『ボクが美少女になっちゃって、魔法のタロットで放課後探偵団!? ~中身はガチの秀才男子だけど、身体が勝手にドキドキしちゃう 作:夏目陽光
第十回:王国(マルクト)の呻吟(しんぎん)
視界が、不気味なほどに鮮明になった。
これまでの夢幻のような混濁は消え去り、網膜に映るすべての事象が、逃れようのない「事実」として私の脳に突き刺さってくる。
鏡を見ずとも解る。そこに立っているのは、もはや少年の魂を宿した仮の姿ではない。十五歳の少女という完成された生物学的実体であり、その「王国(マルクト)」の領土を隅々まで統治しているのは、私の意志を完全に排除した肉体の生理機能であった。
一歩踏み出すたびに、床の冷たさや、衣(きぬ)が肌を擦(こす)る微かな摩擦が、暴力的なまでの情報量を持って意識を埋め尽くす。私は、私という抽象的な存在を維持するための「隙間」をすべて奪われ、この肉体という物質の重圧に、ただ唸る(ナヘム)ほか術(すべ)を持たなかった。
「……ああ、これが、世界か」
私の唇――否、彼女の唇から漏れた声は、もはや震えてもいなかった。それは、あまりに現実的で、あまりに生命に満ちた、美しくも残酷な響きを湛(たた)えていた。
そのとき、部屋の扉が再び開いた。
入ってきたのは、あの外套の男ではない。……それは、私(あるいは彼女)を心から案じ、この洋館の深淵に手を差し伸べようとする、一人の「人間」であった。
「……無事だったのか」
その声に含まれた純粋な響きが、私の凍てついた知性の残骸を、一瞬にして焼き切った。
その者は、駆け寄るなり、私の冷たい手を、自らの両手で包み込んだ。
熱い。
それは、男が与えた暴力的な熱でも、肉体が発する淫らな熱でもなかった。
ただ、一人の人間が、他者の無事を祈り、その存在を無条件に肯定しようとする、あまりに切なく、あまりに清らかな「人の温もり」であった。
その温もりが、少女の皮膚を透過し、私の魂の最深部に触れた瞬間、私は、自分が犯した罪の深さを理解してしまった。
私は、この美しい温もりを、自分のものではない肉体で受け取っている。
この清らかな愛は、私に向けられたものではない。私が簒奪(さんだつ)し、上書きし、汚辱に塗(まみ)れさせた、この「少女」に向けられたものなのだ。
理解(ダアト)の稲妻が、私の全存在を貫いた。
この温もりを愛おしいと感じてしまったこと。この肉体の熱に安らぎを覚えてしまったこと。そのすべてが、取り返しのつかない冒涜(ぼうとく)であった。
私の内側で、ナヘムの呻きが、耐え難い悲鳴へと変わった。
王国は完成した。しかし、そこには私という王の居場所などは、初めから存在しなかったのだ。
私は、私を愛してくれたその者の手を、震えながらも優しく振り払った。
涙が、彼女の瞳から溢れ出し、温かい筋となって頬を伝い落ちる。それは、私がこの人生で流す、最初で最後の、そして最も純粋な「人間の感情」であった。