「出来た」
「早くない?」
研究所へ入ってきた彩葉は、台座に横たわる少女を見るなり目を丸くした。
黒い髪に、少し吊り上がった目元。
眠るように閉じられた顔は、見慣れた誰かとよく似ている。
というか、俺だ。
正確には、昔の俺を女の子にしたような姿だった。
「前に送られてきたデータを流用出来たし、朧本人から最新の情報も貰ったからな」
「だからって三日で作る?」
「すぐ出来ちゃった」
彩葉は呆れた顔で台座へ近づいた。
朧を見る。
俺を見る。
また朧を見る。
「本当にそっくり」
「月で散々言われた」
「目元なんてそのままだね。寝起きも悪そう」
「何でそこまで分かるんだよ」
「朔夜に似てるから」
失礼すぎるだろ。
「調整は?」
「ほぼ終わってる。彩葉が確認すれば、すぐ動かせる」
彩葉が端末へ触れる。
身体機能。
感覚受容。
運動制御。
朧が月で使っている身体を再現しているけど、地球で生活する以上、全てをそのまま持ち込むわけにはいかない。
とはいえ、かぐやとヤチヨの身体を作った経験がある。
一部だけ修正し、最後の項目へ触れた。
台座の光が強く瞬く。
少女の指先が動いた。
胸元がゆっくりと上下し、閉じていた瞼が開く。
朧は真っ白な天井を見つめ、それから俺へ顔を向けた。
「……朔夜様」
「おはよう、朧」
朧が起き上がろうとして、勢いよく上半身を跳ね上げる。
そのまま台座から落ちそうになった身体を、慌てて受け止めた。
「あぶなっ」
「申し訳ありません」
「最初はそんなもんだ。起きて三秒で謝るなって」
「では、五秒ほど待ってから謝罪を」
「そういう意味じゃない」
後ろで彩葉が笑った。
「あなたが、酒寄彩葉様」
「今は、神代彩葉だけどね」
「あ」
朧が僅かに目を見開く。
「失礼いたしました。彩葉様」
「様はいらないよ。彩葉でいいから」
「ですが、あなたは朔夜様の妻では」
「妻だからって様を付ける必要はないでしょ」
「……分かりました、彩葉」
朧は台座から下り、数歩だけ歩いた。
手を開いて、閉じる。
その場で軽く身体を動かす。
「いかがかな?」
「月の身体と、ほとんど変わりません。違和感もありません」
「そりゃ良かった」
その時、研究所の扉が勢いよく開いた。
「朧ちゃぁぁぁん!」
「かぐや様?」
「出来てるぅぅぅ!」
かぐやが朧へ飛びつく。
受け止めきれなかった朧と一緒に、台座へ倒れ込んだ。
「かぐや、いきなり飛びつくな!」
「だって嬉しくて!」
「朧、平気か?」
「はい。強度には問題ありません」
「確認方法が雑すぎるんだよなぁ」
かぐやは朧から離れると、その周囲を何度も回った。
「すごい!朔夜にそっくり!」
「月でも見ただろ」
「地球で見るともっと似てる!」
場所で変わるのか、それ。
「ほら、並んで!」
彩葉に背中を押され、俺は朧の隣へ立たされた。
かぐやは腕を組み、何度も俺達を見比べる。
「うん!兄妹!」
「血は繋がってないけどな」
「でも神代朧なんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ兄妹!」
隣を見ると、朧は少し俯いていた。
嫌だったのかと思ったけど、耳が赤い。
「……兄妹に見えますか」
「見えるよ~!めちゃくちゃ見える!」
朧はほんの少しだけ笑った。
「そうですか」
嬉しそうじゃん。
なら、まぁいいか。
「よし!遊びに行こう!」
「今からですか?」
「そのために身体を作ったんだもん!」
「技術交流や身体機能の検証では」
「観光」
俺が答えると、朧の動きが止まった。
「前に約束しただろ。次は地球観光だって」
「ですが、月の代表が到着直後から観光など」
「地球じゃ誰も朧が代表だって知らないよ」
彩葉が笑う。
「今日は神代朧として来たんでしょ?」
「代表じゃなくて、俺の妹として遊べばいい」
「妹」
「嫌だった?」
「いいえ」
今度は、すぐに返事が返ってきた。
「嫌ではありません」
□
研究所を出ると、朧はその場で立ち止まった。
午前の青空。
白い雲。
街路樹の葉を揺らす風。
朧の黒髪が、さらりとなびいた。
「どう?」
「……風があります」
「あるな」
「空が、遠いです」
月のドームにも空は投影されていた。
それでも、本物は違うんだろう。
朧は車や歩く人、遠くで吠える犬へ順番に目を向けた。
「音が多いです」
「うるさい?」
「いいえ。不思議です」
かぐやが朧の手を握る。
「じゃあ駅へ行こ!」
「駅が観光地なのですか?」
「電車に乗るの!」
「地球の一般的な大量輸送機関ですね」
「今日はそういうのなし」
俺が朧の頭へ軽く手を置く。
「視察じゃないんだから、普通に楽しめばいい」
「……分かりました、朔夜様」
「あと、地球で朔夜様はやめてくれ」
「どうしてですか?」
「目立つから。妹が兄に様付けも変だろ」
「では、朔夜さん」
「まだ固いな」
「朔夜」
そう呼んだ朧は、すぐに視線を伏せた。
「やはり、落ち着きません」
「そのうち慣れるって」
「朧ちゃん!」
かぐやが繋いだ手を大きく振る。
「それなら、お兄様って呼んだら?」
「お兄様?」
「兄妹なんだから!」
「かぐや、それは朔夜様より目立つかもな?」
「でも似合うよ!」
何が似合うんだ。
朧は俺を見上げた。
試すように唇を開く。
「……お兄様」
「はい?」
自分でも妙な返事が出た。
朧の耳がまた赤くなる。
「やはり、おかしかったでしょうか」
「いや。朧が呼びやすいなら、それでいいよ」
「では」
朧は月の代表らしく姿勢を正し、今度は少しだけ嬉しそうに俺を見た。
「地球では、お兄様とお呼びします」
「家の中でも呼んでいいんだぞ?」
「よろしいのですか」
「別に禁止する理由ないだろ」
「分かりました、お兄様」
さっきより自然だった。
かぐやが満足そうに何度も頷く。
「うん!妹っぽい!」
「お前が言わせたんだろ」
「私は自分で決めました」
朧が訂正する。
そこは大事らしい。
□
電車へ乗っても、朧はしばらく扉の横に立っていた。
「朧、座るところあるぞ」
「この車両は、どのような権限で利用出来るのでしょうか」
「切符買っただろ」
「それだけですか?」
「それだけ」
「代表権限や移動申請は」
「いらないよ!」
かぐやが隣の席を叩く。
朧は手にした切符を見つめてから、ようやく腰を下ろした。
電車が動き出す。
窓の外を、家や店、公園が流れていく。
「月の輸送ラインより遅いです」
「最初の感想がそれ?」
「ですが、外が見えるのはいいですね」
「月のやつは見えないの?」
「速度が速過ぎるため、映像を投影します」
「じゃあ、ゆっくり走る観光用を作ればいいよ!」
「輸送効率が落ちます」
「でも楽しいよ?」
朧は窓の外を流れる街並みを眺める。
「……観光用であれば、ありかもしれません」
月の皆さん。
路線が意味もなく遠回りするようになったら、ごめんなさい。
でも、きっと楽しいと思う。
□
商店街へ着くと、かぐやは朧の手を引き、総菜屋へ走った。
揚げたてのコロッケを受け取った朧は、紙袋を両手で持って見つめている。
「手で食べるのですか?」
「そうだよ!」
かぐやはもう食べていた。
熱かったらしく、すごい顔をしている。
朧も小さく一口食べた。
さくりと衣が鳴る。
「どう?」
「……熱いです」
「味は?」
「おいしいです」
二口目は、さっきより大きかった。
「月にも地球の料理を再現した店はあります。ですが、今この場所で作られたものを食べていることが、不思議なのです」
「なら、これもあげる!」
かぐやがおまけの一個を差し出す。
「かぐやの分では?」
「朧ちゃん、初地球だから!」
朧は少し迷ってから受け取った。
「ありがとうございます、かぐや」
自然に様が取れている。
俺が指摘しようとすると、かぐやが唇へ指を当てた。
珍しく察しがいい。
「お兄様」
「ん?」
「どうして私を見ているのですか」
「美味しそうに食べるなって」
「……お兄様と同じ顔で言われたくありません」
「どういう意味?」
「表情に出ています」
「出てないけど」
「出てるよ?」
何でかぐやまで朧側にいるの。
□
ゲームセンターでは、朧が月のぬいぐるみを前に本気になった。
三回。
五回。
十回。
何度失敗しても、操作台から離れない。
「朧ちゃん、そろそろ別の」
「まだです。次は取れます」
いやぁ。そっくりだなぁ。
こういう負けを認められないところまで。
「ちょっと貸して」
「お兄様?」
「こういうのは、掴むんじゃなくて端を押すんだよ」
クレーンの爪をぬいぐるみへ引っかけ、少しずつ出口側へ動かす。
次の一回で、景品が取り出し口へ落ちた。
「どうよ」
ぬいぐるみを渡すと、朧は不満そうに俺を見た。
「……私が取るはずでした」
「欲しかったんだろ?」
「そうですが」
「なら、はい」
朧は少し迷ってから、両腕でぬいぐるみを抱えた。
「次は、自分で取ります」
「今度また来ればいいよ」
「今度」
「一回で全部やる必要ないだろ」
朧は腕の中の月へ目を落とす。
「そうですね。次は、お兄様に頼らず取得します」
「おう。頑張れ」
「かぐやとも勝負しよ!」
「負けません」
二人の目が本気になる。
次は先に予算を決めておこう。
□
昼食のパンケーキを挟み、三人で写真を撮った。
真ん中にかぐや。
両側に、よく似た俺と朧。
「家族写真だね!」
朧は送られてきた写真を、しばらく見つめていた。
彩葉からは、仕事が終わったら合流するという連絡。
ヤチヨからは、一緒に写真を撮りたいという返事が届く。
「どうした?」
「私が到着しただけで、これほど歓迎していただけるとは思っていませんでした」
「家族が来たんだから、そりゃ歓迎するだろ」
何気なく答えると、朧はスマホへ目を落とした。
「……そうですね、お兄様」
その呼び方は、もうほとんど迷わず出てきていた。
□
午後は水族館へ行った。
頭上の水槽を魚の群れが泳いでいく。
朧は顔を上げたまま、通路の真ん中で立ち止まった。
「月では、水をこれほど大量に鑑賞目的で使用しません」
「ここでは見るために使ってる」
「効率的ではありません」
「今日はそういうものばっかりだな」
大水槽の魚は、揃わない動きで泳いでいる。
群れから外れた一匹が水槽の端を進み、やがてまた群れへ戻っていった。
「戻れた!」
かぐやが手を叩く。
朧も、その魚が見えなくなるまで目で追っていた。
クラゲへ手を伸ばし。
ペンギンが滑れば声を出して笑い。
イルカが跳ねて水飛沫が飛んでくると、俺の後ろへ隠れた。
「俺を盾にすんな」
「咄嗟の判断です」
「代表が市民を盾にするなよ」
「今日は代表ではありません」
「そういう時だけ妹になるの?」
朧は俺の服を掴んだまま、僅かに笑う。
「妹ですので、お兄様に守っていただきます」
「ずるい使い方を覚えたなぁ」
□
日が傾く頃、俺達は街を見下ろせる丘へ上った。
夜空には、白い月が浮かんでいる。
朧は腕にぬいぐるみを抱き、長い間その月を見上げていた。
「あれが、月」
「小さいでしょ!」
「距離は同じだろ」
「気持ちの話!」
朧は小さく頷く。
「遠いですね」
「帰りたくなった?」
「月のことは気になります。ラグナからも、大量の報告が届いています」
「今日は見なくていいよ!」
かぐやが朧の端末を取り上げた。
「今日はお休み!」
多分、ラグナは一人で三十人分くらい働いている。
頑張れ。
「朧。今日、どうだった?」
朧は月を見上げたまま考える。
「地球は、非効率的でした」
「最初にそれ?」
「電車は遅く、食料の形は揃っておらず、娯楽へ大量の資源を使用しています」
「悪口みたいになってるぞ」
「そうではありません」
朧はぬいぐるみを抱き直した。
「効率的ではないものを、残せる場所なのだと思いました」
ただ景色を見るために、電車へ乗る。
形の違う野菜を並べる。
必要のない遊びへ、時間と資源を使う。
水族館の魚は、群れから離れても処分されない。
「月では、全てに理由を求めます。何故必要なのか。どれほどの利益があるのか。失敗した時、何を失うのか」
月を守るため。
二千万人を生かすため。
朧は、間違えることを許されなかった。
「今日は、月の未来には何の影響もない一日でした」
朧は自分の胸元へ手を置く。
「私がコロッケを二つ食べても、ぬいぐるみを取れなくても、魚を見て驚いても、誰も困りませんでした」
そして、年相応の顔で笑った。
「それが、とても楽しかったです」
「そっか」
「はい、お兄様」
「なら今度は、朧が行きたい場所を決めてくれ」
「私が、ですか」
「行きたいところ、いっぱい調べて。全部行こ!」
「全部には付き合わないぞ」
「お兄様も、行きましょう」
朧まで、かぐや側に立った。
「いつからそんな強引になった?」
「私は妹ですので」
「妹を万能の権限みたいに使うな」
二人が楽しそうに笑う。
しばらくして、朧が静かに聞いた。
「次も、地球へ来ていいのでしょうか」
「何で駄目だと思うんだよ」
「私は月の代表です」
「休みを作れ」
「簡単に言わないでください」
かぐやが朧の手を握る。
「ここも朧ちゃんの帰る場所だから」
「帰る場所」
「だって神代朧なんでしょ?」
朧が自分の名を確かめるように目を閉じる。
「……はい」
「なら、いつ来てもいいんだよ!」
「事前連絡はしてな」
「お兄様」
「大事だろ。月の代表が突然いなくなったらそっちも驚くって」
朧は俺とかぐやを見てから、もう一度月を見上げた。
「次は、海を見てみたいです」
「海?」
「水族館の水とは、比べものにならないほど大きいのでしょう?」
「大きいよ!すっごく!」
「海水浴するか?」
「私は泳いだ経験がありません」
「かぐやが教えてあげる!」
「不安だから俺も行く」
「何で!?」
「かぐやも泳ぎ下手だろ」
朧が、俺とかぐやの間で笑った。
「楽しみにしています」
「おう」
「地球へ帰ってくることを、楽しみにしてもいいのですね」
「当たり前」
月へ帰ることは、地球との別れじゃない。
次のただいままでの、少し長い外出みたいなものになる。
そう思えた。
□
家へ戻ると、彩葉とヤチヨが玄関で待っていた。
「おかえり」
「おかえりなさ~い!」
かぐやが二人へ飛びつく。
俺も中へ入ったけど、朧だけは玄関の前で立ち止まっていた。
「入らないの?」
「……何と言えばいいのか、分からなくて」
「ただいまでしょ!」
「私が、言ってもいいのでしょうか」
「朧ちゃんの部屋も用意してあるよ」
彩葉が笑う。
「私の部屋?」
「お兄様が決めてくれたんだよ!」
「かぐや、何でお前が自慢するの?」
「本当なのですか、お兄様」
「次に来た時も、研究所で寝るわけにはいかないだろ。俺達の家に泊まればいい」
朧が俯く。
少しだけ目元が赤い。
それでも顔を上げた時には、ちゃんと笑っていた。
「ただいま……です」
小さな声。
俺は月で姓を渡した時と同じように、朧の頭へ手を置いた。
「おかえり、朧」
「おかえり、朧ちゃん!」
「おかえりなさい」
「ヤッチョも待ってたよ~!」
朧は目を閉じ、俺の手へ少しだけ頭を預けた。
「はい」
その顔は、月の代表ではなかった。
かつての指導者をモデルに作られた存在でもない。
神代朧。
俺の妹で、俺達の家族。
初めて地球へ帰ってきた、一人の女の子だった。
□
その日の夜、俺は五人分の夕飯を作った後、山ほどパンケーキを焼かされた。
「美味しいです」
「そりゃ良かった」
「月へ帰ったら、再現してみます」
「レシピ渡そうか?」
「いいえ」
朧は首を振った。
「次に帰ってきた時、またお兄様に作っていただきたいです」
「……そっか」
「ご迷惑でしょうか」
「別に」
俺は新しい生地をフライパンへ流した。
「帰ってくるなら、何枚でも作るよ」
朧が笑う。
その隣から、かぐやも空の皿を差し出した。
「かぐやも!」
「お前は少し遠慮しろ!」
家の中へ、笑い声が広がる。
朧が月へ帰るのは数日後。
短い滞在になる。
代表である以上、ずっと地球にはいられない。
それでも、もう大丈夫だろう。
「お兄様」
「ん?」
「次に来た時も、同じように迎えていただけますか」
「同じとは限らないな」
「……そうですか」
「次は今日より普通だよ」
「普通?」
「家族が帰ってくるたび、毎回歓迎会をしてたら大変だろ。飯は作るけど、いちいち特別扱いはしない」
朧が目を瞬かせる。
「それに今度は、朧も料理を手伝うんだろ?」
「……はい」
返事をした朧が、嬉しそうに笑う。
「次も、必ず帰ってきます」
「おう」
月へ帰ることは、地球との別れじゃない。
朧が帰ってきたら、俺達はまた、おかえりと言う。
朧も俺を、お兄様と呼ぶ。
何度でも。
当たり前みたいに。
家族ってのは、多分。
そういうものだから。