台車を押してきた男、プロフェッサー・モドムは、疲労を隠すという発想そのものを捨てたような顔つきで実験室へ踏み込んできた。白衣の袖口には油汚れが染みつき、無造作にかけられた眼鏡の奥では、何日も睡眠を削った研究者特有の乾いた視線が鈍く光っている。それでも観察眼だけは異様に冴えていた。搬入してきたジャンク機材へは一切目を向けず、そのまま真っ直ぐ私の前まで歩み寄る。
立位補助機構〈オービット・スパイン〉へ接続されたプロトアーク。露出した関節フレーム。人工筋繊維。胸部で淡く脈動する透明樹芯。魔力循環に合わせて内部導線が青白く明滅するたび、骨格内部には生物とも機械ともつかない奇妙な存在感が浮かび上がっていた。モドムはそれらを黙ったまま眺め続け、やがて視線だけを横へ滑らせる。
「まだ人型を諦めていないのか。下部をキャタピラに変えれば、小型戦車として充分実用的じゃないか?」
工具を弄っていたリードは、顔を上げずに肩を揺らした。
「それもアリ、とは思ったさ。車いすに乗るアークを見てね。けれど、クエディーカくんの操作技術を見てこうも確信した。やっぱり『人が操作するには人型が最適』ってこと」
モドムの眉間に、わずかな思考の皺が刻まれる。
「自身の肉体と酷似しているほうが、より伝達遅延がなくなる。ってことか? どうなんだい、その辺は」
問いを向けられたクエディーカは、操作卓へ置いていたコントローラーから一度だけ指を離した。モニター群には、先ほどまで行われていた模擬戦闘のログが高速で並び続けている。移動軌道、関節負荷、出力誤差、照準補正率。中等部の人間が処理できるとは思えない量のデータだった。
「まだ練習段階だけど、飛行型ドローンよりは実行したいことがそのまま実現できる点が使いやすいですね」
「ほ~ら。私は最終的にね、アカラヘアくんにアークを操縦して欲しいんだ」
「っぇ、うち? 確かに、戦闘の動きは真似できるかもだけど」
「主語が小さかったね。アカラヘアくん以外の冒険者全員さ。その中には、クエディーカくんのような操縦士も含むけれど」
その瞬間、研究室に流れていた空気の種類が変わった。それまでは、あくまで技術者同士の議論だったものが、急に未来の構想へ形を変えたからだ。
モドムは腕を組みながら、私の脚部フレームを見上げる。人工筋繊維の束が脈動し、内部導線には微弱な魔力が流れ続けていた。
「発想が私と逆だったな。人員補強のための人型かと思ったが」
「量産型になれば、人員不足も解決できるとは思う。けど一番は、人命確保。冒険者の代わりに、現場へアークが稼働できるなら、死者は毎回ゼロだ。負傷をしても回収さえできれば、修繕は可能だしね」
リードは軽い口調のままそう口にしたが、その内容だけは冗談みたいに重かった。
研究室の奥では冷却装置が低く唸り、電子柱の青白い光が一定周期で脈動している。床を走るケーブル群からは微かな振動音が響き、どこかで未調整の駆動輪が断続的に回転していた。それでも、その場にいた全員が数秒だけ沈黙していたのは、単純に言葉を失ったからだと思う。
アカラヘアは珍しく軽口を差し込まなかった。クエディーカもコントローラーへ指を置いたまま考え込んでいる。モドムにしても、すぐに反論を返そうとはしなかった。
おそらく3人とも、人型を作る理由について、そこまで先の景色を聞かされていなかったのだ。
リードだけが最初から見据えていた。
冒険者の代わりに死地へ降りる人型兵器。
壊れるのが人ではなく機械で済む未来。
そして、帰還できなかったはずの誰かが、生きて帰れる世界。
プロトアークは、その理想へ手を伸ばすために組み上げられた、最初の試作体だった。
モドムは研究室出口へ向かいながら、振り返りもせず言葉を残した。
「やはりお前は、人類が誇るべきプロフェッサーだよ」
疲労で掠れた声だったが、不思議と軽さはない。何十人もの研究者を見てきた人間だからこそ宿る重みがあった。その言葉に、リードは工具を指先で弄びながら肩を竦める。
「その通称、それが実現した時に呼んで欲しいんだけどなぁ」
どうやら、リードのプロフェッサー呼びが周囲へ広まった原因は、かなり前からモドムが吹聴していたせいらしい。本人からすれば少々不本意だったのかもしれないが、モドムの中では既に、同格か、それ以上の研究者として認識されていたのだろう。実際、彼は甘い理想論だけで他人を持ち上げる性格ではない。研究内容へ平然と現実を叩きつける男だ。それでも今日ここへ足を運んだのは、否定するためではなく、自分の目で未来性を確認したかったからなのだと思う。
「人が人であり続けるためゆえの難儀で意義のある研究……成果を期待しているよ」
そう言い残し、プロフェッサー・モドムは研究フロアをあとにした。去り際、クエディーカへは軽く顎を引く程度の会釈を送り、アカラヘアには気怠げに片手を振る。その背中は疲弊しきっているのに、妙な迫力だけは最後まで失われていなかった。
扉が閉まったあと、研究室には冷却装置の低音だけが流れている。その静けさの中で、クエディーカは操作卓へ片手を置いたまま、小さく言葉を反芻した。
「……人が人であるために……」
モニターには、プロトアークの駆動ログや姿勢制御データが大量表示され続けている。けれど今の彼が見ているのは数値ではなく、その先にある概念だった。アカラヘアはそんな横顔を覗き込みながら、面白がるように肩を揺らす。
「っお、何かプロフェッサークラストと邂逅して、閃いたかな?」
「あなたの理想を聞けたのも刺激になった」
クエディーカの返答は短い。だが視線だけは、以前より遥かに深い場所を見ていた。戦闘ユニット、遠隔操作、人型機構。それらを単なる研究課題ではなく、未来を変える技術として捉え始めている。おそらく彼の頭の中では、既に新しい設計図が組み上がり始めていたのだと思う。
この時は、誰も気づいていなかった。プロトアーク開発の裏側で芽吹き始めたその発想の延長線上に、後の悲劇が待っていることを。