『わたし、ハルと結婚するのよ。ウォーターハウス夫人と呼ばれるのが夢なの。黄金に光る水仙の
俺はユークに恋をしていた。
『ロミオとジュリエットのような運命的な恋って信じる? わたしは信じるわ。あるに決まってる。でなければ、世界がこんなに
彼女は
『5月の
宝石のような青い瞳が好きだった。風に揺れる繊細な髪が好きだった。小さなことで大袈裟に笑うところが好きだった。
『女のくせにこんな事を言うのは、はしたないと思われるかも知れないけれど、わたしはあなたが好き。夢にあなたが出てくると、どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく切なくなる』
いつも振り落とされるくらい激しくブランコを
『きっとわたしたちには運命的なつながりがあって、どんなことがあっても魂が
彼女は本なら何でも読んだ。だから、俺もたくさんの本を手にした。恋愛小説や冒険小説、歴史小説に古典
『たとえロミオとジュリエットのように運命の力に焼かれてしまおうとも、きっとわたしたちは結ばれる。その時はね、海に深く沈んでしまった真っ青な教会で、2人きりで、式を挙げるのよ』
あれは忘れもしない、今から丁度10年前。12歳の春の日。暖かな
当時、父に憧れていた俺は、
※※※
──ユークの中には別の人生があるらしい。
ただし
彼女は
次いでユークの小さな口から、見たことも聞いたこともない異界の生活が語られていった。
灰色に乾いた都会、
訳のわからないことばかりを言っている。
確かにユークは、普段から運命などという不確かなものを信じ、愛という感情に夢みがちで、ポエティックな所のある女の子だ。
だが、今日のユークはそうではない。明らかに様子が違う。
話は具体的で、かつ常識という枠を逸脱していた。存在しない単語までも使い
空想を語るという次元ではない。
毒気を帯びた妄想だ。
怖かった。
彼女の言葉の半分も頭に入らなかったと思う。
いつも優しい笑顔を浮かべているハニーチャーチ夫人も、今日ばかりは
ユークは
彼女の身に何が起きたのだろう。
昨日まで笑っていたユークはどこに行ったのだろう。
手の込んだ冗談だろうか。
だとしたら、もう分かった。
十分に怖い。降参だ。
ユークからユークが消えてしまったかと思った。迫真の演技だ。
だから、頼むから、これ以上、変な事は言わないで欲しい──。
困惑する俺を
『──Shirotaka(シロタカ)に行ってみない?』
父が眉根を寄せて問うた。
「
その友人が言うに、シロタカには誰も住まわない屋敷が残っているとのことだった。それは『古い時代に存在した
屋敷には妙な噂が付き
「それで、そのホーンテッド・ハウスには何かいたのかな?」
「何もいませんでした」
「では、こう、薄闇に浮かぶ影を見たとか、
「──わたしには何も見えませんでした。わたしだけは何も見えなかったんです」
友人らは一様に同じ方を向いて青
なぜ友人らは急に固まってしまったのだろう。
どうしようもなく怖くなって、真隣にいた友人の腕を引っ張った。不可解なことに、力一杯引っ張ってもぴくりとも動かなかった。話しかけても反応がなかった。
だから彼女は、みなが見つめる闇の先に、自分も何かを見つけようとした。それなりの勇気を持って凝視したが、どれだけ見ようとも闇は闇だった。彼女にはわからなかった。何もわからなかった……。
「でも確かに、あの日、
その2日後に友人の1人が自害した。高所から飛び降りたらしかった。遺書が残っていて、そこには既婚者との恋愛に疲れた
「遺書は
「その次の日に友人が自動車にひかれて死にました。同日の夜にもう1人の友人が浴槽で溺れて死にました」
薬品を整理していた看護婦が、手を止めてユークを見つめた。
「それで、君はどうなる?」
「わたしは肩が凝ったんです」
「肩が?」
彼女を襲ったのは
「癌で肩が凝る? 何だろう。乳がんか、肺がんか、或いは
「死にました」
父は目を
「何故?」
「わかりません。先に死にました」
「全員か?」
「はい。父も、母も、妹も。飼い猫さえも死にました」
ここまでを聞いて、俺は確信した。──ああ、ユークは気が触れてしまったんだ。
そう確信すると、足先、指先が冷えた。血の気が引いて行くのが分かった。
精神病と診断されてしまえばお
どうしよう。俺はどうするべきだろう。
そうだ。今すぐに彼女の小さな手を取って、そして診察室から逃げてしまおうか!
しかし無鉄砲に走り出したところで、その先はない。彼女は救われないし、俺に彼女を救うだけの力はなく、ユークを更なる破滅に追いやるだけだということは誰の目にも明らかだった。
この状況から脱することを考えれば考えるほどに
「あの日、
今まで凍りついていたユークの眼球が動いた。部屋の隅で凍りついていた俺を見た。砕けた宝石の瞳。
「──
直接問われた気がした。そして1つの答えが頭を
ホーンテッド・ハウス。粘つく黒い影。
ユークは言った。あの日から、全てが変わった──。
途端に恐ろしくなった。わけもなく孤独感に襲われて、考えを振り払うようにして頭を横に振った。……今の感覚はなんだろう。ユークの狂気に当てられたのだろうか。亡霊だなんて非現実的だ。全ては狂気が生んだ妄想に決まっているじゃないか。
真実のみに目を向けて、現実を受け入れるべきだ。それがたった一つの冴えた方法だ。
もう昨日までのユークはいない。脳を病んだ。それを認めなくてはいけない。
そうしないと、俺まで狂気に飲まれてしまう。水は低きに流れるんだ。ここに壁を作らなくてはならないんだ。
「話しかけないでくれ。君は狂ったんだ、ユーク」
父の背中越しにカルテが見えた。そこには
・Euclase Honeychurch
(ユークレース・ハニーチャーチ)
主人公。前世の記憶を持っているが、精神病だと診断された。
・Mizuki (ミズキ)
ユークレースの前世での名前。苗字の『水木』か、名前の『瑞稀』や『みずき』なのかは不明。
・Shirotaka (シロタカ)
埼玉県の小字(あざ)。
・精神分裂
統合失調症の昔の呼び方。Schizophrenia (スキゾフレニア)。schizo=分裂した。phrenia=精神。