──足が床を離れて、背中に衝撃が走った。後頭部を
何が起きたかを理解するのに数秒
苦しい。
ぎいぎいと
意識が遠のいてゆく。酸素が足りていない。頭が回らない。
このままでは死んでしまう。ある程度物事が考えられる内に
わたしは
指先に固いものが当たった。ぐりりと黒目を動かしてそれを見ると、棒の先にたばこ入れのような浅い箱が付いた道具が転がっていた。
(──
暗闇では霊の姿をおさめられないと考えたのだろう、リリーローズが用意していたらしい。
彼女にとっては皮肉だが、亡霊は環境の変化を嫌う。したがって激しい光も苦手だ。
STEP①
STEP② 中にマグネシウム粉を乗せる。
STEP③
STEP④ 箱の中のフリントホイールが回転、ライターの要領で火花が散ってマグネシウムに着火、激しい
そうしてわたしは祈った。頼む、リリーローズ。
胸の前に
※※※
わたしとリリーローズは、何とかロッジから生還することができた。正直に言えば幸運だったと思う。今回の生還に再現性はなく、単に賭けに勝ったというだけで、強いて言えばリリーローズの几帳面さがわたしたちを救ったのだった。
朝になって警察が到着した。形式的な事情聴取があって、ロッジを
リリーローズはまだ目を覚ましていない。首を絞められていた時間が思いの
ソフィはリリーローズが暴漢に襲われたと知るや否や取り乱した。
「だ、だって、私っ、そんなつもりじゃ──。ただ、お屋敷で過ごすのが楽しみだっただけなのに……。こんな事になっちゃって、わたしっ……!」
そう言い残すと彼女は部屋に閉じこもった。自身の発言が彼女を追い込んだと思ったのだろう。戦時下の都会で
「ああ、リリーローズ……。どうしてこんな馬鹿な事を……。あなたは本当に馬鹿ね……」
デヴァルー夫人もひどく動揺していた。絶えず呼びかけてはいるもののリリーローズは返事を返さないし、だからといって幾ら待ってみても彼女が起き上がる気配はなかった。やがて夫人は疲弊して、熱を出して寝込んでしまった。
一方で次女のシャーリーと三女のヴィクトリアは堂々廊下で大げんか。流石に取っ組み合いにまでは発展しなかったが、『そろそろ誰かが間に入って止めるべきだ』と使用人間で役割を押し付け合う程度にはヒートアップした。
「私のせいじゃないわよ。むしろシャーリーお姉さまが意地悪な言い方をしたから、リリーローズお姉さまが追い詰められてしまったのじゃなくて?」
「あなた、私のせいだって言いたいの……!?」
「言ってたじゃない。『虚言ばかりでうんざりする』って。あんな言い方は人としてどうかと思ったわ」
「言ったけれど、言ったかもしれないけど……、そ、それは……、みんながお姉さまを責めるからで……」
「責めるから何? 一番に追い込んだのはあなたのに、なんで被害者ぶれるわけ?」
「あんな場で自分の意見なんて言えるわけがないじゃないっ! そんな勇気は出ないわよっ!」
「じゃあお姉さまをいじめる勇気は出たわけね」
「な、なによそんな言い方……っ!」
「卑怯よ、シャーリーお姉さま。
そうしてヴィクトリアは背を向けて去ってしまった。
「何よ、何なのよ、どっちが卑怯よ……! まるで私だけが悪いみたいな言い方をして……! あなたがソフィに乗っかってお姉さまを虐めたんじゃないのっ!?」
シャーリーはぼろぼろと涙を流しながら、静かに去りゆくヴィクトリアの背中に怒号を浴びせた。
「ひどい!! 最低よ!! 大っ嫌い!!」
個人的にはあんまり考えたくはないことだが、仮にリリーローズが二度と目を覚ますことがなかったら、デヴァルー家に大きな禍根を残すことになるだろう。ソフィの心にも修復不可能な傷が残るに違いない。きっと、誰もが苦しみながら生きていくことになる。
(これもまた運命なのだろうか)
わたしは小説でも映画でも、ハッピーエンドが好きだ。特に善玉も悪玉も報われるパーフェクトなハッピーエンドが好きだ。誌面上の評論家が『非現実的だ』と顔を真っ赤にして怒っていようとも、そうした作品が好きだ。
どんな物語でも進行していく内に主人公や脇役の人となりが分かってきて、善玉であろうと悪玉であろうと好きになってくる。大概彼らには彼らなりの想いや生き方があって、実直に生きているに過ぎない。もちろん悪玉は行った悪事に比例するだけの
(運命なんざ犬にでも食わせとけ、
わたしはリリーローズのために祈るのをほどほどの所で切り上げて、
「──はて、使用人名簿を見たいと? 何故そのようなものが気になるので御座いますか」
「あのロッジには元々誰が住んでいたのかを調べたく存じます」
「これまたどうして」
「好奇心、という答えでは不足でしょうか」
それらしい理由が見つからなかったので断られるかと思ったが、
「まさか
本来ならお家の恥だ、とホーキンズ氏は
「しかし、
「ロッジに入ったのですか?」
「ええ、何度も入ったことがありますとも。ですが浮浪者のねぐらになっているとは到底……」
そしてホーキンズ氏はため息を一つ
まず、ここ1・2年は第一下僕、第二下僕に庭師と、若い男が徴兵のために離職していて、それより以前は
しかし
『ルーシー・コリンズ 死亡のため見舞金払う 20ポンド エセックスへ』
その
「気立てがよく、実直で、優しい子でありました。働き始めて一年も経たぬうちの悲劇でしたな。まだまだ若く、人生これからという時に──」
「──ロッジで首を絞められて殺された」
ホーキンズ氏は目を丸くしつつ、
「そう言えばリリーローズお嬢さまが皆様の前で『過去にロッジで殺人事件があった』と言ってしまいましたな。気分の良い話ではありませんから当時を知る使用人たちは口を噤んでおりますが、しかしユークお嬢様は死因までご存じとは」
「リリーローズの
「まあ、乙女好みしそうな話ですから、知っていれば誰かに
そしてホーキンズ氏は自身が知っていることについて教えてくれた。
まず、あのロッジは元々
事件当日は慌ただしかった。故デヴァルー氏が自由州から帰国し、しかも婚約者(もちろん夫人のこと)を連れ帰ってくるということで、屋敷では歓迎の準備が進められていた。
初めは
以降縁起が悪いということでロッジは使用されなくなった。
「なんだか今回と似たような状況ですなぁ。十年以上前の話なので、ただの偶然かとは思いますが……」
さらに名簿を
また
そして1870年の
いずれにせよ、エダもサラも女性である。サラは
なお、ホーキンズ氏は度々ロッジに行っているようだし、そもそも
──何故、亡霊は若い女だけを襲うのだろうか。
疑問に思いながら
『アビゲイル・ウェントワース 退職
大樫の離れ? 恐らくはロッジの事だとは思うが、『離れ』という単語はいかにもゲストハウスを思わせる。とするとあの屋舎はもともと猟番小屋ではなく
しかしこのアビゲイルなる人物はなぜ退職したのに領地から出なかったのだろう。屋敷に留まる理由が思いつかない。
名簿を読むに、アビゲイルは退職する2年前に
「サリー郡貧民狂人収容所……」
聞いたことのない精神病院だった。
「今はもう無い病院ですな。確か
・猟番小屋
ゲームキーパーが住む家。大概は屋敷の敷地内にある。
・猟番(ゲームキーパー)
敷地内の猟場を管理している人間。
・ゲストハウス
屋敷に遊びに来た人が泊まる場所。