「……まぁ、立ち話もなんですから」
朧がそう言って、静かに立ち上がる。
「月を案内します。せっかく来られたのですから」
「え、いいの!?」
かぐやがぱっと顔を輝かせた。
「もちろんです」
「やったぁぁ!!」
ぴょんっと飛び跳ねるかぐや。
その姿を見て、朧は少しだけ目を丸くした。
「……記録より、ずっと感情豊かな方なんですね」
「えへへ~!」
「まぁ昔は環境が環境だったしな……」
俺といた時は明るかったけど、多分あいつらは朧に教えてないんだろうし。
俺がぼそっと言うと、朧は少しだけ真面目な顔になる。
「……はい。資料で見ました」
「見なくていいもん見てんなぁ……」
「月では歴史教育の必修なので」
「やめろって……」
俺が頭を抱える横で、かぐやはもう観光モードだった。
「ねぇねぇ!どこ行く!?美味しいものある!?月アイスとかある!?」
「ありますよ」
「あるんだ!?」
「人気です」
「行く!!」
朧は少し困ったように笑う。
「では、まず中央街区へ」
「おー!」
「はしゃぎすぎるなよ」
「朔夜も楽しそうだよ?」
「……否定はしない」
正直、ちょっと楽しい。
こんな月は、想像だにしていなかったから。
□
数十分後。
「でっっっっか……」
俺は思わず足を止めた。
目の前に広がるのは、やはり巨大な立体都市だった。
空中を横断する透明通路。
ドーム内を泳ぐみたいに飛ぶ小型輸送機。
建物の壁面全部が映像広告になっていて、色んな映像が流れている。
しかも人が多い。
めちゃくちゃ多い。
「観光区ですので」
朧が説明する。
「現在の月は居住人口がおよそ二千万に上りました」
「増えすぎだろ」
「昔は数万人規模だったもんねぇ……」
かぐやもきょろきょろ周囲を見回していた。
その目は、本当に嬉しそうだった。
「……なんか、ほんとに生きてる場所になったんだ」
その声に、朧は静かに頷く。
「はい」
「昔の月を知る方達は、皆そう言います」
「…………」
「冷たいだけの場所ではなくなったと」
かぐやは少しだけ黙ったあと、ふわりと笑った。
「そっかぁ」
その笑顔を見て、朧が、ほんの少しだけ安心したみたいに息を吐いたのが分かった。
□
「こちらです」
案内されたのは、ガラス張りのカフェだった。
しかも外側で、果てしないような月面が見える。
「うわぁぁ……」
かぐやが窓際へ駆けていく。
地球が見える。
青くて、綺麗で、昔見た時より、ずっと近く感じた。
「人気スポットなんですよ。特に夕刻の時間帯は」
「夕刻って月にあったっけ……」
「擬似環境制御です」
「文明ぃ……」
俺が感心していると。
店員がこちらを見て、ぴたりと止まった。
「……?」
「えっ」
「え?」
「ええええええええええええ!?」
店員の叫び声に釣られて、店内がざわつき始めた。
「ちょっと待っ……」
「朔夜様!?」
「本物!?」
「教科書の!?」
「月界史の!?」
「革命家!?」
「うわほんとに顔一緒だ!!」
「朧様と並ぶと遺伝子感じる!!」
「遺伝子じゃねぇ!!!!」
店内中に響いた俺のツッコミ。
かぐやが腹抱えて笑ってる。
朧は顔を押さえていた。
「……だから少し嫌だったんです」
「朧も苦労してんだな……」
「毎回言われます」
「そりゃ言われるだろ……」
「……朔夜様」
その時小さな女の子が、おそるおそる近付いてきた。
ヤチヨっぽい銀色の髪。
「どうしたの?」
俺は片膝で立って、その子供と視線を合わせる。
「……ありがとう、ございました」
「……ん?」
「お母さんが言ってました」
少女はぎゅっと自分のスカートを抱きしめる。
「昔の月を変えてくれた人だって」
「…………」
「だから今、みんな笑って暮らせてるって」
店内が静かになる。
俺は少しだけ視線を逸らした。
周りには、期待だったり、驚嘆だったり、歓喜の感情を瞳に灯らせている人達がいた。
そんなつもりじゃなかったけど。
ほんとに、ただ、かぐやを連れ戻したかっただけだ。
月なんかはっきり言ってどうでもよかった。
「……そっか」
それでも、目の前で笑ってる人達を見ると。
少しくらいは、意味あったのかもしれないって。
そう思ってしまった。
「でもな、この月を作ったのは間違いなく朧だ」
「…………」
「まずは朧に、ありがとうって言えるか?」
「は、はい!朧様!いつもありがとうございます!!」
「え、あ、は、はい……」
「お母さんに、ありがとうって言っといてな」
俺は、なんとなくその子の頭を撫でる。
「はい!」
元気な笑顔を見せてくれたその子は、ぴゅ~っと帰っていった。
「朔夜様は………優しいのですね」
朧が後ろから声をかけてきた。
「そんなんじゃないさ」
「昔から、自分より小さい子には弱いだけだ」
□
店を出た頃には、ドーム都市の照明が少し落ち着いていた。
擬似夜間モード。
天井一面へ投影された星空が、静かに瞬いている。
「綺麗だねぇ~……」
かぐやが、隣を歩きながら呟く。
その手には、さっき買った月限定の謎スイーツ。
「さっきから食ってばっかだな」
「観光ってそういうものだもん!」
「違う気もするけど……」
そんなやり取りをしながら歩いていると、朧がふと足を止めた。
「……ここです」
案内されたのは、高層区画の外縁。
大きなガラスの向こうに、月面が見える場所だった。
遠くに広がる白い大地。
その上へ築かれた、光の都市。
そして黒い宇宙に浮かぶ、青い地球。
静かだった。
観光区の騒がしさが嘘みたいに。
「うわぁ……」
かぐやがガラスへ駆け寄る。
「ここ、好き!」
「代表専用の休憩区画ですので」
「いいのか?」
「今日は特別です」
朧は小さく笑った。
その笑い方が、少しだけ自然になっていた。
最初に会った時より、肩の力が抜けてる気がする。
「……地球、綺麗」
かぐやがぽつりと呟く。
朧も同じ方向を見る。
「ですが、まだ遠いです」
「ん?」
「今の月は、まだ完全には自立出来ていません」
朧の声は静かだった。
「街は発展しました。生活水準も上がりました」
「月の皆さんにも自己が生じました」
「けれど、閉鎖環境なのは変わらない」
「…………」
「資源循環も人口維持も、未だ綱渡りなんです」
朧は、ガラスの向こうに浮かぶ青い星を見つめながら言った。
「今の月は、まだ閉じた世界です」
「まぁ、いきなり月の住人ですって降りてこられても地球側が困るだろうしな」
「はい。確実に混乱してしまいます」
朧の声は静かだった。
「技術格差。文化差。寿命観。倫理観」
「月側にも地球側にも、急進派はいます」
「だから怖いんです」
かぐやが、少しだけ真面目な顔で朧を見る。
「……怖い?」
「はい」
朧は小さく頷いた。
「私は、この月を壊したくありません」
その言葉には、強い感情があった。
「せっかく、ここまで来たんです」
「皆で」
「ようやく、普通に笑って暮らせる場所になったのに」
「交流を始めれば、きっと変わります」
「いい方向にも、悪い方向にも」
だから、踏み出せない。
朧はそう言っているようだった。
「……私は、あなたみたいに強くない」
「またそれ言ってら」
俺は苦笑する。
「そもそも俺、そんな大層な人間じゃないぞ」
「教科書には――」
「その教科書燃やせ」
「国宝指定です」
「なんで教科書が国宝になってんだよ」
かぐやが隣で吹き出した。
笑ったあと、朧はまた静かに地球を見る。
「……それでも、いつかは向き合わなきゃいけないんです」
「月だけでは限界がありますから」
「…………」
その横顔は、代表の顔だった。
誰かを守る為に、怖くても考え続けてる顔。
「怖いっていっても、どこか楽しみなんだろ?」
「…なぜそう思うんです?」
「じゃなきゃ、俺の送ったかぐやの身体の作り方を使ってないだろうし。そもそもこのドームもそうだな」
「地球の環境に調整されてるこの世界は、朧の地球への希望の象徴。だろ?」
「朔夜様には敵いませんね……」
俺は、少しだけ息を吐いた。
本音を言わない所は、昔の彩葉に似ていたりもした。
「……なぁ、朧」
「はい」
「地球側で起こるだろうゴタゴタ、俺がある程度抑えてやるよ」
「………え?」
朧の目が、大きく見開かれる。
「ツクヨミ経由なら、段階的な接触くらいは出来るだろうし」
「でも、それは……」
「もちろん簡単じゃない」
俺は肩を竦める。
「俺は地球の一市民に過ぎないし、最初は日本。東京の限られたごく一部からだろうな」
「何年、何十年、何百年かかるかも分からない」
「だから少しずつだ」
「少しずつ、人を慣らしてく」
「…………」
「観光でも、文化交流でも、共同研究でもいい」
「いきなり世界丸ごと変える必要なんかないだろ」
朧が、呆然と俺を見る。
「……手伝って、くれるんですか」
「まぁ」
少し考えてから、俺は続けた。
「せっかく、朧がここまで頑張って作った月があるんだ」
「なら、ちょっとくらいは付き合う」
朧の瞳が、震えるみたいに揺れた。
嬉しそうで。
泣きそうで。
信じられないみたいな顔。
「……ほんとに、ずるい人ですね」
「最近よく言われるなぁ……」
「だって……」
朧は小さく笑う。
「それを言われたら、期待してしまうじゃないですか」
かぐやが、えへへ~と嬉しそうに俺へ抱きついてきた。
「朔夜、優しい~!」
「ん……ありがと」
「月の人達、絶対喜ぶよ!」
「まだ決まった訳じゃないけどな」
「でも、進むんでしょ?」
「……まぁな」
朧は、少しだけ安心したように目を細めた。
□
数時間後。
転移ゲート前。
「じゃあ、俺らは帰るわ」
「はい。本日は、本当にありがとうございました」
朧が深く頭を下げる。
その後ろでは、ラグナが号泣していた。
「再び!!歴史が!!動きますぞぉぉぉ!!!」
「うるさい」
「光栄ですぞ!!」
「めんどくせぇなこいつ……」
かぐやはそんなやり取りを見ながら、ふと思い出したように言った。
「そうだ!」
「ん?」
「朧も今度地球に来なよ!」
「え」
こう見ると、かぐやと朧の身長は今はそんなに変わらない。
まるで姉妹みたいだ。
「彩葉にもヤチヨにも紹介したい!」
「いや、ですが……代表が軽々しく地球へ行くのは……」
「俺の研究所ならいいだろ」
俺が言うと、朧がこちらを見る。
「ヤチヨの管理区域のツクヨミなら、外部露出も抑えられる」
「彩葉なら、多分お前と話したがるし」
「……推測ですが………研究者として、ですか?」
「いや、多分なんでこんなに似てるの?って」
「それは怖いですね……」
初めて見る、少し困ったような笑顔だった。
「でも」
朧は、少しだけ嬉しそうに続ける。
「……行ってみたい、です」
それはまるで遊園地に行く少女のようで。
「じゃあ次は地球観光だな」
「はい」
月を背負って。
未来を見て。
それでも不安で、でも前を向こうとしてる。
そんな朧を見ていると、不思議と放っておけなかった。
転移ゲートの光が、静かに明滅する。
「……あ」
ふと、俺は気付いた。
「そういや朧」
「はい?」
「朧に苗字ないのか?」
ラグナはよく分からんけど、朧ってのは日本名っぽし。
「……ありません」
朧は少しだけ視線を落とした。
「月では、個体名しか持たない人も多いので」
「あー……それはそうだな」
昔の月は管理番号文化に近かった。
名前だけある方がまだ人間らしいくらいで。
「だから私は、”朧”だけです」
「なるほどな」
俺は少しだけ考える。
それから、なんとなく口を開いた。
「ならさ」
「?」
「神代、使う?」
「……え」
「いや、嫌なら別にいいんだけど」
「朧は俺モデルで作られてんだろ?」
「だったら、まぁ……形式上は妹?みたいなもんじゃん」
「だから、必要なら使っていいぞ」
朧の瞳が、大きく揺れる。
「…………」
言葉が出ないみたいだった。
ラグナなんか後ろで口押さえて震えてるし。
「いや、そんなに重く考えんなって」
「地球側で身分作る時とか、姓あった方が便利だろうし」
「その程度だよ」
「……その程度で」
朧が、小さく呟く。
「そんなもの、渡さないでください……」
その声は少し震えていた。
俺は眉をひそめる。
「そんな大したもんか?」
「大したものです」
朧は、ぎゅっと自分の服を掴んだ。
「私には…ずっと無かったものだから」
「…………」
月で生まれた存在。
作られた代表。
月を背負う為の器。
そんな風に育った朧にとって、家族の証みたいなものは、多分初めてだったんだろう。
「……嫌、じゃないんですか」
「なにが」
「自分を模して作られた存在に、自分の姓を与えるの」
「別に」
俺は肩を竦めた。
「朧は、ちゃんと頑張ってんじゃん」
「…………っ」
「月守って。皆守って。怖くても前向こうとして」
「なら俺にとっては十二分、満点だ。花丸をあげよう~」
朧が、俯く。
長い黒髪が揺れて、表情が隠れた。
ぽたり、と小さな雫が落ちた。
「朔夜が女の子、泣かした~」
「違っ、俺悪くなくない!?」
かぐやが横でけらけら笑ってる。
朧は慌てて目元を押さえた。
「……申し訳、ありません」
「あ、謝んなって!」
「だって、こんなの……知らないので……」
声が少し掠れていた。
俺は困ったように頭を掻く。
それから自然と、昔、月にいた頃のかぐやにしたみたいに。
ぽん、と朧の頭へ手を置いた。
「ゆっくり慣れればいいだろ」
「家族とか、そういうの」
「…………はい」
朧は小さく頷く。
その顔は、最初に会った代表の顔じゃなかった。
少しだけ年相応の、安心した女の子みたいな顔だった。
「では改めて……」
朧は涙を拭いて、少しだけ照れたように笑う。
「神代朧として、よろしくお願いします」
「おう」
「よろしくね~、朧ちゃん!絶対また会お!!」
転移ゲートの光が、静かに俺達を包み込んでいった。
朧が初めて地球に来るエピソードもいつか書きますが、次回はちょっと別のお話です。
あぁ、バットエンドじゃないです。良かったですね。
IFバットエンド見たいっすか?
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黙れ、純愛しか認めんぞ
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来い!来てみろ!かかってこい!!