今回ちょっと長いっす!まぁ必然的に長いんですけど。
「うん……多分、大丈夫」
今日は、朔夜から初めてお出かけに誘われた。
そりゃ大学生の頃に、二人でどこかに行ったりはしたけれども。
それはなんとなく、流れで二人で言っていただけで。
そういうのはデートとは言わない気がして。
………私が勝手に思ってるだけだろうけど。
「うんうん!彩葉、似合ってる!」
「ちょ~可愛いよ!!」
………かぐやとヤチヨにも褒められた。
同じ家に住んでるけど、現地集合にしてみた。
お洒落とかしたら………褒めてくれるかなと思ったから。
「ふぅ~……よしっ!」
集合場所で朔夜を見つけた私は、気合いを入れなおして、声をかける。
「朔夜」
「お、来た」
「ごめんね。待たせちゃった?」
「まぁ俺の方が、早く出たしな」
「た、確かにね」
「そんじゃ行くか~」
「う、うん」
あれ、こんなので合ってたっけ。
私の話し方、こんなのだったっけ?
もっと……なんか自然な感じで………。
だめだ、思い出せない。
朔夜に、変だって思われるかも。
「……彩葉?」
「っ、な、なに?」
「いや。なんか今日、緊張してね?」
図星を突かれて、肩が跳ねる。
そんなに分かりやすかったんだ。
「べ、別に……そんなこと……」
「ふーん?」
朔夜はわざとらしく覗き込んできて、私の顔を見たあと。
ふっと、小さく笑った。
「まぁでも」
「?」
「今日の彩葉、めっちゃ可愛いよ」
「へ?」
一瞬、私の思考が止まった。
「髪型も違うし。服も、靴も。ちゃんと気合い入れて来た感じする」
「ぁ……」
気付いて、くれた。
全部。
かぐやとヤチヨに、ショッピングに付き合ってもらって。
前髪どうするかとか。
靴これ派手かなとか。
ネックレス付けるかとか。
そんなの全部、朔夜はちゃんと見てくれていた。
「に、似合ってる……?」
「ん。かなり」
「…………っ」
熱い。
顔が、絶対赤い。
「そ、そう……なら、よかった……」
「なんだそれ」
朔夜は楽しそうに笑う。
その笑い方を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
あぁ。
そっか。
別に、完璧に喋ろうとしなくていいんだ。
変に見られないように、とか。
ちゃんとしなきゃ、とか。
そんなのばっか考えてたけど。
目の前の幼馴染は、昔からずっと。
私がどんなでも、ちゃんと私を見てくれる人だった。
「……朔夜」
「んー?」
「今日、誘ってくれてありがと」
「こちらこそ。来てくれてありがとな」
そう言って。
朔夜は当たり前みたいに、再び私の歩幅に合わせて歩き出した。
その瞬間に、今日のデートは絶対楽しい。
そんな確信が、胸の中にふわっと広がった。
□
「おっき………」
「でかい……圧倒的でかさ」
私達が来たのは、水族館。
電車に三十分程、揺られてきたので私もこんな所知らなかった。
今は、大水槽に二人共圧倒されている所だ。
「お、イワシ」
イワシの群れが、大きな渦を作りだす。
銀色の身体が、照明を受けてきらきら光っていた。
まるで、水槽の中に星空があるみたいだった。
「……すごいね」
「な。なんか、ずっと見てられる」
「うん」
水槽の前は、平日だからかそこまで混んでいなかった。
子供連れの家族。
制服姿の学生。
手を繋いだカップル。
その中で、私と朔夜は少しだけ距離を空けて並んでいた。
近すぎず。
遠すぎず。
昔からの距離。
「……」
でも今日は、その距離が少しだけもどかしい。
ちらりと横を見る。
朔夜は、水槽を見上げていた。
青い光が、横顔を淡く照らしている。
大学生の頃も、こういう横顔を何度も見た。
研究室で。
帰り道で。
夜遅くのコンビニで。
小学生の頃も、何度も見た。
学校からの帰り道。
公園で遊ぶ時。
一緒に泊まった時。
中学生でも、高校性でも。
かぐやの配信を手伝ってる時でさえ。
いつも、ほんの少し眠そうで。
でも、考えてる時だけ目が鋭くなる。
変わらない。
ずっと。
今だから分かるだけだけど。
……ずっと、好きだったんだろう。
「彩葉?」
「っ」
急に名前を呼ばれて、肩が跳ねた。
「な、なに?」
「いや。めっちゃ真剣な顔してたから」
「水槽を見てただけ」
「ほんとに?」
「ほんと」
「ふーん」
朔夜は、少しだけ笑った。
その顔がずるい。
昔から、そうだ。
私が隠したいことほど、何となく気付く。
でも、全部を暴くようなことはしない。
優しいのか。
鈍いのか。
分かってて逃げてるのか。
……多分、全部なんだろう。
「次、クラゲ見に行くか」
「うん」
私達は、大水槽の前を離れた。
通路を歩く間、壁の水槽を小さな魚が泳いでいる。
青。
黄色。
白。
名前も知らない魚達。
朔夜は時々立ち止まって、説明プレートを読んでいた。
「これ、擬態するんだって」
「へぇ」
「すごいよな。生き残るために形まで変えるんだもんな」
「朔夜、そういうの好きだよね」
「好きだな。仕組みがあるものは大体好き」
「じゃあ私は?」
言ってから、しまったと思った。
何を聞いてるんだろう。
急に。
重い。
変だ。
「……」
朔夜が、少しだけ固まる。
私は慌てて言葉を足そうとした。
「今のは、その、別に深い意味じゃなくて」
「好きだよ」
「…………へ?」
あまりにも普通に返されて、思考が止まった。
朔夜はプレートから目を離して、こっちを見る。
「彩葉は………好きだよ」
「……ちょっと間あったけど?」
「褒めてる」
「絶対適当でしょ」
「いや本気」
本気、という言葉に、胸が少し鳴った。
でも。
私はすぐに、心の中でブレーキを踏んだ。
違う。
これは、そういう意味じゃない。
朔夜は優しい。
昔からそうだ。
同級生にも。
かぐやにも。
ヤチヨにも。
私にも。
だから、勘違いしちゃだめなんだ。
もう、分かっている。
ヤチヨには、朔夜から言った。
かぐやには、かぐやからだけど、朔夜はちゃんと受け止めた。
二人とも特別で。
ちゃんと、物語みたいな日があって。
私は。
私は多分、そこに最初から居すぎた。
近すぎて。
当たり前すぎて。
今さら特別な言葉なんて、もらえるはずがない。
「……そっか」
私は、笑った。
ちゃんと普通に笑えたと思う。
「ありがと」
「ん」
朔夜はそれ以上何も言わなかった。
それが少しだけ、苦しかった。
でも、同時に安心もした。
これでいい。
今日はデートみたいで。
服も褒めてもらえて。
一緒に水族館を歩けて。
それだけで、十分すぎるくらい嬉しい。
欲張ったらだめだ。
そう思った。
□
クラゲの展示室は、他の場所よりもずっと暗かった。
丸い水槽の中で、半透明のクラゲがゆっくり漂っている。
青い光。
紫の光。
白く揺れる傘。
音も、少し遠い。
まるで水の底に沈んだみたいだった。
「……綺麗」
思わず、声が漏れた。
「だな」
隣で朔夜が頷く。
クラゲは、何も考えていないみたいに見える。
ただ水流に乗って、ふわふわと漂っている。
でも、本当は生きている。
ちゃんと動いている。
ちゃんとそこにいる。
「彩葉っぽいな」
「え?」
「いや、なんか」
朔夜は少し言葉を探す。
「静かだけど、綺麗っていうか」
「……それ、クラゲと一緒ってこと?」
「言い方を間違えた気がする」
「ふふ」
思わず笑ってしまった。
朔夜が少し安心したように息を吐く。
「でも、分かるよ」
「分かるのか」
「うん」
私は水槽へ目を戻す。
「私、こういう静かな場所好きだから」
「知ってるよ」
その言い方が、自然すぎた。
知ってる。
ただそれだけなのに。
長い時間を一緒にいたことが、その一言に詰まっている気がした。
「……朔夜は、よく覚えてるよね」
「何を?」
「私の……好きなものとか」
「そりゃ覚えてるだろ」
「どうして?」
「どうしてって……」
朔夜は少しだけ困った顔をした。
「彩葉のことだし」
胸が、また鳴る。
やめてほしい。
そういうことを、そんな普通に言わないでほしい。
期待してしまうから。
「……そっか」
私はまた、同じように笑った。
ちゃんと笑う。
ちゃんと普通に。
今日を壊したくない。
「次、行こっか」
「ああ」
そう言って歩き出そうとした時。
ふいに、手が触れた。
指先が、ほんの少しだけ。
「あ」
「……」
一瞬、二人とも止まる。
それだけだった。
ただ触れただけ。
でも、私は反射的に手を引きかけて。
その前に、朔夜の指が私の指をそっと掴んだ。
「……朔夜?」
「人、増えてきたし」
「ここ、そんなに混んでないよ」
「……」
「……」
朔夜は、少しだけ視線を逸らした。
珍しい。
本当に珍しく、言い訳が下手だった。
「……繋ぎたいなら、そう言えばいいのに」
自分でも驚くくらい、小さな声だった。
でも、朔夜には届いた。
「……繋ぎたい」
その返事も、驚くくらい小さかった。
指先から、熱が広がる。
私は何も言えなくなって。
ただ、そっと握り返した。
昔から隣にいた人の手なのに。
こんなに緊張するなんて、知らなかった。
□
水族館を出ると、外の光が少し眩しかった。
さっきまで青い世界にいたからか、空の色がやけにはっきり見える。
「結構見たな」
「うん。思ったより長くいたね」
「昼過ぎてるし、何か食べるか」
「そうだね」
朔夜はスマホで周辺を軽く調べてから、少し先を指差した。
「近くにショッピングモールあるっぽい」
「へぇ。こんな所にあるんだ」
「飯食って、少し見て回るか」
「うん」
そう返事をしたあとで、少しだけ胸が跳ねた。
水族館だけじゃない。
まだ、続くんだ。
今日が。
朔夜と二人きりの時間が。
そう思っただけで、足取りが少し軽くなった。
□
ショッピングモールは、休日ほどではないけれど、それなりに人がいた。
吹き抜けの広い通路。
ガラス張りの天井。
並んだ店の明かり。
どこからか聞こえる子供の笑い声。
水族館の静けさとは全然違う。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
「何食べたい?」
「朔夜は?」
「俺は何でも」
「一番困る答え」
「じゃあ、彩葉が食べたいもの」
「それも困る」
「難しいな……」
二人でフードコートを一周して、結局少し落ち着いたレストランに入った。
向かい合って座ると、なんだか急にデートっぽさが増した気がして、少しだけ背筋が伸びる。
「彩葉、メニュー決まった?」
「うん。パスタにする」
「じゃあ俺も」
「真似した」
「選ぶの楽」
「そういうところ」
「悪かったって」
そんな会話をしながら、料理を待つ。
こういう時間も、私は好きだった。
特別な話をするわけじゃない。
大きな事件が起きるわけでもない。
ただ一緒にいて、同じものを見て、同じように笑う。
昔から何度もあったはずなのに。
今日は、少しだけ違う。
水族館で繋いだ手の感触が、まだ指先に残っていた。
「……彩葉」
「ん?」
「今日、楽しいか?」
急に聞かれて、私は少しだけ目を瞬いた。
「楽しいよ」
「そっか」
「朔夜は?」
「楽しい」
すぐに返ってきた。
その返事が、思っていたより嬉しくて、思わず俯く。
「……なら、よかった」
「なんで彩葉が安心するんだよ」
「だって、誘ったのは朔夜だけど」
「うん」
「でも、こういうの……慣れてなさそうだから」
「まぁ慣れてはない」
「だよね」
「でも」
朔夜は、水の入ったグラスを少し指で回した。
「彩葉となら、楽だなって思った」
「……それ、褒めてる?」
「褒めてる」
「なら、受け取っておく」
少し拗ねたように言うと、朔夜が笑った。
その顔を見て、胸の奥が温かくなる。
楽しい。
本当に、楽しい。
だからこそ、余計なことは考えないようにした。
今日はこうして二人で出かけられて。
服も褒めてもらえて。
水族館で手も繋げて。
今も、向かい合ってご飯を食べている。
それだけで、十分。
十分すぎる。
そう、自分に言い聞かせた。
「彩葉?」
「……なに?」
「また考え込んでる」
「そんなことない」
「ある」
「ない」
「ある」
「ない」
「じゃあパスタ冷めるぞ」
「あ」
慌ててフォークを取ると、朔夜が小さく笑った。
その笑顔を見て、胸が少し痛くなる。
好きだな、と思った。
今さら過ぎるくらい、当たり前に。
□
食事のあと、私達はモールの中をゆっくり歩いた。
雑貨屋に入って、かぐやが好きそうな変なクッションを見つけたり。
ヤチヨが喜びそうな星形のライトを眺めたり。
本屋で、朔夜が専門書の棚からしばらく帰ってこなくなったり。
「デート中に専門書読む?」
「表紙だけ」
「三ページ読んでた」
「誤差」
「誤差じゃない」
「でも面白かった」
「それはよかったね」
呆れて言うと、朔夜は少し気まずそうに本を戻した。
「ごめん」
「別に。朔夜らしいし」
「それ、許されてるのか?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「後で何か奢ってもらう」
「りょ~かい」
その後、アクセサリーショップの前を通った時。
私は無意識に足を止めてしまった。
ガラスケースの中に、小さな月の形をしたネックレスが並んでいる。
銀色で、控えめで。
でも角度を変えると、ほんの少し青く光る。
「気になる?」
「え? あ、ううん。ただ見てただけ」
「入るか」
「いいよ。見るだけだし」
「見るだけでもいいだろ」
そう言って、朔夜は自然に店へ入っていく。
私は少し慌てて後を追った。
店員さんに軽く会釈して、ショーケースを覗く。
近くで見ると、やっぱり綺麗だった。
派手じゃない。
でも、ずっと身に着けていられそうなデザイン。
「こういうの彩葉、好きそう」
「……分かるんだ」
「まぁ、長いし」
長いし。
その言葉が、少しだけ胸に引っかかる。
でも、嫌な感じじゃなかった。
むしろ、長い時間をちゃんと見てくれていたみたいで、少し嬉しかった。
「試してみますか?」
店員さんに声をかけられて、私は少し迷う。
「いえ、今日は――」
「お願いします」
朔夜が先に答えた。
「朔夜」
「見るだけでもいいんだろ?」
「……そうだけど」
店員さんがネックレスを出してくれる。
私は鏡の前で、それを首元に当てた。
小さな月が、鎖骨のあたりで淡く光る。
「……どう?」
聞いてから、心臓が跳ねた。
何を聞いてるんだろう。
でも朔夜は、鏡越しに私を見て。
少しだけ黙ったあと、言った。
「似合ってる」
「……ほんと?」
「うん」
「今日の服に?」
「今日の服にも。彩葉にも」
「…………」
顔が熱くなる。
店員さんが微笑ましそうにしているのが分かって、余計に恥ずかしい。
「じゃあ、外すね」
「買う」
「え?」
「それ、買う」
「ちょ、待って。高いかもしれないし」
「そこまでじゃない」
「でも」
「今日の記念、な。」
その言葉に、息が止まった。
今日の、記念。
朔夜にとっても、今日が少しでも残したい日なんだと思ったら。
もう何も言えなくなった。
「……ありがとう」
「ん」
会計を済ませたあと、朔夜は袋に入れてもらうか聞かれて、少し考えてから私を見る。
「着けてく?」
「……うん」
店員さんに付けてもらう間、私はずっと鏡を見ていた。
首元の小さな月。
それが、少しだけ私のものじゃないみたいで。
でも、確かに私の胸元で光っていた。
□
夕方になった。
モールの外へ出ると、空が淡い橙色に染まっていた。
「結構歩いたね」
「足痛くないか?」
「大丈夫。靴、歩きやすいのにしたから」
「そっか」
「……もしかして、気付いてた?」
「朝から」
「そういうの、ほんとよく見てるよね」
「彩葉のことだからな」
また。
そんな風に言う。
胸が、痛いくらい温かくなる。
でも私は、何も言わなかった。
言ってしまえば、今日が変わってしまう気がしたから。
このままでも十分幸せで。
これ以上を望んだら、欲張りすぎな気がしたから。
その時、モールの奥にある案内板が目に入った。
屋上エリア。
観覧車。
「……観覧車あるんだ」
私がぽつりと言うと、朔夜も看板を見た。
「あ、本当だ」
「ショッピングモールに観覧車って、珍しいね」
「乗る?」
「え?」
思わず聞き返す。
朔夜は少しだけ視線を逸らした。
「嫌ならいいけど」
「嫌じゃない」
即答してしまった。
朔夜が目を瞬く。
私は慌てて言い直す。
「その……乗ってみたい」
「じゃあ行くか」
「うん」
屋上へ向かうエレベーターの中で、私は胸元のネックレスにそっと触れた。
小さな月が、指先に当たる。
今日はもう、十分すぎる。
そう思っていた。筈なのに。
□
観覧車は、思っていたより大きかった。
屋上の端に設置されていて、夕焼けの空へゆっくりと回っている。
ゴンドラが一つずつ降りてきては、人を乗せて、また高く空へ上がっていく。
「高いところ平気だろ?」
「うん。朔夜は?」
「まぁ、飛行機よりは」
「比較対象がおかしい」
係員さんに案内されて、私達はゴンドラに乗り込んだ。
向かい合って座る。
扉が閉まる。
小さく機械の音がして、ゆっくりと足元が地面から離れていく。
「……わ」
思わず声が漏れた。
モールの屋上が、少しずつ下へ離れていく。
歩いてきた通路も、店の明かりも、人の流れも、全部が小さくなっていった。
遠くには街並み。
その向こうには、夕焼けに沈みかけた空。
「綺麗だね」
「だな」
朔夜は窓の外を見ていた。
夕方の光が、横顔を淡く染めている。
私は胸元のネックレスに、そっと触れた。
さっき朔夜が買ってくれた、小さな月。
今日の記念。
その言葉を思い出すだけで、胸の奥がきゅっとなる。
今日一日、ずっと楽しかった。
水族館で手を繋いで。
レストランで向かい合ってご飯を食べて。
モールを歩いて。
ネックレスまで買ってもらって。
最後に、二人だけで観覧車。
もう、十分すぎる。
十分すぎるはずなのに。
どうしてだろう。
観覧車が高く上がるにつれて、胸の奥に沈めていたものまで、一緒に浮かび上がってくる。
「彩葉」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
朔夜は、窓の外じゃなくて、私を見ていた。
いつもの少し眠そうな顔じゃない。
真面目で。
少し緊張していて。
でも、目を逸らしていない。
その表情を見た瞬間、心臓が跳ねた。
「今日、ありがとな」
「……それ、私が言うことだよ」
「いや。俺が言いたかった」
「……そっか」
ゴンドラはゆっくり上がっていく。
街の音はもう、ほとんど届かない。
小さな箱の中に、私達二人だけが取り残されたみたいだった。
「彩葉」
「うん」
「今日誘ったの、流れじゃないから」
息が、止まった。
「水族館行って、飯食って、モール見て回って」
「……うん」
「観覧車乗って」
朔夜は、少しだけ息を吸う。
「こういうのを、ちゃんと彩葉としたかった」
胸の奥が、痛いくらい熱くなる。
「かぐやでも、ヤチヨでもなく」
一拍。
「彩葉と、二人で」
「……っ」
嬉しい。
嬉しいのに。
その言葉が、胸の奥にずっと押し込めていたものを、乱暴に揺らした。
やめて。
そんな風に言わないで。
期待してしまう。
ずっと我慢してたのに。
今日はこれだけで十分だって、何度も自分に言い聞かせてたのに。
「……朔夜」
自分の声が、少し震えた。
「ん」
「私ね」
言わないつもりだった。
今日を壊したくなかった。
重いって思われたくなかった。
面倒だって、困った顔をされたくなかった。
これからを、壊したくなかった。
でも。
もう、無理だった。
「もう、ないと思ってた」
朔夜の目が、わずかに揺れる。
「……何が?」
「こういうの」
声が震える。
胸元の月を握る指先にも、力が入る。
「デートに誘われたり」
「可愛いって言われたり」
「手を繋いだり」
「プレゼント、もらったり」
「そういうの全部は…………もう私には、ないんだって思ってた」
言葉にした瞬間、涙が滲んだ。
でも口が止まらない。
「ヤチヨには、朔夜から言ったでしょ」
「……」
「かぐやには、ライブの真ん中でちゃんと応えた」
「……うん」
「二人には、ちゃんと特別な瞬間があった」
声が少しずつ大きくなる。
分かってる。
落ち着かなきゃ。
そう思うのに。
ずっと積もっていたものが、もう止まらない。
「でも私はっ……私は、昔から近くにいすぎたから」
「幼馴染だから」
「当たり前みたいに隣にいたから」
「今さら、そういう言葉なんて、もらえないんだってっ……!」
視界が滲む。
朔夜の顔が、少しぼやける。
「今日だって!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
狭いゴンドラの中で、自分の声が跳ね返る。
それが頭の中で反芻されて、また自分が嫌になる、
「今日だって、すっごく嬉しかった!」
「朝、可愛いって言ってくれたのも!」
「服も靴も気付いてくれたのも!」
「水族館で手を繋いでくれたのも!」
「ネックレス買ってくれたのも!」
「全部、全部嬉しかった!」
涙が頬を落ちる。
もう止められない。
「でも、嬉しいたびに苦しかった!」
「これ以上欲しがっちゃ駄目だって思った!」
「私は、これで十分だって!」
「十分だって思わなきゃって!」
「だって、欲しがって、困らせたら嫌だったから!」
朔夜は何も言わない。
ただ、逃げずに聞いている。
その顔を見たら、余計に胸が苦しくなった。
「ずっと待ってたのに……!」
声が震える。
でも、止まらない。
「ずっと、ずっと本当は想ってたのに!」
「大学の時も!」
「その前からも!」
「朔夜が無茶して、私が怒って!」
「それでも最後は手伝って!」
「当たり前みたいに隣にいて!」
「それが嬉しくて!」
「でも、それだけじゃ足りなくて!」
喉が痛い。
胸が熱い。
涙で、息がうまくできない。
もう、だめだ。
「私だって、選ばれたかった!」
叫んだ瞬間。
自分でも、はっとした。
ゴンドラの中が、静まり返る。
言ってしまった。
一番、言いたくなかった言葉。
一番、聞いてほしかった言葉。
「……っ」
私は慌てて俯いた。
涙が、ぽたぽたと膝に落ちる。
「ご、ごめん……」
声が、小さくなる。
「こんなこと、言うつもりじゃなかった」
「今日、楽しかったのに」
「せっかく、朔夜が誘ってくれたのに」
「重いよね、こんなの」
「ごめん……」
胸元のネックレスを握る。
小さな月が、指の中で冷たく光っていた。
「でも……」
消えそうな声で、続ける。
「もう、抑えられなかった」
「私、ずっと……」
言葉が詰まる。
その先を言ったら、もう戻れない気がした。
でも、朔夜は静かに私の名前を呼んだ。
「彩葉」
「……なに」
顔は上げられなかった。
すると、朔夜がゆっくり立ち上がった。
ゴンドラが少し揺れる。
「ちょ、危ないよ」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「彩葉」
もう一度、名前を呼ばれる。
今度は、すぐ近くから。
気付けば朔夜は、私の隣に座っていた。
向かい側じゃない。
隣。
いつもの場所。
でも、今までとは違う距離。
朔夜の手が、私の手に触れる。
胸元のネックレスを握っていた指を、そっと解かれた。
「……ごめん」
その声が、あまりにも真剣で。
私は、ようやく顔を上げた。
朔夜は、痛そうな顔をしていた。
私が泣いていることが、自分のことみたいに苦しいみたいな顔。
「そう思わせたのは、俺だ」
「……違う」
「違わない」
朔夜は、静かに首を振る。
「彩葉がずっと隣にいてくれることに、甘えてた」
「何も言わなくても分かってくれるって、どこかで思ってた」
「怒ってくれるのも」
「止めてくれるのも」
「最後に手伝ってくれるのも」
「全部、当たり前にしてた」
「……」
「でも、当たり前じゃなかった」
朔夜の指が、私の手を包む。
少し冷えていた指先に、熱が戻ってくる。
「彩葉は、ずっと選んでくれてたんだよな」
「俺の隣にいることを」
涙が、また落ちる。
「……私は」
「うん」
「選んでたよ」
声が震えた。
「ずっと」
「知るのが遅くて、ごめん」
「遅いよ……」
「うん」
「遅すぎるよ……」
「うん」
「ばか……」
「うん」
「ほんとに、ばか……」
「ごめん」
朔夜は、何度でも受け止めるみたいに頷いた。
それが余計にずるい。
「でも」
朔夜が、私の手を少しだけ強く握る。
「今日誘ったのは、流れじゃない」
「……」
「彩葉に、ちゃんと言うためだった」
息が止まる。
「水族館も」
「ご飯も」
「ショッピングモールも」
「この観覧車も」
「全部、彩葉と来たかった」
「……ほんとに?」
「ほんと」
「私に、言うため?」
「うん」
ゴンドラが、頂上に近づいていく。
窓の外いっぱいに、夕焼けが広がる。
街の向こうに、薄い月が見えた。
胸元の小さな月と、空の月。
その両方が、どこか滲んで見える。
「彩葉」
朔夜は、逃げなかった。
私の手を握ったまま。
私だけを見て。
「好きだ」
時間が止まったみたいに、私の頭も止まった。
「幼馴染だからじゃなくて」
「長く一緒にいたからだけでもなくて」
「彩葉がいい」
涙が、また一粒落ちる。
でも今度は、悲しいだけじゃなかった。
「怒ってくれるところも」
「面倒見が良すぎるところも」
「本当は不安なのに、最後まで平気な顔しようとするところも」
「俺の無茶を止めるくせに、最後は一緒に背負ってくれるところも」
「全部、大好きだ」
「……っ」
息が詰まる。
言葉が、出ない。
ずっと欲しかった。
ずっと聞きたかった。
でも、聞けないと思っていた言葉。
それが今、私だけに向けられている。
「だから」
朔夜は、少しだけ息を吸った。
緊張しているのが分かる。
手のひらから、伝わってくる。
それが、どうしようもなく嬉しい。
「これから先も、俺の隣にいてほしい」
「当たり前じゃなくて」
「流れでもなくて」
「俺が、彩葉を選びたい」
涙で、視界がぐちゃぐちゃになる。
「俺と」
朔夜は、私の手を両手で包んだ。
不器用で。
でも、とても丁寧に。
「結婚してくれ」
声が出なかった。
ゴンドラが、ちょうど頂上へ辿り着く。
夕焼けと夜の境目で、街の灯りが一つずつ点き始める。
水族館の青。
モールの明かり。
胸元の小さな月。
そして今、この空。
全部が、今日という一日に繋がっている。
「……ほんとに?」
やっと出た声は、情けないくらい震えていた。
「ほんと」
「私で、いいの?」
「彩葉がいい」
即答だった。
「……ずるい」
「うん」
「そんなの……ずるいよ」
「ごめん」
「謝らないで」
「……うん」
「嬉しいから………ほんとに」
また涙が落ちる。
私は、朔夜の手を握り返した。
ぎゅっと。
逃がさないみたいに。
逃げられないように。
「なる」
声が震える。
でも、ちゃんと届くように。
「私は、朔夜の家族になる」
朔夜の表情が、少しだけ緩んだ。
その顔を見た瞬間、胸がいっぱいになって。
私はもう一度、少しだけ大きな声で言った。
「なるから!」
「ちゃんと、なるから……!」
「だからもう、私のこと当たり前みたいにしないで!」
「ちゃんと見て!」
「ちゃんと選んで!」
「ちゃんと、可愛いって言って!」
朔夜が、少し目を丸くする。
それから、困ったように笑った。
「……分かった」
「遅かった分、いっぱい言って」
「うん」
「いっぱい埋め合わせして」
「うん」
「逃げないで」
「逃げない」
「ほんとに?」
「ほんと」
「約束」
「約束する」
私は泣きながら、少しだけ笑った。
「……今日の私、可愛い?」
朔夜は一瞬だけ照れたように視線を逸らした。
でも。
すぐに、ちゃんと私を見た。
「可愛いよ」
「もう一回」
「可愛い」
「もう一回」
「……可愛い」
「もっと」
「要求多くないか?」
「遅かった分」
「……そうだった」
朔夜は観念したように息を吐いて。
でも、どこか優しく笑った。
「今日の彩葉は、すごく可愛い」
「髪も、服も、靴も」
「そのネックレスも」
「全部似合ってる」
「でも、多分」
一拍。
「今、笑ってる顔が一番可愛い」
「…………っ」
また泣いた。
もう、どうしようもなかった。
涙が止まらないのに、笑ってしまう。
嬉しくて。
悔しくて。
やっと届いて。
やっと言ってもらえて。
「……ばか」
「うん」
「ほんと、ばか」
「うん」
「でも、好き」
小さく言うつもりだった。
でも、少し声が大きくなった。
「私も、朔夜が好き!」
「ずっと好きだった!」
「ずっと、ずっと!」
「もう、本当に、ずっと!」
言ったあと、顔が一気に熱くなる。
「……っ、い、今のなし」
「なしにはしない」
「して」
「しない」
「朔夜」
「嬉しかったから、しない」
その言い方が、あまりにも真っ直ぐで。
私は、また何も言えなくなった。
ゴンドラは、ゆっくりと下り始める。
夕焼けの空から、夜の街へ。
私達を乗せたまま、少しずつ。
私は朔夜の肩に、そっと額を預けた。
「……降りたら、顔ひどいかも」
「泣いたからな」
「誰のせい?」
「俺です」
「分かってるならよし」
「……メイク直す時間、取るか」
「うん」
「あと、何か甘いものでも食べる?」
「食べる」
「即答」
「今日は埋め合わせの日だから」
「今日だけで済む?」
「済まない」
「だよな」
朔夜が小さく笑う。
その振動が、肩越しに伝わってくる。
私は目を閉じた。
胸元の月が、微かに揺れる。
当たり前だと思っていた隣。
ずっと言葉にされなかった場所。
でも今日、ようやく名前がついた。
私は朔夜の手を、もう一度強く握った。
今度は、昔からの距離じゃない。
ちゃんと改めて選ばれた距離。
ちゃんと言葉にされた場所。
観覧車が地上へ戻っていく。
扉が開いて、地上に降りても。
私はその手を、絶対に離さなかった。
甘すぎる。おかしい。ここらでバランスを取るか………
あと次話から頻度がちょっと落ちると思います。
ご了承ください~。
IFバットエンド見たいっすか?
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黙れ、純愛しか認めんぞ
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来い!来てみろ!かかってこい!!