「こうして、俺は地球に来た」
「…………」
「ヤチヨ……かぐやが俺って分かったのは、俺が月人だったからだ。見たら分かるんだろ?」
「……うん。それに、朔夜がいつ行ったかは覚えてたから」
「…………さ、朔夜は…………」
彩葉が、ゆっくりと閉じていた口を開く。
「人間じゃ、ないの?」
俺は、その問いに迷いなく答えた。
「かぐやと一緒。外が人間に似てるだけの、月人。宇宙人だよ」
「……宇宙人」
彩葉は、俺の言葉をそのまま繰り返した。
理解しようとしているのに、理解が追いつかない。そんな声だった。
「……ちょっと待って」
額に手を当て、俯く。
さっきまで普通に会話していた相手が、突然「月から来た宇宙人です」と言い出したのだ。そりゃそうなる。
ヤチヨがかぐやってのも彩葉視点だとさっき言われたし。
「いや、待って。待って待って。情報量が多い」
「そうだろうな」
「そうだろうな、じゃないのよ……」
力なくそう言って、彩葉は畳に座り込んで思想に深く沈み込んだ。
視線は宙を彷徨い、何度も俺を見ては逸らす。
まるで、本当にそこにいるのか確かめるみたいに。
「……じゃあ、今までの話、全部本当なの?」
「ああ」
「月とか、かぐや様とか、地球の調査とか……」
「全部」
彩葉は黙り込んで、やがて小さく息を吸う。
「……そっか」
その一言は、驚きよりも、既に納得に近かった。
けれど、その次に続いた言葉は、ひどく震えていた。
「……じゃあ」
彩葉は、ぎゅっと自分の服を握る。
「朔夜も、いつか月に帰るの?」
彩葉の顔が、みるみるうちに曇っていく。
「……帰る、んだ」
「彩葉」
「帰るんだ……」
笑おうとして、失敗したような顔だった。
唇が小さく震えている。
「だって、朔夜の居場所は月なんでしょ?」
「……」
「ここじゃ、ないんでしょ?」
その言葉は、刃みたいだった。
俺に向けたものじゃない。
自分自身を傷つけるためのものだ。
「私達は……」
彩葉は俯き、前髪が彩葉の表情を隠す。
けれど、ぽたりと落ちた雫だけは、隠せなかった。
「隣じゃないの…………?」
胸がきつく締め付けられた俺は思わず、彩葉の名を呼ぶ。
「彩葉」
「いなくなるの……?」
その一言は、あまりにも弱々しかった。
いつもの彩葉からは想像もできないほどに。
言葉の代わりに、俺はそっと彩葉の手を握る。
冷たかった。
驚いたように、彩葉が顔を上げる。
涙で滲んだ瞳が、真っ直ぐ俺を見つめた
「俺は、ずっとここにいる」
「………………」
「絶対、彩葉の隣から勝手に消えたりはしない」
彩葉は、唇を噛んだ。
そして、堪えきれなくなったように、ぽろぽろとまた涙を零した。
「……ずるい」
「そんなこと言われたら、信じるしかないじゃん……」
泣きながら、微笑む彩葉は、きっと世界の誰よりも美しかった。
□
地球と同時刻の月にて。
バァァン!!!
「はぁ……はぁ……はぁ」
「ドウサレマシタ、ヒメ」
かぐやは、勢いよく襖を開け、息切れながらも声を捻り出した。
「なんで…………」
「…………?」
「なんで私から、さくやの記憶を消したの!!」
□
時は戻り、さくやが地球に向かってから地球で一年が経った頃。
「…………」
かぐや姫は、淡々と仕事をしていました。
いつも仕事から逃げまくっていたかぐや姫。
(い、忙しい!!)
しかし、別に仕事に熱情が出てきたという訳ではない。
さくやとの約束を待つ為に仕事を頑張っている訳でもない。
(さくやって凄いなぁ…………)
その実は、ただガチで仕事が終わらないだけでした。
さくやは、あくまでかぐやの仕事の補佐のはずでした。
しかし、さくやはアホ程にお節介だったのです。
(さくやは、調整してたんだ)
さくやは、かぐやがする仕事の量を減らしていました。
もちろん、かぐやに楽をさせて、遊ばせて、楽しんでもらう為です。
その残った仕事は、全てさくやが徹夜でやっていたのです。
よって、さくやがいなくなってから、再びかぐやは机にかじりつく事になったのです。
「終わんない~~~!!」
机に突っ伏したかぐやの叫びが、広い執務室に虚しく響いた。
さくやの変わりに周囲に控える月人たちは、慣れた様子で顔を見合わせる。
「ヒメ、オシズカ二」
「静かにして終わるなら、もうとっくに終わってるもん……」
ぐでっと机に伸びるかぐや。
その手元には、山のような書類。
以前なら、このあたりで背後から涼しい声が飛んできたはずでした。
――かぐや様、手が止まっています。
その声は、もうない。
かぐやは、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。
「……さくや、まだかな」
ぽつりと漏れたその言葉に、室内の空気が一瞬だけ固まる。
(あ、やば…………)
さくやが地球へと向かった事は、かぐやしか知らない。
月の民からは失踪として扱われ、上の偉い人達は気づいていたが、一先ずは姫の仕事の方が重要だと考えていた。
控えていた月人たちは互いに視線を交わし、やがて、一人が静かに頭を下げる。
「ヒメ。スコシオジカンヲ」
「ん?なに?」
「ヨバレテイマス」
「えー、今?」
「…………」
かぐやは露骨に嫌そうな顔をした。
こういうのは大体さくやが聞き、そしてかぐやに簡潔に分かりやすく伝えていた。
けれど、偉い人たちの呼び出しを無視するほど無鉄砲ではない。
渋々立ち上がり、かぐやは大広間へと向かった。
そこには、月の都を治める長老たちが並んでいた。
誰もが、ひどく重い表情をしている。
「……なに?そんな怖い顔して」
かぐやが首を傾げる。
(やっば~。さくやの事、バレちゃった?)
最年長の長老が、一歩前へ出た。
最年長の長老が、一歩前へ出た。
「姫。少々、お話がございます」
「……なに?そんな怖い顔して」
かぐやは首を傾げた。
内心では、嫌な汗が流れている。
(やっば。さくやのこと、バレた?)
しかし、長老の口から出たのは、別の言葉だった。
「最近、心ここにあらずのご様子。お疲れではありませんか」
「え?まぁ、ちょっと忙しいけど……」
「それだけではないでしょう」
その一言に、かぐやの肩がぴくりと揺れる。
長老は、まるで全てを見透かしているかのように、静かに続けた。
「何かを、待っておられるのでは?」
かぐやは、とっさに視線を逸らした。
図星だった。
月と地球を繋ぐ通信は、かぐやのブレスレットを介してのみ届く。
月の民は誰一人、その存在を知らない。
知っているのは、かぐやと、地球へ向かった朔夜だけ。
「……別に」
「姫」
厳しく、そして逃げ道を塞ぐ声音。
かぐやは唇を尖らせる。
「待ってるよ」
そう言って、胸元のブレスレットを握った。
「さくやからの連絡」
広間が静まり返る。
長老たちは、互いにわずかに視線を交わした。
「届きませんか」
「……うん」
かぐやは俯いた。
「でも、絶対来るもん」
その言葉に宿る確信は、本物だった。
だからこそ、長老たちは決断した。
最年長の長老が、ゆっくりと口を開く。
「姫。この月について、少しお話ししましょう」
「月?」
「本来、月の民は、今のようではありませんでした」
かぐやは顔を上げる。
「どういうこと?」
「姫ですら、その記憶を失っている」
「彼らは本来、悩まず、迷わず、ただ与えられた役目を果たすだけの存在」
長老の目が、遠い過去を見つめた。
「個も、感情も、希薄でした」
長老の言葉にかぐやは驚きを隠せない。
事実、そのような記憶は現在のかぐやに存在しなかった。
「……そんなの、つまんない」
「ええ。だから、我々は変化を加えたのです」
一瞬だけ、長老の表情が揺れた。
「ひとつの揺らぎを」
かぐやの胸が、不思議とざわつく。
「その揺らぎは、月に感情を、選択を、成長を与えました」
「……誰?」
長老は、ほんの僅かに目を細めた。
「今は、重要ではありません」
かぐやの疑問を意図していたかのように無視し、長老はそのまま続けた。
「しかし、揺らぎは大きくなりすぎた」
「……?」
「月全体が、一つの存在に影響され始めています」
かぐやは、自らの体がが悪寒に襲われているのが分かった。
「姫。あなたもまた、その中心にいる」
「何が言いたいの」
長老は、深く頭を下げた。
「かの者に関する全てを、封印いたします」
一瞬、かぐやの時間が止まった。
かの者が、誰を示しているのかはかぐやにとって聞くまでも無かった。
「……は?」
「月の民全てから。そして、姫からも」
「ふざけないで!」
かぐやは叫んだ。
「さくやは、私の――」
言葉が詰まる。
何より大切な存在。
そんな言葉で収まるのかすらも分からなかったけど。
その続きを、口にする前に。
床一面に、青白い光が広がった。
「やめて!!」
「姫を守るためです」
「守る!?奪うくせに!!」
長老の合図と共に、月全体へ光が走る。
都にいた月人たちが、一斉に動きを止めた。
まるで、書き換えられるように。
さくやという存在。
その名。
その記録。
その痕跡。
全てが、月というデータの世界から削除されていく。
かぐやは大きく息を呑んだ。
「さくや!!」
のブレスレットが、強く輝く。
最後の抵抗をするかのように。
だが、その光も徐々に弱まっていく。
笑顔。
叱る声。
優しい手。
約束。
ひとつ、またひとつ。
記憶が零れ落ちる。
「いや……!」
必死に頭を押さえる。
忘れたくない。
絶対に。
――いってきます。
最後に聞こえた、その声。
「さく……や……」
そして、かぐやの目から光が消えた。
かぐやは、その場に崩れ落ちる。
しばらくして、ゆっくりと顔を上げた。
「……あれ?」
頬を伝う涙。
その理由が、分からない。
腕には、見慣れないブレスレット。
「これなんだっけ」
長老は静かに答えた。
「……分かりませぬ」
かぐやは首を傾げた。
けれど、不思議と外そうとは思わなかった。
月の都では、誰もさくやを覚えていない。
彼がいた痕跡も、彼を知る者も、もういない。
ただ一つ。
地球から届くはずだった通信だけが、誰にも知られぬまま、静かに宙を漂っていた。
かぐやはヤチヨとのライブの日にはさくやの記憶までは復活しませんでした。
だから夏祭りの時のかぐやの言っていた月の世界は、さくやの存在が消された後の月となります。
そして、かぐやにその記憶を思い出させるトリガーとなったのは、かぐやが月に帰った後の彩葉の曲です。