お陰様でもう少しで完結までたどり着けました!!
本当に皆様のご感想のお陰です!もう少しだけお付き合い頂けると嬉しいです!
その日は、明け方から雨が降り出した。
ベランダを打つ雨粒の音が、絶え間なく部屋に響いている。
厚く、黒い雲が空を覆い、昼になっても陽の光は差し込まない。配信部屋の中は薄暗く、時間の感覚さえ曖昧になっていた。
かぐやがいなくなって、何日経ったのか。
朔夜が目を覚まさなくなって、何日経ったのか。
ただ私は、ずっとこの部屋にいる。朔夜が眠るベッドの傍らで、ただ時間が過ぎていくのを見ているだけだった。
お腹が空けば、適当に栄養食を口に運ぶ。身体が冷えれば、機械的にお風呂に入る。
そんな最低限のことだけを繰り返して、またこの部屋へ戻ってくる。
まるで、ここだけ時間が止まってしまったみたいだった。
朔夜は、静かに眠り続けている。
規則正しい呼吸だけが、彼がここにいることを教えてくれる。
時折、苦しそうに眉を寄せたり、小さく呻いたりするたびに、胸の奥を鋭い何かで刺されたように痛んだ。
そのたびに私は、何もできない自分を思い知る。
思い返せば、全部、私が始めたことだった。
あの日、電柱の前で立ち尽くしていた私に、朔夜が声をかけてくれた。
混乱して、取り乱して、どうしていいか分からなかった私を、朔夜は落ち着かせてくれた。
朔夜は、当たり前みたいな顔をして隣に立ってくれた。
面倒くさそうにしながらも、結局最後まで付き合ってくれた。
だからこそ、苦しかった。
「……ごめん」
何度目かも分からない謝罪を、眠る朔夜に向けて零す。
返事はない。
ただ、静かな寝息だけが返ってくる。
私は床に引いた布団の横に腰を下ろし、そっと朔夜の手を握った。
温かい。
生きている。
ちゃんと、ここにいる。
窓の外では、雨が途切れることなく降り続いている。
静かで、暗くて、広すぎて、それでいまだに配信道具が残っている部屋。
その中で、私は一人だった。
「……私ね」
ぽつりと、独り言が漏れる。
「まだ、信じられないんだ」
かぐやがいなくなったことも。
朔夜が目を覚まさないことも。
全部、現実味がなかった。
今にも扉が開いて、かぐやが『おはよー!』と飛び込んできそうで。
その後ろから朔夜が『朝からうるせい~』と文句を言いそうで。
そんな想像ばかりしてしまう。
でも、扉は開かない。
笑い声も聞こえない。
あるのは雨音と、朔夜の呼吸だけだった。
私は握った手を、額へそっと押し当てる。
涙が、静かに零れ落ちた。
「私、どうしたらいいのかな……」
答えはない。
でも、ずっとここにいるわけにはいかないことも、分かっていた。
かぐやはきっと、そんなこと望まない。
朔夜だって、起きた時に私がこんな有様だったら、きっと失望してしまう。
しばらくそうしていたあと、私はゆっくりと立ち上がった。
制服は、数日ぶりに袖を通す。
少しだけ皺になっていて、妙に現実感があった。
鞄を肩にかけ、玄関へ向かう。
その途中で、もう一度だけ配信部屋へと入った。
朔夜は、変わらず静かに眠っている。
私はベッドに近づき、その額にそっと手を置いた。
「……行ってくるね」
返事はないけど、少しだけ朔夜の表情が穏やかに見えた。
気のせいかもしれない。
でも、それでよかった。
私は小さく笑う。
まだ、上手くは笑えないけど。
それでも、少しだけ。
扉を開けると、雨はいつの間にか止んでいた。
雲の切れ間から、淡い朝の光が差し込んでいる。
湿った空気を胸いっぱいに吸い込む。
冷たくて、少しだけ気持ちよかった。
一歩、踏み出す。
かぐやと朔夜がいない日常へ。
それでも、進まなければならない。
私は空を見上げた。
厚い雲の向こうに、月は見えない。
けれど、きっとそこにある。
「……行ってきます、二人共」
誰もいない玄関で小さく呟いて、私は歩き出した。
学校へ向かう道は、いつもと何も変わらない。
それなのに、世界は少しだけ違って見えた。
□
「あ、酒寄さんだ。もうコロナ治ったの?」
「あれ、留学したんじゃなかったっけ?」
「よかったー!俺、結婚したなんて信じてなかったっすよ!」
私が数日休んでいる間に、あらゆる種類の噂が飛び交っていたようだ。
私はそれらに「おはよう」とだけ返事を残して、職員室に向かった。
「…………やっぱり、法学部か」
「ごめんなさい。ちょっと色々あって遅れてしまって」
「酒寄はいつも頑張ってたからな、あぁそう言えば、神代の事は知ってるか?」
そんな事を言われるとは、考えなかった私は動揺する。
頭の中には、ずっと眠りに付いている朔夜の顔が浮かぶ。
だが、先生が私が朔夜と同棲している事を知る筈がない。
「さ、朔夜がどうかしたんですか………」
「あぁいや。数日、酒寄と同じように休んでてな。何か知らないのかと思ってな」
「ご、ごめんなさい。何も知らないです」
「そうか。引き留めて悪かったな。これからも頑張ろう」
□
職員室を出て、廊下で芦花と真実の登校を待ち。
「連絡返せんくてごめん!」
一目散に頭を下げに行った。
「本当にごめん!マジごめん!その、何て言うか、あの……本当にごめん!」
「無視ひど~」
「家乗り込もうかと思ったよ」
冗談めかして拗ねてみせる二人。
「…………私達はさ」
「彩葉が生きてればいいから」
真実と芦花は苦笑交じりにそう言った。
「そう言えば、神代君は?」
二人は、私と朔夜が同棲している事を知っている。
なら、私に聞くのは当然の事で。
「私の彼氏も連絡したけど、帰ってこなかったらしいし」
真実からも、疑問を呈される。
「さ、朔夜も引きずってるみたいで………部屋から出てこないの」
「……そうだよね~ごめんね。変な事聞いて」
良かった。とりあえずは信じてもらえた。
「彩葉。嘘ついてるでしょ」
筈なのに。芦花からピタリと言い当てられて、心臓がはねた。
「ちょ、ちょっと芦花」
「彩葉」
芦花に目はまっすぐに私を見つめて、心の後ろに隠した真実さえも見透かされるようで。
「何があったの?」
その一言は、驚くほど静かだった。
責めるでもなく、問い詰めるでもなく。
私は思わず視線を逸らす。
「……何もないよ」
掠れた声で答える。
もちろん、そんな嘘が通じるはずもない。
「彩葉」
芦花の声が、少しだけ低くなる。
「目、真っ赤だし。笑えてないよ」
「……確かに~」
真実も、困ったように笑った。
逃げ場は、なかった。
私は小さく息を吐いて、観念する。
「……朔夜がね」
二人の表情が、すっと真剣になる。
「ずっと、寝てるの」
「……え?」
真実が目を瞬かせ、芦花もさすがに言葉を失う。
「寝てるって……」
「本当に、そのまま」
「起こしても起きないの」
「でも、呼吸はしてるし、熱もない」
そこまで言うと、自分でも驚くほどあっさり涙が零れた。
慌てて拭うけれど、止まらない。
「ご、ごめん……」
「いや、謝るところじゃないでしょ!」
真実が慌ててハンカチを押し付けてくる。
芦花は真顔のまま、私の肩を掴んだ。
「いつから?」
「……かぐやが、いなくなった日から」
「ずっと?」
「うん」
芦花が、小さく舌打ちした。
それだけ、動揺しているのだろう。
「一人で抱え込まないで」
「連絡くらいしてよ~」
「……ごめん」
「謝罪は聞き飽きた」
そう言いながらも、芦花の手は優しかった。
真実も、眉を下げる。
「神代君、大丈夫なの?」
「分からない」
「でも、苦しそうな時もあって……」
声が震える。
それだけで、どれだけ不安だったか伝わったのかもしれない。
二人は顔を見合わせた。
「「
そんな言葉で、私は膝を崩して、また泣いてしまった。
窓の外には、雨上がりの空が広がっていた。
まだ雲は多い。
けれど、その隙間から確かに光が差し込んでいる。
朔夜は、今も眠っている。
かぐやは、もういない。
何も解決していない。
それでも。
一人じゃない。
それだけで、少しだけ前を向ける気がした。
□
…………彩葉。
瞼の裏で、かぐやの笑顔が見えた気がした。
私のかぐや。ありがとう。
あなたがなぜ、私のもとに現れたのは今もわからないけど、あなたは私を救ってくれた。
不思議だね。かぐやとはいろんな事があって、いっぱい怒って、いっぱい困らされたけど、それでもずっと、最初から好きだった気がする。
かぐやはどう?
瞼の裏のかぐやは、何も考えずに笑っている。
私、かぐやの事忘れないよ。朔夜も絶対そうだから。
何年経っても、何十年経っても。
いつかこの笑顔が瞼の裏から消えてしまっても。絶対に。
私達は、かぐやとの思い出を胸に、前に進むよ。
おとぎ話のようなかぐやとの日々が終わり、彩葉には日常が戻ってきました。
けれど、朔夜はどうでしょうか。
朔夜はいまだに眠りについています。
まるで、王子を待つ姫のように。
これが、彩葉と朔夜とかぐやの物語。
めでたし、めでたし
「って、そんな風に終われるわけないっしょ!!」
あっぶねー、終わるところだった!幕下ろすところだった!
そんなわけない!このまま終われるわけない!
朔夜は起きていない。かぐやもいない。
そんなのは戻る日常じゃない!二人のいない日常は、日常なんかじゃない!
「このまま終われるかああああ!」
「うわぁっ!!」
ドバーンと職員室の扉を開いたら、先生がドバーンと椅子から跳ね上がる。
そのまま先生の机に進んで、提出したばかりの進路希望調査票をひったくった。
「すみません!もうちょい悩みます!」
「………ご、ごゆっくり」
引き気味の先生に見送られ、職員室を出た。
そのままマンションまで走って帰る。
別に走る必要なんてないけれど、急ぐ必要もないけれど、それでも走った。
過去の自分や、逡巡や、戸惑いや、恐れや、ためらい、その他諸々すべてを置き去りにして走り去る。
配信部屋に飛び込んで片づけたばかりのキーボードを引きずり出す。
あとPCとヘッドホンとエナドリとその他諸々をもちこんで。
「やるぞ!!」
あ、声が大きかったかも。
この部屋にはまだ朔夜が眠っている。
ずっと、近くで見守ってくれている。
「……ありがとね」
そう、朔夜に微笑んで、私はもろもろの場所への連絡を済ました。
「みんなありがとう!」
聞こえていなくてもしっかりと感謝を声に出し、頭を下げた。
ねえ、かぐや。私はね、あなたに言いたい事がある。
絶対に伝えなくちゃいけない事がある。
かぐやは花火の日に言ってたよね。
『もっと彩葉と歌いたかったし、朔夜と配信したかったなぁ~』
「私だって、もっと…………」
もっと歌いたかった。もっと話したかった。もっと遊んで。もっと出かけて。もっと色んな景色を見て。もっと笑いあって。
当然、三人で!
「もっと三人で居たかった!!」
この思いを歌にするんだ。今、どこにいるの。月にいるの?宇宙にいるの?
どこでもいいから届けてやる。後ろで寝てる朔夜にも聞かせてやる。
二人への想いを全部詰め込んだ曲を。力を貸して、お父さん。
キーボードに指を添えた。
そのタイミングを待ち構えていたように携帯電話が振動した。
着信だ。不思議と相手が誰だか察しがついた。
『お母さん 着信』
「もしも━━━」
「ああ、やっとではったね。根性なし」
私の一言めを待たずに、場違いに涼しい声が耳を刺した。
「私何回電話したかね?甘ちゃんやから話すの怖いもんね?学校も連絡入れずに休んでいらっしゃるそうで。大層な御身分やね。一人で生きてるつもりなんか?その自分中心を改めへん限り、あんたのことを誰も評価なんかせんよ。勝手に沈んでくれたとほくそえむだけや」
止まらない。すごいな、相変わらず。
耳元からスマートフォンを離してもクリアにお説教が聞こえてくる。
急速に充電が減っていくかのようだ。
こうやって私に何も答えさせず、矢継ぎ早に追い詰めて、ひたすらに揚げ足を挙げ連ねる、これがお母さんのやり方だ。
受け流せ、とお兄ちゃんは言ったけど私には無理だ。
「……ごめんなさい」
でも、今回だけはどう考えても私が悪いので、スタートは謝罪から入ることになる。
「反論を持たず謝ったらあかんで。私は謝罪されて黙るようなやわな人間やない。それともサンドバッグにしてええんか?」
そんな謝罪一つで母は揺るがない。そんなことはもうわかっている。
「聞いて、お母さん」
「……ええよ。……気を付けて話しいや。あんたが今から話す内容次第で、私は不可逆な決断を下すつもりでいるから」
「わかった」
少しの沈黙の後、私は大きく息を吸った。長ったらしい前置きは無駄だと知っている。
「……私、お母さんの理想にはなれへん」
「……」
「私、ずっと頑張って来てん。お母さんと対等に話せるようになるために。また家族になるために。でもさ、わかったんよね。お母さんと私は違う人間なんやって。同じ気持ちでいたいなんて、土台無理な話やった。でも……それでええ」
「……」
「お母さん、私やりたいことを見つけたい。誰かに褒められるためとかじゃなくて、認められるためとかじゃなくて、本当にやりたいことを見つけたい。私の人生をそのために使いたい」
「そうですか」
「だから、まだ応援してくれるなんて言うつもりはないよ。でもせめて、それを見つけるまでの時間を、……下さい」
スマートフォンを持つ手が震えた。
見える筈がないと分かっていても、深く頭を下げた。
母は、長時間黙り込むと、
「甘いんよ。あんたは昔から━━━」
もちろん揺らいでなんかいなかった。
そこからは昔のように、ただの言い合いになった。
スマートフォンを挟んだ直線距離二百キロメートルの口論の末に。
「ええよ」
母は急にそう言った。
「やってみ。ただ、好きなことをするには責任は付きまとう」
私は、どこか宙に浮いているかのような感覚に陥った。
「向いてたかどうかなんて、最後まで分からんし」
だから、全然分からなかった。
「最悪、誰もおらんとこで一人で倒れて、死ぬ事になる」
「それはないです」
「さ、さく……や……」
後ろから朔夜が急に立ち上がって、私のスマホを取った。
「あら?朔夜君やったっけ?久しぶりやな~。で、なんであんたが出るん?」
お母さんは誰かに邪魔される事を嫌う。
今、お母さんは私との会話の途中。朔夜はその邪魔をした。
「あなたがある事ない事言うからですよ」
「なにが?」
「彩葉が一人でうにゃららってとこですよ」
「俺は、彩葉の隣にいるって誓いました」
「あなたに今、伝えます」
「俺は、彩葉を一人にはさせません」
「彩葉が茨の道を歩むなら、俺は茨を一緒に受け止めます」
「彩葉が逃げるなら、俺も一緒に逃げます」
「彩葉がどこに行こうが、何をしようが、その隣に俺はいます」
「…………」
スマホからは数分、何も聞こえなかった。
「ほんなら、安心やね。頑張ってな」
プツリと、それだけ言い残して、一方的に通話は切れた。
「さ、朔夜!!」
今までの私なら、母に認めてもらえたら天にも昇る程に嬉しかった筈なのに。
気づけば私は朔夜に抱き着きこうとしといて、そんな自分に恥ずかしくなった。
「あ…えと……その………ごめん」
「ん?何が」
「えと、その、こっちの話……」
『俺は、彩葉を一人にはさせません』
(うぅ~……)
さっきの言葉を思い出すと、また頬が熱くなる。
「彩葉」
「ひゃ、ひゃい!」
そりゃ、変な声も出る。
「俺はこれから実家に帰る」
「え……実家って……」
「じいちゃんとばぁちゃんに会って、それから墓参りをしに行く」
「お父さんとお母さんの……?」
「あぁ、こんな時に隣にいれなくてごめん」
「それは……別にいいけど……」
「用事が終わったら、すぐ帰ってくる。……あと、色々と
そう言って、朔夜は配信部屋から出ていった。
朔夜の左腕の白銀のブレスレットが、少し茜色に輝いていた。
□
これは、地球から遠い遠い月のお話。
月に帰ったかぐや姫は、今日もばりばり仕事をしていました。
(暇だな……)
ただそれを思いながら、決まった仕事を繰り返していました。
(面白くない……)
頭に深い霧がかかり、地球での事はきれいさっぱり忘れています。
書類に文字を書き込み、署名を書き、判を押す。
かぐや姫でしか行えない仕事は、いない程に山ほど溜まっていました。
長い時間を、これから月で過ごす事になるでしょう。
「
「…………ん?」
次の話で急激に話が進みます。なんというか伏線というかそんなんを、回収します。
ちゃんと伏線張れてるかなぁ~と心配ですけども、た、多分だいじょうぶ。
なので短めかもです。