられていた体重が両脚へ移行し、私はぎこちなく立ち上がった。
成功自体はしている。膝関節も耐えている。上半身も保持できている。だが次の瞬間には、ほんの僅かな傾きが全身へ波及していった。肩が数ミリ沈み、重心が遅れて流れ、その補正へ脚部が追いつかない。関節が不自然に震えたかと思うと、私は研究台へ半身をぶつけ、そのまま床へ崩れ落ちた。積み上げられていた工具箱が倒れ、乾いた金属音が研究室中へ散乱する。
「人間ってさぁ、なんでこれを無意識で成立させてるんだろ。怖いなぁ人体」
リードはそう呟きながら転倒ログを確認していく。アカラヘアは少し離れた作業机へ腰掛け、頬杖をついたままその様子を眺めていた。
「人間ベイビーみたいに転びながら覚えるんじゃないの?」
「その覚えるが存在しないから苦しんでるんだよぉ。こっちは感覚も反射も、全部あと付けなんだからさぁ……」
再びコントローラーが操作される。私の内部で導電結晶が発光し、人工筋繊維が収縮して、脚部ユニットが立ち上がり動作へ移行する。しかし姿勢制御は長く持続せず、数秒後には重心補正が破綻し、私はまた床へ転倒した。それが何度も繰り返されていた。
脚部出力は足りている。素材性能も十分すぎるほど高い。猿鬼種の硬質骨は重量へ耐え、雪原狼の腱素材は柔軟性を発揮し、導電虫由来の結晶は理論以上の伝達効率を叩き出していた。問題は部品性能ではない。「身体を身体として扱う感覚」そのものが、この時の私には存在していなかったのだ。
この時点の私は、まだ人工知能を搭載していない。思考領域も、自律判断機構も存在せず、外部入力へ反応するだけの遠隔操作ユニットに過ぎなかった。だから、この時の私に感情はない。立てないことへの焦りも、転倒への恐怖も存在しない。そもそも、この段階の存在を「私」と呼ぶこと自体、正しいのか曖昧だった。
それでも記録だけは残っている。立ち上がるたび遅れていく重心補正。床へ衝突する鈍い音。コントローラーを握り直す研究者の手。そして、人類が無意識で成立させている「姿勢制御」という現象へ、本気で噛みつき続けていた研究室の熱を。
「ねぇ、プロフェ。うちの良案聞きます、か?」
顎へ人差し指を当て、口をきゅっと結んだアカラヘアが、わざとらしく思案顔を作っていた。考え込んでいるというより、「今から重要なこと言いますよ」の合図に近い。リードは疲労で濁った目を瞬かせながら、机上に積まれた制御ログから顔を上げる。
「おー、ぜひぜひ意見を吸収したいからね。乱歩する冒険者として、何か気がついたことがあるのかな?」
「そうねぇ、気づいた事といえばそうだけど。ハッキリ言うと、疲れました」
「……?? ど、どういう案なんだぁ? なぜ今、君の疲労感が重要になってくる」
アカラヘアは返事の代わりに、椅子へ深く沈み込みながら両腕をだらんと垂らした。そのまま脚まで投げ出し、さらに身体を左右へ揺らして四肢をうねらせる。蛸が陸へ打ち上げられたみたいな脱力表現だった。
「だってクエストこなして、こっちの組み立てや試行錯誤も手伝って。さすがにソロじゃ、物理的に手足が足りない」
研究室には現在、未接続の腕部フレーム、調整待ちの関節パーツ、解体途中の素材箱が山積みになっている。姿勢制御実験のたびにパーツ交換が発生し、その度に重機並みの出力を持つアカラヘアが駆り出されていた。さらに彼女は、その合間を縫って危険地帯のクエストまで回収している。普通の人間なら、とっくに身体を壊していてもおかしくない作業量だった。
「なんだ、結構まともな提言だねぇ。その点については、でこがマントルにつくほど感謝しているよ。そっかぁ、人員をプラスするタイミング、ってことかな」
リードは頭を掻きながら椅子へ沈み込む。机上のモニターには未処理タスクが延々と並び、試験待ちのログが端から赤く点滅していた。
「だけどそんな資金ないでしょ?」
「アカラヘアくんの報酬維持で、カッツカッツだね」
「でもうちは資金あるよ。クエスト報酬たんまり貰っているし」
その瞬間、リードの目がわずかに開く。疲労で死にかけていた研究者の脳へ、一瞬だけ魔力電流でも流れ込んだみたいだった。
「! そうか、同時並行で多種のクエストを成功しているもんねぇ。それをまさか、研究に当ててくれるというのか? それとも、無償で手伝ってくれると……?」
「そんなサービス精神な考え、今のご時世にあってなくない? 対価は人権だよ」
「……おっしゃる通り……。金に目がくらんだ、私はマッドサイエンティストです……」
さっきまで理論計算へ噛みついていた研究者が、今度は妙にしおらしく肩を落とす。その姿を見たアカラヘアは、少し吹き出すように笑った。
「すぐ反省できるなら、お利口です」
そう言いながら、彼女は空中へ手を伸ばし、エアモーションでリードの頭を撫でる。実際には距離が離れているため触れていない。だがリードは、なぜか本当に撫でられたみたいな顔で目を閉じていた。研究室には駆動音と冷却ファンの低い唸りが流れ続けている。その中心で、未完成の私だけが無言のまま座り込み、人間たちの奇妙な共同生活を記録していた。