十二月初頭の早朝。まだ夜も明けきらぬ空気はしっかり冷たい。
決意表明から1週間ばかり。僕たちは大阪へ向かうため、駅の切符売り場に並んでいた。
僕の背の《TIME MACHINE 1.0》は、見た目だけは大型のキャンプ道具か何かに見えるように偽装されている。ここは僕が頑張った。後輩はあのみょうちきりんな外観のままでいいと主張したが、これだけは流石に譲れなかった。
ともあれ見てくれをどう繕おうと、中身を知っている身からすれば、ただただ不安感しかない荷物である。大した重量のない装置だというのに、後輩お手製の背負子オプションの肩紐が、やけに肩に食い込んで感じられた。
「先輩、似合ってるっスよ」
僕の横で、後輩がやけに楽しそうに言った。
こいつは手荷物一つ。軽装である。なぜタイムマシンの開発者が身軽で、騒動に巻き込まれた立場の僕が荷運び担当なのかは納得しかねる話だ。僕は半目で後輩を睨んだ。
「お前な、開発者が責任もって担げよ」
「いやあ、写真でも先輩が担いでたじゃないスか。時空を越えた自己責任っスね」
「最悪のなすりつけを見たな」
僕がげんなりと吐き捨てるも、後輩はけろりとしている。
「冗談っス。でも実際問題、いざって時に私の両手がフリーじゃないと、タイムマシンの設定ができないっスからね。先輩に担いでもらうのが一番合理的っス」
「それは……そうかもしれない」
理詰めで理由を語られると覿面に弱い。こちらも理系の端くれ。心情的には全く納得できなくても、理にかなっていると思ってしまっては納得せざるを得ない。
僕は盛大に溜息を吐いた。気分はさっぱり晴れなかった。
「もー。先輩、顔死んでるっスよ?」
「元気になれる要素がひとつもない」
「こんな美人と旅行できるじゃないっスか」
「はったおすぞ。どこから湧いてくるんだその自己肯定感は」
「でも、これでいよいよ大阪っスね」
後輩はきらきらした目で切符売り場を見つめている。こいつだけは遠足当日の小学生みたいなテンションだ。こっちの胸の内には不安しかないというのに。
溜息で両手をあっためながら待つことしばし。僕たちの番が来た。窓口の駅員がひどくやる気のない声で「どこまで?」と聞く。接客態度悪いなぁ、国鉄かよ。
僕は憤りを表に出さないように努めて、手短に用件を伝えた。
「すみません。大阪まで大人二人、北陸新幹線で」
「……は?」
駅員は疑問符を浮かべ、途端に怪訝そうな目で僕を見た。
その疑問符の意味が分からず、僕もつられて瞬きをする。
「え? 北陸新幹線ですけど」
「あの、お客さん。北陸新幹線って何です?」
一瞬、駅員の言葉の意味がわからなかった。
「いや、こないだ敦賀まで延伸した……」
「はあ……? 大阪でしたら、特急サンダーバードになりますが」
怪訝そうな、あるいは物知らずを小ばかにするような、そんな両方の色の混じった顔をされる。
まるで、存在しない架空の路線名でも口にされたかのような反応だった。そんな反応をされる謂れは……あ。
僕はそこで固まった。背後から後輩がひょいと顔を出す。
「先輩、これは……」
「……ああ。北陸新幹線、ないらしい」
後輩はあちゃあというような顔をしたあと、窓口横の時刻表を見て「あー」と声を漏らした。僕もそちらを見る。
たしかにそこには、新幹線の欄そのものがない。代わりとでもいうように時刻表を埋めているのは、特急サンダーバードと特急しらさぎ。
軽く十数年タイムスリップしてしまったような時刻表を見て、後輩がへらへらと笑った。
「敦賀で乗り換えなくていいから楽っスね」
「そんなお気楽な話じゃないだろ……」
僕は駅員に聞こえないよう、小さく息を吐いた。
思えばこの一ヶ月、バイトに明け暮れていた間にも、似たような違和感は何度かあった。
居酒屋の仕入れ表に、僕の知っている定番商品がなかった。代わりに見たこともないブランドのビールや調味料が当たり前のような顔で並んでいたし、コンビニでは聞いたこともないメーカーのスナックが棚の一角を占領している。後輩も「先輩、このアイス知ってます?」とパッケージを見せてきては、僕と一緒に首をひねっていた。
地域差とか本部の方針転換とか流行の変化だと思うようにしていたけれど、もう言い逃れはできそうにない。
「……どうします? サンダーバードで行きます?」
駅員がかったるそうな態度で聞く。どのみちほかに選択肢はない。僕は恐縮しきりで注文した。
「……じゃあ、大阪まで二人。サンダーバードでお願いします」
駅員はようやく話が通じたという顔で頷いた。
発券される切符を受け取りながら、僕は得体の知れない嫌な予感が、またひとつ輪郭を持つのを感じていた。
◆ ◆ ◆
特急サンダーバードの車窓から見える冬の北陸は、いつもと同じようでいて、どこか違って見えた。季節の移ろいとか、そういう詩的な話ではない。
山も川も空の色も、ぱっと見はいつもの風景だ。だけど通過する駅名、沿線の工場、立ち並ぶ住宅地の雰囲気、そういう細かいものが、僕の知っている現代と微妙に噛み合わない。
一方後輩はのんきに駅弁を貪っていた。
「先輩、これうまいっスよ。鱒寿司」
「元気すぎるだろ。朝からよくそんなに食えるな」
「これから時間旅行っスよ? エネルギーはしっかり補給しとかないとっス」
「まだ大阪着いてもいないんだよなぁ」
僕はため息をついた。
後輩は本当に、こういう時だけ妙に図太い。――いや、普段からだいぶ図太いわこいつ。将来はさぞ大物になるんだろう。
「先輩」
後輩が、鱒寿司をもむもむと頬張りながら言う。食うか喋るかのどっちかにしなさいよはしたないな。
「なんだよ」
「大阪も、だいぶ違うんスかね」
「…………たぶんな」
つい、と後輩は視線を車窓に投げかける。……何も気にしてないようなそぶりだけど、こいつなりにも不安とか抱えているんだろうか。
「万博一つ失敗しただけで、そんな変わるもんなんスか?」
「一つで済んでないんだろ」
僕は肘を窓枠に置いて、ぼんやりと景色を見た。
「万博が失敗したってことは、そこから先に続くはずだった計画も変わる。投資も、交通も、都市開発も、企業の動きも、国の方向性も全部だ。教授が言ってたろ。科学技術政策が大きく方向転換したって」
「いわゆるバタフライエフェクトっスね」
後輩は「うわぁ」と妙な感心の仕方をした。
こういう話が通じるの、ありがたいんだよな。
◆ ◆ ◆
大阪に着いた時、僕たちは二人そろって駅のコンコースで立ち尽くした。
「……なあ。大阪って、こんな感じだったっけ」
「少なくとも私の知ってる大阪ではないっスね」
梅田の駅前。そこに広がっていたのは、僕らの知る整備された大都会ではなかった。
本来なら、ガラスウォールの高層ビルが立ち並び、雑多ではあるがきちんと整理されているはずの場所。
なのに、目の前にあるのは、もっと低く、もっと雑然とした街だった。看板は過剰にけばけばしく、配線は空を這い、歩道のあちこちに屋台めいた店が張り出している。雑居ビルの壁は薄汚れ、どこからともなく揚げ物と古い油と排気ガスの匂いが入り混じって流れてきた。
なんだろうな。梅田なのに、新世界みたいだった。
都会ではある。人も多い。熱気もある。でも、都市として洗練されてはいない。都市計画に唾を吐いて、勢いと根性とごちゃまぜの欲望で押し切ったような、そんな街だ。
「うわぁ……」
後輩が目を輝かせる。
「すごいっスね。街全体が九龍城みたいっス」
「実物みたことないだろ。よく観光気分でいられるなぁ」
「うわっ、見てくださいよあの看板の暴力。串カツ、ホルモン、将棋道場、古レコード、パチンコ、サウナ、全部同じ通りにあるっス」
「見えてるよ」
なんだろうな、この風景が大阪らしいといえば、たしかにらしい。大阪のイメージの最大公約数を2乗した感じ。
だけど僕の知っている21世紀の梅田は、もっとこう、日本の主要都市であるという外面を繕っていたはずなのだが。
「……待てよ」
そんな変わり果てた大阪の街を眺めていると、ふいに、脳裏にひらめきが走る。朝に切符を買った時からわだかまっていた特大の違和感が、ついに結実した感覚。アイデアロール成功。気付いてしまえば、なぜ今になるまで思い至らなかったのかと思えるほどの、特大の問題。冷や汗が噴き出る。
「なんスか?」
「この世界戦だと、大阪万博が失敗してるんだよな?」
「? そうっスね」
後輩が、何をいまさらと言いたげな視線を向ける。よほど僕がひどい顔をしていたのだろう。その視線には心配の色がのっていた。後輩は、まだ気づいていないのだろうか。
僕は震える声で、ほぼほぼ確信に近い推測を喉の奥からひねり出した。
「だったら……万博記念公園とか、そもそも存在しないんじゃないか?」
数秒間、周囲の雑踏から音が消えたかのような錯覚。後輩の顔から、さっと能天気な明るさが消えた。
「……あっ」
本来なら、過去の遺産である太陽の塔が手厚く保存され、博物館や美術館、広場などが一般に開放されて地元民や観光客の憩いの場となっている、平和な場所。
その“万博記念公園”自体が、この世界には存在しないかもしれない。そんな冒涜的な事実に気がついてしまった僕たちはSANチェックです。
「す、すいません!」
「ちょっとお聞きしたいことがあるんスけど……!」
「んあ? なんや?」
顔を見合わせた僕たちは、たまらず、通りを歩いていた明らかに地元民らしいおっちゃんに声をかけた。
おっちゃんは茶色いジャンパーにサンダルを履き、片手にスポーツ新聞、片手に缶コーヒーを装備していた。ガラはあまりよろしくないが、これで観光客ということはまずないだろう。詳しい話が聞けそうならなりふり構っていられなかった。
普段の僕なら絶対にしない行動だ。きっとアイデアロールに成功して一時的狂気でも発症したのだろう。
「万博の跡地って……今、どうなってるかわかりますか?」
「万博ゥ?」
おっちゃんは怪訝そうな顔で、僕たちを頭からつま先まで眺めた。後輩を見て、僕の背中の荷物を見て、また僕を見た。
「兄ちゃんら、観光か?」
「ちょっと未来を救いに来たっス」
「だぁーっ! 話がややこしくなるから黙ってろ! すいません、そんなところです」
「なんやおもろい嬢ちゃんやな」
おっちゃんは僕たちのやり取りを見てけらけら笑ってから、しっかし心底わからん、といった風に眉をひそめる。
「やめとき。あないなとこ行ってもなんもないで」
「なにもない?」
「再開発がコケて、ずーっと放置や。道路は中途半端、建物の残骸はそのまんま、変なん住みついてるし、ガラ悪いの集まるし、治安なんか最悪や。近寄らんほうがええ」
後輩が恐る恐る口を挟む。
「ちなみに、直通の公共交通機関とかは……」
「ないない。昔はモノレールやら延伸計画やらあったらしいけどな、全部パァや。今行くんやったら、バス何本か乗り継いで、あとは歩くしかないんちゃうかな」
「結構長い道のりになりそうっスね……」
「普通の奴は誰も行かんからなぁ」
おっちゃんはそう言って肩をすくめた。
「兄ちゃん、彼女さん連れてあんなとこ行ったらあかんで。泣かす気か」
「かっ!?」
「あ、そーゆー関係じゃないっス」
「ほんまかぁ? お似合いやと思うけどな」
おっちゃんは豪快に笑い、「ほんま、気ぃつけや」と言い残して去っていった。
僕たちはしばらくその場に取り残された。
「やー、ヤバいっすね」
「思ったよりハードモードだぞこれ……」
「今日はもう宿探して、明日から改めて動きます?」
「それが無難だな……」
日はまだ高いが、経路を調べたり移動したりの時間を考えると、到着は日没後となってもおかしくない。治安が悪いと明言されている地域へ暗くなってから飛び込むのは無謀が過ぎる。
僕たちは可能な限り大阪の街を歩き回り、ゆく先々で地元民を捕まえては情報収集をした。仕入れられたのはだいたい同じような話ばかりだったが、後輩はやけに楽しそうであった。完全に観光気分である。
歩き疲れた僕たちは日が落ちる前に、比較的まともそうな小さな旅館に転がり込むことにした。もちろん部屋は二つとった。後輩の払いで。
◆ ◆ ◆
「兄ちゃんら、今日はどこ行くんや?」
煎餅みたいな布団でそれでもぐっすり眠って、翌朝。
旅館の食堂で出された朝食を食べていると、宿の主人が話しかけてきた。
六十前後くらいの、小柄で愛想のいいおじさんだ。大阪人らしく口が達者で、昨夜のチェックイン時からこっちをちょこちょこからかってくる。部屋ひとつじゃなくていいのとか布団一組でいい? とか。我々は断じてそういう不埒な関係ではないのだ。
僕はあからさまな愛想笑いを浮かべて答えた。
「まあその、観光とか……ですかねぇ」
「万博跡地っス!」
「おい!」
「はー、またけったいなとこに。これも若さか」
主人はからから笑いながら、お茶を注いでくれた。
「ま、なんでもええけど。万博跡地行くんやったら、いまの地図だけ見ても役に立たんで」
「え?」
「昔の観光案内とか、開催当時の雑誌見たほうがええ。あの辺は旧道みたいになってて今は使われとらんから、地図には載ってへんのよ」
「そんなの、どこで手に入ります?」
「この辺やったら、中崎町のほうに古本屋あるで。古地図とか古雑誌よう置いとる」
僕と後輩は顔を見合わせた。思わぬところで有益な情報が手に入ってしまった。
「ごちそうさまです」
「ごちそうさまっス!」
僕たちは急いで飯をかっ込むと、宿をチェックアウトした。
◆ ◆ ◆
宿の主人に教えてもらった中崎町の古書店は、通りに面した古びた三階建ての一階にあった。まだ九時前だというのに、もう店を開けていてくれているのはありがたかった。
店内は紙と埃の匂いでむせ返りそうで、背の高い棚の上を猫が悠々と歩いている。時間に取り残されたような空間だった。
「すみません、万博当時の観光雑誌とかってありますか」
「あるよ」
ダメもとで聞いてみたところ、紙煙草をふかしていた店主の婆さんは即答でもってこたえた。そして老いさらばえて節くれだった指でひとつの棚を指さして、ぷかあと煙を吐いた。案内はそれっきりだ。
五分後、僕たちは埃をかぶった棚の前で、「昭和45年春 大阪観光特集」だの、「日本万国博覧会公式ガイド」だの、いかにもそれらしい書籍を山ほど積み上げていた。
後輩がその中の一冊をぺらぺらめくりながら言う。
「先輩、これ良いっスよ。会場全体図に加えて、周辺道路と交通計画まで載ってるっス」
「おお」
「あと、“大胆予想! 未来の大阪"って記事に将来の万博記念公園完成予想図もあるっス」
「皮肉がきついな」
僕は顔を顰めた。古びた紙面には、まだ希望に満ちていたはずの万博会場が、眩しいカラーイラストで描き出されている。見ていると胸の奥がざわついてしかたがない。
最終的に、僕たちは会場図と周辺案内がいちばん詳しいその雑誌を一冊購入した。
「まいど」
店主のばあさんの声を背にうけて古書店を出る。ここからが本番だ。僕たちは一路万博跡地を目指して行軍を開始した。
古雑誌と現代の地図アプリを照らし合わせながら、ネット検索もフル活用して道を探る。建物に囲まれると極端に電波が弱くなるのは骨が折れた。まさか令和の世になってアンテナを頼りに電波を探す羽目になるとは。
三歩進んで二歩戻るように、僕たちは大阪の街を歩いた。途中で何台かのバスを乗り継ぎ、あとはひたすら歩いて、歩いて、歩いた。
再開発に失敗した街というのは厄介だ。道路が途中で途切れ、用途不明の高架が空中で終わり、古い工業地帯の名残と新しい雑居ビル群がぐちゃぐちゃに絡み合っている。地図で見れば近いのに、実際には塀と私有地と潰れた施設に阻まれて、大きく回り込むしかないなどもざらだった。
「先輩、こっちにショトカがあるかもっス」
「ほんとか? 地図にはなにもないぞ」
「この資料見てほしいっス。1985年の事業計画。これによると、ここの歩道は地下で繋がってるはずっス」
「まて、その計画は1990年に頓挫してるっぽい」
「うわっ、マジっすか。じゃあまた回り道っスね……」
「ぬか喜びさせるなよなぁ……」
「面目ないっス……」
とまあ、終始このような有様だった。だから昼を過ぎる頃には、僕の足はすでに棒だった。目的地までの道のりは結局、まだ半分も到達できていない有様である。
タイムマシンを背負っているというのも、疲労の上乗せに一役買っている。主に精神的な負担だ。後輩は身軽なぶんまだ元気そうだが、それでもさすがに額に汗を浮かべていた。
そんな後輩が、「あ」と何かに気付いたような声を上げる。なんだ、今度は何に気付いたって言うんだ。もう僕のSAN値はゼロだぞ。
「先輩、今更気付いたんスけど」
「前置きは良い。結論だけ頼む。僕の精神が折れる前に」
「じゃあ言うんスけど……」
後輩はバツの悪そうな顔で続けた。
「大阪駅で1970年にタイムスリップしてたら、もしかしなくても万博までの直通経路あったんじゃないかなって」
一瞬、辺りが水を打ったように静かになった気がした。僕は目からうろこがボロボロと落ちるのを感じる。あっこれうろこじゃねぇや涙だ。
「それだ~~~~~~~!!!!!!」
もっと早く気づいてくれよォ! 僕は地面にうずくまって男泣きした。