「えっ、太陽の塔が爆発した!?」
研究室中に響いた僕の声に、教授は眉ひとつ動かさなかった。
そのかわり、目の前の愚か者二名を見る視線だけが、じわじわと冷えていく。
「……君はどうやってうちの入試をパスしたのかね。大阪万博爆発事故は、戦後まれにみる大惨事だ。多数の犠牲者を出し、日本の科学技術政策は大きく方向転換を余儀なくされた。冗談にするには、あまりに洒落にならん話だぞ」
教授はさも当然の常識であるとばかりに言った。質の悪い冗談ではないかと続く言葉を待ったが、教授の厳めしい顔にはひとかけらのユーモアも感じられない。僕と後輩は顔を見合わせた。
後輩は目をまん丸にして、僕は多分、鳩に豆鉄砲どころか対戦車砲を撃ち込まれたような顔をしていたと思う。
「え、いや、でも……」
「しつこいぞ。妙な与太話はそこまでにして、レポートを書きたまえ。次は待たんぞ」
教授はそれだけ言うと、こちらから視線をパソコン画面に戻してしまった。もう会話を打ち切るつもりらしく、取り付く島はない。
僕たちはそのまま、追い出されるように研究室を出た。
◆ ◆ ◆
研究室を出たあと、僕たちはしばらく廊下を歩いた。
たぶん足は前に出ていた。人類の歩行と呼んで差し支えないかは怪しい。僕は脳の三分の二くらいを研究室に置き忘れてきた顔でふらふら進み、後輩は後輩で口を半開きにしている。理工学部の夕方にまま発生するタイプの不審者二名だった。たいていの場合は単位や進級が原因だから、その理由だけはあまりに異質ではあったが。
廊下の蛍光灯がやけに白い。
そのしらじらさが、さっき教授に言われた一言をいやに現実味のあるものにしていた。
――1970年の大阪万博は、太陽の塔の爆発事故で終わった。
そんなはずはない。あまりにも荒唐無稽だ。「芸術は爆発だ」と岡本太郎は言ったというが、それはあくまで比喩であって、現実にそうあれと言ったわけでも実行に移したわけでもない。もしそうなら、彼はきっと著名な芸術家ではなく稀代のテロリストとして歴史に刻まれていたことだろう。
しかし、教授の口ぶりはあまりにも自然で、あまりにも“常識”だった。まるで僕たちのほうが頭のおかしい人間みたいだ。
「せんぱァい」
「なんだよ」
後輩が、いつに増して生気のない声でか細く鳴いた。後輩に視線だけ送ると、非常に表現の難しい表情を浮かべている。夜道で会いたくない顔って感じだ。一周回って面白いかもしれない。笑う元気はないが……。
「いま私たち、たぶんすごい面白い顔してると思うんスよ」
「だろうなあ」
「鏡見たら笑えますかね?」
「僕が笑ってないのが答えだろ」
「……納得っス」
すれ違った学部生が、僕たちの顔を見てぎょっとした後、気の毒そうな顔になって何か言いかけ、気まずそうに目をそらした。
そういうのを数度繰り返した末、ようやくSF研の部室に戻ると、後輩は無言でドアを閉め、無言で鍵まで掛けた。
別に何かに追われているわけではない。いや、現実には追われているかもしれないが。
僕たちは椅子にどさりと座り、そのまま長机に突っ伏した。
「…………」
「…………」
壊れかけの空調が、今日も死にかけの牛みたいな音を立てている。
机の上では、例の《TIME MACHINE 1.0》が依然として低くハミングしていた。インテリアとしても奇抜すぎて目の毒だ。
「先輩」
「……あん?」
「お茶、淹れますね」
「あー……おう」
生返事の見本のような生返事を受けてゆらりと立ち上がった後輩は、もたもたとした動作でキャビネットの中をごそごそと漁った。
「先輩。赤と白、どっちがいいです?」
「何が?」
赤と白ってなんだよストレートティーとミルクティーか? ワインでもあるまいに……。どぽどぽずぼぼというポットの音に続いて、かぐわしい匂いが漂ってきた。ん??
「味噌ッス」
「味噌」
僕は違和感に顔を上げた。ぬぼーっとした顔の後輩が両手に持っているのは、カップのインスタント・ミソスープだった。
後輩はそれを両手で恭しく差し出してきた。
「粗茶ですが」
「味噌汁じゃねぇか」
「………………温かい汁ものという括りでは、同じものといえるんじゃないっスかね?」
「雑なカテゴリ分けをするな」
「粗味噌汁ですが」
「新概念を生むな」
結局、僕の前に割り当てられたのは赤みそのほうのインスタント味噌汁だった。わかめと麩が浮いていて、湯気が上がっている。
ついツッコミを入れてしまったが、湯気の立つ味噌汁を前にすると、たしかに少しだけ落ち着く。僕はカップを受け取って、一口すすった。
普通にうまい。沁みる……。
「……うまい」
「っスね、日本の叡智っスよ」
後輩も自分の分をすすり始める。
部室にはしばし、ずずっ、ずずっ、と味噌汁を飲む音だけが響いた。それはどこか、泣き虫が鼻をすすり上げる音にも似ていた。
ずずっ。
ずずっ。
…………。
………………。
「いや現実逃避してる場合じゃねえだろ!!」
僕はカップを机に叩きつけそうな勢いで叫んだ。実際には中身がこぼれるともったいないので、かなりギリギリのところで踏みとどまった。理性の勝利だ。
後輩がびくっと肩を跳ねさせる。
「いきなり爆発しないでくださいよ!」
「爆発とか言うな縁起でもない! こっちはたった今、『大阪万博は太陽の塔が爆発して終わったのが常識です』ってカス情報の直撃を食らったんだぞ! 味噌汁すすってる場合じゃねぇ!」
「先輩も和んでたじゃないっスか!」
「それはそれ、これはこれだ!」
僕は立ち上がって部室をうろうろし始めた。後輩もつられて立ち上がったが、狭い部屋ではうろうろするにもスペースが足りず、カップみそ汁片手にその場でおろおろしている。まずはその味噌汁を置け!
「えっえっえっ、じゃあどうするんスか!?」
「どうするって、まず状況確認だろ!」
僕はビシッと大仰な所作で自分のノートPCを指さした。後輩の視線も鋭くそちらに向く。学内WiFiに接続されているから、ウィキペディアくらいなら見れる。
後輩がバッと視線を僕に戻した。
「確認した結果が“爆発してた”だったら!?」
「その時は……」
「その時は?」
「……さらにパニックになる!」
「カスじゃないスか!」
「そうだよ!」
二人して叫び合ったせいで、蛍光灯がかすかに揺れた。
だめだ。完全にパニックである。周りのサークルから苦情が飛びかねない。ただでさえ白い目で見られがちなSF研は廃部の危機だ。いや、今はそんなことは割とどうでもいい。ダメだ、頭の中の優先順序がぐちゃぐちゃになっている。バイトのシフト入れたっけアパートの鍵かけたかなレポートやらなきゃ期限は明日ァ!
「落ち着け……クールに、クールになるんだ僕……!」
「そうっス、いったん落ち着きましょう先輩! ほら! お味噌汁! お味噌汁飲むっス!」
「うまい……」
「っスね……」
沁みる……。
僕は着席した。後輩もそれに続いて着席する。ふぅ。
僕はしきりなおした。
「よし。文明人らしく、まずはネットで確認だ」
「出た、現代人の常套手段」
「文明の利器を信じろ」
「その文明の利器で作ったのがこのタイムマシンなんですけんどね」
「やめろやめろ。もう少しだけ目を逸らさせてくれ」
僕はタイムマシンを視界に入れないように工夫しながら、ノートPCを開いた。後輩が横に陣取る。兄者と弟者のフォーメーションだ。
グーグル大先生を開いて、検索窓に打ち込む。
**大阪万博 ウィキペディア**
「ウィキペから行くんスね」
「いま欲しいのは厳密な公文書じゃなくて、まず世間の常識だ」
ッターン! とエンターキーを強く押し込む。数秒後、画面に表示された記事タイトルを見た瞬間、僕と後輩は同時に息を呑んだ。
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1970年大阪万博爆発事故
**1970年大阪万博爆発事故**(せんきゅうひゃくななじゅうねんおおさかばんぱくばくはつじこ)は、1970年3月20日に日本万国博覧会(大阪万博)会場内で発生した大規模爆発事故。
会場中央に位置するシンボル施設「太陽の塔」周辺で爆発・炎上が発生し、死者318名、負傷者1,200名以上を出した。
この事故により大阪万博は事実上中止となり、日本の高度経済成長期を象徴する国家的イベントは悲劇的な結末を迎えた[1]。
### 概要
大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマに1970年3月15日に開幕したが、開幕5日目の夜、会場中央部において大規模な爆発が発生した。
爆心地は太陽の塔内部または周辺設備と見られ[要出典]、複数のパビリオンに延焼。来場者および関係者に甚大な被害を与えた。
### 原因
公式にはガス系統の異常が有力とされた[要出典]が、設備不良説、人的ミス説、破壊工作説など諸説あり、現在も決定的な原因は不明である。
### 影響
事故後、万博は無期限休止を経て閉幕扱いとなった。
この事件は「燃えた未来」「失われた万博」とも呼ばれ、日本社会に大きな衝撃を与えた[2]。
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「………………」
「………………」
僕と後輩はぴたりと固まった。
味噌汁の湯気だけが、場違いにゆらゆらしている。
「死者318名……?」
後輩がかすれ声で言った。
「負傷者1,200名以上……」
僕もつられて復唱する。
「“燃えた未来”……」
「“失われた万博”……」
僕は咄嗟に顔を両手で覆って俯く。とにかく、もう記事を見たくなかった。横目に、目を片手で覆って天を仰ぐ後輩の姿が見える。どうやら僕たちの心はいま一つになっていた。
後輩が絞り出すように言った。
「めっちゃそれっぽい単語で歴史を確定させないでほしいんスけど……!!」
「妙なセンス発揮してんじゃねぇよマジで……!」
僕は両手で頭を抱えて左右にぶんぶんと振った。
傍目にはゼミ発表で詰んだ学生の図だが、実際の事件のスケールは学内を超えて歴史級である。
「終わり……っスね」
「終わったな……」
「まだ始まってもいないんスけどね」
「始まる前に終わってるの最悪なんだよな」
二人して大きな溜息を吐いて、しばらく二人とも黙り込んだ。
空調は相変わらず瀕死の呻きを上げていて、まるで僕たちの心の声を代弁しているかのようだ。勝手に代弁するんじゃねぇ殺すぞ。
タイムマシンは相変わらず青白く光っている。こいつだけ妙に元気なのが腹立たしい。
「……これ」
後輩が、いっそ慈しむような手つきで《TIME MACHINE 1.0》の表面を撫でた。
「絶対こいつが原因スよね?」
「だろうな」
「100パー?」
「このタイムマシンが完成したタイミングで、世界のほうが『太陽の塔が爆発したのが常識です』って顔してきたんだぞ。偶然なわけないだろ」
「ですよね~」
後輩は諦めたようににへっと笑った。僕もきっと、同じような感じでへらへら笑っているはずだ。人間、どうしようもなくなると笑うしかなくなるらしかった。
「やっぱタイムパラドックスっスか」
「さらっと言うなよなぁ」
僕はうなった。SFの定番ではある。けれどまさか、自分がそのど真ん中に立つ羽目になるとは思わないだろう。思ってるやつのほうが怖いわ。
「でもさ」
僕はPC画面を見つめながら言った。
「仮にこれがタイムパラドックスだとして、原因は誰なんだ? 僕たちか? 未来の僕たちか? それとも別の誰かか?」
「考えられる原因はいろいろあるっス。でも」
後輩は机の上のタイムマシンをぺち、と軽く叩いた。叩くなよ危ないな。
「少なくとも現段階でこれを持ってて、これがヤバいって知ってて、歴史の異常に気づいてるのは、たぶん私たちだけっス」
「……」
「つまり」
後輩は、ぎらりと目を光らせた。
「解決できるのも、私たちだけっス」
真面目に言い切られると、流石に重い。
推定:歴史を変えた原因がこの部室にあって、異常に気づいているのが僕たちだけなら、たしかに元に戻せるのも僕たちだけなのかもしれない。筋は通っている。通すなこんなもん……!
「いや、待て」
僕は両手を前に出して制した。
「話としてはわかる。わかるけど、簡単に『じゃあ1970年に行こう!』とはならんだろ」
「なんでっスか」
む、と後輩は非難めいた目で僕を見る。やめろ、そんな目で僕を見るな。
「なんでってお前……」
僕は目を逸らす口実のように、指折り数え始めた。
「実験ゼロ。安全性不明。行った先で帰ってこれる保証なし。当時の土地勘ゼロ。現金は現代日本円。服装も言葉遣いも浮く。歴史に介入した結果、さらに悪化する可能性もある」
「……つまり」
「要するに、怖い」
言ってしまうと、拍子抜けするほど単純な本音だった。
怖いのだ。タイムトラベルだの歴史改変だの、SFとして読むぶんには大好物だ。でも自分でやるとなると話が違う。僕はただの大学三年で、明日のレポートひとつ満足に片付けられない人間なんだ。そんな僕に50年前の万博を救えと言われても…………困る。だいたいタイムマシンつくったの僕じゃないし。
後輩は少しだけ目を丸くしたあと、ふむ、と腕を組んだ。
「なるほど」
「なんだその顔」
「いや、先輩でもちゃんと怖がるんだなって」
「僕をなんだと思ってるんだ」
「もっとこう、SFのためなら死ねるタイプかと」
「失望したか?」
「ちょっぴり」
あっさり頷かれて、ちょっと腹が立った。
「怒んないでくださいよ先輩~。PC借りるっㇲね」
後輩は椅子に座り直し、PCをふんだくって身を寄せた。
「うし、調べるだけならタダですし。リサーチ続けましょ。材料が増えれば、先輩も少しは踏ん切りつくっス」
「……つかない可能性もあるぞ。むしろそっちのほうが可能性は大きい」
「その時は味噌汁もう一杯入れます」
「万能薬扱いするな」
僕がムスッと言うと、後輩はにっと笑う。そして僕のノートPCを我が物のように操作し始めた。
当時の会場図、新聞記事、写真アーカイブ、体験記。検索結果が次々と並ぶ。
「お、これ写真多いっスね」
「どれよ」
「事故前の会場スナップ。太陽の塔の足元とか、中央広場とかっス」
僕は横から画面を覗き込んだ。
古い写真特有の荒いカラー写真と白黒写真が混ざる。太陽の塔。人波。笑っている家族連れ。晴れた空。
本来ならただの“万博の記録”であるはずのものが、この世界では全部“事故前の記録”というラベルを張りつけられている。それがどうにも……嫌だった。
「うわー、やっぱ良いっスねえ」
さっきまでパニックだったくせに、後輩は少しテンションを戻している。切り替えの早さだけは見習いたい。趣旨ちゃんと覚えてるか?
「うひょーっ。先輩、この時代の服かわいくないっスか。レトロ!」
「今そこに感心してる場合か」
「いや大事っスよ。当時に紛れ込むなら服装調査は必須です」
「それはまあ、そうか」
納得してしまったのがどこか悔しい。後輩はスクロールを続ける。
僕も半ばぼんやりと、写真の群れを眺めていた。
その時だった。
「あっ」
後輩が短く声を上げた。
「どうした?」
「………………先輩」
その声色が妙だった。
ふざけている時の高さでもなく、パニックの時の裏返りでもない。喉が詰まったみたいな、乾いた声。
「どうした」
「いや、これ……」
後輩の指が、画面の一点を指している。僕は身を乗り出して画面をのぞき込んだ。
そこに表示されていたのは、会場中央の広場で撮られたらしい一枚の写真だった。
太陽の塔が背景に大きくそびえ、手前には開幕の熱気に浮かれた大勢の来場者が写り込んでいる。ピンぼけ気味だが、雰囲気はよく伝わる。
そして、その右端。
人混みから少し外れた場所に、二人の若者が立っていた。
一人は、冴えない顔で眼鏡をかけた男。
もう一人は、肩までの髪を結び、目だけ妙にぎらついた女。
二人とも、明らかに70年代の人間じゃない服装をしていた。
「…………」
「…………」
僕は画面を見た。
後輩を見た。
もう一度画面を見た。
「いや」
喉がひくつく。
「いやいやいやいや」
後輩が複雑な感情の入り混じった声で叫んだ。
「これ……私たちじゃないスか!?」
「嘘だろ……!?」
そこに写っていたのは、どう見ても僕と後輩だった。
僕らの両親親類の若いころだとか、他人の空似では断じてない。そんなちゃちな話ではない。服装が違う。持ち物が違う。だって僕が背に担いでいる物体Xは――。
まるで、最初からそこへ行くことが決まっていたと言わんばかりに、ピンボケしたスチルの片隅に、やけに鮮明に映っていて。
僕と後輩は、引き攣った顔で互いを見た。
そして同時に、机の上の《TIME MACHINE 1.0》へ視線を向けた。
――どうやら本当に、もう後戻りはできないらしい。
その事実だけがいやに鮮明で、僕が唾をのむ音ばかりが、部室にばかに響いた。